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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
74/88

Butterfly  8


 「今です」という言葉を合図に、宴会場の扉が外側に向かって大きく開かれ、スポットライトが複数の方向から明子と彼女と並ぶ森沢とを一斉に照らす。 

(背筋を伸ばして、顔を上げて、胸を張って、お腹に力を入れて……)

 前に進み始めた明子は、新郎の別れたばかりの元妻の到来をいぶかしむ招待客の視線を極力気にしないようにしながら、多恵子が教えてくれた綺麗に見える歩き方をひたすら頭の中でおさらいしていた。

 ふたりが目指す先は、達也……ではなく、祝辞を述べる客のために新郎新婦の席の脇に設けられたスタンドマイクの前に立つ明子の父の六条源一郎である。

「明子? なぜここに? 君は長野に残ったと……」

 あと数メートルというところで、源一郎が戸惑ったような顔で娘に呼びかけてきた。明子は立ち止まると、黒子のように彼女に付き従っていたホテルのスタッフからマイクを受け取った。 


「招待していただいてもいないのに、突然押しかけてごめんなさい。お父さま」

 よく通る声で、明子は源一郎に詫びた。

「でも、どうか安心してくださいな。私は、お父さまの企みを邪魔しにきたわけではありませんの。ただ、どうしても、私からも、達也さんにお祝いを言いたかったの。だって、彼は、昨日まで私の夫だった人ですもの」

 明子が達也に微笑を向けた。当然のことながら、彼女の元夫は、祝いの言葉を受け取ったとしても絶対に喜べないと言わんばかりの情けない表情を浮かべている。

 だが、明子は気にしない。 

「でも、その前に、まずは、私からも皆さまにお詫びしなくてはいけませんね」

 彼女は、招待客のほうに向き直ると、表情を改めた。


「本日集まってくださったお客さまの中には、数ヶ月前に行われた私と本日の花婿であります新郎の喜多嶋達也さんとの結婚式に来てくださった方も大勢いらっしゃると存じます。その節は、皆さまから盛大にお祝いしていただきましたのに、離婚という残念な結果になってしまいましたことを、まず、この場を借りてお詫びさせていただきたいと思います」

 『申し訳ございませんでした』と、明子は心を込めて深く頭を下げた。森沢も彼女と一緒に頭を下げてくれる。達也も自分の席から慌てて立ち上がると、テーブルに両手をつきながら、一同に向かって頭を下げた。


「そして、達也さん」

 明子が達也に顔を戻すと、元夫の表情が緊張したように引き締まった。 

「あなたに裏切られた自分を可哀想に思うばかりで、今までちゃんと言えなかったけど、私は、離婚の原因をあなたの責任だけにしてはいけないと…… 私にも、いけないことがあったのだと反省しています。実を言えば、私は、結婚式の日から今日の花嫁さんとあなたとの仲を疑っていました」


 大勢の出席者の前で、明子は淡々と語り始めた。自分の非を認める形で過去をおさらいし始めたのは、達也と思い出話をするためではない。既に事情を知っている人は大勢いるとはいえ、どうして離婚に至ったのか、どういうことが起こったのか、ここにいる人々に共通した認識を持ってもらうためである。

「あの人は……香坂唯さんは、私とあなたの結婚式の日に、あなたに会いに来ていました。そして、あなたは、結婚の誓いをすることをためらった。結婚初日から、私は、あなたを信じられなくなってしまいました。 『浮気はしない』『結婚したのだから、他の女はいらない』 と言ってくださったあなたの言葉を、私は、全て疑ってしまった。なにもかも、私を誤魔化すための言葉としてしか聞いてきませんでした。結婚式の日に、あなたが私を無視したように、私も、あなたという人を見ることをやめてしまった」

 この場に居合わせた人々の多くは、前回の結婚披露宴に出席している。「無理もない」というように、彼らは、彼女の言葉に何度となくうなずいた。


「私には、他の人を愛しながらも私とも仲良くしようとするあなたが、とても汚らしいものに見えました。私は、あなたに触れられることさえ嫌だった。そう。じんましんが出るほど嫌だったの」

 言外に、『じんましんの原因は達也だ』ということを主張しつつ、明子は、頭を大きく振って、肩を覆うように広がっている髪を片側に流した。背中と二の腕に残るじんましんの名残が、スポットライトの光を受けて白い肌にくっきりと浮かび上がる。


「いつまでもあなたに打ち解けようとしない私を、あなたが好きになれるはずがない。あなたが私から離れていくのも、あなたが心を残す女性の元に戻りたいと思ったのも、今思えば、しかたのないことだったと思えます。ましてや、あんな怪文書を見せられたのでは、離婚はしないと言ったあなたの決意が揺らぐのも、しかたがなかったと思えるの」 

 明子は、ここぞとばかりに同情を込めた眼差しを達也に向けた。彼女の口から発せられた『怪文書』という言葉に、客席……特に六条家が招いた花嫁側の席に座る客たちがざわめき始める。

「ええ、そうなんです」 

 明子は、客席に向かって声を張り上げた。マイクが音を拾いきれずに、キーンという耳障りな音を立てた。

「ある日、『3年前に、達也さんと香坂唯さんを別れさせたのは、彼の母親だ』という主旨のことが書かれた送り主不明の報告書が、達也さんの元に届けられたのです」

 客席の間を縫うように歩きながら、明子は話を続けた。

「その報告書には、他にも、達也さんに捨てられた後の香坂唯さんの惨めな暮らしぶりなどが、細かく書き連ねてあったそうです。それを読んだ達也さんは…… 彼は非常に責任感のある人ですから、彼女のことを、どうしても見捨てられなくなってしまいました。彼の浮気は ―― いいえ、今は運命の恋というべきなのでしょうね ―― 彼の運命の恋は、ふたりが別れて3年後に、こうして再燃しました。彼は、妻である私を捨てて…… そして、今日の結婚式となりました」


 話しながら新郎新婦の席近くの扉の前に達した明子は、「ご紹介しますわ!」と一同を振り返った。 

「私と達也さんを別れさせ、達也さんと唯さんとを結びつけた立役者。怪文書を作成してくださった、山上探偵事務所所長の山上さんと、彼の有能な助手の奥さまです!」

 扉が開くのに合わせて、明子は、スポットライトから外れるように後ろに下がった。代わりに照らされたのは、明子の兄の和臣と父の秘書の葛笠に連れられて入ってきた、中年と呼ぶには少しばかり若い男女のふたり連れだった。


 凸凹コンビと呼ぶに相応しい身長差のあるこのコンビのうち、小柄な女性のほうは随分と気の強い性格をしているようだった。彼女は葛笠の手を振り払うと、相棒の手を引いて達也の前を横切り、六条源一郎を押しのけるようにしてマイクの前に立った。 

「あの女の涙にコロっとほだされた、この馬鹿男がいけないんです」

 マイクを握った女は、いきなり相棒を糾弾し始めた。 

「大金持ちでハンサムで有能で、将来社長を約束されている男って、つまり、こいつみたいな普通の男にしてみれば、一番ムカつくタイプの男じゃないですか? 『そんな男に、政略結婚の邪魔になるからと、僅かなお金と引き換えに外国に追いやられてしまったという彼女が可哀想だ』ってね。この男は、すっかり、あの女に同情してしまったらしいんですよ。あたしが、ちょっと目を離した隙に……」

 女は、話の途中であるにもかかわらず、忌々しげな表情を浮かべて相棒を睨みつけた。女に睨みつけられた男は、見ていて気の毒になるぐらいに体を縮めてうなだれた。

「続きです。それで、ですね。『せめて、自分を捨てた男に真実を告げて反省させてやりたい』というあの女の言葉が、こいつの義侠心みたいなものを刺激したようなんですね。彼は、彼女の依頼を受けてやることにしたんです。つまり、この馬鹿は、あの女が話したことをそのまんま、裏も取らずに鵜呑みにしただけでなく、調査報告書なんてものに仕上げて、こちらの花婿さんに送りつけてしまったんです。そんなふざけた報告書が、まさか、こんな大騒ぎを引き起こしていただなんて……」

「本当に、ごめんなさい!」と、女は、相棒の背中をどやしつつ、一同に向かって陳謝した。


「すみません」

 女の夫でもあるという探偵事務所所長が、背をかがめてマイクに顔を近づけた。 

「まさか、あんなに可愛らしいお嬢さんが、御曹司から手を引く代わりに金をもらって国外にトンズラしたとか、自分から捨てたはずの御曹司が惜しくなって愛人の座を再び狙っている……とかね。そんな恐ろしいことを考えているなんて、思いもよらないじゃないですか? 本当にねえ。あんなに儚そうで愛らしい顔をしたお嬢さんがねえ……」

 腕を組み何度も首を捻りながら、探偵が唸った。昨日、明子の兄から香坂唯の真実の姿を聞かされたものの、彼は、いまだに納得がいかないようである。


 そう。


 明子の頼みで、昨日のうちに、達也が受け取った報告書の封筒に書かれていた探偵事務所の名前と住所から、このふたりを探し出してくれたのは、兄の和臣と葛笠であった。ちなみに、彼らの事務所は、唯のアパートと、彼女がアルバイトをしているレストランとを結ぶ道の途中にあったという。「香坂唯の計画は、お粗末すぎる。あまりにも馬鹿らしすぎるおかげで、今まで気がつけなかった」というのが、悪巧みが大好きな兄の感想であった。


「だから、あんたは、お馬鹿だっていうのっ! 相手が美人だと簡単に騙されるんだからっ!!」

 女が、飛び上がるなり夫の頭を容赦なくひっぱたいた。

「その女っていうのは…… まさか……」

 誰の仕業か察しはついているのだろう。 達也の表情には、悲壮感が滲み出ていた。

「香坂唯って女ですよ。彼女が今日の花嫁なんですってね」

 女がきっぱりと答えた。

「私にも責任の一端があるとはいえ、なんとも、お気の毒なことでございます」

 探偵が、申し訳なさそうに言った。


「これが、私からあなたへの結婚のお祝いよ」 

 「気に入ってくれたかしら?」 と、明子は、達也に問いかけた。

「達也さんは、私があの報告書を作ったのではないかとお疑いのようだったから、真実を差し上げるわ。でも、まさか、あなたの愛する香坂唯さんの仕業だったなんて! 私を捨てて、六条に潰される危険を冒してまで手に入れた最愛の女が、ただただ、あなたとつき合うことで得られるメリットが欲しいだけの女だったなんて、とんだ皮肉ね! なんて、いい気味なんでしょう!」

 達也を侮辱しながら、明子はクスクスと笑い声を漏らした。その笑いは、やがて耳障りでヒステリックな嘲笑へと変わり、マイクを通して会場中に響き渡った。


「真実の愛だと思って手に入れた愛が、とんでもない紛い物だったなんて…… なんて、いい気味! 私を捨てた罰が当たったのよ! せいぜい、自分を呪いながら、一生、愛のない不運な結婚生活を満喫してくださいな。ねえ?お父さま? そうでしょう?」

 明子は、源一郎に問いかける。

「お父さまは、最初からわかっていらしたのでしょう? お父さまってば、なんて素敵な報復を考えてくださったのかしら。 ねえ、お父さま!!」


 源一郎は、答えなかった。 


 もしかしたら、彼は、明子が狂ったかもしれないと疑っているのかもしれない。だが、違った。源一郎は、痛ましげな表情を浮かべて、静かに娘を見つめていた。その表情を見れば、彼が、明子が狂態を演じる目的に勘付いてしまったことは明らかだった。 

 でも、邪魔するつもりはないらしい。ならば、ありがたい。父から顔を背けた明子は、森沢にマイクを手渡すと、足早に達也に近づいた。遠くから見れば達也に最後の毒舌を吐きに言ったと思われるように、彼女は、テーブルに両手をつくと、彼に向かって思い切り顔を突き出した。


「ここまでしか、してあげられないけど」

 明子は早口でささやいた。


「ここまでやれば、列席者のみなさんも、少しはあなたに同情してくださると思うわ。あとは、ご自分でなんとかしてください。この式で立派に振舞って、『自業自得とはいえ、唯さんと一生離婚できないなんて可哀想だ』と、皆さんに強く印象付けるの。いいですね?」

 正確には、『あんなに気の強い嫁さんなら、達也が浮気するのも無理はない。でも、引っかかった相手も悪かった』と招待客に思わせればいい。 

「じゃあ、私たちは行くわ。頑張ってね」

 達也の返事を聞かぬまま、明子は彼に背を向けた。2拍ほど遅れて、後ろから「ありがとう。一生恩に着る。それから、本当にごめん」という言葉が聞こえた。察しの悪さが、いかにも達也らしい。明子は微笑むと、森沢の所に戻って彼の腕に手を絡ませた。 


「ごめんなさい。お父さま。やっぱり結婚式のお邪魔になってしまったわね」

 明子は、苦笑しながら父親に詫びた。

「こんなことをしたって、達也くんと香坂唯の結婚は取りやめにはしないぞ。離婚もさせない」

 父が、むっつりと言う。

「ええ。当分の間は無理でしょうね」

 源一郎にも意地や面子というものがある。一度決めたことを、すぐには取り消すまい。だけども、この宴席には、さすがの源一郎でも、その発言を軽んずることのできない大物が多数出席している。

 今すぐは無理かもしれない。でも、達也がこれまでの行いを反省し、彼らの理解を得ることができれば、いつか誰かが達也のために源一郎に口をきいてくれるだろう。その時には、唯と離婚することだって許してもらえるかもしれない。

 もっとも、達也だけではなく唯のほうも心を入れ替え、ふたりが鴛鴦夫婦のように一生仲睦まじく暮らし続けた場合には、この結婚式で狂態を演じた明子が悪く言われることになるのだろう。そうなったら、その時はその時である。

「しょうのない子だな。君は優しすぎる」

 源一郎が、包み込むような苦笑を明子に向けた。それから、森沢のほうを向くと、「話があるから、これが終わるまで残っていろ」と命じた。

「わかりました。お待ちします。私たちからも、お義父さんにお話したいこともありますし」

 森沢が、源一郎に笑いかける。

「『おとうさん』って言うな。 結婚の許しなら、絶対にやらないからな」という源一郎の言葉も笑顔で聞き流すと、ふたりは、そそくさと退場を始めた。


 この後、当初のプログラムでは、源一郎の挨拶の後は、紘一からの挨拶となる予定である。挨拶というよりも、紘一は、この度の息子の不始末を、親として出席者に陳謝するつもりでいるということだった。だが、父親を押しとどめて代わりにマイクを握ったのは、達也だった。

「今回の結婚について、予定では私の父から皆さまにお詫びすることになっておりましたが、やはり僕のほうからお詫びとご説明をさせていただくべきだと思います。今回のことは、始めから、すべて私に原因がありました。私は……」

 達也が、招待客に向かって話し始めた。少しだけ声が震えているのは、これ以上自分を取り繕うことはするまいと覚悟を決めているからだろう。


「達也は、大丈夫そうだな。行こう」

「ええ」

 森沢の言葉に大きくうなずくと、明子は宴会場を出た。控え室に戻る明子たちと入れ違いに、香坂唯が、ホテルのスタッフに付き添われて、廊下をこちらにやってくるのが見えた。


 唯は、明子の姿を見つけて酷く驚いたような顔をしていた。

「唯さん」

 会釈すらせずにすれ違おうとする唯を、明子は固い声で呼び止めた。

「どうか、達也さんを幸せにしてあげてくださいね」

 たぶんそうはならないだろう。それは、明子にも充分に予想がつく。だけども、彼女は、今でも本当はそうなれば一番いいと思っている。残念なことに、唯には、だたの嫌味にしか聞こえなかったようだ。


「あなたに言われる筋合いはないわ」

 唯は、つんと鼻をそびやかすと、突き放すように彼女に答えて去っていった。




 控え室に戻った明子を迎えてくれたのは、ソファーの上に置かれた大きくて柔らかなクッションだった。

「はああぁぁぁぁ、終わった……」

 倒れこむようにしてソファーに座り、クッションに顔を突っ込む。ほんの数分間しゃべっただけなのに、明子は、ひどく疲れていた。これ以上、指の一本も動かないと思う。


「お疲れさま」

 頭上で森沢の声がした。疲労困憊の明子が答えられずにいると、彼が彼女の隣に腰を下ろす気配がした。

「でもね」

 数分後。ようやく顔を上げた明子に、森沢が厳しい顔を向けた。

「あんなことまでするなんて、俺は聞いてないぞ」

「すみません。つい、思いつきでというか、頭に血が上ったというかなんというか……」

「嘘つけ」

 用意していた明子の言い訳を、森沢は即行で切って捨てた。


「あれがアドリブだなんて俺は信じないよ。香坂唯の悪事を皆の前で暴き立てることで、達也を被害者に仕立てる。結婚式は台無しになるだろうし、達也は達也で、自分の間抜けさ加減を広く世間に知らしめることになってしまうだろうけれども、香坂唯に騙されたのだとなれば、達也の心証も少しはマシになるだろう。始めはそれだけの計画だったし、それだけで充分だったはすだ。でも、君は、それだけでは足りないと思っていた。だから、自分を貶めることまでしてみせた。そこまでして達也を救ってやる必要がどこにある? あれだけ達也から嫌な目に合わされたのに、なんで自分から、更に泥を被るような真似をするかなぁ」

「……」

 明子は、返答を拒否するように下を向いた。だが、彼は追及の手を緩めてくれない。森沢は、だんまりを決め込もうとした明子をクッションから引き剥がすと、自分と向かい合うように座り直させた。


「なんで、言わなかったんだ?」

「だって」

 明子は目を反らした。言ったら、彼は反対したに決まっている。

「まあ、言ったら、絶対に反対したけど」

 声にならない明子の言葉まで拾って、森沢が顔をしかめた。

「ごめんなさい。だって、達也さんの評判か、私のせいで散々になってしまったから。だから……」

「『私のせい』じゃなくて、達也の浮気のせいだ」

 森沢がきっぱりと訂正を入れる。

「『あんな女を嫁にするなんて』って、森沢さんも呆れられちゃいますね」

「そこは、全然怒ってない」

 そう言った森沢の顔は、ひどく怒って見えた。

「ごめんなさい」

 明子は謝った。だが、謝られたぐらいでは、森沢は、話をお終いにする気はないようだ。

「君は、まだ、達也が今になってあんな目に合っているのは、自分にも責任があると思っているのか?」

 森沢が明子の目を捕えて質問する。

「何度もしつこいようだけど、君が負うべき責任はない。達也の自業自得だよ。それなのに、あんなことをしたら、君に問題があるから達也が浮気したのだと、皆に思われかねない」

 明子の目的は、まさしく彼が言ったとおりである。言い訳の言葉が見つからずに、明子は、彼の顔を見つめたまま情けない表情を浮かべた。


 しばらく見つめ合っていると、根負けしたように森沢が大きく息を吐いた。

「だから、俺が言いたいのは…… 君は、他人に優しすぎるっていうか、どうでもいい奴にまで親身になりすぎるっていうか、自分だけ良い思いができないっていうか……」

 森沢が明子をこき下ろし始めた。

「相手に怒るべきところで自分を責めるし、要領悪いし 融通が利かないし、本当に馬鹿というか間抜けというか、不器用というか、どんくさいというか……」

「そこまで言わなくてもいいんじゃないですか?」

 容赦なく貶されて、明子が涙目になる。すると、今にも泣き出しそうな明子の頬を挟んだ森沢が、共犯者めいた笑みを浮かべながら彼女に顔を寄せた。

「森…… 俊鷹さん?」

「よく言えました」

 名前を呼べたことを、まず森沢がほめた。


「やめさせよう……とは、思ったんだよ」

 自分を傷つけた男を助けるために、わざわざ悪役を演じてみせる。森沢は、あまりにも馬鹿げた明子の行動に呆れる一方で、いかにも明子がやりそうなことだとも思ってしまったそうだ。 

「だから、つい止めるのやめて、君のしたいようにさせてしまった」 

 そう打ち明けて、森沢は笑った。

「でも、俺はともかく、紫乃さんは本気で怒っていると思うぞぉ」

 安心しかけた明子を脅かすように、森沢がおどろおどろしい声を出す。噂をすれば影といわんばかりに、披露宴が始まってから一時間も経たないうちに、明子の姉が、怒りの形相で控え室に入ってきた。




「明子まで悪者になるなんて、わたくしは聞いてないわよ!」

 開口一番、紫乃が明子に食ってかかった。彼女の怒りの矛先は、当然のように明子の恋人にも向いた。

「森沢さんは? 初めから知っていたの?」

「ううん! 森……俊鷹さんにも、さっき怒られました」

 森沢まで姉に叱られてはたまらない。明子はぶんぶんと首を横に振った。


 明子ひとりが画策したことと知ると、紫乃の怒りは急速に冷めたようだった。

「じゃあ、いいわ」

「怒ってないの?」

 明子は目を見開いた。

「森沢さんに相談したうえでやったことならば、怒ろうとも思ったけどね。あなただけの思いつきならば、あなたらしすぎて、怒る気にもなれやしない」

 投げやりな口調で紫乃が言う。


「もう、いいわ。どうせ、あなたの猿芝居なんて誰も信じてないようだから」

「誰も? あんなに頑張って元悪妻を演じたというのに?」

「だからよ」

 紫乃が苦笑いを浮かべる。

「あなたは、熱演しすぎたの」

「は?」 

「今日のお客さまの多くは、あの程度の演技で騙されるような単純な人々ではないってことよ」

 明子がしたことは、人間が尻尾が何本もある大狸や古狐を化かそうとするのと一緒だと紫乃が言った。 本当に小狡い人間なら、自分を少しでもよく見せようと、こういう時ほど言葉や行動を飾るはず。しかしながら、明子は、皆の前で自分を悪く見せよう見せようと必死になっていた。そんな明子の振る舞いは、招待客たちの目には、とてもほほえましいものに見えたようだ。紫乃の周りの席では、「良い子だねえ」「六条さんの娘さんとは思えないなあ」という感想が飛び交っていたそうだ。

「つまり、ひんしゅくどころか失笑さえ買えずに、披露宴の前座として客を和ませただけだった……と?」

 今にも笑い出しそうな顔で森沢が紫乃にたずねた。

「そういうこと。でも、明子が狙ったのとは違う効果は、おおいにあったようよ」

「効果?」

「達也さんの健気な前の奥さんと、あなたと入れ替わりで入ってきた彼の次の奥さんとのギャップが激しくてね」

 紫乃が思い出し笑いを浮かべた。

「披露宴の途中で、怒って出て行っちゃったわ」

「出ていった?! 唯さんが?」

「ええ」

 声を揃える明子たちに、紫乃が勝ち誇ったような笑みを向けた。

 おかげで、披露宴は中断。だが、源一郎がふたりの離婚を許す気がないので、このまま香坂唯に逃げきらせると喜多嶋グループが潰されることになりかねない。現在、達也を先頭に、喜多嶋一族総出で彼女を追いかけているのだという。


「どんな結婚式だったの?」

「それは、後でね」

 紫乃が思わせぶりな返事をする。

「あちらで、皆さんから直接聞いたらいいわ」

「あっち?」

「わたくし、あなたたちを呼びにきたの」

 紫乃が、ふたりを迎えるように手を広げた。

「披露宴の途中で花嫁と花婿がいなくなってしまったでしょう? 『このままだと、ただの忘年会になってしまうから、あなたたちを連れてきなさい』って、皆さんが、おっしゃってくれたの。あなたたちのお祝いをしたいのですって」


 数分後。森沢と並んで宴会場に再入場した明子は、暖かい拍手で迎えられた。


  





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