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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
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Metamorphoses 9

 壇上で微笑む多恵子とガロワに向けて、国内外のマスコミ関係者が一斉にフラッシュを焚く。


「オーディションには、タエコも加わる予定です」

 伊織が、誇らしげな顔で発表した。審査員のことを、多恵子は聞かされていなかったようだ。義弟を咎めるように顔をしかめた。


(初代胡蝶だって?)

 伊織の説明を聞きながら、森沢は呆然としていた。しかしながら、今が盛りの若くて美しい現役モデルたちと同じ舞台に立っている多恵子を見れば、伊織の言っていることが嘘だとも思えない。それほど、多恵子の存在感は格別だった。


 多恵子とは対照的に存在感が極めて希薄な香坂唯はといえば、彼女は遠目から見てもはっきりとわかるほど青ざめていた。

『この場から逃げ出してしまいたい』

香坂唯の顔には、ハッキリとそう書いてあるように見えた。実際に逃げるつもりだったようだが、香坂唯が2歩ほど後ずさったところで、同じ壇上にいたティナがポーズを取りがてら自分の腕に彼女の腕を引っかけて脱走を阻止した。

 見かけだけなら仲良しに見えるティナと香坂唯を招くように多恵子が手を差し伸べると、ティナは、嬉しそうに唯に腕を絡ませたまま他のモデルたちを差し置いて前に出た。リナと樹里が、背後からふたりの肩に手を添え、上手側にいる撮影者たちに向けて極上の微笑を浮かべてみせる。彼女たちに囲まれて写真を撮られている香坂唯は、まるで、有名芸能人との記念撮影に臨む通りすがりの一般人のよう見えた。


要するに、彼女は素人なのだ。

多恵子たちと香坂唯を見比べながら森沢は思った。 

多恵子やティナたちは、ただ微笑んでいるだけに見えても、姿勢や目線、そして自分が着ている服の皺のひとつひとつにまで気を配り、他人の目に自分がどういうふうに映るかを常に計算して動いている。それに対して香坂唯は、ただキレイな服を着て突っ立っているだけ。モデルとしてのキャリアは長いのかもしれないが、モデルとは名ばかりで、カメラマンに言われるがまま、漫然とポーズを取ってきただけの着せ替え人形のようなモデルだったのだろう。一瞬を切り取る写真ならまだしも、一定時間360度方向から見られることになるショーのモデルは、キレイなだけの人形には務まらない。

 もっとも、そういうモデルは、唯に限らず大勢いる。彼女たちは、旬の時期が過ぎれば自分より若い世代のモデルによって淘汰される。いわゆる使い捨て。運よく生き残ることができるのは、余程素材が良い者か、あるいは余程運が良い者だけであろう。香坂唯の場合は後者だろうか? 『喜多嶋の御曹司』という強運に巡り合えたことが、彼女をモデルとして生き延びさせたのだろうか。しかしながら、達也と出会ったことは、彼女にとって本当に幸運なことだったのだろうか? 『棚から牡丹餅的な幸運は、時に人をダメにする。ついているときほど気を抜くな』と、森沢の祖父は生前よく言っていた。

(素材としてはそれほど悪くないのだから、彼女も少しは努力をしたらよかったのに。背の低さは減点かもしれないけど、多恵子伯母さんと同じぐらいだから致命的な欠点とは言えないだろう。それにしても、多恵子伯母さんが胡蝶だったことを、何故俺が知らないんだ? いや、俺のことより……)

 森沢は、視線を舞台から上手外側に移動させた。


 舞台を見上げている達也は、森沢以上に呆然としているように見えた。

(まさか、あいつも知らなかったのか? いや、そんなことも、この際どうでもいい)

 現在の森沢にとっての1番の問題は、達也の浮気である。パーティーが終わったら、達也をとっ捕まえて、明子を裏切っている報いを存分に受けさせてやらねばなるまい。怪我はさせないように、でも死ぬほど後悔するように、そして今度こそ明子を幸せにするように、達也を改心させるのだ。

(でも、どうやって?)

 痛い目に合わせるのは、ある意味とても簡単だ。だが、人の心を改めるのは容易なことではない。それが恋であるなら尚更である。

(それに、仮に達也を改心させることができたとしてだよ? なんだかなぁ)

 明子の幸せのためとはいえ、森沢がどれほど頑張っても彼女と幸せになるのは達也である。しかも、達也は、頼まれたり叱られたりしないと明子を幸せにできないらしい。頼まれなくても明子を幸せにしたい森沢としては、なんとも釈然としない状況である。

(とにかく、絶対、殴ろう)

 考えるのが面倒くさくなってきた森沢は、拳を握り締めながら決意を固めた。そこに、「俊くん」と、繭美が寄ってきた。

「親族会議ですって。パーティーが終わったら1102号室に集合」

 繭美が小声で伝言を告げる。

「念のため聞くけど、議題は?」

「達也くんとあの女」

「やっぱり、そうか」

 森沢は、ため息をついた。つまり、彼や繭美以外にも、達也の浮気に感づいた者がいたということだ。ならば話は早い。親族会議でじっくり達也を殴ろう。今回ばかりは誰も森沢を止めまい。

「了解」

 森沢は、指の関節を鳴らしながら言った。


 そして、パーティ終了後。

 明子と紫乃が会場を後にしたのを見届けると、森沢は、片づけや挨拶もそこそこに、繭美に教えられた部屋へと向かった。


 1102号室は、スイートルームだった。


 部屋を入ると高そうな家具や調度品が余裕をもって配置された広いリビングがあった。寝室は、リビングの奥にあるようだ。

「でも、なんでスイート?」

「普通の部屋じゃ狭くて入りきれないからでしょう。はい、これ」

 先に来ていた繭美が、足の長い電気スタンドを森沢に渡した。

「隣の部屋に運んでね」

「なんのために?」

「そうやって、うっかり家具と凶器とを間違える人がいると困るからですよ」

 無意識のうちに長刀のような構えで電気スタンドの金色の柄を握っていた森沢に、ソファーを部屋の隅へと動かそうとしていた繭美の母と妹が非難がましい視線を向けた。

「さすがに、ソファーは凶器にはならないと思いますけど、それも動かすんですか?」

 森沢は、電気スタンドを繭美に返すと、より力を使う作業に精を出すことにした。数分後。部屋の中央に10畳余りの何もないスペースができた。


 作業がひと段落したところで、森沢がたずねた。

「ところで、多恵子伯母さんのこと知っていたか?」

「私は、実は知ってたわ」

 繭美が言いづらそうに答えた。

「わたくしが、口止めした上で繭美に話したのですよ」

 花瓶を移動させたせいで形が崩れた花を整えながら、繭美の母が、森沢と繭美の妹に打ち明ける。

「繭美が中学生の時です。彼女が、学校で酷いイジメをしていると先生から聞かされましたの」

 ちなみに、繭美が苛めていたというのは、明子の姉の中村紫乃であった。繭美が通っていた中学というのは、その半分以上が附属の小学校から上がってきた良家の令嬢で占める筋金入りのお嬢さま学校である。 中学校から入ってきた成り上がりの男の愛人の娘は、繭美たちにとって眩しくも目障りな存在であったようだ。

「繭美は、紫乃ちゃんに、それはそれは惨いことをしていたそうで。イジメが収束に向かった頃になって、ようやく先生から話を聞かされたわたくしと主人は、親として情けないやら恥ずかしいやらでした。紫乃ちゃんは、あんなに良い子なのに……」

「あの、叔母さん? それで?」

「ああ、それでね」

話がどんどん横道に逸れていることに気が付いた繭美の母が、恥ずかしそうに頬を染める。

「わたくしは、繭美がそんなイジメをするような子に育ってしまったのは、お義母さま……あなたがたのお祖母さまに原因があるのではないかと思ったのですよ」

「祖母ちゃん? ああ、なるほど」

 森沢は、なんとなく叔母の言いたい事がわかった。

 森沢の祖母が生まれた家というのは、世が世なら喜多嶋のような糸屋ふぜいが口をきけるような身分ではないそうで、彼女は、そのことを大変誇りにしていた。早い話が、非常に高慢ちきなバアさんだった。もの好きな祖父は、そんな祖母を『愚かで愛おしい女』だと思っていたようだが、森沢は、祖母が苦手だった。苦手などと言ったら罰が当たるぐらい森沢は祖母に可愛がられたのだが、彼女が『卑しい生まれ』の彼の父を嫌っているのを知っていたから、どうしても彼女を好きになりきれなかったのである。

 また、森沢の母は、祖母に似て自尊心が高く、自分の夫が馬鹿にされても黙っていられるような性格はしてなかったから、実家を訪れるたび祖母と喧嘩をしていた。帰りには息子の腕を引っ張りながら怒って玄関を飛び出していくことも、しばしば。しまいには、実家に寄り付かなくなった。

 東京の高校に入った森沢が喜多嶋家ではなく寮で暮らすことになったのは、だから、母の意向でもあったのだ。


「じゃあ、多恵子おばさんも?」

「ええ。さすがに達也さんの前で多恵子さん貶すことはなかったようだけど、繭美に対しては、わたくしを引き合いに出して……」

「日頃のうっぷんを晴らすべく、繭美に多恵子伯母さんの悪口を言いまくっていたんですね? 主に氏素性のことで?」

「ええ。 わたくしが、そういうことはしないでくださるように、お義母さまにお願いできれば良かったのですけど」

 祖母がケチをつけられないほど育ちの良い叔母は、しゅんとうなだれた。

「なるほど。それで、お前は、祖母ちゃんの影響をしっかり受けて、祖母さんが定義するところの『生まれの悪い』紫乃さんをイジメまくったわけだ? しかも集団で? クラスで寄ってたかって? 最低だな」

「ごめんなさい」

 繭美も、母の横でしゅんとなる。

「紫乃さんが、強い人でよかったよ」

 精神的に逞しい紫乃は、自分が苛められた機会を最大限に利用して学校中のイジメを制圧してみせたと森沢は聞いている。紫乃が長女でよかった。さもなければ、2年後に入学した明子が紫乃と同じ目にあっていたことだろう。

「だから、その時にね。 わたくしと主人が繭美に話したんです。『お祖母さまは悪く言うけれども、本当は多恵子さんや信孝さんのほうが、ずっとずっとすごい人なんだよ』って。多恵子さんが素晴らしいモデルさんだったことも、その時に話しました」


「でも、どうして秘密なんですか? というよりも、なぜ秘密にできたんですか? 今でこそ忘れられているけれども、当時の彼女は有名なモデルさんだったんでしょう?」

「それはね。日本では、タエコを知っている人が、ほとんどいなかったからだよ」

「だって、そうだろう? 『胡蝶』を発表したのは戦後直後の日本だよ? モンペファッションが主流の日本のどこに、トップモデルが活躍できる場所があったというのだね?」

「お前のバアさんは、モデルとストリッパーの区別もつかないような人だったからね。多恵子さんが日本で知られていないのをよいことに、彼女の素性をできるだけ隠そうと私たちに緘口令をしいたんだ。そして、多恵子さんにも、紘一と結婚したかったら胡蝶を最後にモデルを辞めるようにと迫った」

 親族会議に参加するために入ってきた母の従兄弟やまた従兄弟にあたる伯父たちが、次々に会話に加わった。その中には、今日のパーティーには参加していなかったものの、家や職場から駆けつけたという者もいた。

「日本では知られていないって……じゃあ?」

「ヨーロッパだよ。戦前にフランスに渡って、戦争が始まっても日本に帰らなかった多恵子さんは、当時無名だったガロワと共に、ナチスから逃れてスイスに集まったヨーロッパの貴族や金持ちを追って占領下のパリを脱出し、そこで、文字通り、彼の服を売り込むためにモデルとしてひと肌脱いだ。そして、彼女の着るガロワのドレスは、あちらの御婦人たちを魅了した」

「そして、終戦後。『胡蝶』のモデルを探していた兄さんは、ヨーロッパで活躍している日本人モデルのタエコの噂を耳にし、矢も盾も堪らずに単身フランスへと向かった。そして、タエコに恋をした」

「そして、なぜか、タエコも紘一に恋をした。世界の七不思議だ」

 だいたい人が集まってきた頃に入ってきた繭美の父親の伊織とガロワが話を続け、その後から、「なにが、『世界の七不思議』だ? 失敬な」と、紘一が、そして、「そうよ。失礼よ。それからね。訂正。私は、お義母さまに言われたからモデルを辞めたんじゃないわ。辞めることは、フランスにいた時、紘一のプロポーズを受けると決めた時に決めたの。だって、私は、ポールの才能に惚れて、彼の服の素晴らしさを多くの人に知ってもらうためにモデルをしていただけだもの。ポール・ガロワのいない日本でモデルを続ける理由はないわ。だから、ポールが花嫁衣裳の代わりに持たせてくれた胡蝶のドレスを最後に、キッパリ廃業したのよ」 と、多恵子が言いながら入ってきた。


「紘一さん! 多恵子さん!  達也は?!」

 部屋中の視線が、一斉にふたりに集まる。

「まさか、逃げたんじゃないでしょうね?!」

「連れてきたよ」

「ほら、入りなさい」

 両親に促されて、達也が部屋に入ってくる。『嫌々来ました』 と言わんばかりの、彼の、ふて腐れたような表情を見た途端。 森沢の理性のたがが外れた。

「達也っ! きさまっ!」

 森沢は、拳を振り上げると、怒りに任せて達也に突進していった。もしも、先ほど片付けた柄の長い電気スタンドが置いたままになっていたら、元剣道部の彼は、迷わずそれを振り回していたに違いない。

 明子は、おそらく達也の浮気に感づいている。それでも何も言わずに頑張っている彼女のために、せめて1発……いや4、5発は殴らないと、彼の怒りは治まりそうになかった。


 だがしかし、彼の拳は、結局、達也には届かなかった。


「達也あぁぁぁっ!」

「この馬鹿! なんて軽はずみなことをしてくれたんだ!」

「謝れ! 明子さんに謝れっ!!」

「恥を知れ!」

 森沢が達也を殴りつけるよりも早く、部屋に集まっていた彼よりもずっと年上の伯父たち……喜多嶋グループの中核を担ってきた男たちが一斉に達也に飛びかかっていた。体当たりをかけられて達也がひっくり返っても、男たちは攻撃をやめようしない。口々に叫びながら、転んだ達也の上に次々にのしかかっていく。

 森沢のパンチが空振りに終わった頃、先ほど彼が繭美たちと共にテーブルやソファーをどかして作った空間には、達也を核にした人間の小山ができあがっていた。伯父たちは、積み重なった状態になってもまだ、自分の怒りや不安を達也に少しでも思い知らせてやろうと、悪態をつきながら闇雲に腕を振り回し続けている。

「俊くん、早く止めさせて!!」

 繭美と繭美の母が悲鳴を上げる。多恵子は、何も言わない。苦しそうな表情を浮かべて、息子が潰されているあたりを見つめている。紘一も、同じ。息子の仕出かした不始末の大きさゆえに彼を庇うこともできずに、歯を食いしばるようにして下を向いている。


「なんでこう、俺ばっかり……」

 森沢は、意味をなさない悪態をつきながら、攻撃に加わらなかったまた従兄弟たちにも手伝わせて、達也に群がる伯父たちをひとりずつ力ずくで引き剥がしていった。

 呆れたことに、達也のすぐ真上に圧し掛かっていたのは、伊織だった。達也に当たるはずだった拳骨を彼の代わりに幾つも受けたらしく、達也同様、この人も全体的にクシャクシャになっていた。

「ああ、もう。 叔父さんまで……」

 森沢は、伊織に手を貸して立たせた。

「だって、だってだな。喜多嶋化粧品は、今年で50周年なんだぞ。 そんな記念すべき年に、この馬鹿が不倫をしたせいで、六条を怒らせ、喜多嶋グループごと潰されてしまうのかと思ったら、俺は、俺は……」

「うん、うん。叔父さんの気持ちもわかりますけどね」

 涙声で訴える伊織を落ち着かせながら、森沢は、床に転がっている達也に、「大丈夫か?」と、たずねた。

「ああ。うん」

 達也が、顔をしかめながら、もそもそと体を起こしかける。 すると、再び室内が殺気立った。一時的に落ち着いていた伯父たちが、またしても、達也に殴りかかろうと近づいてくる。

「いい加減にしろっ!!」

 森沢は、伯父たちから達也を庇うように立ちふさがると、道場通いと寮長生活で鍛えた声で彼らを一喝した。森沢のそんな声を聞いたことのない伯父たちは、いっぺんに静かになった。


「腹が立つのはわかるけど、おじさんたちが怒っていることは、彼を殴って解決する問題でもないでしょう?」

 『俺はともかく』と、達也を殴り損ねた森沢は、伯父たちに小言を言いながら心の中で言葉を足した。

「たしかに、俊鷹の言うとおりだ」

 妻と娘たちに両腕を捕らえられた伊織が、ボソリと呟いた。

「でしょう? だから、まずは、達也の話を聞こうじゃないですか。それから、これからどうするかを考える。それで、いいですね?」

 森沢は、伯父たちが渋々うなずくのを確認すると、部屋の隅から椅子を持ってきて、達也が潰されかけていた場所に置いた。


「座れよ」

 森沢は、達也に命じた。

「話し合おうぜ。お前も、言いたいことがあったら言ったらいい。だが、これ以上の嘘と隠し事は、なしだ。いいな?」



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