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六話

 服は昨日決めていたものを着た。

 鞄の中身は最小限、しかし忘れ物はしていないはず。

 靴も歩きやすく気に入っているスニーカー。

 用意を終えてリビングに向かうと母親がみなみの方を向いていた。

「ちょっとこっちに来て」

 何か怒られるようなことをしたのだろうか、と不安になったのは一瞬だけだった。母親はにこにこと笑いながらみなみの髪に触れた。

「たまにはおろしてみたらどう?ずっと切ってないけどつやつやだし、綺麗に伸びてるし…お母さんがセットしてあげる」

 そういうことをしたのはいつが最後だろう。高校入学式の頃にはもう普段の髪型になっていたような思い出がある。

 けれど今日は特別だ。そして母親もそのことに気が付いている。こういうときはごまかしても無駄だ、とみなみは判断した。

「うん…お願いしようかな」

 背中までの真っ黒な髪をブラシで何度も梳いてもらい、一度まっすぐにしてもらう。手芸教室をやっているだけあって、母親はとても器用にみなみの前髪に編み込みを作った。

「小さい時はよくこうしてあげたの、覚えてる?」

「うん、覚えてるよ。こうして写ってる写真、たくさんあるから」

「小さいころも可愛かったけど、今はもっと可愛いよ」

「やめてよ」

「はい、できた。

今度はお母さんともデートしてね、みなみ」

 最後にふんわりとブローをしてもらい、ストレートながらも軽い印象になった。母親の言葉からやはり今日のこともお見通しなのだ。一気に顔が真っ赤になる。

「大丈夫、お父さんには内緒にしてあげるから」

「そういうのじゃないから」

「わかってるって、気を付けてね」

 約束の時間まではまだ余裕がある。けれどみなみはもう出発することにした。ゆっくり歩いて駅まで、気持ちを落ち着けながら向かおうと思ったのだ。



 駅に着いたのは待ち合わせの10分前。

 汗ばむ陽気と照りつける日差しがきつく、日陰で悠里を待つことにした。途中店舗の前を通りがかるたびにガラスのショーウィンドウで姿を確認した。おかしな服装にはなっていないだろうか、母親がしてくれた髪型はおかしくないだろうか。

 こんなにも自分の見た目を気にしたのはいつぶりだろうか。

 たまにはこういう日があっても悪くない。そう思いながら悠里の到着を待った。

 スマートフォンを見る。まだ約束の時間までは7分ある。

 あまりきょろきょろしていてはみっともない、そう思って特に意味もなくスマートフォンを操作する。

「早いね、俺が先に来たと思ったのに」

 昨日の悠里とのメールを読み返そうと思っていたところだった。目の前が薄暗くなったと思うと顔を上げると、待っていた人物が立っていた。

「おはよう、みなみちゃん」

「おはようございます」

「いつもと雰囲気違うからびっくりしたよ」

「あ…おかしいですか?」

「おかしくない、可愛いよ」

 そういう悠里さんだって。と言葉を飲み込んだ。

 いつもはTシャツにジーンズのスタイルだが、今日はマリンカラーで揃えているらしい。ネイビーのパンツにほんのり水色がかったTシャツ、そこに白いシャツを羽織っている。スニーカーだけはいつもと同じものだが髪型はいつもよりしっかり決められている。茶色い毛先は光に当たってキラキラしていて、みなみと比べるとこういう服装に慣れていることがすぐにわかった。

「行こう」

 しばらく悠里に見惚れていたらしい。声をかけられ我に返ると、初めて会った時のように腕を掴まれ、半ば強引に歩き出すことになった。

「車停めてるんだ。駐禁取られるとまずいから」

 どこまでが本当かわからない。悠里につれられるままみなみは悠里の車に乗せられた。

 車のことはよくわからない。が、少し前によくCMで見た形に似ていた。

 シートベルトを締めたのを確認してから、悠里は車のエンジンをかけた。徐々にスピードが上がっていき、景色が流れていく。

「ちょっと早いけどご飯食べようか」

「はい」

「緊張しなくていいよ」

「だって…」

「だって?」

「悠里さんが、いつもと違うから」

「それ、俺の台詞だよ。

みなみちゃんがいつもと違うから俺もちょっと緊張してる。制服以外の服見るの初めてだし」 

 隣町を過ぎてさらに隣の町に向かう。その街にはみなみが第一志望にしようと考えている国立大学があり、みなみも何度か訪れたことがあった。学生が多い街なためにおしゃれな飲食店もたくさんあったことを覚えている。

「とうちゃーく。足元気を付けて降りて」

 悠里が車を停めたのは一軒のカフェの前だった。アンティークな佇まい、悠里は慣れたようにドアをくぐる。

「一番のおススメはサンドイッチ。けどマスターのおススメはシーフードピラフ。

俺が一番好きなのはカレードリア。変な店でしょ?」

 店員とも慣れた様子で挨拶をし、四人掛けのテーブルに案内される。みなみは奥側にとおされ、促されるままに座った。

「何にする?」

「えっと、じゃあカレードリアにします」

「いいね、俺はたまにはシーフードピラフ食べようかな」

 マスター、と悠里が声をかける。今の会話だけで注文の代わりに取ってもらえたらしく、何も言わなくてもすぐにうなずいた。

「よくこのお店来るんですか?」

「近所なんだよね、ここ。だから結構来るかな」

 初めて入る店内に落ち着かない様子でみなみはあちこちに視線をやる。使い込まれたテーブルとイス、しかし古臭い印象はなく、店構えと同じくアンティークな様相だ。落ち着いた店内をみなみはすっかり気に入ってしまった。第一志望の大学からもほど近い。ますます国立大学への憧れが強くなった。

 そこでふと、みなみがずっと不思議に思っていたことが頭に浮かんだ。

 何故悠里はあの大学なんかに進学してしまったのだろう。センター試験でも八割を超えていたと自分でも言っていたし、みなみが日々教わっている様子からもそれは嘘ではなさそうだった。そもそもみなみの高校に付属する大学に入学するためにはセンター試験なんて受けなくてもいいはずだ。

 どこかの大学の滑り止めに使用するにしてもあまりにランクが低すぎるのではないか。

 そう思い続けていた。

「あの…」

「はい、カレードリアとシーフードピラフ」

 みなみの言葉はカフェの店員によって遮られた。年配の品の良さそうな女性が両手に皿を持ってきた。カレーの強い匂いが近くに漂う。

「女の子連れなんて珍しいね」

「たまにはね」

「悪いことしちゃダメだよ」

「してないよ、ね?」

「あ、はい…いつもよくしてもらってます」

 急に話を振られ、驚きながらの言葉を返す。それならいいんだけど、と店員の女性が笑いながらカウンターの向こうへ帰って行った。

「熱いうちに食べよっか」

「はい、いただきます」

 熱々のチーズの層からスプーンを突き刺して一口分をすくい、ゆっくりと口に運ぶ。湯気が立ち上っている。

「あつ…でも、美味しいです!」

 カレーのぴりりとした辛さが後を引きながらもチーズと絶妙に絡み合い、素朴な如何にもカフェの手作りといった味わいがみなみはとても気に入った。

「でしょ、ピラフも食べる?」

 はい、と、悠里は自分の使っていたスプーンにみなみの一口に合わせた分をのせて差し出した。反射でそれを受けそうになり、しかしすぐにその状況がおかしいことに気付き首を横に振った。

「あ、大丈夫です!」

「遠慮しなくていいよ」

 大学生ならばそれが普通のことなのだろうか。それとも自分が堅く考えすぎているのかもしれない。

 みなみは悠里の申し出を断りきることができず、自分のスプーンで皿の反対側から手をつけることにした。

「じゃ、少しだけ」

 悠里が一瞬残念そうな顔をしたように見えたのを、みなみは気付かないふりをした。

「…俺も一口ちょうだい」

 すぐにいつもの明るい悠里の表情に戻ったような気がした。みなみも同じようにしてみようと思ったが、やはり恥ずかしくなってしまいドリアの皿を少しだけ悠里の方に押した。

「やっぱ美味しいよね。家で作ろうと思ってもいつも上手くできなくてさ…」

「悠里さん、お料理されるんですか?」

「一人暮らしだからね、男の料理だけど一応少しだけなら」

「すごいです、私は料理は全く…」

「お母さんに教えてもらったらいいよ。

いつも失礼だけどお弁当見せてもらってるけど、すごく丁寧なお弁当作ってもらってるよね。料理上手は似るよ」

「そうだといいんですけど…」

「できるようになるよ。受験が終わって時間に余裕ができたら、俺にも食べさせて」

 きっと社交辞令なのだろう。しかし悠里の言葉はみなみの心に突き刺さった。

 両親ですらあまり理解を示してくれなかった受験勉強を、学校以外で初めて肯定してくれる人がいたこと。

 夏休み限定だと思っていた悠里との関係が今後もまだ続いていくかもしれないこと。

 まだ出会って一か月と少ししか経っていない。しかしこのときにみなみは自分の心が、一か月前とは違うものになっていることに気が付いた。

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