表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
65/88

Emergence 11

 森沢と小次郎は、幼なじみである。

 中学の時には剣道部で共に汗を流し、小次郎を主将に、団体戦で全国大会にも出場した。


 大学進学時に東京に出てきた小次郎に奨学金を出し、無償でこの部屋を提供したのは、森沢の祖父の英輔だった。そういった援助を受けていたのは、小次郎だけではない。森沢の父親など、祖父は地元の優秀な学生への支援を惜しまない人だった。

 小次郎への祖父の援助は、彼が弁護士として食べていけるようになるまで続いた。その後、引っ越す手間を惜しんだ彼は、奨学金の返済をしながら家賃を払ってここに住み続けている。


 リナと小次郎が出会うキッカケは、今の言葉で言うところのストーカーのおかげだった。その当時から売れっ子モデルだったリナは、見ず知らずの男に付け回されて困っていた。リナに相談を持ちかけられた森沢は、司法試験の勉強中で時間の融通が利き、見るからに強そうな小次郎を彼女に紹介してやった。 

 リナと出会って2週間後。小次郎は、見事にストーカーを撃退した。安全を取り戻したリナは、一時的に避難していた小次郎の部屋から自分の部屋に戻る代わりに、自分の部屋の荷物を全てまとめて彼の家に引っ越してきた。 

 無愛想すぎてわかりにくいが、付き合いの長い森沢の目から見れば、幼なじみがリナに心底惚れているのは明らかである。だが、他の多くの者は、リナが一方的に熱を上げていると感じているようだ。皆がそのように誤解するのも無理はないと、森沢は思う。

(現に、今だって……)

 森沢は、明子と一緒に台所でレタスをちぎりながら自分と小次郎との馴れ初めを嬉しそうに説明しているリナに目を向けた。

「適当に聞き流していいよ。でないと、のろけで脳味噌が溶けるから」

 森沢は、リナの話に律儀に相づちを打っている明子に助言した。 

「おまえこそ、今にも溶けそうな顔をしてるぞ」

 料理を黙々とテーブルに運んでいた小次郎が森沢に指摘する。

「でも、まあ、良かったな」

「まだ、確定ではないんだけどね」

 手際よくフルーツを切り分けながらリナと笑い合っている明子を肩越しに見やりながら、森沢は肩をすくめた。十中八九大丈夫だとは思うが、明子は、まだ森沢からのプロポーズを完全に受け入れてはいない。最後の最後に、明子の気持ちが翻らないとは言い切れない。

「なにを弱気な。もっとも、お前が、『ここぞ』というところでの踏み込みが甘いのは、昔からだが……」

「それは剣道の話だろ。今日の俺は、押して押して押しまくったぞ」

 森沢は、幼なじみに胸を張った。本日の森沢は、啖呵を切って達也から明子を強奪しただけでなく、あの六条源一郎に対してさえ、一歩も引かずに頑張ったのだ。

「自分で自分を褒め称えてやりたいぐらいだ。お前こそ、自分よりもリナの収入が良いとか、結婚したらリナの仕事に影響するんじゃないかとか、そんなこと気にしてないで、いい加減にリナと一緒になれば? リナだって、それを望んでいるんだし」

「お、俺のことは、いいだろっ!」

 小次郎が柄にもなく赤くなった。


 男たちがコソコソと揉めているうちに、モデルの樹里とティナ、それからデザイナーの谷本縒子が手土産を持ってやってきた。谷本縒子は明子の『焼き餅リスト』にその名を連ねているが、ふたりが会ったのは今日が初めてである。森沢が互いを紹介した後、リナが、森沢が明子にプロポーズしたことと、明子が森沢の女性との幅広い交友関係に不安を持っているということを3人に伝えてくれた。

「それで、明子ちゃんは、私と俊くんの仲も疑っているっていうの? いやああよ、こんな綿マニア」

 リナの話を聞いた樹里は、ケタケタと笑いながら森沢をこき下ろし、自分には夫も子供もいるのだと明子に打ち明けた。

「ふたりの理解があるから、私は楽しく仕事ができるのよ。理解してもらえるまでには、派手に喧嘩したこともあったし努力もしてきたわ。その結果、今が一番幸せだと思えるの。子供はもちろん、他の誰かと夫を取り替えてまた一からやり直すなんて、そんな面倒なことしたくないわ。それから、ティナにも好きな人がいるから大丈夫よ。 ……っていうか、いい加減に、あの売れないヒモ役者と別れなさいよ」

「勇樹はヒモじゃないもん!!」 

 真面目な顔で意見する樹里に、ティナが手を振り回して怒った。

「まだ芽が出ていないだけだもん! 今に大きな役を掴んで国民的な人気者になるんだから!」

「人気者になったらなったで、下積み時代を支えたモデルなんて、あっさり捨てられるだけよ。共演した女優かなんかと恋仲になったりしてね」

「そんなことないもん! そんなことないもん! そんなことないもん!」

「わかったわかった。私が言いすぎた。だから許してね」

 ティナから本音を引き出すことに成功した樹里は、すぐさま謝った。そして、「ね? わかったでしょう? この子も、俊くんなんて眼中にないから」と、おろおろしている明子に笑いかけた。

「西川麻耶のことも、全然気にしないでいいわよ」

 あっという間に笑顔に戻ったティナが言い添える。

「あの子はね、自分の得になると思えば、変態だろうがマザコンだろうが、なりふり構わず擦り寄っていく人なの。ああいう子を俊ちゃんが相手にするわけないわ」

「でも、麻耶の場合は上昇志向があるから、傍から見ていても、まだ微笑ましいけどねぇ」

「そうね。『何が何でも、のし上がってやる!』っていう心意気だけは、私も買ってる」

「やることはえげつないけど、努力もしているしね。それに、あの子のターンはキレイだわ」

 リナの言葉にふたりのモデルが相槌を打ち、3人ともが、「でも、香坂唯はねえ」と、ため息をついた。


「明子ちゃんと別れるってことは、従兄さんは香坂唯と一緒になるの? それって大丈夫なの?」

「それよりも、明子さんのお父さんを怒らせてしまったんだろう? お前たちと喜多嶋グループは大丈夫なのか?」

 リナと小次郎が森沢にたずねた。

「俺たちのことは、これから時間をかけて六条さんにわかってもらうさ。その過程で、喜多嶋のことも、なんとか良い落とし所を探っていこうと思っている。達也は、香坂唯とは別れるんじゃないかな。彼女の正体を知ってしまって、相当ショックを受けていたようだから」

 森沢の言葉のひとつひとつに、微笑を湛えた明子がうなずいている。良い傾向だと、森沢は内心でほくそ笑んだ。明子は、着実に森沢からのプロポーズを受け入れつつある。


 そんな森沢の喜びに冷や水を浴びせる女がいた。谷本縒子である。


「ねえ。話がまとまりかけたところで、こんなこと言って悪いんだけどさ」

 それまで黙って皆の話を聞いていた縒子が、口を開いた。 

「私、森沢が好きよ」

 明子だけでなく、そんな話は、誰にとっても初耳であった。だが、皆から驚きと非難を込めた眼差しで一斉に見つめられても、縒子は動じたりしなかった。 

「私は、ずっと森沢が好きだった。中学生の時からね。そういうのは、明子さんは許せないのかな? 他に彼を好きな人がいたら、あなたは森沢を嫌いになるの? だったら、私に彼を譲ってくれる?」

「おい、縒子っ!」

 『せっかく話がまとまりかけたのに、なぜ、お前は混ぜっ返すようなことを言うのだぁぁあっ!!』と、心の中で罵りながら、森沢は友人に呼びかけた。だが、縒子は、森沢に一瞥すらくれない。気の強そうな顔を明子に向けたまま、「森沢は黙っていて」と、彼の発言を退けた。

「ねえ? どうなの?」

「私は……」

 明子は、迷っているようでもあり困惑しているようでもあった。だが、そんなふうに見えたのは、ほんの僅かな間だけでしかなかった。明子は縒子を見つめ返すと、「ごめんなさい。森沢さんが誰を好きでも、私は森沢さんが好きです。だから、森沢さんは、お譲りできないです」と、丁寧に詫びた。


「だってさ。良かったね」

 明子の言葉に感動している森沢に、そっけなく縒子が言った。それから、明子に笑顔を向けると、「私が森沢が好きだっていうのは、嘘。 私の当面の恋人は、仕事よ。やりたいことが多すぎて、今は恋する気にもなれやしない」と、種明かしをした。

「だったら、なんだって、そんなことを彼女に言うんだよ?」

「だって、森沢の仕事を考えてみなよ。魅力的な女と関わらないのなんて無理だよ。これから先も『ただの友人』は増えるだろうし、言い寄ってくる女だって引っ切りなしだと思うよ」

「そもそも縒子だって、下心があって俊鷹に言い寄ってきた女の一人だしな」

 小次郎が苦笑交じりに話に割り込んだ。彼の言うとおり、デザイナー志望の縒子は、最初は自分のデザインを見てもらいたくて中学の同級生だった森沢に近づいたのだった。その時の森沢は、『自分に才能があると思うなら、俺を頼らなくたっていいはずだ』と彼女の望みを突っぱねた。その言葉に発憤した縒子は、自分の力で道を切り開いてきた。だから、ふたりは、今でも貸し借りのない友人でいられるのだ。

「そういうこと。森沢の友人関係をいちいち気にしていたら、いつか明子さんが神経を病むよ。だからといって、森沢が、今回みたいに一件一件明子さんに釈明してみせるのだって、現実問題として無理でしょう?」

「そうですよね。私がもっと強くならなくてはいけないんですよね」

 明子が縒子の言葉に深くうなずいた。 

「そうそう。それにね、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。森沢は、こう見えても誠実な奴だし、女性の好みにうるさいんだよ。そんな森沢に愛されている明子さんは、もっと自信を持っていい。『自分以外の女に彼が惚れるわけない』って、どっしり構えていればいいよ」

「わかりました。これからは、そう思えるように頑張ります」

 明子が、真面目腐った顔で縒子に答えた。


「あの、さ、『これから』ってことは…… その……」

 咳払いをしながら、森沢が明子たちの話に割り込んだ。

「その……プロポーズの返事だけど……、いや、別に、後で、こいつらがいなくなってからでも、いいんだけどね。でも、それって、つまり……」

「ええ」

 しどろもどろになっている森沢に、明子が向かい合った。そして、息を詰めて彼女を見つめる森沢に、「これから、よろしくお願いします」と、はにかみながら頭を下げた。


 ----------------------------------------------------------------------------



「これから、よろしくお願いします」と、明子は、森沢に答えた。

 人前でプロポーズの返事をすることにはためらいがあったが、これ以上答えを保留して彼を焦らすのも不実だと思ったのだ。


「やったっ! ありがとう!」

 明子が頭を上げきらないうちに、森沢が彼女を抱きしめた。回された彼の腕のきつさに軋むような痛みを覚えたものの、その痛みすら彼女の中で幸せに変っていく。開けっ広げに喜びを表現してくれる森沢が愛しくて、彼女は、笑いながら彼を抱きしめ返した。


 その後は、明子と森沢の婚約を祝って、皆で乾杯した。しかしながら、掲げられた森沢のグラスにアルコールは入っていなかった。食事を終えたら、森沢の両親に会いに行くことが、急きょ決まったからである。


 達也の裏切りに怒っている明子の父は、喜多嶋を潰さないことだけは娘に約束していたが、『何もしない』とは言っていない。おそらく近日中に喜多嶋に対して無茶な要求を突きつけてくるだろうと、ふたりは予測している。明子としては、父が何もしていないうちに、達也との結婚式の時に顔を合わせたきりの森沢の母の文緒に挨拶しておきたかった。森沢は森沢で、六条と揉め事になる前に、母親を含めた地元の人々に明子を認知させておきたいようである。


 2時間ほどかけて食事を終えると、樹里とティナを家に送りがてら、森沢の車は彼の実家に向けて動き始めた。

 走り始めて1時間ほどした頃になると、明子は、窓に頭をくっつけてウトウトとし始めた。知らぬ間に眠りこけていた明子が目を開けると、運転しているはずの森沢がいない。彼女の体は、自分のコートと彼のコートでしっかりと包まれていた。もちろん、車は止まっている。

 (どこへ?)と、明子が思う間もなく、森沢が戻ってきてドアを開けた。急激に入ってきた冷気が、寝ぼけ眼の明子を覚醒させる。寒さに身を竦ませる明子に、森沢が紙コップに入ったコーヒーを差し出した。

「ありがとうございます」

 湯気で鼻先を温めながら、明子は外に目をやった。白い風が彼女の視界をよぎっていく。 

「雪?!」

「ああ。この先で積もっているらしくてね。『チェーンなしに行ったらいけません』ってさ」

 フロントガラスを覆い始めた雪をワイパーで払うと、棒状の赤いランプを持って交通整理をしている人物に会釈をしながら、森沢が車を道路に戻した。どうやらここは、サービスエリアであったようだ。

「それで、そんな薄着でチェーンをつけていたんですか? 風邪引いちゃいますよ」

 森沢のコートを畳みながら明子が咎めると、「慣れているから大丈夫だよ」と彼が笑った。

「それより、明子ちゃんこそ大丈夫? こんなに寒い所に来たのは、生まれて初めてじゃないの?」

「はい。初めてです」

 明子は、うなずいた。愛人だらけの六条家には家族でどこかに出かけるという習慣がないうえ、明子の母は保養と観光に興味がないので、彼女は旅行というものをほとんどしていない。旅行といえば修学旅行ぐらい。スキー旅行の案内を学校からもらったことはあったが、任意だったので彼女は参加しなかった。チェーンをつけた車に乗ったのも、中学生の時に大雪が降った時の一回きりだったはずだ。 

 運転している森沢は大変なのであろうが、雪が珍しい明子は、雪が降っているというだけでワクワクしていた。暗くて視界の利かないにもかかわらず顔を窓にくっつけるようにして外の景色に見入っている明子を、森沢は面白がっているようだった。


 日付が変った頃、雪が止んだ。 同じ頃、車は大きな道路から降りて普通の道を走り始めた。

「ちょっとだけ外に出てみる?」 

 あと少しで家に着くというところで、森沢が明子を誘って車から降りた。

 雪が降っていないときには、おそらく畑か何かなのだろう。 道路の両脇に、雲の切れ間から差し込む月に照らされて、だだっ広い雪原が広がっている。雪原だけではない。遠くにポツリポツリとしか見えない人家の明かりも、ひどく近くに迫って見える大きな山の影も、建物や人や車がが窮屈に収まっている東京の都心で育った明子の知らない光景である。

「寒くない?」

 森沢が後ろから明子を抱きしめる。淡いふたつの人影が雪の上でひとつになった。

「いいえ。ただ、随分と遠くまで来ちゃったな…… と思って」

 それなのに、明子は、不思議なぐらいに心細さを感じていなかった。この人が傍にいてくれる。そう思うだけで、怖いものなど何もないような気がした。


「後悔している? 引き返すなら、これが最後のチャンスだよ」

「いいえ。森沢さんこそ、本当に私なんかでいいの?」

「俺は、君しかいらない」

 甘えるようにささやく森沢の息が、暖かく明子の頬をくすぐる。

「愛している。これから、ふたりで幸せになろう」

「ええ。ずっと、あなたと一緒に……」


 互いの気持ちを確かめ合い、ようやく未来に向かって歩き始めたふたりの前途を祝福するように、雪がまた、静かに降り始めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ