Metamorphoses 10
「僕は、香坂唯を愛しています」
独りだけ椅子に座らされた達也が、2メートルの距離を置いて半車座に彼を囲んでいる親戚一同をしっかりと見据えて言った。彼の顔色は青く、声も震えていた。だが、だからこそ、彼が本気だということが充分に伝わってくる。
親戚たちは、達也の浮気を一過性のものだと思い込んでいたらしい。大真面目な顔の達也から出たこの発言に、全員が目を丸くした。森沢も驚いた。達也がそこまで思いつめていることは、彼にとっても予想外だった。両親だけは、もう何度か達也と話し合っているのだろう。『処置なし』といった顔で、ため息をついた。
「その女を、本気で好きだというのか?」
「はい。彼女しか愛せません。 彼女と一緒になりたいと思っています」
達也の言葉に、一同が騒然とする。だが、その声を圧して部屋に響き渡ったのは、「ふざけるな!」という森沢の怒声だった。
「おまえには、明子ちゃんがいるんだぞ! 彼女をどうするつもりだ?! 裏切っておいて、なんとも思わないのかよっ?!」
「明子には悪いと思っている」
「だったら、なんで明子ちゃんと結婚したのよ! しかも、あんなウェディングドレスまで明子ちゃんに着せるなんて…… 明子ちゃんは、香坂唯って人の身代わりでしかなかったの? 唯さんを手に入れたから、もう明子ちゃんはいらないの? なによ、それ? 明子ちゃんが可哀想よ!」
「落ち着きなさい。俊鷹! 繭美!」
達也に掴みかかろうとした森沢を、おじたちが羽交い絞めにする。女たちが、泣き出した繭美を抱きしめ、慰める。
「どうやら、私らが考えていたよりも、ずっと話がややこしいようだな。私たちにも事情が飲み込めるように、始めから順を追って話してもらおうか?」
伊織と彼の従兄弟たちは、3人がかりで暴れる森沢を組み伏せると、彼を尻の下に敷いたまま達也と向き合った。
「まず、その女性……香坂唯さんだったか? その人とはいつからの付き合いなんだね?」
「知り合ったのは3年前です」
伊織やおじたちに質問されるまま、達也は淡々と答え続けた。彼が話している内容は、森沢が以前に彼から聞かされた内容と、ほぼ同じだった。
その中で、達也から見た香坂唯の印象というのが、森沢にとっては耳新しかった。森沢は、香坂唯に対して、打算的でずる賢くて野心的だけども小心者という印象しか持てなかったが、達也は、彼女に対して全く違った印象を持っていた。
「とても優しくて思いやりがあって、まったく気取ったところのない、とても純真な人なんです。なんの下心もなく、素のままの僕を慕ってくれる」と達也が言うに至って、森沢は聞いているのが馬鹿らしくなってきた。「けっ!」と 聞こえよがしに吐き捨てると、「黙って聞け!」と、おじから拳骨を頭にくらった。
「それで?」
森沢が痛みに顔をしかめている間にも、達也とおじたちの話は続く。
「はい。交際は半年ほど続きました、でも……」
唯がフランスへ行くことになり、半年ほど続いた熱情的な交際は、あっけなく終わった。
その後、達也は、政治家の娘と婚約を交わしたが、あちらの事情で婚約破棄となり、今から半年ほど前に明子と婚約した。結婚式は、その3ヵ月後。達也が香坂唯と再会したのも、結婚式の日だった。
「僕は、それ以来、彼女のことを気になってしかたがありませんでした。パリで頑張っているとばかり思っていたのに、彼女が日本にいることが不思議でした。なにより、彼女が、あまり幸せそうに見えなかったことが気になっていました」
「だけども、彼女とやり直すつもりはなかった?」
「ええ。もう、結婚してましたから。だけど、母が、唯を僕から遠ざけたのだとわかって……」
「多恵子さんが、なんだって?」
「『モデルに達也はやれない』って言ったらしいのよ。私が」
不快そうに顔をしかめながら、多恵子が口を挟んだ。
「あんただって、モデルだったじゃないか?」
「そうよ。だから、私がモデルだという理由でこの子の結婚に反対するわけない。反対したのは彼女自身に問題があるからだって言っているのに、この子ったら全然信じてくれないのだもの」
多恵子が、詰るような視線を息子に向けた。
「だって、母さんがモデルだなんて、僕は知らなかったんだからしょうがないだろう。だいたい、なんで黙ってたんだよ?」
「過去の栄光を吹聴する趣味がないからよ。でも、あなたが信じないから、こうして信じさせてあげたじゃない」
多恵子が、達也の前で、これ見よがしにガロワのドレスのスカートを翻してみせた。
「でも!」
達也が椅子から立ち上がりかける。
「まあまあ。ふたりとも、今は、そこまで」
伊織が、ふたりの口論に割って入った。
「お義姉さん。具体的には、香坂唯になんと言ったんです?」
「私? 私は、彼女に、息子を利用するのはやめてって言ったのよ。でも……」
「ほら。やっぱり別れさせたんじゃないか! 始めから彼女を疑ってかかって……」
「君も、人の話は最後まで聞いてから発言しなさい」
俄かに勢いづいた達也の頭上に、伊織が拳骨を振り下ろした。達也が両手で頭を押さえてうずくまる。 多恵子が話を再開した。
「香坂唯って子はね。3年前に達也と付き合っていた時にも、ことある毎に達也との関係を匂わせていたらしいの。そうして、自分にとって、より有利な仕事を手に入れていたわけ。それが目に余るっていうんで、知り合いが私に教えてくれたの。だから、香坂唯に会いに行ったの。達也を利用しているだけならば別れてほしい。本当に達也を好きならば、私はふたりを応援するけれども、モデルは辞めてほしい。モデルも達也も諦められないのなら、モデルとして『誰かのコネで仕事をもらっている』と後ろ指を差されないだけの力をつけてほしい。その3つの条件のうちの1つを飲んでくれない限り、喜多嶋家としては、あなたを達也の嫁として迎えるわけにはいかない。そう言ったわ」
「彼女は、3番目の条件を飲むことに決めたんだね? でも、なぜ、パリへ?」
「あの子が、『これから頑張って、実力でモデルとして成功したとしても、日本にいる限り、喜多嶋の七光りで成功したのだと言われ続けるに決まっている』って言ったのよ。だから、私は、『パリで実績を積んではどうか?』と、たずねたの。彼女は了解したわ。だから、私は自分の貯金をはたいて、あの子に渡したの。渡航費用や当面の生活費がいると思ったから」
「彼女は、手切れ金だと思ってた」
達也が、頭を庇いながら口を挟んだ。
「そんなつもりはなかったわ。でも、唯さんは、達也に黙ってフランスに行っちゃったらしいわね。始めは、なぜ、そんなことをしたのかわからなかった。でも、私がモデルの勉強のためにいいと思って紹介状を書いてあげた先に電話でたずねてみたら、彼女は1度だけ顔を出したきりで、その後は音沙汰なしだっていうじゃない。心配して消息を探してもらったら、絵描き志望のドイツ系の男と一緒に暮らしていたって……そう言われた。騙されたと思ったわよ。だから、それから2ヶ月後だったかしら? お義母さんが達也の縁談を持ってきた時には反対する気にもならなかった。香坂唯なんかより、政略結婚で知り合う女性のほうが、ずっとましだと思った」
「騙されたことを、あなたは、達也くんに話した?」
「いいえ。私が香坂唯に会いに行ったことを達也は知らないし、本当のことを言うのも可哀想な気がしてね。美しい思い出のままにしておいてやろうと思ったの」
『今になって考えてみれば、それが間違いだったのよねえ』と、多恵子が肩を落とす。
「嘘だ!」
耐えかねたように達也が叫んだ。
「彼女は、そんなことは言わなかった。唯は、そんな女じゃない」
「そうだな。おまえの前では、そうだったんだろうな」
森沢の上に乗っていたおじのひとりが立ち上がり、嫌々するように首を振る達也を慰めるように、彼の頭を撫でた。
「でも、落ち着いて考えてごらん」
頭を撫でていたおじが膝を折り達也と視線を合わせる。
「おまえが好きなら、なんで彼女は、お前になにも言わずにパリに行ったんだ? あそこで成功するのは、並大抵のことではないし、何年もかかるぞ。というより、多恵子さんじゃあるまいし、成功するほうが稀だぞ」
「それに、彼女は、達也くんのコネでなんとか持ちこたえていただけの、旬を過ぎたモデルだったんだろう?そんな彼女がパリで成功する確率は、限りなくゼロに近い」
いつの間にか来ていた森沢の父が、淡々と分析する。
「ならば、どうして彼女は達也を取らなかったんだろう? 玉の輿に乗ってしまったほうが、楽して良い思いをできるだろうに。そんなにモデルに未練があったのかな?」
「信孝さん。ご自分の身になって考えてみれば、わかるでしょう?」
腕を組んで考え込む信孝に、母の従兄弟の妻が言う。
「深窓の令嬢を手に入れた苦学生と同じく、御曹司に嫁入りしたシンデレラの現実っていうのは厳しいものですよ。生活習慣も違えば、考え方も違う。お金があるから贅沢ができるなんて甘い気持ちで嫁に行ったら、必ず破綻します。香坂唯さんとやらは、きっと、そこらへんまで計算していたんですよ。多恵子さんが勧めるパリ行きが、達也さんの前から姿を消すためのいい潮時だったってことです」
「うん。達也は軽く騙せるかもしれんが、結婚後は、多恵子さんと当時存命中のジイさんバアさんとの同居を前提にお付き合い……なんて、彼女にしてみればたまらんだろうしな」
「なるほど。つまり、彼女にとっての達也くんとは、始めから、ただの『いいカモ』だったってことか!」
信孝の出した結論に、『カモか…… 可哀想になあ……』と、部屋中の者が、達也に同情的な眼差しを向けた。
達也は、同情されることに慣れていないようだった。
「でも、でもっ!」
彼は、更にムキになって抗弁を試みた。
「どうして、母さんも皆さんも、唯が不正な手を使って仕事をしていると決め付けるんですか? 彼女に仕事が回ってくるのは、彼女自身に魅力や実力があるからだって、どうして思えないんですか?」
「実力なんてないよ。今日の彼女を見りゃわかるじゃないか」
群集の中の誰かが言い、『ないない』と、多恵子や紘一を始めとした多くの人々も首を横に振った。
「このパーティーでも、彼女は一生懸命『営業』してたぞ。遠くからおまえの顔を熱心に見つめて、おまえとの関係を周囲にアピールしていた」
森沢が情報を提供すると、パーティーに参加していた正装姿の面々が『うんうん』と首を揃えてうなずいた。
「それに、おまえだって、彼女の機嫌をとるために仕事を回していたんだろう?」
「してない! ……いいや、最初の1回を除いて、していません」
達也が正直に答えた。
「僕だって、喜多嶋の経営に携わるものとして、やって良いこと悪いことぐらいの区別はつく。でも、彼女の不遇が自分のせいかもしれないと思ったら、なんだか申し訳なくってきて、1度だけ知り合いに頼んで融通をきかせてもらいました。すみません」
持ち前の生真面目さを発揮して、達也が、律儀に親戚たちに頭を下げた。
これについては、『まあ、1度ぐらいは仕方がないよなあ』という意見が多かった。例えば、繭美も、幼稚園生の時に喜多嶋化粧品のシャンプーのCMで有名女優と共演させてもらったことがある。だが、テレビに映る繭美を観て、不正を働いていると感じた親族は一人もいなかったはずだ。喜多嶋一族に限って言えば、こんなことは幾らでもあった。だから、1回きりの、この程度の不正では誰も達也を責められない。
「でも、『胡蝶』は? あれは、おまえの推薦じゃないのか?」
「違う! 『胡蝶』のイメージモデルは、喜多嶋化粧品の『顔』じゃないか。たとえ唯に頼まれたとしても、そんな大事なオーディションに、不正な手を使って知り合いを紛れ込ませるなんてことするわけがない」
「じゃあ、誰が?」
「ああ。それは、たぶん六条さんの仕業だと思う」
ぽつりと紘一が言った。
その声は呟き程度の小さなものだったが、部屋中の者を震撼させた。
「ろろろろろろ、ろっろ、ろ、六条さんですって?!」
男たちが紘一の周りに殺到する。
「たぶんな」
疲れたような顔で、紘一がため息をついた。
「達也を叱るつもりで調べたんだ。だけど、彼女を推薦してきた所は、達也との付き合いはほとんどないし、達也ごときの力で動くような所でもない。でも、あそこが正気で香坂唯程度のモデルを推薦してくるとも思えないから、誰かに香坂唯の推薦を無理強いされたことは確実だろう。結局尻尾はつかめなかったけれども、調べれば調べるほど、六条さんが裏から手を回した可能性しか考えられなくなる」
「でも、どうして?」
「脅し、かな? 『こっちは達也の浮気に気がついているぞ!』というアピールだろうか?」
「六条家も達也の浮気に気が付いているっていうんですか? でも、アピールして、どうするんです?」
「『明子ちゃんが達也の浮気に気が付いて泣く前になんとかしろ。さもなきゃ潰すぞ』ってことなんだろうよ。しかし、明子ちゃんも、もう気がついているだろうしな」
「とっくに気がついているわよ。泣いているし、ストレスからでしょうね、じんましんも出てる。でも、優しい子だから、気が付かないフリをして、私たちに文句も言わず、六条さんにも言いつけないで我慢してくれているの。でもね、これ以上は、もう可哀想」
多恵子が、あえてここに呼ばなかった嫁に代わって発言した。
「そう。多恵子の言うとおり、もうタイムリミットだ。私たちは、これ以上、明子ちゃんを家に縛り付けておくわけにはいかない。六条さんに対しても、こちらの精一杯の誠意を見せなければいけない」
紘一が、賛意を求めるように集まっている者たちを見回した。達也も、なんとなくわかってはいたのだろうが、ここに至って、ようやく事の深刻さを実感したようである。
「すみませんっ! 今回のことは、本当に僕の不徳の致すところです。会社に迷惑がかからないよう、六条さんには誠心誠意お詫びして……」
「馬鹿者! おまえの場合は、六条さんよりも、まずは明子ちゃんに謝るのが先だろう!!」
喜多嶋家の男たちは、どれほど動揺していても、やはり喜多嶋家の男だった。『家の大事より、女の大事』というわけで、まずは、達也の心得違いを正すために彼を袋叩きにし始める。ようやくおじたちの尻の下から解放された森沢も、出遅れはしたものの、なんとか達也の髪のひと房ぐらいは殴れたという手ごたえはあった。
「兄さん。こいつを始末しましょう! 殺して、その生首を六条さんに差し出すんです。誠意を見せるなら、それぐらいしないと……」
伊織が、達也に指を突きつけながら、血走った目で紘一に訴えた。
「戦国時代じゃあるまいし、物騒なことを言うんじゃないよ。それに、生首をもらっても、六条さんは困るだけじゃないかねえ? で、考えたんだけど、六条さんとしては、明子ちゃんが幸せになればいいわけだろう? だったら……」
伊織の肩に手を置いた森沢の父信孝が、場違いなほどのんびりとした声で提案を持ちかける。
「達也くんと、うちの俊鷹を交換してもらう……ってのは、どうだろう?」
「……………… は?」
その時。室内の空気が氷点下にまで一気に冷えた ……かのように、森沢には思えた。
だが、普段寒いところで暮らしている信孝には、たいして堪えていないようだった。彼は、ニコニコしながら、他の親族たちと同様に呆然と固まっている息子を傍らに引っ張ってきた。そして、「ね?名案だと思わない? こいつなら独身だし、明子ちゃんのことを死ぬまで大切にすると思うよ」と言った。
「達也と交換……って」
信孝に指名された森沢に、皆の視線が集まった。目踏みするような彼らの視線に居た堪れないものを感じた森沢は、「え、えへ?」と、強張った笑みを浮かべてみせた。それが、いけなかったらしい。自失状態だった親戚連中が、雪崩のように森沢と信孝に襲い掛かってきた。
「なにが名案だ! この研究馬鹿が! 電化製品の不良品の交換じゃないんだぞ! 『これがダメなら、こっちにしてください』なんてこと、口が裂けても言えるわけがないじゃないか!」
「明子ちゃんにだって、失礼だろう!」
「っていうか、こいつだって女ったらしのプレイボーイじゃないか?! 2度も3度も旦那に浮気されてみろ。今度こそ、明子ちゃんが壊れるぞ!!」
「わあああっ! ごめんなさい! ごめんなさい! でも、いい案だと思ったんだよ!」
「まだ言うかっ!!」
信孝への攻撃が勢いを増す。どんくさい父親をうっかり身を挺してかばってしまったために、森沢は、信孝以上のダメージを受けた。
「いや。ちょっと待て。案外、いいかもしれない」
伊織は、攻撃的な親戚たちに囲まれている森沢を引っ張り出すと、紘一に向き直った。
「こいつを後添えにしましょう」
「は?」
「達也は香坂唯と、駆け落ちでもなんでもすればいい。なんだったら、南極にでも支店を作って、一生そこで幸せに暮らしてもらいましょう。とにかく、ふたりには、2度と日本の土を踏ませない。それで、達也を死んだことにして、喪が明けたら、明子さんと俊鷹を再婚させるというのはどうでしょう? 達也が俊鷹になっても、娘の夫の実家が喜多嶋であることは変らない。だから喜多嶋も潰れない」
「ちょっと、叔父さん?」
「うるさい、浮気者! 南極へ行け!!」
顔色を変えた達也に向かって、伊織が叫んだ。
「伊織。落ち着きなさい」
紘一が、伊織をたしなめた。
「いくらなんでも、言っていることが無茶苦茶だよ。それに、これ以上、こちらの都合で明子ちゃんを振り回すのもダメだ」
「でも、俊鷹なら、明子ちゃんだって」
「伊織!」と、誰か……おそらく大叔父の誰かが咎めるような厳しい口調で彼に呼びかけた。
「そこまでにしておおき。それはそれ。これはこれだよ」
「それじゃあ、どうすればいいんです。このまま、六条に潰されるまで、手をこまねいていろとてもいうんですか?」
伊織が、群集に向かって訴えた。
「私が、辞めるよ」
紘一が言った。
「私が社長を辞めて六条にお詫びする。達也も勘当する。無論、会社も辞めさせる。それで、なんとか許してもらえるように、私が六条さんにお願いしてみる」
「兄さん……」
「元はといえば、私が悪いんだ。石油ショックで経営が急激に悪化して、ようやく立ち直りかけたところで父さんが倒れて、これからは自分が父の代わりに皆を引っ張っていかなければいけないんだって思ったら急に怖くなった。しかも、達也が、有能かもしれんが器が小さいというか、まだまだ子供というか…… 全然なっちゃいない。せめて、しっかりした嫁さんでもいれば……と思っていた矢先に明子ちゃんのことを知った。明子ちゃんならば達也をしっかりと支えてくれそうだと思ったし、なにより、彼女を手に入れられれば、六条と中村という強力な後ろ盾も得られる。そう思ったら、舞い上がってしまって、拙速に縁談をまとめてしまった。私が浅はかだった」
紘一が顔を上げた。
「生首じゃないけど、六条さんも鬼じゃないし、実は情に篤い人でもあるからな。私と達也。ふたりぶんのクビを差し出せば、矛を収めてくれるんじゃないかと思う。そうなるように力を尽くす」
紘一が、どこかふっきれたような顔で笑った。
「というわけで、伊織、後は任せた。それから、俊鷹」
紘一が森沢に向き直った。
「これからは、達也に代わって、おまえが喜多嶋の次期総帥だ。頑張れよ」
「え?」
森沢は、目を瞬いた。
寝耳に水だった。
(※注: 文中で、伊織が『南極へ行け』と申しておりますが、南極にあるのは各国の観測基地ばかり。商業活動に向いている土地ではありません。本当に達也を左遷することになったら、もう少し現実的な場所に支店を作ることになると思われます)




