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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
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Metamorphoses 2

 その後の多恵子の変化は、劇的だった。


『見た目だけを飾り立てたところで、人は美しくなれるものではない。どれだけ美しい衣装に身を包んでいて中味が卑しく浅ましければ、見ている者の失笑を買うことにもなりかねない。逆もまた然り。みすぼらしい身なりをしていたとしても心が美しく高貴であれば、人はその人に敬意を払う。だから内も外も共に美しくあるように心がけなさい。どれほど裕福でも、どれだけ生まれが素晴らしくても、中味が貧しく卑しければどうしようもないのだから』


 ……と、結婚する前の明子は、実母よりも遥かに母親らしい異母姉の紫乃から口やかましく言われて育った。なぜなら、姉のこの言葉は、成金の父親と愛人との間に生まれた卑しい娘たちだと蔑まれてきた六条家の娘たちが心強く生きていくための方便でもあったからだ。


 この数時間での多恵子の著しい変化だけをみれば、姉の至言は、彼女にだけは当てはまらなかったということになる。しかしながら、人前で猫を被っているときとは違う本当の多恵子を以前から知っている明子には、彼女こそが、姉の言葉の意味するところを最も適確に体現している人物であるように思えた。


 多恵子は、長い間、人前では『喜多嶋夫人』というを役を演じ続けてきた。そして、多くの人に、『喜多嶋夫人』こそが彼女本来の姿であると信じさせてきた。喜多嶋家の女主人としては申し分のない働きをしているものの言葉の端々に上流階級に属する人間ならではの高慢ちきな性格が見え隠れする『喜多嶋夫人』に対し、明子や紘一などの一部の人間だけが知っている本当の多恵子は、開けっ広げで人懐っこい性格をしており、堅苦しいことが大の苦手だった。


 ここからは明子の想像にすぎないが、多恵子が演じていた『喜多嶋夫人』のモデルは、先代の女主人である達也の祖母だと思われた。その人は、自分とは反対の性格をした多恵子を毛嫌いしていたに違いない。だから多恵子は、彼女に認めてもらうために、本当の多恵子を『喜多嶋夫人』という別の人格でもって念入りに他人の目から隠すことにしたのだろう。 

 『喜多嶋夫人』になりきろうとする多恵子の努力は、明子に言わせれば、純金の上から、わざわざ安っぽい金メッキを重ね塗りするようなもの。金も金メッキも、どちらも金色ではあるものの、放つ輝きには大きな違いがあることは、『喜多嶋夫人』のメッキを剥がして自分本来の姿に戻った多恵子を見れば一目瞭然だった。


 明子たちがサロンを訪れてから数時間後。

 支度が出来上がった多恵子は、明子たちが見守るなか、自分の仕上がりを確認するかのように、四方を鏡で囲まれた横に長い部屋の中を往復してみせた。彼女の要望に従ってバッサリと切られた髪は、前髪だけは以前と変らぬ長さがあるものの、後ろの髪も前髪程度の長さでしかなくなっていた。あらわになった耳元では、小気味良い靴音に合わせて大きなイヤリングが楽しげに揺れている。多恵子がターンすると、前進していた時には涼やかに後ろになびいていたスカートの裾が、風をはらんで大きくふくらみ、彼女が立ち止まってから1拍遅れで足元にふわりと落ち着いた。

「どう?」 

 多恵子が、彼女の『変身』に手を貸したスタッフに向けてポーズをとってみせる。浮かべた微笑は、これまでの多恵子が対外的に浮かべていたような当たり障りのない上品な微笑みとは打って変わって、小憎らしく思えるほど自信に満ちていた。彼女の自信を裏付けるように、彼女の変身に手を貸したサロンのスタッフから大きな拍手と歓声が上がった。明子も、拍手をしながら、憧れと賞賛を込めた眼差しを惜しみなく多恵子に向けた。


「とても、還暦間近のオバチャンがする格好とは思えないわね。

 皆の歓声に笑顔で応える多恵子が、小さく舌を出す。そして、「いきなりこんな格好をしてパーティーに行ったら、皆が腰を抜かすかも」と、シワになるのも気にせずに子供のように楽しげに顔をクシャクシャにして笑った。

 多恵子が言うとおり、今の彼女の格好は、彼女と同じ年代の女性がするには、いささか冒険が過ぎていた。例えば、普段から品の良い紫乃の母親などが同じ格好をしたら、明子も腰を抜かすに違いない。だが、多恵子のこの姿を見た女性たちは、こぞって彼女の真似をしたがることだろう。それほど、今の多恵子は美しかった。こんなふうに装った多恵子を明子は今まで見たことがないはずなのに、今の多恵子は、彼女が知っているこれまでのどの多恵子よりも多恵子らしく輝いていた。


「お義母さま。 カッコイイ」

 明子の感想は、これに尽きた。

「ありがと。明子ちゃんも、とっても素敵よ」

 明子の傍に寄って来た多恵子が、可愛くて仕方がないというように彼女の頬に手を添えた。

「そ、そうでしょうか?」

 明子は大いに照れながら、姑と共に鏡を覗き込んだ。最初に赤い布地を見せられたときは、どうしようもなく気が重かったが、こうして着てみると、我ながら似合っていると思う。

「とはいえ、私、こんなに派手なドレスを着せてもらっているのに、本当にお義母さまの傍で霞んでしまいそうですね」

 明子は、自分と多恵子を見比べた。完全に自分よりも姑のほうが勝っていると思った。

「なに言っているのよ」

 多恵子が明子の敗北宣言を笑い飛ばした。

「今みたいな可愛い笑顔を浮かべている限り、今日の主役はあなたでしょうよ。でも、私も負けないからね。ああ、そうだ。まだ時間があるから、歩き方を教えてあげる」

「歩き方、ですか?」

「ええ。自分や着ているものを良く見せるためのね。ちょっとしたコツがあるのよ。いいこと? まずは、おへそに意識を集中して……」

 明子は喜んで多恵子のレッスンを受けた。教えられた通りに立ったり歩いたりしてみると、下腹や腰まわりなど、普段は気にしたことがないようなところに力が入るのが、明子にもわかった。どうやら、日頃の自分は、歩行時に働かせなければいけない筋肉を、かなり怠けさせていたようだ。

「なかなか難しいですね」

「そうでしょう? 完璧にマスターできなくても、意識するだけでも違うわよ。でも、明子ちゃんは筋がいいわ。もともと姿勢が良いからでしょうね」

「姿勢は、以前は悪かったんですよ。背が高いのを気にしていたので」

 明子は打ち明けた。明子が意識して背筋を伸ばすようになったのは、ごくごく最近のことでしかない。3ヶ月ほど前にあった自分の結婚式の時に、『背が高いことを気にして背筋を曲げていたところでキレイに見えることなどないから直すように』と森沢に注意されてから、明子は日頃から意識的に正しい姿勢を保つように心がけている。


 森沢も、今日のパーティーに出席する予定である。

 昨日の別れ際、彼は、明子のドレス姿を楽しみにしていると言ってくれた。おとなしい明子が赤いドレスを着る姿など想像がつかない。でも、きっと似合うと思う。そう言ってくれたこともあった。

(森沢さん。 このドレスを見て、どう思うかしら?)

 彼は驚くだろうか? 似合うと思ってくれるだろうか?

 そんなことを思いながら、明子は鏡に目を向けた。華やかな赤いドレスを着た自分が、鏡の中から照れくさそうに笑い返した。



 ところが、彼女の浮ついた気分は、開始前のパーティー会場で達也と合流した途端に急降下した。

 多恵子と話していた明子の顔から笑みが引く。こちらに気が付いた達也も、きまり悪そうな顔になった。もっとも、達也のほうは、現在の自分が母親や妻と気まずい関係にあることを一瞬で失念してしまうほど、女たちの変貌ぶりに驚かされたようだ。 


 彼は目を丸くしながら女たちに近づいてくると、まずは明子を守るように彼の前に立ちふさがった多恵子に非難がましい視線を向けた。

「母さん。 どうしたの? その格好は?」

「『年甲斐もなく』って言いたいのでしょう? でもね。 あなたに私の話を信じてもらうためには、こうするのが一番手っ取り早いと思ったの」

 多恵子が、息子に悠然と言い返した。明子が知る限り、多恵子が達也に対してこれほど強気な態度に出たのは初めてだった。達也にとっても初めてだったのかもしれない。彼が鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたのを明子は見逃さなかった。だが、彼が母の変化に動揺したのは、ほんのわずか間のことでしかなかった。彼は眉をきゅっと寄せて厳しい顔に戻ると、「なにそれ?」と、冷たい口調で母親にたずねた。

「話って、昨日の話? それと、母さんのイメージチェンジと、どういう関係があるって……」

「今に、わかるわよ」

 多恵子が息子の言葉を遮った。 

「このパーティーが終わる頃には、あなたは、私が昨日言ったことを、『検討にも値しない』ものだなんて思えなくなるわ。調査でもなんでもして、よくよく検討して、ようやく自分の間違いに気がついたら、その時には、土下座してでも、やり直したくなるでしょう。もっとも、許してくれるかどうかは別だけどね」

 多恵子は、明子に流し目をくれると、息子の脇をすり抜けて、少し離れた場所にいる夫のところに行ってしまった。両手を広げて多恵子を迎え入れた紘一は、外見がすっかり変った妻を目の当たりにしても全く驚いていないようだった。それどころか、彼は、明らかに面白がっていた。「あ~あ、ついに、キレちまったか」という楽しそうな笑い声がこちらまで聞こえてきた。そして、紘一の弟で、このパーティの主催者である喜多嶋化粧品社長の喜多嶋伊織は、多恵子の変身に驚きながらも大喜びしていた。よほど嬉しいのか、今にも多恵子に抱きつかんばかりの喜びようである。しかしながら、伊織から見れば、多恵子は兄の妻にしかすぎない。親戚とはいえ、ほとんど他人と言ってもいい間柄であるにもかかわらず、なぜ、あれほどまでに彼ははしゃいでいるのかと 明子は不思議に思った。  


 達也に視線をもどせば、彼は明子以上に困惑しているようだった。

「いったい、どうなっているんだ?」

 達也が呆然と呟いた。

「あれが、お母さまの本当の姿みたいですね」

 明子は、名ばかりの夫を見上げた。

「息子さんなのに、ご存知ではなかったの?」

「ご存知もなにも……」

 達也が言いよどんだ。

「母は、確かに内弁慶なところはあるけれども、基本的には、おとなしい人だったはずだ。でも、そんなことより」

 達也は話の途中でふいに口を閉じると、明子の耳元に口を寄せ、声を潜めた。 


「昨日は、言い過ぎた」

「……え?」 

「君に言ったことは、八つ当たりもいいところだ。今回のことは全面的に僕が悪い。年末年始のゴタゴタが落ち着いたら、これからのことをじっくりと話し合おう。さっき、母は、ああ言っていたけれども、その……終わりにする方向で」

 達也は、香坂唯と新しい未来を築くことに決めたようだ。

「そうですね。それがいいでしょう」

 明子はうなずいた。達也からの提案は、明子が望んでいたことと同じである。明子に異論はない。残念なとがあるとすれば、この話の流れでは、明子が昨夜一晩かけて練り上げた彼への恨み言も、結局言わずじまいになってしまいそうなことぐらいだろうか。口喧嘩というものは、相手に投げつける言葉の吟味以上に、それを言うタイミングが大事だったようだ。とはいえ、言うべき時期を逸したからといって、このまま黙って引き下がるのも、明子としては癪だった。

「どうせ、決定事項なのでしょう? わたしはいつだって、あなたが決めたことを聞かされるだけですもの」

 明子は、達也から顔を背けると、せめてもの嫌味を言ってみた。

「厳しいことを言うね」

 『でも、言われても仕方がないか』と、達也が自嘲気味に微笑んだ。


「ところで。 なんというか、すごい色だね」

 達也が明子のドレスを、しげしげと見つめた。彼の口調から、誉めていないことは明らかである。

「赤は、お嫌いですか?」

 澄ました顔で明子はたずねた。

「いや、服として着るには派手な色だな……と思ってね。気に障ったかな?」

「いいえ、全然。むしろ、いい気味だと思いましたわ」

 明子は、にっこりと微笑むと、自分から達也の腕に手を絡めた。

「明子?」

「そろそろお客様がいらっしゃる時間ですから」

 明子は、会場の入り口に達也の目を向けさせた。ついさっきまで大騒ぎしていた多恵子たちが、よそ行きの顔で客を迎えている。


「私は、まだ、あなたの妻ですから」

 明子は言った。

「人前で仲違いして、あなたの顔に泥を塗るつもりはありません。表向きだけは、喜多嶋家の嫁としてすべきことをさせていただきます。あなたも、真っ赤な服を着た派手な女をエスコートするのは不本意かもしれませんが、喜多嶋の次期当主としての義務ぐらいはキチンと果たしてくださいね。そうでないと、ご自分の立場が危うくなりますよ」

「あ、ああ。そうだね」

 達也はうなずくと、明子と一緒に入り口に向かって歩き始めた。


 数歩進んだところで、彼が足を止める。

「達也さん?」

「その…… 君には、本当に申し訳ないと思っている」

 『すまない』 と、達也が初めて、気持ちのこもった謝罪の言葉を口にした。


「そのうえ、僕、……と、喜多嶋の家に恥をかかさないように気まで遣ってくれて、ありがとう」

「いいんですよ」

 明子は微笑んだ。


 少しだけではあるが明子は言いたいことを言え、達也は彼女に詫びてくれた。皮肉なことではあるが、別れ話の始まりが、結婚式以来隔たっていくばかりだったふたりの距離を、ほんの少しだけ縮めてくれたようである。





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