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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
34/88

Entangled Yarn 1

 『そんなことができるわけがない』 とは、 森沢が出席する最近の会議で、 必ずと言っていいほど彼に投げつけられる言葉である。 


 森沢の親戚の一人であったり、これまでずっと和気藹々と働いてきた同僚であったり、始めて足を踏み入れることになった地方の支社のリーダー格の社員であったりと、この言葉を言う人物は、その時によって異なる。 これらの発言者たちについて共通していることは、それをすることで自分の負担が増えるか損をすると感じていること、そして、自分こそがその場に集っている者たちの利益を代弁する正義の人だと信じていることである。


「できないのではなく、やってみたことがないだけでしょう?」 

 森沢は辛抱強く彼らに訴える。「やってもいないうちから、文句ばかり言うな!」と、怒鳴りつけてやりたいところであるが、そこはグッと堪える。


 自分たちの利益だけを守るために『できない』と言い、計画を立案し実行に移そうとしている者をこき下ろすことが最も簡単で無責任な態度であったことを、森沢は、彼が言うところの『会社の無駄削減係』に任命されてからの3ヶ月間で思い知らされた。しかしながら、振り返ってみれば森沢も彼らと同じことをしてきたともいえるから、 彼らに対して偉そうなことは言えない。


 だから、森沢は、「でもね。 『今まで通り』は無理なんですよ」と、現状維持を望む者たちを辛抱強く説得するしかない。相手が森沢の提案を呑む気になってくれたら、それで良し。それでもごねるようならば、対案を出してくれるように求める。自分たちの職場をどのように改善していけば良いか、どうすれば最小限の犠牲で最大限の成果を上げられるかを、自分たちで考えてもらうのだ。

 そうやって出された対案の中には、森沢が思いもよらなかったような画期的な提案も数多くあった。

「なるほど、こういうやり方もあるかもしれませんね。では、この件については、あなたが責任者として頑張ってください」

 森沢は、社長の紘一から事前に許可を得たうえで、彼に盾突く者であろうとなかろうと関係なしに、『これは』と目をつけた人物に期限付きの権限を与えていった。  


 こういった森沢の仕事の進め方は、達也が彼を今の地位につけたやり方と同じだといえなくもない。だが、このやり方を森沢に伝授してくれたのは達也ではなく、彼が師匠と仰ぐ弘晃だった。

『たった1年で、森沢さんがなにもかも独りで変えるのは、無理ですよ。現場には森沢さんよりも業務に精通している人がいます。ならば、彼らの力を借りない手はないでしょう?』と、弘晃は言う。 


 なるほど、弘晃の言う通り……ではある。


 しかしながら、誰に権限を与えるか? 

 誰なら信じられるか? 誰なら任せられるか? 誰なら、皆をまとめられるか?


 その見極めが、森沢には究めて難しく思える。それに、なんでもかんでも他人に託せるわけでもない。森沢にしかできないこと、森沢にしか決められないということもある。そして、なぜか、森沢が自分の責任や権限を他人に委譲するほど、そういった自分の仕事が増えていくような気がしてならない。


 あまりの忙しさと自分だけで決断するのが心もとないのとで、森沢は弘晃に助言を求めた。だが、弘晃は冷たく彼を突き放すばかりで、具体的な指示は何も与えてはくれない。『これ以上部外者の僕を頼るのは、お門違いというものです。喜多嶋の未来を決めるのは、喜多嶋の人々であるべきです。苦労を分かち合いたいのなら、自分の会社の人と分かち合ってください』と、弘晃は、まるで我が仔を崖から突き落とすライオンのお母さんのようなことを言う。温和な顔をしているくせに、つれなく厳しい師匠である。


 とにもかくにも、森沢がこの仕事を引き受けてから3ヶ月近くが過ぎ、わずかではあるが成果らしきものが出始めてきた。




「正直なところ、ここまでやるとは思わなかったよ」

 12月の初旬に開かれた重役会議の後、森沢は、初めて達也からお褒めの言葉をいただいた。


「最初の会議で僕に噛みついたときは、ただ僕の提案が気に入らないだけにしか思えなかったのにね」

「実際、ただ気に入らなかっただけだよ」

 森沢は正直に告白した。あの時の森沢は、自分なりに考えて発言していたと思っていた。だが、今から思えば、かなり感情的で浅はかなことを言っていたと、彼なりに反省している。


「だから、お前の言い分も、今なら理解できる。お前が主張する人員削減とか? 海外移転とか? この先避けて通れないことだとも思ってるよ。でも全部には、やっぱり賛成できない」

「それでいいよ」と、達也は笑った。

「僕だって、全部をやらずにすませられればいいと思っている」

「そうなのか?」

 意外に思いながら森沢が問い返すと、「う~ん、まあね」と、達也が苦笑しながら肩をすくめた。

「以前は、僕の出した提案以外に喜多嶋を救う道はないと信じていた。でも、俊鷹は、僕に真っ向から逆らって、3ヶ月でここまでやった。この状況で、自分だけが正しいって言い張るのは、さすがに恥ずかしいからね」

 達也が照れたように笑った。これからは森沢にできる限りの協力をすることを約束してもくれた。


「……。へえ」

「なんだよ?」

 森沢は、釘でも呑んだような顔をしていたに違いない。達也が怒ったように眉を寄せた。

「だって、意外すぎるから」

「もちろん、僕だって俊鷹が言っていることに全面的に賛成はできない。君が言っていることは、『丸い地球を平らにしろ』っていっているようなものだからね。世界には格差や不平等が蔓延している。それがなくならない限り、実現は不可能だ」

「そうかもしれないけどさ」

 森沢は、達也らしい攻撃的で傲慢な物言いに、口をへの字にした。


(悪い奴ではないんだけどね)

 どちらかといえば、彼は、『嫌な奴』なのではなく、『馬鹿正直』なのだろう……と、このところの森沢は思っている。

 達也は、自分に絶対の自信がある。だから、相手の気持ちなどお構いなしに、自分が正しいと思ったことをためらうことなく相手にぶつけてくる。そして、それが正しいことだと信じている。  

(普通だったら、どこかでポッキリと高い鼻をへし折られるものだけど、こいつの場合は、そういうこともなかったんだろうな)

 喜多嶋の御曹司として大切に守られてきた優秀な従兄は、森沢とは違って挫折知らず。真っ直ぐなエリートコースの真ん中を一直線に突っ走ってきた達也は、もしかしたら、前に進むことしか知らないのかもしれない。


 そう思ったら、森沢は、なんとなく達也が気の毒に思えてきた。


(達也って、実は不器用な性格してるもんなあ。嘘は下手だし、他人の気持ちに鈍感だし、プライドは高いし、自己中心的で基本的に自分が1番偉いと思いこんでるし、空気は読まない。こういう男が旦那だと、明子ちゃんも大変だ。でも、奥さん的には、達也は単純で御しやすい夫かもしれない?)

「なんだよ?」

 独りでニヤニヤしている森沢を、達也が不快そうに睨んだ。

「別に。ところで、最近はどう? 明子ちゃんは元気にしている?」

 仲直りのしるしに、森沢は、プライベートな話題を達也に振った。


「明子? うん、元気だよ」

「なに? どうかした?」

 達也の顔が僅かに曇ったのを森沢は見逃さなかった。

「いいや。最近ね、つくづく思うんだよ。明子は、僕には、本当に過ぎた奥さんだなって。彼女は優しいし、美人だし、両親とも仲良くしてくれる。非の打ち所がないというか、僕みたいな男が夫だなんて、申し訳ないというか……」

 柄にもなく謙虚なことを言い出した達也が、宙を見つめながら、大きく息を吐いた。

「は? なんだ、ノロケかよっ! ごちそうさまっ!」

 森沢は一瞬キョトンとし、ついで笑ながら達也の背中をどやしつけた。


(どうやら浮気疑惑問題は、丸く収まったみたいだな)


 結婚したての頃は、どうなることやらと森沢も気を揉んだものだが、もう彼の出番はなさそうだ。

 安堵する森沢の心に、ちょっとだけ冷たい風が吹いた。




 ……などと、安心したのも束の間。 


 達也と別れたその足で階下に向かった森沢は、2階で化粧品のアドバイザーをしている女性社員から呼び止められ、大量の敏感肌用化粧品のサンプルセットを渡された。


「新商品です。この間、森沢さんが連れていらした方に渡してください」

「彼女に、これを?」

 淡い色合いのアラベスク模様の小さな手提げの紙袋の中を覗き込みながら、森沢は、『それならば、達也に渡してくれ』と言いかけてやめた。その代わりに、「彼女、肌が弱いの?」とたずねた。


「あら? 森沢さんともあろうお方が、気がつかなかったんですか?」

 なにが『森沢さんともあろうお方が』なのかは知らないが、女性社員が驚いた顔をした。

「ちょっとだけ見せてもらったのですけど、首とか、髪の生え際とかが、かなり痛々しいことになっていましたよ」

 原因はじんましんだと、明子が話していたという。


「そうだったんだ。あの日の彼女はずっとマフラーを着けっぱなしだったから、気が付きませんでしたよ。あの日は、寒かったし……」

 あのマフラーは防寒のためではなく肌を隠すためのものであったようだ。

「そりゃあ、隠したくもなりますよ。好きな人の前では、できるだけキレイでいたい。それが、女の子ってものです」

「ちなみに、じんましんの原因はなんなのだろう? 彼女から何か聞いていますか?」

「お医者さまは、ストレスだろうって」

 『あんまり、彼女を泣かしちゃだめですよ』と、ふたりの仲を誤解しているらしい女性社員が、森沢に厳しい視線を向ける。


「私は、彼女を泣かしてなどいませんよ」

 森沢はムッツリと否定した。 

「そもそも付き合っていません。 あの子は新婚さんです」

「森沢さん、不倫ですか?」

 この会社で働く者の多くは噂好き。ゴシップの匂い嗅ぎつけた女性社員が嬉しそうな顔をしながら声を潜めた。


「違います。とにかく、これは私から彼女に渡しておきますから」

 森沢は、サンプルの入った紙袋を軽く持ち上げると、足早にその場から立ち去った。向かったのは、根城にしている3階にある喜多嶋ケミカルの分室ではなく、上階にある森沢にあてがわれた個室だった。




「まったく! 俺は、皆が思っているほど、女たらしでも、恋多き男でもないってんだ~っっ!」


 誰もいない部屋の扉を音を立てて閉めるなり、森沢は大声で叫んだ。


 それからしばらくの間、彼は部屋の中を意味もなく歩き回りながら、ここ数ヶ月間の間に溜まった不満を吐き出した。主に仕事がらみのことだが、元々悩まない性質なので、数分も経つと愚痴のネタが尽きた。だが、溜まっている不満を、すべて言葉にして吐き出してしまった後でも、彼の心の中には、まだモヤモヤとした言葉にできない不満が溜まっているような気がしてならない。


「くそっ!」

 森沢は、預かってきた袋をソファーの上に放り投げた。袋が落ちた弾みで、薄い水色をした化粧品のサンプルの小袋が床に散らばった。

「あううう。余計な仕事を増やしてしまった」

 森沢は、ガックリと肩を落とすと、小袋を、ひとつひとつ拾い始めた。


「こんなもん。明子ちゃんは、もう要らないと思うけどな」

 ローション、乳液、日焼け止め…… 拾い集めたサンプルを、ソファーの上でチマチマと種類別にまとめながら、森沢は面白くなさそうに呟いた。

 明子のじんましんの原因がストレスだとしたら、ストレスの原因は、当時の彼女が悩んでいた達也の浮気問題だろう。だが、その浮気問題は、明子を含む関係者全員の勘違いに過ぎなかったということで解決したはずである。いまや、明子と達也の仲は完全修復され、ふたりは、仲良しこよしの熱々の新婚さん。今の明子に、ストレスなどあろうはずがない。じんましんだって、きっと跡形もなく完治していることだろう。


「つまり、おまえの出番も、もうないってことだ」

 森沢は、サンプルの小袋に言い聞かせると、もとの紙袋に戻してソファーの隅に置いた。




 サンプル入りの紙袋は、その後の3日間ほど、ソファーの上で過ごした。

 その間、その紙袋を目にするたびに何故かイライラがぶり返していた森沢は、そのイライラをエネルギーに換え、とうとう、本社最大の無駄であった重役専用特別食堂を廃止へと追い込んだ。


 食堂の廃止を決定した会議の後、自分の個室へ戻った森沢がコーヒーを飲んでいると、サンプルの入った紙袋が目に入った。預かったものを渡さずにいるのは、やはり気が引けた。

「達也にでも渡しておくかな」

 森沢は、コーヒーの中身を一気に飲み干した。

 電話のベルが鳴ったのは、彼が紙袋を提げて部屋を出ようとした時だった。驚いたことに、彼に電話をしてきたのは達也の母親の多恵子だった。


『今から言うものを、すぐに持ってきてほしいの。メモして』


 多恵子が欲しがっているものは、簡単に言ってしまえば大量の高級な布地だった。さすが喜多嶋紡績の社長夫人というべきか、求めている布地の素材や色についての彼女の説明は非常にわかりやすかった。


『なかったら、似たような風合いのものでいいわ。とにかく急いでいるの』

「どれも、すぐに用意できると思いますよ。でも、なんで俺に頼むんです?」

 森沢は、素朴な疑問を口にした。それに対する多恵子の答えは、『私が知っている中で、この手のことに詳しくて一番動いてくれそうなのが俊鷹くんだったから』であった。


『あなた。 ドレスコンテストの企画を仕切ったことがあったでしょう? だからよ。とにかく急いでいるの。パーティーに間に合わなくなっちゃう』

「パーティー? ああ、『胡蝶』の?」

 1週間後に『胡蝶』のイメージモデルの候補者と『胡蝶』のための服を作る大御所デザイナーのガロワを引き合わせるためのパーティーがある。パーティーには、モデルと喜多嶋の関係者だけではなく、ガロワと面識を得たいファッション業界の大物たちも大勢招待されている。

「それで、慌ててドレス作りですか? そうですよねえ。伯母さんもキレイなモデルさんたちに負けてはいられませよね」

 多恵子は、きっと、他所の御婦人がたがパーティーに着ていくドレスの情報でも聞きつけたのだろう。それで、ライバル心に火がついて、急遽新しいドレスを作ろうと思い立ったに違いない。


「ですが、伯母さんが着るドレスなら、もう少し落ち着きのある色合いのものになさったほうがよろしいのではないかと……」

 森沢は、メモを見ながら、恐る恐る提案した。


『私のじゃないわ。作りたいのは明子ちゃんのドレスよ』

「明子ちゃんの?」

『そうよ。今日、頼んでおいたのが届いたのだけど、こんなに露出の多いドレス。今のあの子に着せるのは酷だわよ』

「露出? 酷? ……って、あ、じんましん?」

『なんだ、知っているの? だったら話は早いわ。できるだけ急いでもってきて頂戴。いいわね。よろしくね。デザイナーもお針子も、もう確保してあるから』

「はあ、わかりました」

 森沢は、すでに切れてしまった電話に力なく返事をした。


「多恵子伯母さんって、ああいう人だったっけ?」

 受話器を戻しつつ首をひねる。森沢が知っている多恵子は、祖母の顔色を常に伺っているような目立たない人だったはずだ。


「結局、明子ちゃんに会いにいく用事ができてしまったな」

 森沢は、白々しいほどの諦め顔でため息をつくと、幾人かの心当たりに電話を掛け、多恵子が欲しがっているものを2時間程度で揃えさせるように手配した。物品が調達されるまでにと、彼は、今日中に片付けなければいけない仕事を超特急で終えた。それから、余った時間を使って、3階の喜多嶋ケミカルの分室や他の部署を巡って、あるものをもらってきた。


 そして、就業1時間前。 森沢は、集めた物を全て車に乗せ、そこに敏感用化粧品のサンプルも加えて喜多嶋家へと向かった。


 喜多嶋家に着いた森沢は、驚いた。 


「多恵子伯母さん。その人は……」


 横に長い顔に頭のてっぺんに産毛のように残った白い髪。

 いつも笑っているような福々しい表情。


 雑誌などに掲載されている彼の写真を見るたびに、森沢は、なぜか大福餅を思い出してしまうのだが、その本人……ポール・ガロワが彼の目の前にいた。

 しかも、多恵子が『確保している』と言っていたデザイナー兼お針子とは、どうやら、ガロワのことであるらしかった。



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