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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
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Wheel of Fortune 3

 一方。 姉夫婦に好き放題に言われていることなど思いもよらない明子と森沢は、裏庭のどこかに落ちているはずの小さなカフスボタンを探して、ひたすら地面とにらめっこしていた。


 外出の機会が極端に限られている弘晃が四季の移り変わりを身近に感じられるようにと、中村家の出入りの庭師たちは、この細長い裏庭に、あえてどこにでもあり普段は雑草扱いされている類の草花を数多く移植した。秋から冬にかけてのこの時期、この庭では、冬枯れのススキがフワフワとした穂を風に揺らし、赤や紫、あるいは橙色をした小さな実をつける植物たちが花々の変わりに庭を彩る。野趣に溢れるこの裏庭は、表の庭以上に低木や丈の高い草が密生しているため、落し物を探す者にとっては泣きたくなるような場所でもあった。


「人さまのお庭ですから、無闇に踏み荒らしたり、ひっかき回したりしないでくださいね」


 地面に限りなく近い位置まで腰と視線を落とした明子が森沢に注意すると、右斜め前方のススキの茂みの陰から、気の抜けたような「は~~い」という返事があった。

 その声を聞いた明子は、少し悲しくなった。嫌々やるのなら手伝ってくれなくてもいいのに……と思う。

 

 明子は、自分のために人に何かをさせるのが苦手だ。幼い頃から金持ちの娘として多くの使用人にかしずかれて日々を過ごしてきたというのに、その使用人たちから『お嬢さまは腰が低すぎます』と呆れられてしまうような娘だった。


 気詰まりで居た堪れなくなってきた明子は、「後は自分ひとりで探すから」と森沢に言おうと決めた。だが、その場で立ち上がった明子の目の中に入ってきた森沢は、腑抜けた声からは想像もつかないほど、一生懸命にカフスボタンを探してくれていた。


「森沢さん、服……汚れちゃいますよ」


 小さな草の茂みを潰さないように気をつけながら地面に肘と膝をつき、茂みの向こうの植え込みの下を顔を突っ込んでいる森沢に、明子は消え入りそうな声で話しかけた。嫌々落とし物探しに付き合ってくれるもの気詰まりだけれども、そこまで一生懸命探してくれても、やはり困ってしまう明子である。


「服? ああ、そんなのは平気だよ。これは汚れてもいいやつだから」

 植え込みに顔を突っ込んだまま、やはり気の抜けたような、のんびりとした声で森沢が答えた。

「でも……」

 明子は、森沢が着ている青みがかったグレーの厚地のジャケットとズボンに目を向けた。森沢が昨夜着ていたものと同じように、それらも、とても質の良いものに見えた。


「それに、お仕事にも行かなくちゃ。森沢さん、これからは忙しいのでしょう?」

 昨夜の夕食の席で聞かされた話によると、昨日の会議で達也の提案に反対する立場を取った森沢は、喜多嶋ケミカルの研究所の縮小を阻止するため、彼が責任者となって喜多嶋グループ全体のコスト削減に取り組まなければならないということである。今の彼は、こんなところで明子のために油を売っていていいはずがない。

「森沢さん。もういいですから。後は、私一人で大丈夫ですから、お仕事に行く準備をなさってください」

 明子は森沢の傍で腰を折ると、彼が顔を突っ込んでいる植え込みに向かって訴えた。それなのに、森沢は、「だから、平気だって」と笑って返事をするばかりで、全く取り合おうとしない。そればかりか、「そこでゴチャゴチャ言っている暇があったら、君も、さっさと探しなさい」と、彼女を追い払うように手を振った。


(心配して言っているのに……)

 森沢に邪険なあしらいをされた明子は、ちょっとばかりムッとした。


「『平気』って、いったい、なにが、どう平気なんですか?」

 明子は、その場にしゃがみこむと、ボタンを探すために手を目を働かせながら彼との話を続けた。

「なにが、どう平気かって? そうだな。 まず第一に、今日の俺は出社するつもりがない」

 まだ金曜日だというのに、森沢が堂々と言ってのける。

(ひょっとして、落し物探しにかこつけて、サボりたいってだけですか?)

 ちょっとガッカリしながら、明子は深いため息をついた。


「誤解しないでほしいんだけど」

 明子が呆れているのを感じ取ったのだろう。森沢が慌てて言葉を足す。

「今、できることは全部してあるってことだよ。 長野には夜中までに帰ればいいし、今日は本社に行ってしなければならない用事が特にないってだけ」

(『全部』 ねえ……)

 彼の言葉は、更に明子を呆れさせた。今回森沢が引き受けたのと同じような仕事をしている達也は、毎日のように夜遅くまで仕事をしているのだ。森沢が、大役を引き受けたその日のうちに、全てのことをやり終えることなどできるはずがない。


 森沢さんって、まるで童話に出てくる怠け者のキリギリスみたいだ……と明子は思った。今のうちに誰かが森沢に忠告してやらないと、いずれ窮地に立たされて泣くことになるに違いない。

「これから喜多嶋グループの大改革に乗り出さなければならないというのであれば、やることなど幾らでもあるはずですし、一分一秒でも惜しいのではないのですか? 随分と余裕がおありなのですね」

 明子は、言いたくもない嫌味を言って、彼の危機意識を煽ろうと試みた。

「余裕なんかないよ。 全然ない」

 なにがおかしいのか、森沢の声に笑いが混じる。


「でも、席もないのに本社をウロウロするよりも、ここで探し物をしながら報告を待ったり考え事をしているほうが、遥かに有意義だと思わないか?」

「報告?」

「うん、昨日のうちに、いろいろと調査をお願いしたんだ。 まずは喜多嶋グループの問題点を全員が正しく把握すべきだと思ったのでね。 例えば……」

 森沢は、誰に何を調べるように依頼したか、どうしてそれを調べる事が必要なのかを、ボタンを探しながら歌うような口調で明子に説明し始めた。専門用語をほとんど使わずに話してくれたせいだろう。彼の説明は非常にわかりやすく、明子にも、すんなりと理解できた。


 説明を聞く限り、森沢は自分のすべきことを心得ているように思われた。そればかりか、明子は、森沢がこうなることを予想して、以前から準備していたのではないかと疑いさえした。そう疑いたくなるほど、森沢は、大役に抜擢された昨日のうちに、経営に携わる彼の親戚や日本各地に広がる喜多嶋関係の会社の社員たちに向けて、多くの指示を出していた。


 もちろん、明子は経営のことなどわからないから、森沢のしていることが適切であるかどうかの判定はできない。だが、森沢に相談された弘晃が、『とりあえず最初にできることといったら、そんなところですかね』 と言っていたそうだから、今のところ森沢のしていることに間違いはないのだろう。


「調査は、責任者になった俺が中心になってやるべきかなとも思ったんだけど、うちのオジサンたちにやってもらったほうがいいと思ったんだ。 彼らには特に、今の喜多嶋の現状を、よくよく認識してもらう必要があると思ったんでね」

 森沢によれば、喜多嶋グループというのは、ブクブクに膨れ上がってしまった風船のようなものらしい。時代の流れに押されるようにして様々な分野に進出して事業を拡大させたのはいいが、その場その場で手探りで決めてきた仕事の段取りや手続きなどが『正しいやり方』として後生大事に受け継がれてきたために、いたるところに無用だとしか思えない慣例や無駄遣いがあるという。だが、誰かがそれらを問題視したとしても、「今まで、そうしてきたから」というのを理由に、これまでは何ひとつ改めたことがない。経営陣だけではない。 むしろ社員の大多数が自ら進んで悪しき伝統を守っている。


「そうだったんですか」

「明子ちゃんも、知らなかった?」

「ええ」

 達也もしばしば喜多嶋の現状を嘆いているが、こんな風に明子に話してくれたことはなかった。


「森沢さんは、調査を通して、皆さんに現状を知ってもらおうと思ったんですね?」

「うん。なによりもまず、みんなに、自分たちにも改めるべきところがあるとわかってもらわなければいけないと思うんだ。それさえできれば、8割がた終わったようなもの。逆に言えば、自分たちを変えなければ、達也が海外に活路を見出したことで今は凌げても、数年か数十年後には、また同じようなピンチに陥ると思う。いや、次は、もっと酷いことになるだろうね」

(へえ。この人って意外と……)

 明子は、ボタンを探す手を止めて、チラリと森沢を見た。仕事よりも遊びや流行を追うことに熱心な軽薄な人物とばかり思っていたら、彼は、思いのほか有能なうえ、自分たちの会社の未来についても真剣に考えているようである。怠け者のキリギリスでもなかったようだ。


「すみません。私ったら、何もわからずに、森沢さんに生意気なことを言ってしまいました」

 明子は素直に森沢に謝った。

 森沢は気を悪くしたようでもなく、「気にしなくていいよ」と、こちらに笑顔を返してくれた。

「なにせ、俺って信用ないからねえ。それなのに、勢いでこんな大役引き受けちゃってさ。自分でも『らしく』ないことは、重々承知しているんだよ。身の程知らずの愚行だとしか思えない。アホじゃないのか、俺?」

 森沢が、眉間にシワを寄せながら、自分で自分を腐し始めた。


「そんなこと……」

「慰めはいいよ。でもさ、どうしても、達也の改革案を素直に受け入れる気にはなれなかったんだよね。だってさ……」

 言いづらいことでもあるのか、森沢が、ふいに口を閉ざした。明子は、続きを促すわけでもなく、森沢を見つめたまま、彼が話し始めるのを待った。


 どれぐらいそうしていただろう。


「…… 綿畑だったんだ」


 枯草を鳴らしながら吹き抜けていく風の音を追いかけるようにして明子から視線を外した森沢が、つぶやいた。



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