A bride in the rain +1(side YUI)
正面玄関を入ったところにあった表示によると、今日は大安吉日だそうだ。そして、このホテルは、東京の一等地に建っている一流ホテルだ。それなのに、この日の宴会の予定は、あの人の結婚披露宴だけだそうだ。つまり、彼の結婚披露宴のために、ホテル側が他の予定を一切入れなかったということなのだろう。その事実だけで、彼の結婚披露宴がどれほど盛大なものなのか、そして、彼と彼のお嫁さんになる人の家にとって、この結婚がどれだけ価値のあるものなのかが、私にもわかるような気がした。
車寄せに次々と到着する車は、全て黒塗りの自家用高級車かハイヤーばかり。都内中を走っている緑とオレンジ色の普通のタクシーが、待機場所と指定された所に一台だけ肩身が狭そうに止まっている。
車から降りてくる人々の服装は、普通の結婚式よりも格段に豪華で、身につけているものは、どれも、ブランドものの最高級品だった。仕事柄、私は、そういうものに詳しい。でも、だからこそ、今の自分が惨めで堪らなかった。私が身につけているのは、デパートのセールで買った、そこそこの質の白いワンピースでしかない。アクセサリーも、ずっと昔に彼からもらった小さなハートの形をしたローズクォーツ製のトップがついたネックレスだけだった。
あの人の結婚披露宴に招かれた人々と私とでは、生まれも育ちも違いすぎる。
自分が場違いな存在だということを、私は、ひしひしと感じていた。
そして、私を場違いだと思っていたのは、どうやら私だけではなかったらしい。
「お嬢さま。何か、お困りでしょうか?」
ホテルの入り口でグズグズしていた私に、制服を着た従業員が声を掛けてきた。
(いけない。このままでは、つまみ出されてしまう)
焦った私は、「何でもありません」と早口で言いながら、玄関先の鍵付きの傘立てに傘を預けて、ホテルの中に滑り込んだ。
堂々としていなくてはいけない。
私は自分に言い聞かせた。
ホテルには、一般人が入れる喫茶コーナーだって、宿泊用の部屋だってある。ビクビクしているから怪しまれるのだ。しかしながら、間抜けな私は、ホテルに入った後のことまで考えていなかったらしい。この後、どうやったら彼に陰ながらお別れを言えるのか、私には見当もつかなかった。
招待客向けに掲示された案内によると、結婚式はおよそ30分後。披露宴はその一時間先であるらしかった。新郎新婦の控え室は、この建物の2階となっている。とはいえ、まさか、別れた女が直接会いに行くわけにはいかない。
ならば、控え室の外側から、彼の姿を垣間見ることはできないだろうか?
そう思った私は、花婿控え室の窓が見えるような場所を探した。
探しているうちに、ホテル内にある小さな中庭に出た。
外の雨は土砂降りに変っていた。
傘を取りに玄関に戻ろうかと、私は思った。
でも、やめた。
こんな雨のなか、中庭に出ている者など、ひとりもいない。赤い傘をさして立っているだけでも、充分に人目を引くに違いない。ひっそりと見送るつもりなのに、そんなことをしたら、彼に見つかってしまうかもしれない。私は、濡れるのも構わずに中庭を斜めに突っ切ると、大きな樹の幹の後ろに身を潜ませた。それから、幹に寄り添いながら、本館の二階を見上げた。
(いた)
灯りが付いている部屋の中に、あの人の姿があった。
彼は、窓を背中を向けて、誰かと話していた。
懐かしい背中。
あの背中……とっても広くて暖かかったの。
懐かしい横顔。
あの笑顔……大好きだった。
雨に濡れているのも、自分が何処にいるのかも忘れて、私は、あの人の姿に見入っていた。
きっと、これで、見納めだろう。
だから、しっかりと目に焼き付けておかなくちゃ。
しばらくすると、彼の姿が部屋の奥に消えた。
(いなくなっちゃった)
そう思ったら、涙が出てきた。
もっとも、雨のせいでビチョビチョで、いまさら濡れたって、どうってことない。
私は、顔でも洗うように、両手で雨を涙をぬぐった。
(帰ろう)
これ以上、ここにいたって、どうしようもない。
私は小さくため息をつくと、身を隠していた樹から離れて歩き始めた。
(さよなら、達也さん)
私が、未練がましくもう一度二階を見上げたその時である。
隣の控え室にいた、あの人の花嫁らしき人が、窓辺に立った。
しかも、私は、彼女とバッチリ目が合ってしまった。
花嫁は、私を見てひどく驚いているようだった。
それはそうだろう。私が何者かを知らなくても、この雨の中で傘をささない女がぼんやり立ってたら、誰だって驚くに違いない。
(やだ! どうしよう!!)
私は、焦った。
思い返せば、この時、すぐにでも逃げ出せばよかったのだ。
だけど、できなかった。
(あの人が、達也さんのお嫁さんになるんだ……)
そう思ったら、目が離せなくなった。
花嫁は、とても綺麗な人だった。綺麗なだけじゃなくて、気品みたいなものが漂っていた。ウェディングドレスも、とてもよく似合っている。皮肉なことに、私が自分の結婚式に着てみたいと彼に語ったデザインと、とてもよく似ていた。
彼女は、私が夢見ていた花嫁さん、そのものだった。
しばらくの間、私は馬鹿みたいに立ち尽くして、花嫁を見つめていた。
花嫁のほうも、ビックリしたまま固まっていた。
先に動いたのは、花嫁のほうだった。誰かに呼びかけられたのだろう。花嫁が、彼女の背後に向かって何かを言いながら、私から顔を逸らした。その隙に我に返った私は、一目散に逃げ出した。来たときとは逆方向に走っていると思ったが、そんなことに構っている余裕などなかった。とにかく惨めで、とにかく逃げ出したかった。
闇雲に走った先にあった、どこだかわからないドアを開けて、屋内に入りこむ。
その途端、誰かにぶつかり、その腕に抱きとめられた。
「あ、すみません」
とっさに謝り、顔を上げた私は、最悪の事態に凍りついた。
私がぶつかったのは、こともあろうに達也さんだった。
「ゆ……ゆい?」
「あ、あわわ、その、なんというか…… さよならっ! すみません!!」
意味を成さない言葉を発しながら、呆然としている彼を突き飛ばすと、私は、彼から一秒でも早く遠ざかるために、全速力で廊下を走って逃げた。達也さんは、追いかけてはこなかったようだ。
ただ、
『馬鹿野郎。 なんで今頃になって……』
そんな彼の声が、背後で聞こえた気がした。




