Wheel of Fortune +1(side YUI)
最近の私は忙しい。
副業のウェイトレスの仕事が忙しいのではない。忙しいのは、本業のモデル業のほうだ。
今月に入ってから、誰でも知っているような通信販売会社のカタログのための仕事を皮切りに、次々と仕事が舞い込んでくるようになった。しかも、私を名指しで、『香坂唯を使わせてほしい』とクライアントのほうから指名してくるらしいのだ。
おかげで、来月の私の予定表は、ほとんどが本業の予定で埋まることになった。そのことに最も驚いているのは私だが、私と同じくらいにアルバイト先の店長も驚いていた。というよりも、この人は信じていなかった。
「ありえねえ……」
昼の開店30分前、厨房でシフト表を確認していた店長が絶句する。
この店でアルバイトとして働いている女の子は7人いる。今月の始めごろまで、私の本業の予定はほとんどなかった。だから、シフト表の月の前半部分は、昼の欄にも夜の欄にも、私の名前が毎日のように書き込まれていた。それが先週辺りから1日おき程度になり、来週は夜が3日に昼が2日だけである。
そして、来月分のシフト表に、私の出勤予定はない。
「お前さあ、本業が忙しくなった……なんて、見え透いた嘘をつくのはやめろよ。怒らないから、本当のことを言ってみな。もっと割りのいいバイト先が見つかったのか? 今はやりのハンバーガー屋か? それとも、やっぱり水商売に手を染めたのか?」
「違うって言ってるでしょう!」
全く信じる気のない店長に私は憤慨した。
「本当に仕事なの! ここも、ここも、この日も! それでもって、来月は、とおおおおおっても忙しいのっ! だから休ませてもらいます!!」
私は、シフト表の日付けを突きまわしながら喚いた。
「休ませてもらうってなあ…… そんなに勝手に決められても困るんだけど」
「だって、仕事なんだもん。仕方がないじゃない」
「『仕方がない』って、お前って、本当に仕方がない奴な」
けんか腰に言い返す私に、店長がげんなりとした顔をする。それから、本当に困っているかのように、「まいったな。この店はな、お前がほどんど毎日出てくることを前提に回ってんだ。真面目な話、こんなに休まれたら困る。っていうか、こんなに休むんなら、シフト表に書き込む前に、一言でも俺に言うべきじゃないのか?」と頭を掻いた。
「でも……仕事が……」
私は、しつこく食い下がった。
このレストランは、かなり評判がいい。開店から店じまいまで、絶えることなくお客さんがやってくる。だから、私に休まれると困るというのもわかる。でも、やっと巡ってきた仕事なのだ。ひとつたりとも無駄にはしたくない。
「だから、てんちょおおうぅ、おねがいいぃぃぃ」
私は、両手を組み合わせ、目を潤ませながら店長に懇願した。
「だから、俺に色仕掛けは通じないって言っているだろうが」
私を横目で睨みながら、店長が不機嫌そうに唸った。
「色仕掛けなんかしてないわよ。ただね」
「はいはい、わかった! わかったよ」
ついに店長が根負けしように両手を挙げた。
「仕事ね。仕事だから仕方ないよね。うん」
「……なんか、馬鹿にしたような言い方」
「だって、仕方がないんだろう? アルバイトを雇うさ。それまでは、前の職場の伝手を頼って、人繰りをつける」
『最悪、要か八重さんに泣きつけば、どうにかなるだろう』とかなんとかブツブツ言いながら、店長が天を仰ぐ。
「どうせ、これから年末に向けて忙しくなるし、雇ったところで、どれだけ居つくかもわからんけどな。ところで、ひとつ聞いてもいいか?」
「なんでしょう?」
お休みがもらえることになったので、私は上機嫌だった。自分で言うのもなんだが、私って、現金な奴である。
「お前、いったい何をしたんだ?」
店長の一重の切れ長の目が、私の顔を真っ直ぐに捉えた。
「なにって?」
「だから、これだけの仕事を得るために何をしたのかって聞いているんだ。ジジイのデザイナーでもたらしこんだのか? それとも、あの髭づらの熊みたいなカメラマンと寝たのか?」
「どっちもしてないわよっ!」
私は頭に血を上らせた。この男ってば、なんて、失礼なの!
しかしながら、店長は、私が考えている以上に失礼な奴だった。「ええっ? なにもしていないのに、ある日突然に、仕事が降るようにやってきたっていうのか?!」と、彼は細い目を大きく見開いた。
「こんなことは言いたくないけれどもさ。唯、それは絶対におかしいぞ」
私の肩に手を置いた店長が、真剣な表情で私の顔を覗き込む。
「相変わらず才能もやる気もなさそうなお前に、仕事だけが増える。これは、絶対に変だ。きっと何か裏があるに違いない。ひょっとしたら、何かの詐欺に引っかかってるんじゃないか? 気をつけないと……」
「あのねえ。才能はともかく、やる気だけはあるんですけど」
私は、ムッとした。
「嘘をつくな。金魚程度の努力しかしてねえくせに」
「金魚?」
「赤いおべべをヒラヒラさせて、水の流れに身をまかせ、上から落ちてくる餌を、ただただ口を開けて待っている。その程度の努力しかしてないってことだよ」
歌うような口調で店長が皮肉る。
「なによ、それ?」
「だって、そうだろう? 半年もフランスに行っていたのに、日常会話のひとつもできやしないんだから」
「う……」
それを言われると、私も辛い。ちなみに、店長は、フランスとイタリアで修行したとかで、どちらの言語にも堪能である。
「まあ、いいや。お前の人生なんだから、好きにすればいいさ」
時計を見ながら店長が頭にバンダナを巻いた。もうすぐ11時。 昼間の開店時間だ。
私も、エプロンをつけて、来客に備えた。
「それより、どうする?」
「どうするって?」
「うちの店だよ。辞めんのか?」
「あ、それは……」
私は言葉に詰まった。忙しいから、本当は辞めたくもある。だけども……
「続ける気があるのなら、来月も、出られるときだけでいいから、夜は出てきてくれないか?」
「いいの?」
急に物分りがよくなった店長に私はビックリして問い返した。
「ああ、この店の場合、あんたがフロアにいてくれたほうが、俺は料理に専念できて楽だしな」
店長が珍しく私に微笑んだ。普段は極悪意地悪ニイさんの店長だが、彼が笑うと目尻にシワが寄って、実にいい顔になる。だが、その後に続く言葉がいけなかった。
「どうせ、2,3ヶ月のことだろう? こんな奇跡は、最初で最後だろうし、長く続くわけがないからな。お前にしても、帰れるところがあったほうがいいんじゃないか?」
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(こんな奇跡は続くわけがないって…… それは、そうかもしれないけどね)
開店1時間後。客に呼ばれるがまま、店長に命じられるがままにクルクルと店の中を動き回りながら、私は思っていた。
こんな奇跡は続かない。そんなこと、私も、よくわかっている。だって、奇跡が起こったのは、これが初めてじゃないもの。
以前にも奇跡はあった。4年ほど前、私が達也さんと付き合い始めた時だ。あの時も、今みたいに急に仕事が増えた。それは、パリに行く直前まで続いた。
だから、勘違いしてしまったのだ。私には才能があるって。外国でも、きっと成功できるって。
だけど違った。
日本を出たら…… 達也さんの傍を離れたら、私は、ただの夢見がちで世間知らずな小娘に過ぎなかった。パリで侮られ無視されて、悔しくて寂しくて悲しい思いをした私が半年後に日本に戻ってきた時には、もう誰も私を見向きもしなくなっていた。達也さんは、今の奥さまではないけれども、別の良家のお嬢さまと婚約していた。
そういえば、今回、仕事が急に増えだしたのも、達也さんが私の仕事場に来てからだ。
ひょっとして、彼が、何かしてくれたのだろうか? 達也さんなら、私に『ちょっとした仕事』を回すことぐらい、わけないだろう。なんといっても、彼は喜多嶋の御曹司さまなのだ。
(同情、されちゃったかな)
ぼんやりと天井を見上げながら、私は、長く息を吐いた。途端に、『なに、ボケッとしてんだ!! キリキリ働け!』という店長の激が飛んできた。
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私の仕事に達也さんが関与していることがいよいよハッキリしたのは、それから数日後のことだった。
私には分不相応としか思えないオーディションの話が舞い込んできたのだ。
「喜多嶋化粧品の『胡蝶』のイメージモデル?! 私が?」
社長の話によると、このオーディションは誰でも参加できる類のものではないらしい。オーディションへの参加を予定しているのは、業界屈指のモデルばかりであるという。
「そんなすごいオーディションに、なんで、私が???」
「さあ、なんでだろうなあ」
社長も困惑気味に首を捻る。
「なんにせよ、イメージモデルには選ばれなくても最終選考にまで残れれば、あのポール・ガロワのショーに出られる可能性だってある。ガロワのショーに出たモデルってだけでも、かなり箔がつくからな。この先の君の仕事にも、そして我が事務所の今後にも、良い影響があるに違いない。とにかく、このオーディションは参加することに意義がある。だめで元々だと思って、精一杯頑張ってこい」
……と、社長は、まるでオリンピックのようなことを言って、オーディションのための事前説明会に私を送り出したのだった。
説明会は喜多嶋紡績本社で行われることになっていた。
すごい顔ぶれが揃うオーディションだと事前に聞かされていたとおり、入り口で春瀬リナを見かけた。
春瀬リナは、ショーに雑誌にCMにと、今、引っ張りだこのモデルである。彼女とは、デビューした年も最初に自分の写真が載った雑誌も、一緒だったはずだ。年下ならば、『今はチヤホヤされてるけどね、そのうちあんたも私と同じように落ち目になるのよ』なんて憎まれ口のひとつも叩きたくなるものの、あいにく彼女は私よりも年上である。
(やっぱり、身長が高いと得なんだろうな)
まるで水の中を行くように優雅に歩いている春瀬リナを、私は羨ましく思った。背の高い人は、それだけで得だ。人目を引くし、洋服もスラリとかっこよく着こなせる。わたしみたいなチビのチンチクリンのモデルは、始めから不利なのだ。
(こんな私が、オーディションに出ても、恥をかくだけなんじゃないかしら)
私は、場違いな所に来てしまったのではないだろうか? そう思ったら、急に怖くなった。
(なんだか、帰りたくなってきちゃったな)
しかし、ここで逃げ帰るのも、やはり惨めである。
(とにかく、気にするのはやめよう)
私は頭をひと振りし、ギュッと目をつぶると、知り合いらしき男性と話している春瀬リナを早足で追い抜いた。闇雲に前進したせいで、喜多嶋の若い男性社員にぶつかりそうになる。その人に案内を乞い、私は、彼と共にオーディションの説明会場へと向った。 数歩歩いたところで視線を感じて横を向くと、広いフロアの端っこに達也さんが見えた。
達也さんも、私に気が付いたようだった。こちらに向かって歩いてくる彼を見て、私の心臓は高鳴った。もしかしたら私に話しかけてくれるのでは? そう思ったものの、彼は、私から、ある程度の距離を置いたところで歩くのをやめた。
『ねえ、このオーディションに私を推薦してくれたのは、あなたなの?』
私は、彼にそうたずねたかった。もしもそうならばお礼も言いたかった。けれども、この距離では言葉を交わすことは無理だ。
(そうだよね。 ここは会社だもの)
喜多嶋の御曹司である彼が、こんなところで、別れた女と親しげに話すことはできないだろう。でも、ここまで近づいてきてくれただけで、私には充分だった。彼の眼差しの優しさが、私に勇気をくれた。
(自信はないけれど、頑張ってくるね)
私は、そんな気持ちをいっぱいに込めて、達也さんを見つめながら小さく会釈した。私の気持ちは伝わったようだ。「頑張れよ」というように、達也さんが微笑みを返してくれた。
(大丈夫。 私には達也さんがついているもの)
今は他人だけど、もう別れてしまったけれども、私とあの人は、どこかでまだ繋がっている。
彼が見守っていてくれるから。彼だけは、私を見ていてくれるから。
だから、彼に恥ずかしくないように、私も最後まで諦めずに頑張ろう。
そう心に誓いながら、私は説明会の会場に入っていった。




