葬式 1970年代頃
俺の爺さんの名前は叶健太郎と言う名前で1880年に東京府の麹町生れ
そして爺さんが若い頃に秋山好古と言う日露戦役で名を挙げた軍人と遭ったと言う事を良く自慢をしていた
さて何故俺事叶益男が爺さんである叶健太郎の話をしているのかは・・そう爺さんの告別式をしているからだ
其れで爺さんは生前から「もし俺が死ぬときは盛大な葬式にしたい・・正確的に言えば俺の葬式に期待奴は着たければ来るが良い」と言う事で爺さんの喪主を俺がしている
そう俺の親父は爺さんより早く死んでしまったのだ・・そう1972年12月に
だからこそ其の時俺の親父の喪主を態々爺さんがして其の時に故人である俺の親父に対して「此の親不孝者が」そう述べたのだ
さて俺の爺さんは何かと顔が広かった・・だからこそ権力も権威も無い筈の一回の人間の葬式に態々「日本のキューバ大使・・日本のドイツ大使、オーストリア大使」が来たのだ
そしてその他にも「ドイツやオーストリア連邦そしてキューバの著名人」も葬式に参列をしていたのだ
その他にも「池田大先生や磯銀新聞の社長兼代表取締役・・そして弟の大学時代の先生である美濃部明宝さん」も来ているのだ
其れで爺さんは生前に俺に対して「もし俺が死ぬさいの弔文代わりにボイスレコーダーに録音をしたのを述べてくれ」と言う事を言った・・だからこそ其れを参列者に対して先に述べたのを再生をしたのだ
「やあ此の録音をしたのを再生をしたと言う事は俺はおっちんだと言う事だろう・・さて此の録音をしたのが1977年の11月だ
だからこそ俺が死ぬ前の世界情勢がどの様に流れるかなんて解る訳が無いが・・まあ此の弔辞を聞いて居ると言う事は世界は一先ず安定をしていると言う事だ
さて、小説家の池田大先生よ此れからも良い小説を書けよ・・そして出来れば小説の中に俺を登場をしてくれれば有り難いな
そして遠野女史・・最近御菓子愛好会と言う世界規模な組織を造ったそうじゃないか、だから後五年すれば其の組織が力を付け出して学校の給食にお菓子をと言う様な事だけはしないでくれよ
まあ俺の可愛い曾孫が糖尿病に罹ったら困るからな・・まあ遠野よ此れからも家族と共に幸せでな
そして多分だが株主総会で人事変更が無ければ未だ社長をしている牧野・・そう牧野健三郎
俺より出世をしやがって・・全く本島に御前と言う人間は凄いな、なあ牧野此れからも俺の古巣であるワクテカ新聞を支えてくれ
そしてルーデル大佐も来て居るか・・まあ此れからも北海道とドイツを結ぶ架け橋に成ってくれ
そして俺の孫を大学時代に弁論をふるった美濃部先生此れからもアンタの故郷の岐阜県と日本の科学の未来の為に頑張ってくれ
そして最後に益男と健介・・なあ益男と健介よ最後に御前等の爺さんである俺と一つ約束をしてくれないか
そう俺の様に無茶で破天荒な人生を送れとは言わん・・だが少しでも俺の様に長く生き将来の若物の為に頑張ってくれ
だから益男と健介・・此れからも強く生きろよ
さてこういう辛気臭い話は此れ位にして、さて此の俺の葬式にわざわざ出向いた皆さん・・そう如何此の一介のしがない記者だった俺の葬式の為に時間も割くのも有れだからよ
折角だから此の場所で商談をするなり談笑する成り好きにしてくれて良いからよ・・だからさ最後に此の場所に来てくれた皆に言わせてくれ
俺の葬式に態々来てくれて有りがとよ」・・そう爺さんの弔辞を終わらせる事に成ったのだ
本当に爺さんアンタと言う人は本当にずるい人間だよ・・そう本当に俺からして見れば爺さんと言う存在に勝てそうもないな