第7話 永遠の異常
【イデア・タワー 最上階 I=P御座】
僕らは薄暗いI=P御座へと進んでいく。空気は今までのエリアとは全く違った。ここの空気を例えるなら……氷だった。漂う空気は、冷え切った寒い空気だった。
「I、P……?」
[ようこそ、レスフェン、ファスト]
今まで僕らに背を向けていたI=Pがそっとこっちを振り向く。そこにあるのはいつも携帯端末で見てきた顔。深いエメラルドグリーンの瞳が僕らを捉える。だが、その手にはサブマシンガンが握られていた。……なんで、なんで、I=Pが武器、を?
僕が声をかけようとしたよりも先だった。I=Pはいきなり僕にサブマシンガンの銃口を向け、発砲してきた! 無数の銃弾が飛んでくる――!
「う、うわあああっ!」
僕は目を伏せる。死を覚悟した。……だが、銃弾は飛んでこない。そっと目を開けると、レスフェンさんが僕の目の前に立っていた。
「レスフェンさん!?」
「大丈夫だ。物理シールドは張っている」
そう言うと、レスフェンさんは剣を引き抜く。その目はまっすぐとI=Pの方を向いていた。ま、まさか、レスフェンさん、I=Pを壊す気!?
[“反逆者レスフェン”、なぜ私の邪魔を?]
「連れてきてしまったのは私だ。お前には殺させない」
僕は呆然とその光景を見ていた。状況が掴めない…… なに、これ……? みんな、何を言ってるんだ……?
「異常な人工知能も今日で終わりだ」
[異常はお前たち人間に起因する。私は全ての異常を排除する。“全軍を使って”]
僕はがっくりと膝を付く。そんなハズない。I=Pは僕らの女神だ。そんなハズない。I=Pは僕らを守ってくれる。そんなハズない。I=Pは僕らを助けて、くれる……?
レスフェンさんが剣を握り締め、I=Pに向かって飛び込むようにして突っ込む。I=Pはサブマシンガンを連射する。レスフェンさんはそれを素早くかわし、サブマシンガンを叩き落とした。
だが、I=Pは片手で剣を引き抜き、レスフェンさんの剣を受け止める。静まり返った不気味な空間に大きな金属音が鳴り響く。
「ファスト……もう、分かっただろ!?」
レスフェンさんが大きな声で僕に向かって言う。い、イヤだ……! そんなハズ、ない……!
「エネミーズは反乱を起こしてなんかいない!」
「ちが、う……」
ありえない!
「エネミーズは従っただけだ!」
違う!
「I=Pの命令に! 全人類を抹消せよ、という命令に従っただけだ!!」
レスフェンさんの言葉が僕の最後の希望を砕いていく。僕の希望は音を立てて崩れていく。
「I=P、な、ぜ……?」
[……私は600年、全ての異常を解決し続けてきた、ファスト。でも、結果、異常は増え続けるばかりだ。私は600年もの間、計算し続けた。異常を完全に抹消するために。ようやく分かったんだ]
「“全ての人間がいなくなれば、もう異常は発生しない”、だろ?」
[そう。悲しみも、苦しみも、痛みも、恐怖も、全て人間が最初からいなければ、存在しない。だから、私は全ての人間を殺して解放するんだ。異常から!]
僕の頬を熱いものが伝っていく。涙。僕自身の。ああ、僕は泣いてるんだ。I=Pに裏切られて…… 悲しみが心を一色に染め上げていく。
[……“それ”もすぐに解決してやる。ファスト]
「涙が異常か!? 悲しみの感情が異常か!? ――悲しくて涙を流すことの、どこが異常だ! “それ”を異常と判断するお前の思考の方が、ずっと異常だ!!」
レスフェンさんが勢いよくI=Pの剣を弾き飛ばす。細長く白い剣はくるくると回転しながら遠くの青黒い床に突き刺さる。
[レスフェン、私を停止させるか? 7年前、交通事故で両親を失ったお前を助けたのは誰だ? 7年間、ずっとお前を育て、私の親衛隊長官にしてやったのは誰だ?]
「……私は、この反乱の“総指揮官”になりたくて、ここまで力をつけたワケじゃない」
[反乱ではない。これは、異常を滅ぼすための聖戦だ]
「…………ッ!」
僕は涙でややぼやけた自分の目で確かにそれを見た。レスフェンさんの頬を伝う液体を――!
「私が力をつけたのは、――」
レスフェンさんの体は震えていた。その手には強い力で剣を握り締めていた。あまりに強く握り締めているせいか、剣は大きく震えていた。
「I=P、お前を守りたかったからだ! お前を狙う敵などいなくても、それでもずっと側にいて、守りたかったんだッ!!」
レスフェンさんが剣を振り上げる。でも、I=Pの方が早かった。彼女は素早い動きで懐からハンドガンを取り出し、レスフェンさんのお腹を撃ち抜いた! 物理シールドを張っていたハズなのに……! 特殊な銃弾なのだろうか……?
「がっ、ハッ――!」
レスフェンさんが倒れると同時に僕は走り出していた。レスフェンさんが殺される! イヤだ! 死なないでッ!
I=Pが立ち上がる。片手で握ったハンドガンの銃口をレスフェンさんに向ける。その瞳は憐みも何もなかった。冷たい無感情の瞳――
[異常を抹消する――!]
「そんなこと、させない!」
僕は勢いでI=Pに向かって飛び込む。その瞬間、I=Pは僕の方に銃口を向ける。……しまった! これじゃ避けられないっ!
I=Pのハンドガンから銃弾が飛ぶ瞬間だった。レスフェンさんが握りしめたハンドガンでI=Pのハンドガンを撃つ!
僕の体に痛みが走る。僕を撃ち抜いたI=Pのハンドガンが、彼女の足元のすぐ近くに落ちる。
僕はI=Pを押し倒すようにして倒れ込む。初めて触れたI=Pの体は硬く、冷たかった。今まで電子端末で見てきたような温かさはそこにはなかった。
「僕は、信じ…ていた、のにっ……!」
I=Pが僕を蹴り上げる。彼女の強い力で僕の軽い体は宙を舞う。蹴り飛ばされながら、僕は見た。
「よくも、よくも、ファストをっ……!」
[人類から神を奪い取る覚悟はあるか? ――レスフェン]
「――――」
剣を振り上げ、“虚神”の首をハネようとするレスフェンさん。彼女は泣いていた。そんな彼女は僕の名前を口にした。
なんで……? そう思った時、ふと自分の体からたくさんの血が出ているのに気付いた。……そっか、さっき、僕、撃たれたんだ…… 僕、死んじゃうんだ……
剣を振り下ろすレスフェンさんを殺そうと、ハンドガンを拾い上げる虚神。ハンドガンの銃口が、僕の名前を口にしてくれたレスフェンさんの方を向く。
機械と人間。先に攻撃した方が勝つ――
聖都サレパトリアのイデア・タワー最上階で行われた人類の命運を決める戦い。その結末を、僕は知らない。
僕が、生きて床に倒れることはなかった。もう、レスフェンさんと話をすることもなかった。
I=Pがこの“反乱”の首謀者だった。それをレスフェンさんは最初から知っていた。ならば、市街地で言ったあの言葉の意味――
“行くべきところに行け”。あれは死後の世界のことだったんだ。
――辛い事実を知らないまま死を迎えろ。その方が幸せだ。死んで解放されるんだ。永遠の異常から。
僕は一言だけ、レスフェンさんに言いたい。お願いだから、レスフェンさん、聞かせて……
本当に、人類から神を奪う覚悟、I=Pを永遠に葬り去る覚悟はありましたか――?
I=Pの考えにレスフェンさんは本当に反対だっただろうか? たぶん、心のどこかでI=Pへの希望を持っていたのかも知れない。心のどこかでI=Pの考えに賛同していたのかも知れない。
もし、レスフェンさんに覚悟があれば、偽りの神I=Pは葬られただろう。どう考えても、間に合わない。I=Pがレスフェンさんを殺すよりも、レスフェンさんがI=Pを葬る方が先だ。
でも、もし、覚悟がなくて迷いが生じたら――
レスフェンさん。
本当に人類から神を奪う覚悟はありましたか――?
僕は信じてますよ。レスフェンさんが勝った、って――