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200万円以上の200万円

 

 タンスの奥深く。そういうところに何があるかは人によって違うと思うけど、お金があるという人は少なくないだろう。へそくりかもしれないし、銀行に預けてもしょうがないからそんなところに置いているという人もいるかもしれない。

 私も、タンスの奥にはお金がある。二つの封筒があり、それぞれに100万円ずつ入っている。


 私、小畑佑奈は社会人二年目のひよっこなので、それを稼いだのは私だというわけではない。これはお母さんとお父さんのお金だ。


「佑奈。これ、あげる」


 タンスの奥に眠る札束を見る度に、私が家を出る少し前にかけてくれたお母さんの言葉が蘇る。その思い出はふんわりと温かく、まるで冷たい社会の風に打たれる私を毛布のように包んでくれるようだった。


「どうしたの? これ」私はお母さんがテーブルの上に置いた封筒の中身を見て、反射的に尋ねた。


「100万円よ。凄いでしょ」ふふ、と彼女は顔に皺を寄せて柔らかく微笑む。


「いや、そういうことじゃなくて」

 手元にあるのが100万円ものお金だということは、そんなものを今まで一度も見たことがない私でも分かる。「このお金、どうしたのよ」


 お母さんはパート主婦だ。彼女の安い給料では100万円も稼ぐのに少なくとも一年はかかるだろうし、その稼ぎも全部食費なんかに持って行かれたはずなので、100万円なんてそう簡単に得られるはずがない。


「このお金? へそくりよ」


「へそくり? こんなに?」


 ふふ、と彼女は笑う。上品で可愛らしい笑い方だけど、どこか人を騙すような不敵な笑みにも見える。「佑奈の二十年分のお年玉と、二十年分のへそくりよ」


「お年玉? ああ」

 私は毎年親戚から貰うお年玉を半分お母さんに預けていた。お母さんは毎回「佑奈が社会人になったら返してあげる」と言っていたが、私は「そんなこと言って、どうせ食費とかになってるんでしょ」と全く信じていなかった。


「本当に溜めてたんだね」


「当たり前でしょ? うちの家訓は『有言実行』なんだから」


「初めて聞いたけど」


「実はね、あなたを産んだ時から思っていたのよ。あなたが立派な大人になった時のために、お父さんに黙って貯金しようって」


 この家は決して裕福ではない。お父さんは普通の平社員だし、不景気の煽りも受けているから給料は三人もの人間を養えるほど高くない。お母さんがパートで稼いでやっと首の皮一枚繋がっているような状況だ。そんな苦しい生活の中でお母さんがお父さんに黙って貯金していたと思うと、自然と涙が零れた。


「何泣いてるのよ、佑奈」


「なんでだろうね……、分からないよ」


 二十年以上かけて100万というのは決して多い金額ではない。だからこそ、涙が止まらなかったのかもしれない。

 二十年出続けるんじゃないかというくらい、涙は止まらなかった。


 そんな泣きじゃくっている私の肩に、お母さんは陽だまりのような温かい手を置いてくれた。


「お父さんには内緒よ」


「……うん」






 その翌日、今度はお父さんが「佑奈。ちょっと話がある」と声をかけてくれた。


「どうしたの?」


 私はお父さんの隣の椅子(昨日私が泣いた椅子)に座り、お父さんの顔を見上げた。


「これ、俺からのプレゼントだ」お父さんは懐から封筒を取り出し、それを私の前に置いた。


 まさか、と思いながら中身を覗いてみると、お金だった。


「100万円だ。はした金じゃないが、一人暮らしをする上で少しは役に立つだろう」お父さんは照れくさそうに私から目を逸らした。


「どうしたの? このお金?」


「へそくりだ」


「あ、そうなんだ」

 夫婦は似ると言うけれど、へそくりの金額と使い道まで同じだとは……。「ありがとう……」


「覚えているか? 昔、お前が大人になって家を出るようになったら、慣れない生活に困らないように隠し財産をやる、って」


「あ、……覚えてる、それ」


 いつの頃だっただろう。多分小学生の頃だ。


「いつか佑奈も一人暮らしをすることになるんだぞ」


 お父さんは幼い私の目を見て言った。力強い眼差しだったのは覚えているけど。まだ幼かった私にはその強さの意味が分からなかった。


「そんなの嫌だ!」

 わけの分からなかった私はそこでごねたはずだ。「だってお母さんもお父さんもいないのなんて寂しいし、生活に困るじゃん!」


 すると、お父さんは嬉しそうに微笑んだ。当時の私は「私がいなくなるのがそんなに嬉しいの!?」と反抗してお父さんのおなかを叩いたけど、そうじゃなかったことは今なら分かる。


「違うって」

 お父さんは私のパンチを受けとめながら言った。「お母さんやお父さんがいなくて寂しいのは仕方ないな。お父さんだってお母さんだってその寂しさを経験したんだ。慣れるしかない」


 私はパンチをやめ、不貞腐れるようにぷくーっと頬を膨らませた。

 それを見てお父さんは微笑み、優しい口調で言った。


「心配するな。佑奈が大人になって家を出るようになったら、慣れない生活に困らないように隠し財産をやるよ」


 その時はこの貧乏な家にそんなものあるはずがないと思っていたけど、それは今私の目の前にある。


「まさか本当にくれるとは思わなかったよ。存在するとも思わなかった」


「あるに決まってるだろ。うちの家訓は『有言実行』なんだから」


 本当にそんな家訓があったんだ。


「まあ、隠し財産と言ってもたった100万円しか溜められなかったけどな」


 お父さんもきっとコツコツとお金を貯めてくれていたのだろう。昨日散々泣いたせいか涙は出なかったけど、自然と笑みが零れた。


「ありがとう」


 すると、お父さんは照れくさそうに立ち上がり、私に背中を向けて言った。


「お母さんには内緒だぞ」


 その言葉に私は思わず笑ってしまった。「……うん。……あはは」


「何笑ってるんだよ」


「内緒。うちの家訓は『有言実行』だからね」

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