Poisson ~魚料理~
「うわぁ……まじかよ……派手にやったねぇ」
すっかり破壊しつくされた居酒屋・『笑木屋』……その2号店の上に立ち尽くす黒ずくめの男に向かって、月明かりに照らされたその店の持ち主……ヴァルギリア・ボトムレスブラックは、軽口を叩いた。
時刻は、夜中の3時。
まさかこんな時間に働いている人間が……いや、起きている人間がいるとは思わなかったのだろう、黒服の男は驚愕の顔を浮かべているのが……まあ、そのフードで顔は見えないけどなんとなく……分かった。
「なあに、驚くに値しないよ……さあ、話し合いをしようじゃあないか、チョークスリープ・モーターナーヴ君。
……ああ、もちろん、心配しなくても、良い」
病的なまでに白い肌と、闇と見紛う程に黒々とした長髪と瞳。
目の下には縁どりした様な隈が出来ている少女は、今宵の三日月を思わせる笑顔を口元に浮かべて、呟いた。
「美味しい夜食も、用意してあるよ」
########################################
話は少し、さかのぼって、先ほどの破壊劇が起こる12時間前、すなわち昼の3時。
「メインヒロインのショコラ・ホーリーシットは、転生者だ」
ヴァルギリア・ボトムレスブラックは、自室で独り言を呟き続けていた。
「弱火の兄さんも、そう言っていたってのもあるけど、何よりこの世界が『魔王攻略ルート』に向かっているってのが、その証拠だなあ」
魔王は、弱火のお兄ちゃんことファイア・エクセレントキッチンと双璧をなす、『ご馳走様が聞こえないっ!』の人気キャラクターだ。
さて。
ここで、『ご馳走様が聞こえないっ!』の好感度システムを少しだけ説明しよう。
簡単に言えば、『プラスマイナスの差し引きはゼロ』というものだ。
例えば、何かの選択肢で誰かの好感度が1上がると。
それとは関係ない、誰かの好感度が1下がる。
そして、各攻略キャラが最初から持つ好感度50であるが、その50以上であれば、相手が自分を『好き』の状態であり。
50未満であれば、相手が自分を『嫌い』の状態であることを意味する。
好感度は最大で100、最小で0になり、それ以上にも以下にもならない。
……さて、聡明な読者様は、お気づきになられただろうか。
実はこのシステム。
ひたすら『好感度の変わらない選択肢』を選び続ければ。
全員の好感度を『50』の状態で、進めることができるのだ。
もちろんそんなものを選び続けるのは難しく、初見では不可能と言っても過言ではない。
そして、そういった選択肢を選び続けた場合にのみ、登場する、裏主人公。
……それこそが、魔王様、であった。
「ショコラが魔王様を狙っているとして。
じゃあ、僕を狙っている理由は?
……正直、僕は倒しても倒さなくても、魔王攻略は可能なはず。
それにも関わらず、かなり積極的に僕を潰しにかかっている。
……まあ、たぶんバレてるんだろうね。
僕が、転生者だって。
邪魔だから消しておこう、ってところかなあ。
……だったら、4の倍数月の最後の日である明日は、彼が動くはずだ」
椅子の背に、ギイ、ともたれ掛かると、すっかり空っぽになったその部屋で、今日夜に起こるであることを、考えるのであった……。
##################################
時刻は戻って、夜の4時。
ここは、笑木屋の1号店……とは名ばかりの、ただの小屋、であった。
部屋の中には先ほど2号店を破壊した少年と、その店の持ち主が相対して座っていた。
「ねえねえモーターナーヴ君、素直についてきてくれたのは嬉しいけど、そろそろ喋ってくれないかなあ?」
「……」
「ああ、僕が公爵令嬢で萎縮しているのかな?
大丈夫、大丈夫。
実家からは勘当同然にされてる、『なんちゃって令嬢』だから、気安く喋ってくれたまえよ」
「……」
「ショコラだろ?
君を焚き付けたの」
「……」
「それにしても、すごい筋肉だよねえ、能力混みとはいえ、まさか建物を一撃で破壊するなんて。
流石は武人と謳われるだけあるね」
「……殺せ」
武人と言われた少年……チョークスリープ・モーターナーヴは、紫色の髪と瞳を揺らして、そう言ったっきり、またもや無言になる。
鍛え上げられた細マッチョな肉体に、メインキャラ1の長身。
『ごちない!』でも屈指の無口無表情キャラを前に、それでもヴァルギリアは、笑顔で会話を続けている。
「……この『笑木屋1号店』はね、君対策に作ったんだよ」
「……?」
ここでやっと、モーターナーヴの表情がピクリと変化する。
「モーターナーヴ君、君の能力は『力』……内容は、『4の倍数月の最後の日、どんなものでも破壊する事が出来る能力』だ。
意味不明な、良くわからない能力だけど、『ごちない!』の中では最強の……いや、最凶の部類に属する。
何しろ、敵対する相手の店を、定期的に、物理的に破壊できるんだからね」
驚きの顔で見つめるモーターナーヴを見てヴァルギリアはニヤニヤ笑いながら、話し続けた。
「『ごちない!』は、持ち店舗が0になったら、どんなに金を持っていても、それ以上の新しい店を作ることができない。
ゲームオーバーってやつさ。
だから僕は罠を仕掛けた。
まるで居酒屋『笑木屋』は店舗が一つしかない様に、見せたのさ。
君が1号店だと思っていたのは、実は2号店。
実際はここが居酒屋『笑木屋』1号店だったってワケ……とは言っても、店員も客も未だに一人もいないけど。
あ、因みに明日は3号店がオープンするんだ、よろしくね」
「……」
「『モーターナーヴがいるのに店舗を一つしか出さないなんて、あり得ない。
あり得ないけど、もしかしたら』
……そう考えてショコラが君を寄越すと、僕は踏んでいた。
分かるか?
君はショコラに、捨て駒にされたんだぜ?」
「……!!」
少女は、ずいと体を乗り出すと、対面にいる少年に、どこまでも黒い瞳を向けた。
「……確かに店を壊されたけど、僕は君のこと、嫌いじゃないよ。
だって、壊すのが昼間だったら、それ以上の人的損害を出すことができたのに、君はそれを潔しとせず、やらなかった。
まあ正直、破壊する事自体どうかと思うけど。
さて、まどろっこしい事は嫌いだから、聞くのは一回だけだ。
……今日の事は全部不問にする。
だから、僕につけ」
「断る」
速答、であった。
ヴァルギリアは、まあ、そうだよね、というような顔をする。
「君の能力も相当なものだけど、ショコラの能力もインチキだよ。
……『甘』、誰からも好かれる能力なんて、さ」
「……何故彼女の能力を知っている」
ヒロインの情報の話になって初めて、モーターナーヴは怒りの表情を浮かべる。
「……僕の前世に『ご馳走様が聞こえないっ!』っていう乙女ゲームがあってね。
好きなキャラを攻略しながら、そのキャラの関連するレストランや料亭を世界一へと導いていくゲームなんだけど。
ショコラや君はそのゲームに登場するキャラの一人だ。
だから、何でも知ってるよ。
例えば、君の持つ能力は『力』……これは『4の倍数月の最後の日、どんなものでも破壊する事が出来る能力』だ。
寡黙で侍キャラの癖に、相手の店を破壊するとか卑劣極まりない能力を使う君は、ごちないキャラランキングの最下位記録を毎回更新していたね。
ごちなイストの皆さんからは『卑怯さん』とか『汚いなさすが武士きたない』とか呼ばれてたよ。
ただ、味方にしたときの君の頼もしさは異常だからね。
『覇道派』と呼ばれる君のファンたちがネットにアップした、『CPUがコツコツ育て上げたお店を一瞬にして破壊する』系の動画は良く見させてもらったよ。
暗い笑いが漏れるよね、アレは。
さて、解説してあげたけど、理解できたかな?」
少女が一息に吐いた台詞を、少年は改めて吟味することはなかった。
何故なら、少女が喋りながら歩き出し戸棚から取り出したモノに意識が釘付けになってしまったからだ。
モーターナーヴは、少女が持つ、クロッシュ……料理が何か分からないようにするための金属のドーム……の載った皿を指差して叫ぶ。
「な、なんなんだこれは!」
まだ料理を見たわけでもないのに心が掻きむしられるほどの焦燥感。
クロッシュが取り払われると、武士のような精神力を持つ彼ですら抗うことのできない暴力的な香りが辺り一面に広がった。
「何って、夜食だよ。
君のために作ったんだ、お口に合うと嬉しいんだけどね。
トラフグのポワレ……ソースは卵巣と肝臓をベースに。
あしらわれている香草はジギタリスです。
命が落っこちるくらい美味しいよ」
トラフグと、その卵巣と肝臓を使ったソースと、ジギタリス。
猛毒の、オンパレードだった。
しかし、にも関わらず。
モーターナーヴは、その手をナイフとフォークへ伸ばすと。
トラフグをソースと香草に絡めながら、恐る恐る口の中に放り込んだ。
途端に混じり合う、あっさりした白身魚のプリプリとした食感と、濃厚な卵巣と肝臓のソース。
ともすれば白身の繊細な味を殺してしまうか否かのギリギリのレベルを見極めた味付けが、舌の上で綱渡りしながらワルツを踊り始める。
喉をならすとトラフグは踊りながら喉の奥へと速やかに落ちていき、その後をジギタリスがサッパリと洗い流すように消えていく。
「ふ、ふ、ふにゃああああああっ!?」
モーターナーヴは、余りの旨さに目を上転させて涎を滝のようにボタボタと垂れ流した後。
ナイフもフォークも投げ捨ててトラフグにかぶりつく。
「気に入ってくれたみたいで、良かったよ。
ほら、回復薬。
好きなように飲んでね」
モーターナーヴは少女の渡した回服薬を一瞥した後、再度魚料理へと目を向ける。
恐らく彼の頭の中は、こうだ。
これ程美味しい魚料理を食べた後に、口の中を回服薬で洗い流す、だと?
やるわけがないだろう、馬鹿馬鹿しい!
「ぐ、ぐ、ぐうううう!?」
夢中になって魚を食べる少年に、ここでやっと変化が現れる。
ジギタリスの強心作用で心臓が激しく脈打ち始め。
テトロドトキシンの筋弛緩作用で呼吸筋が麻痺し始めたのだ。
酸素が大量に必要な状態で、酸素が供給されないという異常事態。
それはまるで、誰かに万力で首を絞めつけられているような状態であった。
虚血に脆弱な大脳は……人間を人間足らしめる大部分がひしめくその部分は、あっという間に機能不全を起こす。
しかし、中脳以下、生命の活動危機にまで至らない現時点では、モーターナーヴの本能が回服薬を飲むことを拒否する。
大脳の細胞の大半が死滅し、中脳の一部が壊死を始めたところでやっと、モーターナーヴは回服薬を飲み干した。
壊れていた大脳の細胞も歪に修復され、モーターナーヴは辛うじて自身の意識を取り戻したのであった。
「あ、あ、あ、あ」
声にならない声をあげ続ける彼を見て、少女は白々しく喋りかける。
「やあ、意識が戻ったみたいだね。
心配したよ、本当に良かった。
まあ、これ以上食べるなら、脳味噌がどうなるかは分からないけどね。
ああ、言い忘れていたけど……」
ヴァルギリアは満足そうに頷くと、そっと耳元に囁きかけた。
「お代わりもあるから、どんどん食べてね」
「ひゅあああああああああああああ!?!?」
笑木屋の夜は、更けていく。
部屋から少女がいなくなると。
後に残ったのは、空っぽになった皿と。
そしてもはや、人間性の全てを失った元・人間だけ。
チョークスリープ・モーターナーヴ 14歳 男
王国護衛軍の軍長を代々受け継ぐモーターナーヴ家の長男。
別名「卑怯さん」「汚いなさすが武士きたない」。
紫髪紫眼で長身細マッチョ無口、周りには優しく自分に厳しい侍気質な少年。
『力』を使う能力を持ち、使い道は相手の一番繁盛している店を一つ破壊すると言うもの。
「いざ尋常に、正々堂々勝負すべし!」
とか言ってるくせにやってることが目茶苦茶なため、ごちない!キャラでは隠しキャラ『国王』よりも不人気。
ただし、目茶苦茶強キャラであり、絶望的状況をひっくり返す動画や、調子に乗ってるCPUを一蹴する動画が人気。
因みに動画で店破壊する時には、視聴者による「いざ尋常に、正々堂々勝負すべし!」弾幕が画面いっぱいに流れるのが様式美となっている。