表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
4/88

A bride in the rain  3

(あ、あの人)


 控え室に入ってきた女性だけでなく男性のほうも明子の見知った顔だった。


 彼は、そもそもは姉の見合い相手の一人だった。といっても、彼は弘晃の当て馬であることを承知の上で紫乃と見合いをしたらしく、近づきになったついでに紫乃と弘晃が仲直りできるようするため手助けまでしてくれたそうだ。その時の縁で、彼は、親戚と仕事関係者を除けばほとんど唯一ともいえる弘晃の友人となった。紫乃の結婚式の準備の時にも、病弱すぎるという義兄の秘密がバレないようにと、彼がずいぶんと骨を折ってくれたようだ。


 名前は、森沢俊鷹という。


「私を探していた?」

「ええ」

 森沢と一緒に入ってきた女性が、腰に両手を当てながら紘一にうなずいてみせた。

「六条のおじさまと奥さまだけに、お客さまのお相手をさせては、いけないじゃありませんか。伯父さまたちがいらっしゃらないから、しかたなしに、今は、私の父と母が伯父さまの代わりにご挨拶していますけれど、母は、こんなふうに自分たちが出しゃばったら、伯父さまがお気を悪くされるんじゃないかって、とても心配していますの」


 ちなみに、この女性は、先ほど和臣が話してくれた喜多嶋グループのお家騒動のもう一方の主役……喜多嶋化粧品の社長令嬢の喜多嶋繭美まゆみである。  


「なんですって?」

 繭美の母親が懸念していたとおり、義弟の妻が自分を差し置いて女主人の役割を果たしていることが我慢ならなかったのだろう。繭美の言葉に先に反応したのは喜多嶋夫人だった。


「あなた、早く行かないと」

「ああ、そうだな。だが……」

 妻と一緒に行きかけた紘一が、紫乃を振り返った。焦ってはいるようだが、紫乃のほうにも、まだ未練を残しているようである。そんな紘一に、森沢が「早く行ったほうがいいですよ伯父さん。そうでなければ、誰が花婿の父親だかわからなくなってしまいますからね」と、ニコニコと微笑みながら追い打ちをかけた。そういえば、森沢も喜多嶋の親族の一人である。明子の記憶では、確か彼の母親が紘一の妹だったはずだ。


「ああ、そうだ。中村さん」

 伯父の肩を押しながら、森沢が堅苦しい口調で紫乃に呼びかけた。

「ご主人から、大変丁寧な祝電をいただきました。ありがとうございます。どうぞ、ご主人に宜しくお伝えください」

「はあ」

 紫乃が目をパチクリさせた。どうやら、祝電は、彼女の知らないことであるらしかった。


「電報?」

 紘一が怪訝な顔を森沢に向ける。

「ええ。中村物産から中村弘晃さんのお名前でいただきました。奥さまが出席してくださっているから、そんなものは無くても充分だと僕なんぞは思ってしまうのですけれど、やはり、喜多嶋グループ相手では、由緒ある中村財閥でも礼を失するわけにはいかないと気を使ってくださったのでしょうね。ありがたいことです」

「う……まあ、そうかもしれないな」

 真面目くさった顔で森沢におだてられて、紘一は満更でもないという笑みを浮かべた。そして、今度こそ、これ以上紫乃に無理強いをしても仕方がないと思い切ったのだろう。「そうか、祝電か。本当に、中村さんも、そこまでしてくださらんでもいいのになあ」とかなんとか口の中で嬉しげに呟きながら、ホストの座を一刻も早く弟夫婦から奪還すべく、妻を連れて控え室を出て行った。




「やれやれ、やっと行った」

 伯父夫婦が出て行くのを確認すると、扉を閉めた森沢が、せいせいした顔で笑った。

「ごめんね、紫乃」

 喜多嶋繭美が、紫乃に向けて手を合わせた。実を言えば、繭美は、喜多嶋化粧品の社長令嬢であると同時に、紫乃の中学校以来の親友でもあった。


「紘一伯父さまは、私と紫乃が仲良しなのが気に入らないのよ。私を通して、父が伯父さまを出し抜いて中村グループと手を結ぶんじゃないかって気が気じゃないんだわ」

「繭美が謝ることないわよ」

 紫乃が笑いながら首を振った。


「こちらこそ、ごめんなさいね。本当は、弘晃さんが出席できれば一番いいのだけれど」

「気にすることないよ、紫乃さん。伯父さんの虚栄心は孔雀並みだからね。弘晃さんを披露宴に引っ張り出したら出したで、今度はスピーチしろだの芸をしろだのと言い出すにに決まっているんだよ。ところで、弘晃さんは? 今日は、大丈夫?」

 伯父がいなくなったためか、砕けた調子に戻って森沢が紫乃にたずねた。見栄っ張りの伯父夫婦とは違って、森沢は、弘晃や紫乃と仲がいいことを人に言いふらす趣味はないらしい。弘晃と友人であることは皆に内緒にしてほしいと、明子たちは彼から頼まれている。紘一に知られると何かと面倒くさいのだそうだ。


「ええ。今日はわりと。熱も出てなかったから、来ようと思えば来られたのだけど……」

「だから、来させることないって。結婚して落ち着いてから、達也と明子ちゃんとで中村家に遊びに行かせてもらえばいい。ね? 明子ちゃん?」

「え、ええ」

 いきなり森沢に笑いかけられた明子は、ぎこちない笑みを浮かべながら紫乃にうなずいてみせた。明子は、今まで弟と父の秘書以外に若い男性と話す機会がほとんどなかった。それでなのか、彼が人懐っこく明子に笑いかけてきたり、明子を「ちゃん」付けにしたりするたびに、どうにも落ち着かない気分になる。


「でも、弘晃お義兄さまには驚かされましたわ。祝電を送ってくださるなんて、本当に手回しのいいこと」

 橘乃が嬉しそうに言うと、森沢がばつの悪そうな顔になった。

「ごめん。それ、嘘なんだ」

「うそ?!」

 紫乃が目をみはった。

「今のところはね」

 森沢が腕時計に目をやった。「でも、これから式をやって、それから親族で集合写真を撮るだろう? 披露宴は、その後。そうだな、祝電の披露までには、あと2時間の猶予はある。弘晃さんが今から電報を打っても、充分に間に合うんじゃないかな?」 

「私、お義兄さまに電話してくるわ!!」

 森沢が下の妹たちを唆すように微笑みかけると、月子が元気よく立ち上がった。勇んで部屋を出て行こうとする彼女の背中に向けて 橘乃が「目立たないところで電話するのよ!」と朗らかに声をかけた。


「……。森沢さん」

「大丈夫だよ」

 明らかに呆れている紫乃を励ますように、森沢が笑った。

「愛妻のピンチだもの。弘晃さんは、紫乃さんの為にひと肌でもふた肌でも喜んで脱いでくれるに違いないからね。お詫びの印といってはなんだけど、これ!」

 森沢が首からぶら下げていたカメラを持ち上げた。機種の良し悪しは明子にはわからないが、大きなレンズが本体から突き出したカメラは、かなり本格的なもののように見える。

「これで、明子ちゃんやみんなの写真をいっぱい撮って、弘晃さんに進呈するから。だから、どうか、伯父さんのことは勘弁してやってください。 ……と、弘晃さんにも、後でお伝えください。」

「森沢さんってば……」

 大げさな動作で謝る森沢を見て、紫乃がとうとう笑いだした。


「本当のことを言えば、あなたの伯父様のしつこさには、ほとほと参っていたの。助けてくれて、どうもありがとう。それに写真もね。弘晃さん、とても喜ぶと思うわ」

「じゃあ、気合を入れて沢山撮らなくちゃね」

 森沢は、紫乃の笑顔に向けて早速シャッターを切った。


 それからほどなくして、月子が戻ってきた。弘晃は、これからすぐに喜多嶋社長が大満足するような祝電を送ってくれるということであった。


 月子が戻ってきたので、森沢が、真ん中に明子をおいて、集合写真を撮ってくれた。ついで、明子と、姉妹や和臣、それと繭美とのツーショットの写真を撮った。妹たちが裏方として駆り出されている父の秘書の葛笠をどこかから捕まえてきて、彼も写真に納まった。




「撮ってばっかりいないで、森沢さんも写りませんか?」

 一通りの写真を撮り終えた後、明子の傍にいた橘乃が森沢を手招きした。


「え? 私?」

「私が撮りしましょう」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 葛笠にカメラを預け、森沢が、照れたような笑みを浮かべながら明子に近づいてきた。


「じゃあ、いきますよ」

 片目が義眼の葛笠が、見えているほうの目をファインダーに当てながら、ふたりに声をかけた。


「はい、チー……」

「ちょっと、待って」

 シャッターを押そうとした葛笠を森沢が止めた。


「明子ちゃん。立って写してもらおうか?」

 森沢が明子に声をかけた。

「え?」

「さっきから、座った写真ばかりだっただろう? せっかくのドレスだからね。座った姿だけじゃなくて、立っている姿も写しておいたほうがいい」


 なるほど、そうかもしれない。明子が納得するのとほぼ同時に、森沢が明子の手を引っ張って彼女を立ちあがらせた。

「このまま、体の向きは変えないでね」

 彼は、明子に言いつけると、彼女の背後にしゃがみ込んだ。何をしているのだろうと、明子は、極力体の向きを変えないように気をつけながら、首を伸ばして振り向いた。森沢は、床についたドレスの裾を丁寧に広げてくれていた。


「これで、よし」

 滑らかな弧を描くように裾を広げ終えると、森沢は、満足したようにうなずいた。明子の前に戻ってきた彼は、ベールの掛かり具合にも若干の手直しを入れた。それから、惚れ惚れと言ってもいいような表情を浮かべて、明子に微笑みかける。


「はい、あとは、背筋を伸ばして」

「は、はあ……」

 明子が、わずかにためらうような素振りを見せると、森沢が咎めるように眉をひそめた。

「ひょっとして、背が高いことを気にしている?」

「ええ、まあ」

「それは、もったいないな。洋服は、上背があるほうが映えるんだよ。モデルさんの中には、君と同じ位の背丈でも、まだあと10センチ欲しいなんて人だっているんだから。それに、高い背を低く見せるために背筋を丸めてうつむいていたところで、可愛く見えるものでもないだろう? せっかくの美人が台無しになるだけ。違う?」

「ち、違わない、です」

「そうだろう? だからね」

 森沢が明子の背を軽く叩いた。その感触に驚いた明子は、反射的に背筋を伸ばした。


「完璧! とても、キレイだよ、明子ちゃん」

「へ? あ、あの…… え?」

 明子は、しどろもどろになった。この手の誉め言葉なら、子煩悩な父親から浴びるように聞かされて育った明子だが、父から言われるのと他人から言われるのでは、やはり違うらしい。森沢にせよ、どうせ社交辞令で言っているのだろうから、適当に受け流して、お礼の言葉でも返せばいいものの、明子は、でくの坊みたいに突っ立っていることしかできなかった。


「こら、俊くん!」

 呆然としている明子の代わりに、繭美が従兄を叱りつけた。

「いい加減にしなさい! 明子ちゃんが困っているでしょう! あんたは、時と場所を選ばすに、誰彼かまわず、そういうことばっかり言っているから、みんなから『女たらし』の烙印を押されるのよ!」


「キレイなものをキレイだと言って何がいけないんだよ?」

 森沢が繭美に言い返した。

「だって、とっても綺麗じゃないか。このドレスとか。明子ちゃんとか。そうだよね、明子ちゃん?」

 森沢が明子に同意を求めた。しかしながら、『そうだよね』と言われても、『はい』と、うなづけるような面の皮の厚さは、あいにく明子は持ち合わせていなかった。

「それに、花嫁衣装っていったら、女性にとって、一世一代の晴れ姿だろう? ここで、みんなに『綺麗』と言わさないでどうする? ねえ? 明子ちゃん?」

 黙ったまま固まっている明子に、懲りることなく森沢が同意を求める。


(変な人)

 明子は、思わず笑いだしてしまった。


「おお、素晴らしい」

 森沢が明子を見て、嬉しそうに微笑んだ。

「え?」

「今の笑顔。どれほど綺麗なドレスでも、花嫁さんの幸せそうな笑顔に勝るものはないからね。その笑顔で、達也を悩殺してやればいい」

 森沢がそそのかすと、すかさず、「俊っ!」と、繭美が諌めた。


「花嫁さんをそそのかしてどうするのよ」

「今、そそのかさないでどうするんだよ? 何事も最初が肝心だろう? 最初に、がっちりと達也のハートを掴んでおけば安心じゃないか」

「達也くんは、あんたと違って、浮気なんかしないの!」

 繭美が喚いた。

「達也くんは、昔から、とっても真面目なんだから。俊くんと違って、女遊びだってしないもの」

「俺だってしてないぞ」

 森沢が反論したが、日頃の行いが悪いのか、繭美に無視された。


「とはいえ、達也も少しは遊べばいいと思うけれどね。あいつは、人間的に視野が狭くていけない」

「だから、結婚式の日に、そういうことを言わないのっ!」

 繭美が叱る。繭美のほうが年下のはずだが、やはり紫乃の友人だけのことはある。しっかりしていて気が強いところが姉と似ていた。


「ああ、もう! 本当に、どうしようもないんだから。同い年なのに、なんでこんなに達也くんと違うのかしら?」

 森沢との言い争いに疲れた繭美が、『処置なし』とでもいうように額に手をやりながら天を仰いだ。 

「達也と比べるなよ。あんな堅物。付き合っても、きっと面白くないぞ」

「だから、明子ちゃんに向かって、それを言うんじゃないっ!!」


 漫才のような二人のやり取りを聞きながら、明子はコロコロと笑い続けた。結婚が決まってから、慌しさと不安から、明子はあまり笑った覚えがなかった。こんなに笑ったのは、数ヶ月ぶりかもしれない。笑っている明子と隣に並ぶ森沢に向けて、葛笠が何度もシャッターを切った。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ