A bride in the rain 4
楽しい時間が過ぎるのは、とても早いもの。
「お時間です。参列される皆さまは、式場のほうへお移りください」
ホテルの係員は、それでも、少しだけ気を利かせてくれたのだろう。予定よりも5分ほど遅れて、紫乃たちを呼びにきた。
「じゃあ、また後でね」と軽く手を振りながら、妹たちが次々と部屋を出ていく。手を振り返していた明子は、急に心細くなった。これまでは、いつも姉妹で固まって過ごしていた。何をするのも、みんな、あるいは誰かと一緒。彼女は常に六条姉妹の中のひとりとして行動してきた。
それも、今日で…… ここまでで終わる。
「大丈夫だからね」
明子の心中を察してか、控え室を出て行く間際に紫乃が彼女にそう言ってくれた。その紫乃も、明子に背中を見せて部屋を去っていく。
もう、明子独りきりだ。
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(意外だな)
部屋を出ていく紫乃たちを見送りながら、ひどく心細そうな顔をしている明子を見て、森沢は思った。
森沢は、紫乃以外の六条家の娘たちのことを、それほど知っているわけではない。だが、この姉妹の中で一番ものわかりが良さそうで落ち着いて見えていたのが明子であった。
人並み以上に行動的な姉を補佐しながら無邪気にはしゃぎ回る妹たちを正しい方向に導こうとする明子は、いわば六条姉妹の良心。たとえ何があろうと、彼女だけは動じることなく、いつでも良心と道徳と常識に従い、『かくあるべき』行動をとり続けることだろう。できた女性かもしれないが、『良い子』が過ぎて、面白味に欠けるに違いない。
……と、森沢は勝手に思いこんでいたような気がする。
だが、今の明子は、まるで、迷子になった小さな子供のような顔をしていた。本当の彼女はとても怖がりなのかもしれないと森沢は思った。彼女が常識的で真面目に見えるのも、そのためなのかもしれない。手の掛からない『良い子』でいることは、誘惑や冒険、そして他人の干渉から自分を遠ざけるための一番手っ取り早くて確実な手段でもあるからだ。
紫乃は、妹のそんな性格を熟知しているのだろう。控え室を出ていく前に、妹に向けて「大丈夫だからね」と、しっかりとうなずいてみせた。だが、姉のそんな気遣いは、かえって逆効果だったようだ。頼りになる姉の姿が見えなくなった途端に、明子は、今にも泣き出しそうな顔になった。
(おいおいおいおいっ! こんなときに、そんな顔するなよっ!)
森沢は、人知れず動揺した。フェミニストを自認する彼としては、泣きそうな女を放っておくことは、非常に不本意なことなのである。しかも、女性たちに先を譲ったせいで、部屋を出て行くのが一番最後になってしまった。森沢が出て行ったら、明子は、この部屋に、たった独りで、とり取り残されることになる。
(花嫁なのにな)
たとえ政略結婚ではあっても、明子は花嫁である。花嫁ならば、もっと無節操に幸せそうな顔をしていたっていいはずだし、ほとんどの花嫁は実際にそういう顔をしているものだ。
それに、親同士が急に決めたとはいえ、この日を迎えるまでには、3ヶ月もの時間的な余裕はあったのだ。その3カ月の間に、達也の馬鹿は、この娘の不安を和らげるようなことを何一つしてやらなかったのだろうか? まさか、結婚式の日取りだけ決めて、後は放ったらかしにしておいた……ってことはあるまいな?
(あのアホンダラ!)
森沢は、心の中で同い年の従兄を罵った。結婚式が終わったら必ず達也にに意見してやろうと、彼は決めた。もっとも、達也は、いつものように森沢の意見になど始めから聞く耳を持ってくれないだろう。
(せめて笑ってくれればいいのにな)
姉妹が出て行くまでの明子は、実に好い笑顔をしていた。あの笑顔があれば、達也どころか、今日の結婚式の出席者の全員を虜にすることだって可能だろう。
紫乃に続いて部屋を出て行きかけた森沢は、明子を振り返り、『笑え』と命じるように、両手の人差し指を左右の口の端に当てて引き上げてみせた。明子は、森沢にうなずきながら、はにかむような笑顔を見せてくれた。
(そうだ、笑って。そうしたら、達也も君に夢中になるはずだよ。幸運を祈る)
そんな思いを込めて、森沢は明子に向けて親指を立ててみせた。どうやらウケたらしい。明子が声を出して笑った。少しだけ安心しながら、森沢は控え室の扉を閉めた。彼女が心配ではあるが、彼ができることは、ここまでだ。
自分は彼女の花婿ではない。
これからの彼女の笑顔を守るのは、達也の役目である。
「なあ、ところでさ」
花嫁の控え室を後にした森沢は、足早に彼の従妹の繭美に追いつくと、たずねた。
「あのドレスは、明子ちゃんの趣味なのか?」
「ううん。選んだのは達也くんらしいわ」
繭美が首を振った。
「へえ」
「なに? 不満?」
「おまえは?」
「あれはあれで、似合っては、いるんだけど、ね」
繭美が、奥歯に物が挟まったような言い方をしながら、口を尖らせた。
「そう、確かに似合ってはいるよ」
森沢も同意する。「というより、あの子なら、何でもキレイに着こなすと思う。でもさあ」
「うん。でも、どうして、よりによって、あんなボリューム感たっぷりのプリンセスラインのフワフワのドレスなのかしらね。あれでは、明子ちゃんが寸詰まりに見えてしまう。しかも、愛らしい小花まで散らしてある可愛らしいドレスなんて」
似合いはするけれども、あれは違うわよねえ……と、繭美が首を振る。
「違うよなあ。明子ちゃんなら、もっとスラリとした感じの……」
「そうそう! すらっとしたマーメイドラインのドレスとかが似合いそうよね?」
嬉しげに繭美が話に乗ってきた。服や化粧品など、主に女性のお洒落を演出する為の商品を扱っている喜多嶋グループの経営者一族だけあって、繭美もこの手の話は大好物である。
「そうでなければ、スカートがストンとした感じの……なんだっけ? ほら、胸の下からスカートになっているドレス」
「アンピールライン? なるほど、どうせシフォンジョーゼットを重ねるなら、そっちのほうが上品だな。あるいは、もっと体にフィットした、シンプルだけどモダンでゴージャスな感じのドレスとか」
「ブーケも、カラーを数本束ねただけのものでシンプルに」
「あるいは、白いユリ」
「え~! ユリよりカラーよ!」
繭美が主張する。
「確かに、カラーのほうがいいかな。ユリよりも潔癖そうで。ベールは?」
「あんなふわふわと長くないやつ。マリアベール」
「ヘッドドレスもいいかもな。白いサテンの」
「あ、いいわねえ。小さなパールビーズの縫い取りをあしらって……」
「ティアラでもいいかもな」
他の参列者の後に付いて行きながら、森沢と繭美が会話の中で明子の着ているものを総取替えしたところで、建物の端に着いた。廊下に掲げてある銀色のプレートの案内表示によると、ここはホテルの本館であり、チャペルのある新館へは、この先にある短い渡り廊下を渡って行くことになるらしい。
「すごい降りねえ」
ガラス張りの渡り廊下から雨を見ながら繭美が言った。
「ああ、そうだな」
森沢も、相槌を打ちながら、雨に濡れる木々に目を向けた。明子がいる控え室は、この位置からだと、右手側の後方の2階にあるはずだった。雨のひどさよりも明子のほうが気になって、森沢はそちらに視線を泳がせた。
その時である。雨の中で何かが動いたような気がした。
(こんな雨の中で?)
森沢は立ち止まると、植え込みのあるほうに目を凝らした。大きな木の陰に身を隠すようにして、白い服を着た女性が立っているのが見えた。こんなに雨が降っているのに傘を差していないばかりか、濡れることを気にする様子でもない。濡れた髪の毛を顔に張り付かせたまま、彼女は、じっと…… 花嫁や花婿の控え室のある方向を見上げていた。
「どうしたの?」
立ち止まってしまった森沢に気が付いた繭美が戻ってきた。
「いや、あの人……」
「え? どの人?」
「だから、あの雨の中に立っている白い服を着た……」
森沢は、女がいた方向を指差した。
だが、すでに女性の姿はなかった。