Légumes ~サラダ~
今までNIOさんが食べたフランス料理は、スープの後にサラダが来たので、今回は敢えて、この順番にしてます。
正式には肉料理と同時かその後らしいです。
時刻は午前3時。
紫色の帳が落ちた静かな夜更けの空には、青白く月が輝いていた。
ボトムレスブラック公爵領の全てに等しく降り注がれた穏やかな光は、もちろん居酒屋『笑木屋』にある『巫女の部屋』のベッドにも、その窓を通して射し込んでいる。
……とは言っても、部屋の持ち主は其処にいないのだが。
「……今月の売り上げが酷すぎるな……」
部屋の持ち主ーヴァルギリア・ボトムレスブラックーは、机の上にある心許ない光量のランプを使って、何やら書類の束を眺めている。
病的なまでに白い肌と、闇と見紛う程に黒々とした長髪と瞳。
目の下には縁どりした様な隈が出来ている。
「……十中八九でサウザンドニードル・ポイズンワードの仕業、だろうね」
さあどうしたものか、と少女が呟くか否かのタイミングで。
突然、居酒屋『笑木屋』の営業用電話が……こんな真夜中にも関わらず、鳴り響いた、のであった。
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時間は少し遡り午前2時。
料亭『筆舌』にある管理人室で男が一人、書類を眺めていた。
「調べれば調べるほど異常だな……『笑木屋』は」
男の呟いた内容はもちろん気を付けるべきに値する物であったが、それ以上に注意すべき点は……彼の、声、にあった。
美しい相貌や、流れるような緑色の髪……しかしそれ以上に、聴く者の心を掴んで離さない、魅力的なバリトンボイス。
彼こそが件の男……サウザンドニードル・ポイズンワード、であった。
「安い給料で、長時間、最高のクオリティーを保った状態で働かされる……あり得ないだろ」
彼は商人であるから、もちろん雇うならばそんな人間を雇いたいと考えていたし、なるべくそうしてきた。
しかし、そんなものは理想論だ。
有能な人間であれば高い給料を要求するし、無能な人間だって、最低限の睡眠時間は必要だ。
多分、彼の能力……『声』を使えば、そんな奴隷労働をさせることもなんとかならないことはないかもしれないが……全てに意地汚いとされる商人の彼でさえ、ここまでの扱いは無理であろう……欠片に残った良心が痛むから、だ。
「取り敢えず悪評はばら蒔いてやったが……あちらさんの減収も一時的なものだろう。
なにしろ、実際、便利なんだから」
魔法があるとはいえ、基本的には日の出と共に目覚めて日の入りと共に眠るこの世界で、真夜中まで営業している料理屋は貴重だ。
人数は少なくとも、ニーズはある。
多少高めの値段設定でも理解を示す常連が大勢出来るであろうし、そういう人は下手したら3食同じ店を利用する。
……彼も実はこの料亭『筆舌』で、似たようなことを試した先駆者だ。
夜の22時までの営業……ほとんどの食事処が20時前に閉めるこの世界では、画期的といえた。
それを大幅に上回る、午前2時までの営業である。
「こんな店が続くわけない……続くわけない、が……続いたら、驚異だ」
パラパラと書類を捲っていると、グゥ、と腹の虫がなる。
いつの間にか時間は夜の3時。
流石にそろそろ眠る時間であるが、小腹がすいてしまったらしい。
「……ふむ。
試してみるか」
ポイズンワードはそう言うと、声魔法をベースに開発された、遠く離れた他者とコミュニケーション出来る機械……簡単に言うと電話……を使って、『笑木屋』へコンタクトを試みる。
「まだ誰か、残ってるかもしれないしね」
因みに彼の店である『筆舌』は、ラストオーダーが21時30分であるにも関わらず、それより遅く来た人達にも多少の融通を効かせていた。
果たして『笑木屋』はどの程度の融通が効くのか……あと、そもそも味はどうなのか……そんなことを考えて、何の気なしに、どうせ誰もでないだろう、なんて考えながらの電話であったが。
「お電話有難う御座います、居酒屋、笑木屋でございます!」
電話の向こうで、従業員がそんな言葉を発したのであった。
「あ、すみませんが、料理の配達をお願いしたいんですが……大丈夫ですか?」
「え、え、えええええ!?
な、生の……えええええ!?」
電話口の向こうは、何故か酷く困惑しているようである。
「え、えーと。
配達は厳しいですかね?」
「落ち着け、落ち着け僕。
すーはーすーはー。
……はい解りました、デリバリーですね、承りました!
それでは少々お待ちください!」
ガチャン、と電話が切れる。
一連のやり取りで、サウザンドニードル・ポイズンワードは戦慄した。
午前2時閉店の店が、午前3時に、デリバリーまでしてくれるという。
そしてそして、何よりも彼が驚いたのは。
「注文も、住所も、聞かなかったぞ……」
店員の阿呆さ加減、であった。
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それから数十分、夜食を諦めたサウザンドニードルは残りの書類に目を通すと、軽く欠伸をしてベッドへ移動しようとする。
その時。
ドン、ドン、ドン。
料亭をノックする音が聞こえた。
窓から顔を出して、ドアの方に視線を向けると。
「……こんばんはー」
其処には居酒屋『笑木屋』のオーナーにして、ボトムレスブラック公爵家の長女……ヴァルギリア・ボトムレスブラックが笑顔で手を振っていた。
何故自分が注文したと解ったのか……いや、何故自分が注文したい料理を解ったのか。
彼女の岡持ちからは、彼の大好物である、カレーの臭いが漂っていた。
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配達されたのは、至って普通のカレーである。
「ふにゃあああああ!?」
そのはずなのに。
サウザンドニードルは、全身を痙攣させて絶頂に至っていた。
成る程、自分の声は特徴的だし、好物も皆に知られているだろう。
だから、此処にカレーを配達したことに、そこまで驚きはしない。
しかし、このカレーの旨さはどうだ。
一口食べる度に、舌が跳ね上がり、体が悲鳴を上げ、脳が麻薬を垂れ流す。
これは、ダメなやつだ。
人間をダメにするカレーだ。
「どう?
秘密のレシピに一晩寝かせたカレーを継ぎ足した、自信作、なんだけど」
「うみゃああああい!
うみゃいよほほほほほ!」
「それは良かった。
……時にサウザンドニードル・ポイズンワード君、お願いがあるんだけど」
何故か帰らずに彼の食事風景を眺めていた少女が、彼に声をかけた。
「僕に、つかないか?
毎日このカレーが、食べられるよ?」
……それは、あまりにも魅力的な提案、しかし。
「らめ、らめなのおお!
ぼきゅは、ぼきゅはしょこらが好きなのおおほほほ!」
最後に残った彼の感情が、それを拒絶する。
自分の愛するショコラ・ホーリーシットが頭を掠めたのだ。
今回『笑木屋』に風評被害を与えているのも、彼女の頼みによるものなのだ。
「……そか、残念だ。
……僕の前世に『ご馳走様が聞こえないっ!』っていう乙女ゲームがあってね。
好きなキャラを攻略しながら、そのキャラの関連するレストランや料亭を世界一へと導いていくゲームなんだけど。
君はそのゲームに登場する、攻略キャラの一人だ。
『声』という、声を使って相手を洗脳する能力は、地味に陰険で、君によく似合っている能力だと思うよ。
糞みたいな毒舌しか吐かない君だけど、君の中の人が『越洲 敵男』様だったからね。
『テキラー』の僕は、君目的にゲームを買ったと言っても過言ではないよ。
しかも敵男様はそれまで基本ヘタレキャラオンリーだったのに、『ごちない』ではまさかのSキャラ。
もう、なんというか、僕ってば、それはもう。
……全身から鼻血を出したものさ。
さて、解説してあげたけど、理解できたかな?」
ヴァルギリアが何か話しているが、サウザンドニードルは、カレーに夢中で聞こえていない。
「さて……じゃあ、君も敵に回るということなんで、いろいろ試させてもらうよ。
僕の能力……『旨』の力を」
そう言うと、岡持ちの中から、新しい皿を出してきた。
「僕の能力は、『なんでも美味しく食べさせることが出来る』と言うものなんだけど」
スッと取り出したそれは。
どう見ても料理には見えない、裁縫用の針と、見たことのない植物を組み合わせたサラダ、のようなもの、であった。
「待ち針とギンピ・ギンピの生野菜サラダです。
ギンピ・ギンピってのはオーストラリアとかにあって、触るだけで10年以上の激痛を与える植物なんだけど、魔界にも生えてたから、持ってきちゃった。
……どう、これ?」
躊躇いがちに少女は呟くが、問いかけられた当の本人、サウザンドニードルは、カレーに夢中で全然聞いていない。
「……んー、やっぱりね。
千切って飾るだけでは、料理と認識されない、か……。
この様子だと、刺身とか、バーニャカウダも厳しいのかなあ。
じゃあ……これなら、どうかな?」
ボトムレスブラックが、針と草の乗った皿に、パラパラと塩を振りかける。
たったそれだけのこと、なのに。
「ひゅうううううう!」
サウザンドニードルは、今まで食べていたカレーを机に置くと、その、塩を振りかけたサラダらしきものを手元へ引き寄せた。
「お、調味料を振りかけるだけで、料理と認定されるのか。
これは大発見だね。
……では、改めまして。
待ち針とギンピ・ギンピの生野菜サラダです。
命が落っこちるくらい美味しいよ」
皿に盛り付けられたサラダを、サウザンドニードルは口一杯に含む。
待ち針が柔い肉を突き刺す感触と共に、口の中には血の味が広がったかと思うと、少し遅れてギンピ・ギンピによる気絶すら許さない絶望的な激痛が支配する。
何度も咀嚼して飲み込むと、自身の頬肉と一塊となった待ち針は、食道粘膜を越えて声帯、果ては気管までズタズタに引き裂いて、胃の中へ降り注いでいく。
その後をギンピ・ギンピが、優しく愛おしむように、丹念に痛みを振り撒いていく。
「う、うあ、うわああああああああああああ!!」
「どう、美味しい?」
「美味ひいいいいいいいいいい!
美味ひいのおおおおおおおお!!」
サウザンドニードルは頬から大量の貫通した待ち針を見せながら、感激していた。
自分はこれを食べるために生きていたかもしれない、とさえ思っていた。
「気に入ってくれたみたいで、良かったよ。
ほら、回復薬。
一緒に飲んだら死ななくて済むと思う。
まあ、これ以上食べるなら、声帯がどうなるかは分からないけどね」
おそらくこれ以上同じことを繰り返せば、声帯は破壊され、2度と美しい声を発することが出来なくなる。
それは商人としては死んだも同然。
しかし。
頭ではすべてを理解しているサウザンドニードルであったが、その手を止めることは不可能であった。
半ば自動的に口元へ運ばれるサラダ。
針で刺し、毒で傷つけ、その度に回復薬で歪に戻す。
繰り返すたびに彼の声帯は不可逆的に爛れていった。
「らめええええええ!
らめなのおおおお!!
人生台無ひになっちゃううううううう!!!!」
サウザンドニードルの嬌声に、ヴァルギリアは満足そうに頷くと、そっと耳元に囁きかけた。
「ああ、言い忘れていたけど。
お代わりもあるから、どんどん食べてね」
「ひゅあああああああああああああ!?!?」
笑木屋の夜は、更けていく。
部屋から少女がいなくなると。
後に残ったのは、空っぽになった皿と。
そしてもはや、声を失った人間だけ。
サウザンドニードル・ポイズンワード
料理店を複数営む商人で、ヒロイン・ショコラ・ホーリーシットの幼馴染。
美しい声であるヴォイスを能力に持つ……というか、中の人が神声優。
越洲敵男のファン、通称テキラーは越洲が死ねと言えば死ぬし、殺せと言えば殺す、キ○ガイ集団。
もともと彼はヘタレキャラ声優で売っていたのだが。
『ごちない』で彼が演じたドSキャラの音源は、今まで演じてきたヘタレキャラのMAD音源として、重宝されている。
ゲームキャラとしては中くらいのスキル。
風評被害を出すだけのスキルだから仕方ないね。