日常に戻ってきました
「ただいまー」
当然の事ながら、臨時休業中の札のかかった店の玄関の横を通り抜け、裏口から中に入った。バタバタという慌ただしい足音がして、いつもの三人がカウンターに顔を揃えた。なはは…、と笑う俺を見てほっとした表情を誰もが取ったが、それは一瞬だけの事。すぐにドツかれた。
「ヤ…ヤメロって!怪我人なんですよ俺!」
「涼兄なんて知らない!こっちがどんだけ心配したと思っているんだよー!」
「こ…の…、大バカ野郎!ムダな事に気を割かせんな!」
「もしもの事があったら何と説明させる気ですか!それよりも何度こういう目に遭えば気が済むんですか!」
散々どついて気が済んだのか、三人とも一通り怒鳴るとスッキリした表情になった。逆に俺は倍増しでグッタリ。よく体力が残っているもんだよ。普通なら倒れている。
「…何はともあれ、お帰りなさい」
「…ただいま。……山神の元へ姫神帰ったよ。だから多分もうゴタゴタは無いと思う。詳しい話はまたきちんとするから、とりあえず寝させて。…疲れた」
そう言って部屋へ戻ろうと三人の横を通り抜ける時に、棕沙がギョッとした表情で俺を呼び止めた。
「涼君、背中…」
「ん?」
そういや、ブチ切れた山神にバッサリ切られていたんだっけ。確かにあの切られ方だったら、今の今まで忘れるなんて芸当はできないよなぁ…。となると、姫神がお返しに一寸はどうにかしてくれていたって事かな。
「…そのまま放っておく訳にもいきませんね。奥で手当てでもしましょうか」
「…はい」
「改めてよく見て思いますけど、よく無事に帰ってこられましたねぇ」
「そんなにひどいのか?」
「すごいですよ。あ、多分沁みますよ」
そう言って消毒液で傷口周辺の汚れやらを拭き取っていくのはありがたいんだけどさ…。頼むからもう一寸気をつけてやってよ!傷口から沁みるから!痛いって!
声を出さずに我慢していると、棕沙は笑いながら自業自得ですよ、と言った。…そりゃないよ。ひどいよ。
「傷がすごいのはすごいですが、縫う必要がある程ひどい訳ではないですね。でも痕が残るのは覚悟しておいて下さいよ。…他の傷も一応処置しておきますから、まだもうしばらく我慢して下さいね」
そう言いつつ手際よく薬を塗って処置をしていく。因みにこの薬は店長オリジナルの、この店特製の傷薬だ。ありがたい話だが、とてもよく効くのでこの辺りじゃ超売れ筋商品だ。
…あー、そういえば明日は体育無かった筈だけど、今週から剣道かー。着替えた時に何か言われるかなぁ…。それよりも先生にバレたくないなぁ…、と、俺は包帯でグルグル巻きにされながら考えていた。…バレようもんなら後が問題だ。いや、むしろ大問題だ。大問題になって、また俺が面倒に巻き込まれる事になる。…それだけは嫌だなぁ。
「はい、できましたよ」
仕上げに一発、背中を叩かれた。…だから痛てーよ。本当、痛いからやめて頂戴。
「…ありがとう」
「いいえ。いつもの事ですから」
ニッコリと笑われるが、返す言葉が見つからない。…完全猫被りモードの時は棘入りだ。要注意、要注意。
数日後。学校に行けば、いつも通りの日常―友人とのしょうもない話、正直言ってつまらなかったりする授業、忙しい部活など―が俺を待っていた。教室で、いつも通りの指定席で、最近になってようやく手に入れた音楽プレーヤーで最近お気に入りのバンドの曲を聴きながら、俺は頬杖をして外をぼんやりと眺めていた。
「龍川ー、おはよー」
声を掛けてきたのは、これまたいつものメンバー。…そういえば、昔のチームでサッカーしようとか言っていてそのままになっているなぁ…。
「あのさ、この間のサッカー、決着つけようってあっちが言ってきたけど、どうする?」
「結局そのまま中途半端なままお流れになっちまっているもんなぁ。メンバー全員揃うのって、いつだ」
『明日』
錦戸以下、その場に雁首揃えて集合していた元流星メンバーが、口を揃えてこう言った。
「後はお前だけなんだ。あっちも明日ならって言っているし、いつものあの古墳の所のグラウンドも明日なら空いてそうなんだ。どうする?」
「明日、ねぇ…。…いいじゃん、やろうよ。俺も暇だし。バイトも部活も、両方とも休みだかんな」
「んじゃ相手方にそう言っとくよ」
そう言って、交渉役をしていた奴が携帯片手に教室を出た。西宮は早速作戦を練り始める。俺たちもどうするか、あーだこーだと大声あげて騒いでいた。そんな俺らを、教室にいた他の関係ない奴らが『何だ、あの集団?』という目でこっちの事を見てきていたが、そんなのは無視するに限る。今しかできない事は、今のうちにしておくに限るからな。
その日の放課後。俺は日暮れまで生徒会室で部活の班誌の印刷やら製本やらで慌ただしく過ごしていた。いつもなら生徒会総務部の奴らがそこにいるんだけど、班誌の印刷・製本の時はいつも班長が会長を買収して許可を貰って、俺達で借り切って作業をしている。総務の奴らにはそれとなく文句を言われるが、会長が許可を出しているからどうしようもない。仕方がなく奴らは隣の空き教室に一時的に引っ越しする羽目になる。ま、詳しい話はあまり聞かない方がいいだろう。だから俺がバイト先に帰ってきたのはすっかり日が暮れて暗くなってからだった。
「ただいまー」
結局、あの後俺は店に住み込む事を正式に決めた。店と親の間でもやり取りがなされた。ま、休みになれば家の方にも帰っているけどな。
「お帰りなさい。夕飯できていますよ」
「ありがたっ!もう腹減って死にそー」
そう言って着替えるために2階の部屋へと戻る。窓から空を見上げると、真っ暗なキャンバスに散らした輝きが、心持ち自己主張しながら点在していた。
事件は、終わりを告げた。
俺達はこれからも変わらない日常を生きていく。物語にあるような事なんてそうそう起きやしない。変わる事が無いから、詰まらなくなる事もある。でもふとした瞬間に運命の女神は俺達に微笑みかけてくる。それは目に見えて分かる時もあるし、いつの間にか事が始まっている時もある。俺達はそれに気付いたり気付かなかったりしながら、のんびりと生きていく。そして、時々行き詰まるんだ。行き詰って逃げられなくなって。自棄になって。でも、差し出してくれる手があるなら、また立ち直る事ができる。先へ進む事ができる。別の選択肢を選ぶ事ができる。そして、こんな現実で、俺はよかったと思う。
例えどれ程悲しく苦しく辛い茨の道を歩む事になったとしても。
俺は一人じゃないから。
隣にいて支えてくれる、仲間がいるから。
だから俺は、ヘコんでも、倒れても、決してそのままではなく立ち上がって生きていく。
新しい世界、新しい仲間に会いたいから。
今までにないものを見てみたいから。
そして何よりも、新しい自分に出会いたいから。