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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
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Butterfly  10

 森沢と共に披露宴会場に戻った明子は、悪妻のフリをして招待客を騙そうとしてたことを、ひとりひとりに謝ってまわった。無駄に披露宴に騒ぎを起こしたことを恥ずかしくも申し訳なく思っていたために、かなりとっちらかり気味の明子ではあったが、そこは森沢が上手にフォローしてくれ、全ての客と満遍なく話ができるように彼が明子を誘導してくれたので、彼女は目の前の客との会話に気持ちを傾けることができた。 

 姉の言うとおり、明子の猿芝居は多くの人に看過されていた。中には「え? あれ、お芝居だったの?」と驚く者もいたが、そんなことを言うのは、ひとつのテーブルにひとりがせいぜいであった。自分のキャラクターにはない悪女役とはいえ、わりと上手に演じられたと思っていただけに、明子としては、ちょっとショックである。

「そんなに下手くそなお芝居だったでしょうか?」

 テーブルからテーブルに移動する僅かな隙に明子が森沢にたずねると、彼が咳き込むような笑い声を上げた。

「俊鷹さん?」

「そ、そうなんだろうねぇ」

 顔の筋肉を微かに痙攣させながら彼が答えた。

「でも、バレてしまったことは、しかたがないよ。ここは潔く、会場をお騒がせしたこと、皆さんにお詫びしないとね」

「はい」

 明子が生真面目にうなずくと、森沢が彼女の頭に手を置いて「頑張れ」と励ましてくれた。笑みを含んだ彼の眼差しに、明子の顔も自然に笑顔になる。


 30分ほどかけて会場の隅々まで回りきった明子たちが最後にたどり着いたは、紫乃のいるテーブルだった。 紫乃の隣には彼女の伴侶の弘晃がいて、穏やかな笑みでふたりを迎えてくれた。

「ありがとう。今回のことは、喜んで『貸し』にさせてもらうよ」

 明子たちがいない間に披露宴会場で起こっていた出来事の幾つかを教えてもらった後、森沢が弘晃に礼を言った。だが、明子には、彼が言うところの『貸し』に心当たりがない。紫乃も何のことだかわからぬようだ。 だが、弘晃にはちゃんと通じたらしく、「貸しというほどのものではありませんよ」 と、森沢に笑みを返していた。

「それに、うちにも関わりのあることです。大叔母さま、そうですよね?」

 弘晃が、紫乃とは反対側の隣に座っている真っ白な髪をきれいに結い上げた老女に、お伺いを立てた。

「当然です」

 元東栄銀行頭取夫人こと中村葉月が、弘晃に重々しくうなずいた。

「事実無根の悪妻の評判など、放置しておくわけにはいきません。明子さんのためによくないのはもちろんですが、紫乃の、ひいては中村家のためにもなりません」

「も、申し訳ございませんでしたっ!」

 葉月の言葉にハッとした明子は、その場で額に膝がくっつくほど深く頭を下げた。自分のことだけで精一杯で、姉の嫁ぎ先のことまで気にかける余裕がなかった。完全に明子の落ち度である。だが、紫乃や弘晃はもちろん、葉月も明子を叱ったりはしなかった。

「裏切った夫に妻が仕返しをして、何が悪いというのです? 演技だったのが残念なぐらいですよ」

 もう相当な年齢であると思われるのに、明子に微笑んでくれた葉月は白い牡丹の花のように凛として、匂い立つように艶やかだった。それどころか、彼女には、バラのような鋭い棘もあるようだ。「もしも、わたくしが明子さんと同じ立場だったとしたら、裏切った夫に情けをかけることなどありえません。それこそ芝居抜きに鬼女となり、皆さまの前で達也さんを社会的に抹殺したことでしょう」と、きれいな微笑みを浮かべたまま背筋が凍るようなことをサラリと言ってのけた。


「おやおや、恐ろしいことをおっしゃいますな」

 葉月の言葉に、同じテーブルに座っていた白い髭の老人がおどけた顔で笑った。彼は大手電器メーカーの会長なのだと、葉月が紹介してくれる。また、同席する他のふたりのうち、丸顔に眼鏡の男は自動車会社の社長で、顎の尖った男は製薬会社の副社長なのだそうだ。8席あるうちの残りの2席は、明子の父と兄のものだったが、ふたりは席を外していた。

「私を、覚えておいでかな?」

「その節は、大変お世話になりました」

 白い髭の会長に、森沢が丁寧に頭を下げた。 

「お知り合いだったのですか?」

「彼は、寮を建て替えてくれたのだよ」

 老人が弘晃に答えた。 

「私が寮長をしていた頃からボロだった倒壊寸前の翔鳳高校学生寮を建て替えるための運動と資金集めを、当時寮長だった彼が中心になってやってくれたんだ。建て替えた時、自分は卒業しているというのにね」

 『馬鹿だろう?』と、老人が誰にでもなく問いかける。

「私は、そういう馬鹿が大好きでね。あの当時、幹部候補として大学卒業後に我が社に引き抜こうと思って調べたんだよ。そうしたら、喜多嶋さんのお孫さんだとわかってね。それで泣く泣く諦めたのだよ。伝言は伝わっているかな? 『思い出を残してくれてありがとう』という」

「はい。祖父からうかがいました」

 森沢が答えた。老人は満足げに微笑むと、「葉月さんも彼に目をかけていたそうだね。こちらのお嬢さんも結果的に達也くんよりも彼を選んだわけだし、私の目に狂いはなかったと自信をもっていいのかな?」と、葉月にたずねた。

「馬鹿を見抜く目に関しては超一流だと思いますわ。なにしろ、この手の使い勝手の良い馬鹿は、最近は貴重でございますものねえ」

 ホホホ……と、葉月が声を上げて笑う。 


「葉月さま、あんまりです」

 紫乃の結婚式を盛り上げるために葉月にこき使われていた過去がある森沢が、口を尖らせた。 

「せっかく、お礼を言おうと思っていたのに、出鼻を挫かないでくださいよ」

「お礼?」

「俊鷹さんのお祖父さまに、私たちの縁談を勧めようとしてくださっていたと、お義母さまからうかがいました」

 首を傾げる葉月に、明子が言った。

「ああ、そのことですか」

 葉月が明子に微笑みかける。 

「あなたは文緒さんに似ているようですから、あなたなら喜多嶋の先代さんのお眼鏡にかなうと思ったのですよ」

「私が、ですか」 「母に、ですか?」

 驚く明子の横で、森沢が嫌そうな顔をした。

「ええ。人並み以上に綺麗だし頭も気も回るのに、それをひけらかそうとしない。目立つことを好まず、他人を立てることを劣等感や嫉妬心なしにやってのける。なにより、相手の立場で物事が考えられる」

 葉月が、文緒と明子との共通点をあげた。

 葉月いわく、喜多嶋は『女の園』であり、『女の戦場』なのだそうだ。 

 商品の宣伝に関わるモデルや販売員たちは、己の容姿に人並み以上の自信を持ち、また、事務方や企画部門で活躍している女たちも、女ならではの仕事を男並にしてのけようという有能な野心家ばかり。

「そんなプライドの高い女たちと、いちいち張り合っていたら身が持ちません。彼女たちから侮られることのないだけのもの、あるいは彼女たちから羨ましがられるほどの容姿と能力を兼ね備えていながら、それでも一歩下がって、彼女たちが持つ能力に敬意を払いながら進んでサポートに回れる女性でなくては、喜多嶋のトップレディーには向きません」

 実際、森沢の祖母という人は、『向いていない』性格をしていたそうだ。紘一が結婚してからは役割の一部を多恵子に譲ったものの、それまでは、喜多嶋当主夫人としてすべき諸事のほとんどを文緒が肩代わりしていたという。だからこそ、文緒は、長野にいながらにして、いまだに喜多嶋の男たちの目が届かない内情にまで通じている。

「ですから、わたくしは、明子さんが喜多嶋の家のお嫁さんにピッタリだと思っただけ。夫となる男性が達也さんでも俊鷹くんでも、本当は、どちらでも構わなかったのですよ」

 だが、男の子は母親に似た女の子に惹かれるという。だから、葉月は、文緒の息子に明子はどうかと喜多嶋の先代に勧めることにしたそうだ。


「それに、達也さんよりも俊鷹くんのほうがより強力に妻の助けが必要だと、わたくしは思ったのですよ」

 葉月が、悪戯小僧を叱るような視線を森沢に向けた。

「だいたい、あなたが、いつまでたっても喜多嶋の跡取りだという自覚がなくチャラチャラチャラチャラしているから、今回、こんなにややこしいことになったんですよ」

「え? いや、だって、跡継ぎはそもそも達也だったわけですから……」

「ですから、それが勘違いだと言うんです」

 葉月がピシャリと森沢の反論を遮る。

「経営者として喜多嶋グループを継ぐ者だけが喜多嶋の後継者だと、いったい誰が決めたんです?」

「誰って…… でも、普通は……」

「いいから、ちょっと、そこにお座りなさい!」

 葉月が、明子の父が座っていた席を指差した。本格的な説教の開始を予感してか、森沢が情けない顔をしながら着席する。明子も、恋人を苦難を共にすべく彼の隣にそっと腰を下ろした。



「長野の一企業から発達した喜多嶋紡績グループは、近代化の過程で、その事業を広く全国あるいは世界に向けて展開する必要から東京に進出しました。現在、企業としての喜多嶋の中心が東京にあることは疑いようがありません」

 葉月は言う。

「でもね、全国規模の企業になったからといって故郷を見捨てるような真似はしたくないと、私が最後にお見舞いした時、あなたのお祖父さまはおっしゃってました。なぜなら、喜多嶋は、かの地でかの地の人々によって育まれてきた企業であるというよりも共同体だから。だから、喜多嶋は彼らに恩返しし続ける義務があるのだと先代はおっしゃってました」

「恩返し……」

「故郷だけではありませんよ。進出した土地……特に今の本社のある東京についても、先代は大事にしていこうというお気持ちがありました。田舎を置き去りにして都会ばかりに富が便利さが集中しているという実状にも大きな問題はあります。でも、使い勝手が良いからという理由で方々からやってきて、自分たちの利用しやすいように山を削り緑をなくし海や水や空を汚した挙句に、『都会は冷たい』だの『心休まる自然がない』だのと、元々この地で暮らしてきた者が聞いたら悲しくなるような言葉で訳知り顔で批判する。そういう風潮にも先代は疑問をもっておられました。だからこそ、自分は双方が補い合い助け合いながら共に生き共に潤い共に発展するような関係を作りたいのだと、先代は常からおっしゃてました。東京が喜多嶋の中心であるならば、長野は喜多嶋のルーツであり城の本丸のようなもの。先代にとっては、どちらも大切な場所なのです。だからこそ、あの方は、それぞれを、ふたりの孫に託そうとなされたのです。あなたも達也くんも、英輔さんにとっては、どちらも大切な跡取りだったのです。わかりますか?」

 森沢の反応を待つように、葉月が言葉を止めた。 

 彼は、言葉を選ぶように逡巡した後、「優劣など、始めから存在してはいない。相手と比べてひがむ必要も張り合う必要もなかったということですね」と、葉月に言った。 

 森沢の答えに満足したように、葉月が目を細める。

「どちらかだけが先代に目をかけられていたとか、どちらかが見捨てられたとか、そういうことではなかったのですよ。彼が、あなたがたにそれを言わなかったのは、自分たちの力で、そういう気持ちが自然に持てる境地にまで到達してほしかったからです。先代は……英輔さんは、ふたりのお孫さんの成長を、それはそれは楽しみにしていましたよ。そして、どちらのことも自慢に思っていらっしゃいました。とはいえ、この先はどうなることやら。全ては六条さんの御心次第といったところかしらねえ」

 葉月がため息をつきながら、彼女から見て後方の出入り口に視線を流す。おりしも、六条源一郎と和臣……すなわち明子の父と兄が、宴会場に入ってきたところだった。 

 彼らに続いて達也と喜多嶋一族も、一様に疲れきった顔で戻ってきた。唯は見当たらない。もしかして、捕まえられなかったのだろうか?

「いや」 

 森沢が、達也の姿を目で追いながら苦笑いを浮かべる。

「そのようですね」

 弘晃も気の毒そうに顔をしかめた。 

 おととい森沢に殴られた腫れが引ききっていない達也の左頬には、遠くからでもわかるほど見事な赤い手形がついていた。その手形の上に、生命線と運命線とも判じがたい赤い線がクッキリと浮かび上がっている。どうやら、引っ掻かれたためにできたミミズ腫れであるようだ。誰の仕業かといえば…… やはり、あの女の仕業でしかないだろう。


「ちょっと情報収集してくるよ」

 森沢は席を立つと、親戚たちのいるほうへと近づいていった。

 ほどなく戻ってきた彼が、唯はホテルの一室に見張り付きで軟禁されているそうだと教えてくれる。ちなみに、見張りをしているのは、唯が報告書を書かせた探偵とその妻だそうだ。今後も唯が逃げ出す事がないように、とりあえず3年契約で一族が彼らを雇ったという。高額の報酬に感動した探偵たちは、迷惑をかけたお詫びも兼ねて全力で仕事をさせていただくと、一族に誓ってくれたとのことである。

 逃げた花嫁と対面した達也は、結婚生活の破綻がそのまま喜多嶋紡績グループの壊滅に直結することを唯に正直に打ち明け、形だけでも協力してほしいと頼みこんだという。だが、彼の『お願い』に対して唯が取った仕打ちは、見ての通り。唯は、達也の頬を張り飛ばし長い爪を彼の顔に向かって振り回しながら、「そんなこと、私には、全然っ関係ないでしょう!」と喚き散らしたそうだ。だが、どれほど唯が抵抗しようと、達也を罠にかけた証拠も証言も、既に喜多嶋が握っている。だから、唯がどんな屁理屈を並べたところで、全く弁明の余地はない。唯の説得を諦めた喜多嶋一族は、それらの証拠を楯に強硬手段に出たという。

「この場で結婚詐欺師として警察に突き出されれる、あるいは、裁判にして高額の賠償金を払わされたくなかったら協力しろという訳だ」

「賠償金?」

「うん。倒産した場合に喜多嶋の社員に支払われることになるであろう退職金。その全額を彼女に要求するって脅したらしい」

「喜多嶋の社員って、工場で働いている人とかスーパーなんかに派遣されている販売員もいるわけだから、うちの社員の何倍もいますよねえ」

「いるいる」

 森沢と弘晃がニマニマと笑いながら顔を見合わせている横で、紫乃が「数億円……いいえ、数十億?」と途方もない金額を呟く。

「それじゃあ、ひとり頭数万円しかもらえませんよ。少なくとも数百億円です」

 明子の兄が、戻ってくるなり姉を馬鹿にした。彼は、椅子を持ってこさせると、明子と姉の間に割り込んだ。

「さっきは面白かったよ。あんなに楽しい余興があると知っていたら、ビデオ撮影を頼むんだった」

 兄が明子に笑いかけた。本人は誉めているつもりのようだが、明子にしてみれば傷口に塩を塗られているようなものである。兄が自宅で父や妹たちと上映会を催している図を想像しただけで、明子は気が遠くなりそうだった。

「和臣。 明子をいじめるのはやめなさい」

 紫乃が弟を叱る。


「そろそろ始まるの?」

「ええ。喜多嶋さんたちが戻ってきましたから」

 姉に答えた和臣は、表情と改めると、同じテーブルに集っている男たちと葉月に向かって、「本日は、見届け役をお引き受けいただきまして、ありがとうございます。よろしくお願いします」 と頭を下げた。

「見届け役?」

「達也さんの浮気の代償に喜多嶋を潰すことを止める代わりに、うちの会社が喜多嶋の経営に『ちょっとした』口を出す。そのことは聞いているね?」

 和臣が明子に確認する。兄が頭を下げた人々は、六条側から喜多嶋への『提案』を検証する役目を担っており、その『提案』が理不尽なものであれば口出ししていいことになっているという。

「できるだけ公平性を保ちたい……というより、単なる嫌がらせではないことをハッキリさせておきたい。喜多嶋とは、これから先も仲良く親戚付き合いを続ける間柄であり続けるようですから。ね、俊鷹義兄さん。僕のほうが年下だから、これからは、『お義兄さん』と呼ばせてもらってもいいですよね?」

 和臣が森沢に笑いかけた。


(達也さんのことは、一度も『お義兄さん』なんて呼ばなかったのに)

 それどころか、最近の兄は、達也を『あれ』呼ばわりしていた。明子は、驚きを込めて兄を見つめた。


(お父さまが何をするつもりなのかは知らないけど、これは良い兆候……よね?)

 たぶん……いや、きっとそうに違いないと、明子は、祈るような気持ちで、そう思い込むことにした。


 



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