Entangled Yarn +1(side YUI)
※誠に申し訳ないことですが、今回のオマケ話は、ここまで読んでくださった人にとって非常に不愉快な内容となっております。また、直接的な表現は出てきてはいないのでR指定はしておりませんが、話の都合上、かなり濃い性交渉を匂わす表現も含まれています。ここを読まずに次の章から読んでも内容的には繋がるように書く予定でおりますので、ご不快な思いをしたくない方は、『読まない』という選択をお勧めします。
また、とってもムカツクのはいやだけど、ちょっとだけ(?)なら構わないという方のために、今回は唯視点のページを2つに分けました。そういう方は、このページをすっ飛ばして次のページ(Entangled Yarn +2(side YUI)へお進みくださいませ。
喜多嶋化粧品の看板商品でもある『胡蝶』。
来年で戦後の再発売から30年というだけあって、このシリーズの使用者は年寄りが多い。
オーディションの説明会での中年の社員の説明によると、戦後再発売の30周年を記念して、『胡蝶』は、内容だけでなく、それを入れる容器も、大々的にリニューアルすることになったらしい。
これまでは大女優と呼ばれるような人がやってきた『胡蝶』のイメージモデルを、ファッションモデルから選ぶことになったのも、そのため。中年社員から説明役を交代した大手広告会社の担当者によると、今回の広告には、『さながら蝶のように、まったく知らない自分に新しく美しく生まれ変わる』というテーマがあるそうで、そのテーマを強調するために、顔が売れている女優よりも、美しくはあっても一般人にはあまり馴染みのないファッションモデルのほうがイメージモデルには打ってつけ……ということらしい。
顔が知れられていないから選ばれるというのも、ファッションモデルを馬鹿にした話であるように思えけど、世間がモデルを見る目なんて、きっと、そんなものなのだろう。広告主である喜多嶋紡績がモデルを見る目も同じ。なんといっても、私がモデルだという理由だけで息子との交際を禁止した一族が経営する会社だもの。彼らにとって、モデルは低俗な職業で、服や化粧品を売るための道具にしかすぎないのだ。
ところで、そのオーディションの事前の説明会には、ポール・ガロワというデザイナーも同席していた。
ガロワは、大昔からいるデザイナーなのだが、知名度はそれほどでもない。海外の有名なファッションデザイナーのように、ファッション雑誌などで彼のショーの様子が大々的に紹介されることもなく、社交の場に現れる女優や上流階級夫人たちを紹介する記事の片隅で彼の名前を時々見かけるぐらいである。その程度のデザイナーだから、日本人では知っている人のほうが少ない。
彼の作る服は、古臭いのだ。オーソドックスに綺麗。だけど退屈。そんな感じ。
初めて見るガロワは、全体的にプニプニした、人の良さそうなオジサンだった。
驚くほど日本語が上手い。喜多嶋の社員たちが、見ていて気の毒になるほど彼に気を使っているのが滑稽だ。そういえば、事務所の社長も、私がガロワのショーに出られるかもしれないというので馬鹿みたいに舞い上がっていた。
イメージモデルに選ばれるのは、たったひとりだ。それでも、リニューアルした『胡蝶』の発売に合わせたイベントの一環として行われるガロワのファッションショーには、今回のオーディションを受けた者の中から、10名程度の人間が選ばれる予定である。10人の中になら、なんとか残れるかもしれない。
(でも、私、背が低いからな……)
集まった他の女性たちと自分を見比べながら、私の心は、期待と不安の間を行ったり来たりしていた。
ショーに出られたら素敵だと思う。でも、ここに来られただけでも奇跡に等しい私には、もっと切実な問題がある。
このオーディションをバネにして、あと何年間モデルとしてやっていけるか……だ。
達也さんが私に会いにきたのは、それから数日後の夜だった。
その日は夕方から雨が降っていた。私が仕事から帰ってくると、アパートの前に彼が立っていた。
私は、すぐにでも彼を追い返すつもりだった。だけども、無言のうちに彼が差出した掌の中にあったカフスボタンを見たら、なにも言えなくなった。彼が持っていた葉っぱの1枚が欠けた四葉のクローバーを模したカフスボタンは、3年前のクリスマスに、ふたりで買ったもので、私が持っているペンダントと対になっている。
カフスボタンを手の中に握り締めると、達也さんは、「知らなかったんだ」と言った。
「3年前、君は自分の意思でフランスに行ったんだと思っていた。まさか僕の母が君を日本から追い出したなんて思ってもみなかった」
「追い出したわけじゃないわ」
私は首を振った。
「ただ、私というモデルは、喜多嶋の家には相応しくないと言われただけ。別れたらお金をくれてフランスに行かせてやるっていったから貰うことにしたのよ」
私は早口で答えると、彼を振り切って家の中に入ろうとした。すると、背中から、「馬鹿なことを」と呟く達也さんの声が聞こえた。
「どうせ馬鹿よ!」
私は、達也さんを振り返った。
「馬鹿だから、あなたと結婚しても、あなたの足を引っ張るだけだと思ったの。あなたを不幸にするのは嫌だったの。だったら、パリに行って、モデルとして頑張ろうって思ったの。でも、全然うまくいかなくて……」
もらった紹介状は、なんの役にも立たなかった。パリでは、なにひとつできなかった。貰ったお金も減る一方で、どうしようもなくなって日本に帰ってきた。
泣き出した私を達也さんが、ぎこちなく引き寄せる。 彼のスーツから、雨の匂いがした。
「馬鹿だな」
達也さんが、また言った。
「どうせ馬鹿よ。私は、達也さんみたいに頭が良くないもの。育ちだって悪い。それでも一生懸命考えて決めたのよ。私は、品の良い『喜多嶋家』の中では生きられない。あなたに恥をかかすだけって思ったから……」
「だから、そこが馬鹿なんだろう? なんで、そんなこと気にするんだ?」
達也さんの声は怒っていた。それでも、私の髪を撫でる彼の手は、とても優しくて温かかった。
「僕は、誰に反対されても、君を皆に認めさせるつもりだった」
耳元で彼の声がする。
「どれだけ時間をかけても、皆を説得するつもりだった。僕が本気なら、皆わかってくれると思っていた」
「だって、だって……」
私は、必死で言い訳しようとした。でも、言葉が出てこなかった。私は、彼にしがみつくと、声を上げて泣いた。私の嗚咽を掻き消すように雨音が強くなる。
達也さんが、私を強く引き寄せた。泣いている私をあやすように動いていた指が腕が、しだいに熱の籠もった愛撫に代わっていく。目が合って、口付けを交わした。
「ねえ。君は……」
長い長いキスが終わった後、彼がたずねるような視線を向けた。
私は、無言のまま、タートルネックのセーターの内側からローズクオーツのハート型のトップがついたペンダントを引っ張り出した。それを、彼の掌の中のカフスボタンと合わせる。3枚しかないカフスボタンの4つ葉クローバーの葉っぱは、私のペンダントトップのハートと合わせて幸せの形を作った。
達也さんに抱きしめられて初めて、私は、どれだけ達也さんを求めていたか、私がどれほど達也さんに飢えていたかを知った。それは、達也さんも同じだったようだ。
その夜の私たちは、互いを貪るように求め愛し合った。相手にすべてを与え、相手のすべてを受け入れ、そして、相手のすべてを奪い尽くそうとした。翌日は日曜だったから、それこそ夜も昼もなかった。ためらいも羞恥心も忘れ果てた。
罪悪感さえ覚えなかった。
達也さんには奥さんがいる。だから、私たちの関係はあってはならないものだ。でも、私は、いけないことをしているとは思えなかった。だって、私たちは、こんなに愛し合っているのだもの。この恋が嘘であるはずがない。
「愛しているの。ねえ? 誰よりも、あなたを愛しているの」
彼の腕の中で、私はうわごとのようにささやき続ける。愛している。私のほうが彼を愛している。あの女よりも、奥さんよりも、ずっと……
そうよ。ずっと昔から、私は、あなたを愛していた。
そうよ。私と達也さんが悪いんじゃない。
間違っているのは達也さんの結婚のほうだ。家のために達也さんを犠牲にした喜多嶋家が悪いのだ。だって、彼が幸せならば、今頃私のところに来るはずがないもの。
あの結婚のほうこそ嘘なのだ。




