表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
承ります  作者: 滝川蓮
4/7

出発準備 完了しました

 結局今日は個人作業で一日が終了。俺はそのまま店へ行く…のがいつものコースだが、今日は珍しく家へ直帰した。

「ただいまー」

「お帰り。あら、今日はバイトじゃないの?」

「休みだよ。…なぁ母さん、俺がもし住み込みでバイトするって言ったら、例えそれが短期間でもマズイかな」

 母さん、声には出さなかったけどかなり動揺したみたいだ。台所が一気に騒がしくなった。

「…母さん?」

 恐る恐る覗いてみると、食器等の被害は無いが、蛇口を捻りすぎて飛び散った水の後始末をしていた。

「涼、あんたそれ例え話よね?」

「そうだけど。どうかした?」

「実はこの間ね、あんたがあの店で楽しくやってるみたいだから、住み込んでも良いんじゃないかな、なんてお父さんと話してたのよ」

「え、じゃあ父さんも賛成なのか」

「…例え話じゃなかったの?」

「うっ…」

 冷や汗タラリ。でも、もし母さんの話が真実なら、棕沙が来たら話はこじれる事無く一発で決定出来ると思うんだけどな。やっぱ見た目って、商談の強みだし。俺だけだとこじれて結局破談って事がありえそうだもんなぁ…。

「…例え話だよ」

 そう言って自室へ行こうとする俺を母さんが呼びとめた。

「あんた宛てに何か来てたから部屋に置いといたわよ」

「はーい」


 実のところ、母さんに部屋に入られるのは俺にとってかなり嫌な事である。そのまま放置してくれているならまだしも、勝手に荒らして置き手紙、なんてなったらもはや腹を立てる気力すら萎える。おちおち物を隠す事すらできない。

 どうしてうちの親はあそこまで過保護なのかね。

 で、その割に俺の部屋に物を置く時は畳の上に『ポイッ』だ。事実、俺の目の前には畳の上にすっ転んでいる業務用封筒がある。

「…誰だよ、こんな封筒に物入れて送りつけてくる奴」

 引っ繰り返して差出人を見て納得した。西宮だ。という事は、頼んでいた情報資料か。

 俺が面会予定を土曜の昼にしたのは、別に予定が入っている訳ではなく、学校帰りだと帰宅時間が全く読めないからだ。休日なら何かと理由を付けて外出可能だ。…田舎だから長居が出来る様な気がする。

 現在時刻は午後6時30分。店まで行ってたら晩飯を食いそびれる。…とりあえず俺が請求した資料だから、読むだけ読んどくか。

 部屋は鍵がかからない。そりゃ襖だからかけられないのは当然だけど。でもそこで開き直って資料を呼んでいて誰かが入ってきたら後が面倒だ。…どうすっかな。学校で読むのも面倒だし…。


 ついにその日が来た。必要最低限の物だけが入った幾つかの段ボール箱が積んである部屋を見て、俺は何とも言えない気がしていた。いざ実行してみると、さほど解放感が無いのだ。

「涼君、どうです。片付け手伝いましょうか」

 袖までシャツを捲り上げて、盆にコップとやかんを載せて持ってきた棕沙がそう尋ねてきた。

「いや、別に一人でもできるよ。それよりも今日の来客予定の人、もう来た?」

「はい。下で店長が世間話をしておられますよ」

「わかった。降りる。待たせちゃ悪いだろうし」

 どのみちこんなもん、一日じゃ終わらん。

「下、行こ」

「はい」

 棕沙が手に盆を持っていたのは、恐らく応接間から下げたのを台所へ持っていかずに、そのまま二階に持って上がってきたからなんだろう。その証拠に、あまり慎重に運んでいない。茶が入っていたらある程度は慎重になる筈だ。それに、俺の真後ろにいた筈なのに、応接間に入ってきたのは俺のすぐ後ではなく少し遅れてからだった。

「店長、遅れてすみません」

「気にしなくていいわよ。私もこの人と話がしたかったからね。…あんただね、私に聞きたい事があるって言ってきた子は」

 店長に向かい合わせに座っていたのは、背筋のシャンとした身なりの良い70代のおばあさんだった。座っているからよくは分からないが、身長は160程度だろう。…思っていた以上に背丈あるじゃん。店長がチンマイって言うから140ぐらいかと思ってた。

「初めまして。龍川涼です。今回はご足労いただきありがとうございます」

「しゃちほこばらなくって良いの。さて、と。私の自己紹介もしないとね。私はこの地区の土地神、あんた達に分かりやすいように言うと、割川の無人の祠の方の主ってとこだね」

「じゃあ本社の方は…」

「あっちは後付。あれがあるから、今回のこの騒動があるんだけどね。あ、話長いから気楽にしておきなさい」


「まずは話を整理するとしようか。あんた達は今回のこの一連の事件について、どこまで話を理解しているんだい?」

「俺らが理解しているのは…。これには山神が一枚噛んでいる、神獣がこの間から目撃されているモノの正体であるって事位ですね。大きくまとめると」

 手に入れた情報を整理してまとめてみると、実はこんなもんだった。西宮から仕入れた情報は、元が噂だからジャンクも少なくない。また、店のファイルから手に入れた資料も、たいして手助けにはなってもいなかった。

「そこまでは分かったんだね。そ、その山神が今回の黒幕」

 俺はここでギブアップ。

「すいません。話に追いつけません。順を追って分かりやすく教えてもらえます?」

 頭の中で情報が自由行動開始中。せっかくこっちが出口に気付いた時には別の奴らと手と手を取り合ってダンスを踊っていやがる。手綱を引こうにも言う事を聞こうともしない。

「仕方ないわねぇ。まぁ依頼したのは私だから、説明くらいはしないといけないでしょう。まず今回の事件の大軸になっているのは、衣笠山に居を構える山神と、割川の本社に祀られている姫神こと山姫。この二人が今回や昔の騒動の原因。何でなのかという事を説明しようと思うと、源平合戦の頃まで戻る必要があるの」

 何で。

 片頬に手を添えて、昔を懐かしむ様に目を細めておばば様はこう言った。

「あの二人ね、元々は人だったのよね…」

 …何それ。

「それは、お二人が死後にこの地区で祀られてきた、という事ですか?」

「棕沙、いたの」

「先程から、ここに。お話の腰を折ってすみません。続きを」

 軽くおばば様に礼をしてから、出入り口の近くに正座した。それと入れ違いに、店長が出ていった。

「話戻すわよ。お兄さんの言う通り、あの二人は死後にこの地区で祀られてきたわよ。で、あの二人は元々は夫婦みたいなもんだった訳よ。山神の方は、衣笠山にあった山城の主。一方の姫神は、その人に仕える戦巫女。ある日、山神の方はとある理由で死んでしまった。残された彼女は、この辺りに住んでいた人達に迎えられ、山神を祭る姫巫女として生かされた。そして、彼女の死後、ここに出来たのが今で言う割川の本社という訳よ」

「えーとー、じゃあ元々ここを治めていたのは…」

「私という事になるわね」

 …頭ショートしそうだ。統治する神を人が変える事って出来るのかぁ?なんつーか、自己中…。

「続き話すわよ。彼女が姫神として祀られる事になった時、彼女は自分と彼に呪を掛けた。過去を忘れ、己の仕事をこなす為に、ね。その時にこの地区の周囲に結界が張られた。それから今に至るという訳よ。…理解出来たかい?」

「…はい」

 何となく流れが見えてきた。つまり、今回のは…、年数的に呪の切れた山神による奥さん奪回計画だったって事か。そう考えたら辻褄が合う。…でも、もしそうなら何でおばば様は俺達に部下の捕獲を依頼してきたんだろう。それと、あちこちで目撃されているあいつらも。

「あの、おばば様。何で俺達に依頼をあのような形で?」

「あれねぇ。あんた達は傀儡(くぐつ)虫って知ってるかい?」

 傀儡、傀儡…。操り人形の事だよな。虫という事は寄生虫って事だろうなぁ。操る虫だと考えたら…。

「傀儡虫は、宿主の体をそいつの思いのままに動かす事が出来る。また、その傀儡虫自体は、人工的に作られたモノである。そうだろ、川姫」

「懐かしい名前で呼んでくれるねぇ。そうだよ、傀儡虫はそれを作った主が遠くの手の届かない物を思いのままに操る為に存在するのさ」

 店長が戻ってきた。片手に最近の依頼書を挟んだファイルを持っている。俺達がここで話を聞いている間に取りに行っていたらしい。

「これが川姫…エート、おばば様、もっと詳しく言うとここの土地神様が依頼してきた内容だ」

 俺達の間に広げたファイルの一ページを店長は指差した。

「『山神によって作られた傀儡虫に部下の神獣が取りつかれた。その捕獲と虫退治を依頼する』……結局退治任務ですか」

「そういう事だ」

 一度もそんな事言ってくれなかったじゃないですか、と視線だけで無言で訴えても店長は何食わぬ顔のままだ。

「そう言えば店長、なぜおばば様が川姫なのですか?」

「棕沙、お前知らなかったの。彼女はここの土地神であるけれど、ここを流れる川の守り主でもあるし、旅人の守護…道祖神の様な事もしている。だから川姫なの」

「元はと言えば、私はここを流れる菊花川に住んでいたのよ。そこからこんな役職持ちになっちゃってね。だから最初はただの低級の河伯よ」

 河伯は大陸において河川の神の事である。…例えで言っただけであって、本当に大陸から来た訳ではないんだろう。

「で、話を元に戻すと、俺はまず傀儡虫退治をして、それから山神をどうにかすりゃ良いって事ですか」

 直接的には言われていないが、ここまで来たら奥さんを帰してやるか何かしないと、このままだと地区の方、現実の方にも被害が出てしまう様な気がする。二人とも元々は人だったらしいし、過去の話を考えると彼はよっぽど、本当に大切に彼女―姫神となった姫神で、彼の大事な大切な戦巫女―の事を思っていて、今もそう思っているんだろう。それなのに引き離されたりしたら…。大荒れになるよなぁ。

「今回の任務、普段の物とかなり違ってますよね。しかも、簡単に終わるとも思えないし。そうっすよね」

「まあなー。川姫、部下達ってどんな奴ら?今、大体どうなっていると思う?」

「…店長、今更ですが、相手はここの土地神様なのですが」

 棕沙にボソッと突っ込まれて、店長は小さく黙っとけ、と毒づいた。おばば様はそんな二人を見て、袖で口元を隠しながら目元を下げて笑っていた。…おい、店長、笑われてっぞ。

「今の私の神獣ですか?今は皆、黒毛の山犬の一族でございます。輝く黒の毛並みですね。まぁ目撃された方々は狼だと思われたらしいですが。恐らく彼等は、今は私の神域…つまり姫神の張った結界は越えていないと思いますが、外側から山神が掛けている圧力と共同で破ろうとしているかと」

 山犬…か。そうか、今も生きてたんだ。確かに今のご時世じゃ山犬を狼と見間違えてしまうだろうなぁ…。山犬なんて、動物園にいるかどうかぐらいだしなー。

「おばば様、一つ気になったのですが、姫神の結界とおばば様の神域は同じ物なのですか?」

「違うものであって、同じものかね。元々私の神域、力の及ぶ範囲は菊花川を中心としてこの地区全体なのよ。姫神の結界というのは、私の神域だと言われているあの範囲の事。…大体理解出来るかね?」

「つまり、おばば様の神獣達が破ろうとしているのは、おばば様の神域の中にある姫神の結界、という事ですか」

「そういう事だね」

 俺の頭の中では巨大なキャベツとタマネギがプカプカ浮かんでいた。数Aのベン図も出てきたが、それにはあえて無視を決め込む。…棕沙、何で分かるの?

 …それよりも、楢麓どうしてるんだろ。ずっと上で一人にしていて怒ってないかな。

「じゃああれだな。姫神の結界が破られると山神がこっちまで来るのも時間の問題って訳だな。丁度、涼もこっちに住み込み始めて時間の融通も聞くし、サッサと片付けるか」

「私は構いませんよ。彼がどうかは知りませんが」

「あぁ、こいつはここのバイトで依頼の代理人なんで」

「…人の労働力を勝手に当てにすんなァ!」

 時々、人に瞬間湯沸かし器みたいだと言われるが、これは仕方ないだろ。

 で、ついにおばば様が声をあげて笑ってしまった。


 二階へ上がると、部屋のドアの隙間から楢麓が顔を覗かせていた。

「店長は?」

「下でまだ話中。どうかしたか」

 しかもよく見ると髪形がボサボサだ。窓から外に出てたのかな。

「店長に言われてやった事報告したいんだけど…。兄ちゃんでも良いや」

「構わないけど。部屋、入るぞ」

 楢麓の部屋は、ここの住人の中で最も整理されている。物がちゃんと収納されているから、床が広々と使える。逆にほぼ座る場所が確保できないのは、実は棕沙の部屋だったりする。本棚や段ボール箱が所狭しと並べられ、その中身はぎっしりと詰め込まれた本。棕沙は基本的に長編のシリーズ物を好む傾向がある。その為どんどん冊数が増えていくんだよな。でも、同一作家の全集とかには手を出さないし、同一作家でも好き嫌いが出てくる(…これは当たり前か)。あ、それとアンソロジー系も嫌がる(これは俺も苦手)。そんなこんなで部屋がものすごい事になってしまっている。因みに店長の部屋はシンプルにスチールラックに物が入れてある。物自体少ないし。…俺はまだ部屋中段ボール箱。

 部屋に入った俺は、畳スペースの上に胡坐をかいた。

「で、報告って何さ。つーかどこ行ってたんだ。俺らが下で話してた間によ」

「ちょっと、頼まれて…」

「だーかーら、それは分かってるから、その内容を聞いてんの。外まで一体何を調べに行ってたんだよ。正直に言えよ。報告するんだったらそれだけでも良いしさ」

「えーとー…、割川の本社。姫神様の様子見て来いって、店長が…」

「…分かるもんなの?」

「分かる奴には分かるんだよ。涼、楢麓を絞り上げるんじゃない」

「絞ってねェ!つーか店長、何を調べさせたのさ。姫神の様子なんて調べてどうすんのさ」

 戸口に凭れる様にしてフラッと立っている店長に背を向ける様にして座っていた俺は、首だけ捻って背後からの声に文句を言った。

「決まってっだろ。今の姫神がどうなのかが分かんねェと、旦那の元に帰してやるにしてもどうするべきか計画立てらんねェだろ。で、どうだった」

「うーん、本殿の奥に御神体代わりに収めてあるのが多分依代だと思うんだけど、もしかしたら本物は別の所にあるのかも。で、姫神様自体は、もう具体的な形は無いし、力もそんなに残って無い様な気がする。多分依代の中にいうから、依代ごとパクルしか方法は無いかなぁ」

 まさかの神様の依代を盗むんですか。どこにいます、そんな泥棒。

 で、恐らく一連の作業をして帰すまでを俺一人でしなきゃならないんだろうなー。ま、一応今回は依頼任務だから、長時間危険任務となってもたんまり報酬は貰えるだろ。……本当にどっかの作業員みたいな考えだな。

「店長、棕沙呼んできた方が良いっすか」

「あーそうだな。早めに片付けるか。川姫には早めにするって言ってあるから日は未定状態だし。よし、どっちかあいつ呼んできて。今は多分下のカウンターか台所だろ」

「じゃあ俺行ってきまーす」

「お願い、頼む」


 パタンと音を少し立てて部屋のドアが閉まったのが聞こえてから振り返ると、店長があまり穏やかではない表情をしていた。

「…どうかしました」

「涼さ、お前、神域に行った事無かったよな」

「…と思いますが」

 普通の生活をしていたらまず立ち入る事が無い神域。地上…俺達が普段生活しているここで神域と呼ばれているのは、本当は形だけのもの、目に見える形になっているだけであって、本物ではない。本物は、こことは少しだけ次元や位相がズレた所にある。だから時々スポッと落ちた人とかが一時的に行って戻って来る事がある。神隠しもこうやって起こる。

「まず俺、異界自体あんま行った事無いっすよ」

「そうだよなぁ…」

 俺達の仕事場は、何があっても基本的にこの現実世界の上にある。たまーに妙な依頼で行く事はあるが、そうそう行かない。

「しかも今回は神域だから、時の流れ方がどうなってるか分かんねェしなー。多分そんなに大きくズレているとは思わないけど、多少はあるだろ。それに、神域は長居し過ぎると後が大変だし出入りで迷子になる可能性が無いとは言い切れない。迷子にでもなろうもんなら、誰かが引き揚げるまでそこにいる事になるし、精神破壊はあっという間だ」

「戻って来れても廃人って事っすか」

 店長が大変だと言うんだから、よっぽど大変だって事だ。実際に俺が行った時も、帰る時はとにかく大変だった。気を抜こうもんならすぐに引きずりこまれそうになったもんなー。


「店長、呼びました?」

 棕沙がやってきて、全員集合となった。

「よーし、揃ったな。棕沙、下の受け付けは?」

「閉めてきましたよ。気にしないで下さい」

「よし。じゃあ本題に入るけど、今回のこの依頼、手順として、まず川姫の所の神獣に憑いた傀儡虫を退治する。その次に、依代をパクる。パクり次第、穴を見つけて山神の所へ行く」

 いや…最後の最後で大変じゃないですか。穴を見つけるって、どこに見つけてどう行くんですか。て言うか、行き先は…どこ。まさかの山神の神域へダイブですか。そんなとっても危険性のある事、俺はやりたくないんですが。

「とりあえず、任務の一つ目の計画を立てましょう。今から考えてもいざ実際にその時になると変わってしまう事もあると思うので」

「そうだな。じゃあ、どうやって傀儡虫を退治するか、か。あれってパッと見ただけだといるかいないか分かんないけど、確か退治法あったよな。燻せば良かったんだっけ」

「俺が見てきた奴、木気虫だったよ。多分蛇が元だと思う。神獣達、土気で水神の卷族だからバッチリ抑えつけられてるっぽい」

 この自然界は基本的に五行の相生と相克で成り立っている…らしい。店長はそう言うけれど、俺はよく分からない。こういう時もそれを考えた方が効率的に対応できるらしい。ザックリでも陰か陽か、位は判別した方が良いって、店長前にそう言ってたな。

「だったら燻すよりも切った方が良いか」

「傀儡虫、切って退治するのって難しいよ。的が小さいもん」

「…店長、私がするのでは駄目なのですか?」

 棕沙はその昔…とても昔、隊商の護衛をしていた時に『浄化の射手』と呼ばれ重宝されたらしい。良くは知らないが、グールとかそういった砂漠に出る怪物退治に特化した護衛、正確に言うと傭兵だった、らしい。

「…腕前、落ちてないだろうな」

「力の行使さえ認めていただければ」

「うーん」

 店長は暫く唸っていたが、ボソッと、『仕方がないか』と呟いた。

「涼、棕沙と二人で行ってこい。迷惑かけんじゃないぞ。良いな」

「わーってるよ、それくらい。そこまで馬鹿じゃねーよ」

「なら大丈夫か。…善は急げ、だ。棕沙、夜になり次第行けるか」

「準備さえ出来れば。久しぶりなので少し時間がかかるかも知れませんが」

「涼、お前はいつでも動けるよな」

「まあね。店長命令さえあればね」

「…可愛げの無い奴だな」

 呆れた様なボヤキは無視する。俺だってこんなバイトするなら給料欲しいよ。結構危険なんだから。

「店長、俺、どうしてたら良い?」

「楢麓はー…今回は留守番。…あ、待てよ、じゃあ二人を案内してきてくれ。奴等の集まっている所までの直登ルートを、な。案内したらすぐに帰ってこい」

「はーい」

「待てよ店長、あいつら…傀儡虫に憑かれた奴らがいるのって姫神の結界内だろ?でも普通に姿が見えてるって事は出入りできるんじゃないのか?何で道案内が要るんだ?」

「それは、結界が薄くなっているから見えているだけであって、本来なら見えないもんだ。それに、あの結界は気軽に出入りできない。…分かるか」

「…なるほどね。分かった、理解したよ」

 何で道案内が楢麓なのか、は今は尋ねないでおこう。どのみちこいつは昔どこぞの神域でバイトしてたんだ。結界の道案内位出来ても何らおかしくない。

「よし、じゃあ店長命令だ。棕沙は傀儡虫の退治、涼はそのサポート及び警護、楢麓は二人の道案内。以上、質問は」

 俺達は無言で返事に代えた。

「じゃあ時間は本日に7時以降。全員解散!」

『はい!』

 それを合図に各自部屋から出ていった。俺が部屋から出ていく時にチラリと振り返ると、店長は膝の上に肘をついて、まるで祈るみたいに指を組んで、その組んだ手に額を乗せていた。店長がこんな態度を取るのは珍しい事だから、本当に危ないのかもしれない。…でも、俺からしたら今回の一連の工程のラストを飾る奴の方が怖いんだがなぁ。ま、気持ちだけでもありがたく貰っておくか。


 部屋に戻るなり、俺はいつでも使えるようにと分けておいたバイト用の段ボール箱に入れていた荷物を全部出した。その中には、いつも俺がバイトで使っている荷物類と共に、滅多に使われないお守りが入っている。今までにそれを使った事は片手で数えるほどしかない。というか、ハッキリ言ってお守りなのか怪しいぐらいだ。

 俺の家族は全員徒人だ。なのになぜか俺だけが見える。その鍵を握るのがこれだと店長は言う。普段は机の引き出しに入れてあるんだが。

「…今回は使わんとマズイだろうなぁ」

 掌に載せてあるそれは、材質は何なのかは不明だがはっきり言って数珠である。青く透き通った色をしているそれは、その見た目とは反対に、大体の場合において、こいつがいると俺は間違いなくヤバい目に遭ってきている。で、大体の場合、こいつを持って行かなきゃならんのは、のっぴきならない様な依頼をされた時か、今回みたいな面倒な状況の時か。大体その二つに一つだな。…店長は何でこんなもんを持ってたんだろ。

「そんなことより、仮眠しよ」

 既に確保してある睡眠用スペースの傍に、夜使うものを置いて、時計のアラームをセットしてから、俺は横になった。


 ―さてさて、あぁは言いましたが、本当に使えますかね。

 棕沙は、自室の鏡に映った自分を見ながらそう考えていた。彼がその力を押えてからもうかなりの年月が流れている。封を解いたら、力はあるだろうが果たして体がそれに耐えられるかどうかが不明だった。それと、力をきちんと使いこなせるかも分からない。

 あのとき使っていた弓矢は、とうの昔に無くなってしまっている。各地を放浪しているうちに手放さざるを得なくなってしまったのだ。

「あれがあると一番良いんですけど、今時そう易々と手に入る物でもないですしねぇ…」

 困りましたねぇ…と呟いて本の山となっている自室を見渡す。

 本当は別に弓矢でなくても良いのだ。自分の力を飛ばす物に乗せれば良いだけなので、最悪小石でも代用可能なのだ。

 悩んで立ちつくす彼の背後でドアがノックされた。

「入るぞ」

「店長。どうかしましたか」

「渡したいもんがあってな」

 そう言って入ってきた店長は、確かに布に包んだ何かを持っている。

不思議がりながらも棕沙が受け取ると、それは布越しにしっくりと手に馴染んできた。

「…店長、これは」

「中身を確かめてから尋ねな」

 そう言われ彼がゆっくりと布を剥いでいくと、使い込まれて色が黒くなった一本の短い長弓とその弦、そして矢筒に入れられた矢が姿を現した。

「僕がまだ大陸にいた頃に偶然骨董市で見つけて、一目惚れして即購入した物だ。矢だけは仕方ないから作り直したが。…お前の、だろ?」

「…えぇ。確かにこれは私が使っていたイチイ材の物ですね。二度と会えないとばかり思っていましたが。これがあるなら力の制御も楽だと思います」

「あ、やっぱり自信無かった?」

「少しは。やはり馴染みの相棒が一番気を使わなくって済みますからね」

 にこりと笑って、棕沙はこう返した。

 だが、弦を張って、一回ビィンと鳴らした時は、その表情は恐ろしく無表情になっていた。

「…あぁ、やはり良いものですね。店長、一回試しに射ってみて良いですか」

「構わないけど、この部屋からするのか」

「まさか。それ位は考えますよ。…ここでやったら雪崩れるかもしれませんしね」

「そう考えるなら整理しろよ」

「すみません」

 こう返事をした時には、さっき一瞬だけあった鋭さは消えていた。


 一階へ降りていくと、庭は丁度良い具合に日陰になっていた。

 庭の端にダーツの的と同じ様な板を取り付け、それとは逆の端に矢筒を背負い、弓を持った棕沙が立った。彼は、弓を小脇に抱え、左耳に一つだけ付けていたイヤリング―はっきり言って、丸い青い石を一つぶら下げただけの物だ―を慣れた手つきで外した。カシャン、と軽い金属音を立ててそれがポケットの中に仕舞われると、棕沙の周囲の空気が大きく変質した。と言うよりも圧力が大きくなったというか、まるでそこだけ見えない結界が張られて空気と反発している様だった。

「…お前、どんだけ押さえ込んでたんだよ」

「まだこれでも抑えている方ですよ。自分では抑えられない分を、この制御具で抑え込んでいただけです。…全部解放した方が良いですか?」

「…その方が良いんじゃねぇのか。周囲に被害が出ないのなら、な」

「なら、いきますよ」

 棕沙の髪を括っていたヘアゴムが音を立てて切れた。解けた髪が、風も無いのに宙にたなびく。その様は波の様だった。隣に立っていた店長は、そろそろと屋根の下へ避難した。避難したのを棕沙が横目で確認した。

 最後まで抑えていた分が全部解放された。地面に生えていた雑草が、棕沙を中心に同心円状に倒れていく。店長が掴まっている縁側の柱が目に見えて震えている。

「な…何やってんの!?」

「棕沙…おま…、あれって制御具か!つーか何やってんだ、二階まで余波来たぞ!場所が無いから解放した力を真上に出すのは良いけどさ、余波出すなよ。っていうか、力強すぎだろ!」

 二階にいた二人が、庭に面した窓から身を乗り出してきた。楢麓は単純に驚いただけらしいが、涼の場合は心持機嫌が悪そうだ。

「せっかく人が仮眠取ってたのによ!」

「すみません、起こしてしまいましたか。そんなつもりは無かったんですけど」

「どーせならついでだ。試しにやっとけよ。二人も良い機会だ。全力解放の棕沙の清めの矢、見ておけ」

「店長、それは買い被りすぎですよ」

 笑いながら棕沙が矢を矢筒から引き抜いた。スッ…と真剣な表情になり、矢をつがえた。キリリと矢を引く姿は、いつも店などで見かける様な柔和なものではなく、鋭い刃物か冷たい氷の様な、触れれば自分が怪我をしてしまいそうな気になる様なものだった。

 ヒュッと放たれた矢は、真っ直ぐ的を目指し、あやまたずその中心を射抜き、壁に刺さって止まった。


「…これくらいでいかがでしょう」

「…良いんじゃねェの?…あぁあ、境界にヒビまで入れやがって。これ修復するの面倒なのによ。楢、小遣い出すから、境界の修復頼む」

「えぇえ!兄貴、俺の張った境界にヒビ入れちまったんすか?!」

「楢麓、それどういう事だ?!」

 その後、一階に降りた俺に店長が説明をしてくれたが、果たして半分理解出来たかどうか。でも要約するとこういう事らしい。三人は歳をとっているのが目に見えて分からないのに、他の皆が不審がらないのは、この店の周囲に楢麓が結界…というか境界を引いているから。これをする事で、この店は一種の異界みたいなものになる。なんて言えば良いかな。なんつーの、求める人の前にしか姿を見せないっていうのかな。これは一寸違うかもしれないけど、そういう事らしい。で、何で楢麓なのかと言うと、前にもあいつは神域でバイトしてたって言ってたけど、どうも楢麓の種族に時々いる『神のお気に入り』らしい。あいつの地元の土地神も変神(・・)だったみたいだな、どうも。あんま良く分からんが。で、その中でも思いっきり気に入られて抜群の力のある楢麓の結界にヒビとは言え穴を開けたのだから、棕沙の全力は並どころじゃない、特大の大だ。

「棕沙、まさかそのまま使うなんて事は無いよな?」

「ありません。当然です。余波が酷いですし、その分浪費も多いです。何よりも周囲への影響が大きいですから。そんなリスキーな事はしたくありませんから。必要な分だけ使いますよ」

「それを聞いて安心した。ずっとあんな風なのかと思うと、援護する側としたら怖いだけだからな」

 それを聞くと、棕沙はほんの少しだけ困ったような表情になった。彼が困り顔になるのは、本当に悩んでいる時か、もしくは表現でそうしている時かの二択なんだけど、時々、真実を口止めされていて、それを棕沙は本人に本当は言ってやりたい、という状況になった時もあるんだ。…って事はあれか、こいつ、今俺に何か隠してるな。まぁこいつは問いただしてもこれっぽっちもヒントをくれやしないのは経験上分かっている事だ。

「そうだ、涼。お前あのお守り持っていくのか」

「その方が良い様な気はするけど、あれ持っていくとロクな事無いしなぁ。…何でかな」

「あれが悪い、というより、そういう状況になっちまうっつーか…。どー言ったら良いかなぁ。むしろあれが無いともっとヤバくなっていたような気もするんだが…」

 店長、いまサラッとおっそろしい事言わなかったか?もっとヤバくなってたら、本当に生き死に関わってくるだろ。大きな声じゃあ言えないが、本当にヤバかった時はヤバかったんだから!

「ま、何があっても今回の依頼が終わるまでは持ち歩いとけ。悪い事は言わない」

「…分かったよ。…棕沙、何時位にここ出発する?」

「そうですね、早めに夕ご飯を食べて、七時位でどうでしょう」

「OK。んじゃ俺は寝てくる。メシの時になったら起こして」

「はーい」

 そう返事をした楢麓が、二階へ上がる俺の後を追いかけてきた。大人二人は、まだ庭に残るみたいだ。


「…店長、涼君の事ですが…」

 二人が二階へ姿を消したのを確認してから、棕沙がソロソロとこう切り出した。

「もうそろそろ本人へ言ってあげるべきなんじゃ…」

「僕もそれは考えた。だが大仕事を前にして余計な事を教えてしまうのもどうかと思うんだ。…確かに今回の依頼だったら、教えておいた方があいつにとっても良いかもなぁ。特に一番最後の段階とか発現の可能性高そうだしな。…いきなり御対面っていうのも…なぁ」

「特に今回は強い神域へ行きますからね。…どちらとも言い難いですよね」

「ったく、難儀な奴を押し付けてくるぜ、川姫もよ」

 まいったな…と眉間に皺を寄せて店長がそうボヤいた。

「最初に彼を見つけたのは店長でしたよ」

「だがよ、あいつがここでバイトをする原因となったあの事件、川姫が一枚噛んでたってお前知ってるだろ。あん時もクソ面倒だったんだよな…」

「そうでしたね」

 二人とも表情こそ違うが、同じくらい遠い昔へと思いをはせていた。


 店長が涼と出会ったのは、彼が中三の受験生まっ盛りの冬だった。丁度その頃、彼の通っていた中学では規模が小さいとはいえ怪奇現象が多発していた。その時の生徒会執行部に依頼されて学校を訪れた店長と棕沙を案内したのが、なぜか涼だった。正確に言うと店長が涼に声を掛けたのだが。

 その時は校内にあった祠をある学生が壊した事が原因だったのだが、そこは川姫がその力を土地中に分散させる為の中継所だったのだ。勿論川姫は涼の事を元々知っていて、その事件の事後処理の時に涼について彼等に頼み事をしていたのだ。それが半分原因となって、涼はバイトをする羽目になった、という訳だ。


「あれ、解決するの大変でしたね」

「大変なんてもんじゃなかっただろ。生徒会は解決しろ、誰の悪戯なのかハッキリ判明させろって、鼻から人の仕業だと決めつけるし、教職員に至っては、生徒の悪戯だから何もするな、変な噂が立つと困るって言うしよ」

「あの時の店長、本当に嫌がってましたもんね」

 クスクスと棕沙が笑うと、本当に嫌そうな表情になった。


 その日の夜7時過ぎ。店長以外の三人の姿は割川神社の近くにあった。

「ここから入るよ。俺、見失わないでね」

 ライトを持った楢麓の姿が木々の間に見え隠れする。その姿が僅かに歪んだ様な気がした。俺と棕沙は、足元を取られないようにしながら追いかけていった。

 果たしてここは道なのか、と思う様な藪の中を抜けて行ったり、小さな川を幾つも渡ったりした。だが、そこを通らなければならないから通っている、というのが分かっていたから文句は無い。

「兄ちゃん、俺って土地神様の部下達のいる所まで案内すりゃいいんだよね」

「えぇ。どうかしましたか?」

「えっとね…、言いにくいんだけど、移動しちゃってるぽいんだ」

「あぁ?!つー事は追っかけなきゃなんねーの?それよりも今、俺達のいるここはババ様の神域…、…あー、姫神の結界の中か?」

「うん、それはそうだよ」

 それを聞いて、俺はその場で腕組みをして立ち止った。気付いた二人が殿を歩いていた俺の方を振り返ってきた。

 うーん、どうすっかな。今のこの状況でいつまでも案内させるのも考えもんだしなぁ。

「よし、楢、道案内はここまでで良いよ」

『えっ?!』

 二人分の疑問の声に対して、俺はこう答えた。

「こっからはスピード勝負だ。既に中に入っているならこっちのもんだ。それに、楢が危険な目に遭うのは俺は御免だ。…あぁ、別に足手纏いだって言ってんじゃないからな。だからスネるなよ」

 最後のはムクレ面になってるであろう楢麓に対してだ。

「しかしどうやって相手を見つけるのですか」

 至極マトモな質問だ。

 それに対して、ニヤリと笑いながら言った俺の返事に、二人とも絶句した。


 それから、結果的に棕沙の式符を守り人にして楢麓は店の方へ帰した。

「…本当に良いんですか」

「棕沙に力を残しておいてもらわねぇと俺が困るんだわ。それに、今の俺の役割はお前の手伝いだ。やれる事は何だってやるさ」

 どのみち一発ぶちかまさねェとストレス発散できないしな。言っとくがそうそう暴れてられないんだからな。

「さて、と」

 俺の手元には、不細工ながら一体の人形がある。

「んじゃやりますか。人形、これ位で充分だろ」

「えぇ…」

「じゃ棕沙、これ持って下がってて。出来ればここから見えないけれど、棕沙の射程圏内ではあるって位遠くまで」

「本当に良いんですね?」

「だから何度も同じ事を言わすなって。これ位なら大丈夫だし、俺だって自分の身ぐらい自分で守れるよ。心配し過ぎだって」

 でも、西宮の心配症に比べたらまだマシな方だ。あいつの心配の仕方はこっちの対応が大変だからな。

 根負けした棕沙が木々の中へ姿を消すのを確認してから、俺は地面に片膝をついて、両手を打ち合わせてから地面へ叩きつけた。

 手が地面を叩いた途端、大音量を上げて地面が揺れた。正確に言うと、揺らした。本当はもう少しだけ小規模になる筈だったんだけど、土地の力のせいか力の利用料が妙に多くなっちまったらしい。

 奴らも今頃は静かにしている筈。それを荒らされたら、まぁ怒るだろう。俺はもっとも単純に向こうからおいで願った訳だ。怒った奴らが力の原点となる俺を目指して来る。それを離れた所にいる棕沙が射る。まぁその前に俺はもう一仕事しなきゃならんのだが、取り敢えず相手がこっちに来てからだ。

「……来たか」

 まだ何も聞こえない。だが発せられる気はもうこっちまで到達している。これ位まで近くに来ていたら、感覚で感知できる所まではすぐそこだ。

 俺が今いるのは、森の中でも丸く広場の様になった所の中心。周囲に張り付けた呪符が剥がれていない事を確認して、一息つく。大きく深呼吸して目を閉じた。

(距離にして後1㎞ぐらいか。後…3~4分ってとこだな。頭数は全部で8。…準備した分で十分対処できるな)

 目を閉じるとそれだけ感覚が鋭くなる。目が使えない分、他の感覚がそれを補おうとするからだ。特に今みたいな状況下だと、目を開けていると視覚に支配されて対応に遅れが出る事もあり得る。…それはごめんだ。

「…錬金・錬土、鏡屋敷」

 相手方をここへ閉じ込める為のトラップは張った。後は、上手くここへ誘導する事と、(これが大切なんだが)俺の身の安全を確保する事の二つ、しなきゃならない。

「飛ぶ鳥の落とし羽」

 俺がこう言って立ち上がるのとほぼ同時に、先頭が広場に入ってきた。

「虫籠!」

 呪符の効力を発動させ、その場から出た。これで結界は安全。後続部隊も続々とトラップにはまっていく。…鏡屋敷って、早い話が幻影を相手に見せてんだよね。道標は出したし、ここも閉じた。うん、全部入ったな。

 手近な木の上に避難し、棕沙に合図を送った。あっちから返事が返ってくる事は無いが、木々の間を縫ってストンッと矢が一頭の首の付け根に刺さった。

 見る間に、矢が刺さった所から蛇のお化けのようなモノが姿を見せてきた。…言っとくが、日頃から色々と変なモノを見ているけれど、やっぱり不気味なモノには『お化け』と言いたいぞ。妖は良い奴だし、悪霊・魔物は良くない。幽霊はどっちでもなく、お化けはお化けだ。その蛇のお化けは、見事に体のど真ん中に矢が刺さった状態でその場から離れようとバタバタするが、動けない。取りつかれた神獣達は、その場で凍った様に動きを止めていく。バタバタしていた蛇達は、徐々にその姿が塵となって消えていく。それにつれて、周囲の気がより清浄なものになってきた。…そろそろ俺も避難しよっと。

 あまりにもその場の気が綺麗だと、俺達にとってそれは害となる事の方が多いんだ。特に棕沙は元々が妖だからなおさらだ。それに、傀儡虫がいなくなった神獣達が俺達の事を外敵だと見なす事が無い、とは言い切れない。一応身代わりになる様に人形は作ってきたけどなぁ。俺が即席で作った奴だから効果があるか分からんしなぁ。

 虫達が消えていくのを横目で見ながら、枝伝いに棕沙のいる方へと移動していった。

「あちらはどうですか」

「あらかた姿を見せたか消失したか。神獣達はまだ凍りついてるけどどうなるかさっぱり分からねぇ。そっちはどうだ」

「一応全部射りました。…どうします」

「…って俺任せかい。…そりゃ全部の蛇が消えるまで待つしかないだろうけど、土地の気が本来のものに戻ってきつつあるんだって分かってるよな?」

「えぇ。…私にとっては大変厄介な状況ですね」

「まぁここまで影響が出るとも思えねぇけどな。…引き際、いつかな」

 もう既に肉眼では確認できないほど遠くなっている場所を見つめながらこう尋ねると、棕沙も「そうですねぇ…」と言った。

「後一、二匹ってとこですかね。全部消えたら、術も消して帰りますか?」

「でもさ、気の影響、どうやって防ぐのさ」

「涼君が人形にもう少し力を込めて下されば、それで結構です」

 そこで俺は棕沙の方を向いた。半眼でジトーッと見る視線に気付いたのか、棕沙がこっちを向いた。

「…俺に身代わりをさせる気か」

「そういう訳ではないのですが」

「いーや、俺に身代わりをさせる気だろ。元々、人形って身代わり道具だぞ。忘れる訳無いだろ」

「…そうですねぇ、確かに身代わりかもしれませんね。私は涼君の力で自分をカモフラージュしようかと考えていましたので」

「そっちの方がタチが悪いわァ!」

 ノホホンとそう言う棕沙に対し、俺は思わず怒鳴ってしまった。俺の力をカモフラージュに使うだって?!なんてセコイ事しやがんだ!ったく、そういう事を言うのは大体店長で、棕沙が止めに入るのがいつものパターンなのに。たまに棕沙も俺を利用してセコイ事をするんだけど、そういう時に限って大体止めに入る人もいないし、店長以上にすごい事をしようとするんだ。タチが悪すぎるんだよ、本当に。しかもそれをいつもの笑顔でサラッと、言ってしまうからなぁ…。倍増しで腹が立つ(…これはただのヒガミ)。

「つーかカモフラージュって、力の大きさでバレるだろ」

「案外そうでもないんです。ボヤけますから、逆に隠れやすいんです。それか、これ以外に何かいい方法ありますか?」

「うーん…」

 そう言われると確かにどうしようもないんだよねー。

「確かにそれぐらいしか方法無いかもなぁ。…しゃーねぇ、人形貸して。力込めるから」

「分かりました。……ちょっと待って下さい、何か変です」

 別にキナ臭い訳でもないから火事ではない。術は、まぁ効力切れになって消滅済み。つまり虫は全部消えた訳だけど…。

「…神獣達がこっちに来てるんだ。棕沙、逃げるぞ」

「でもどこへ」

「それはこれから考える!」

 とにかく今いる所から少しでも離れないとヤバい様な気がする。

 パッと周囲を見渡しても、あるのは針葉樹と落葉広葉樹ぐらい。下に逃げたら、追い付かれるのは時間の問題だろう。となると上にしか逃げ道は無いんだが。まさか上空にも結界張ってあるなんて事はねぇだろうなぁ…。あー、でも普通あるか。

「なぁ棕沙、ここの結界って真っ直ぐ突っ込んだらどうなるんだ?」

「詳しい事は分かりませんが、まあ目的地とは異なる場所に出るとは思いますよ」

「でも、一応外には出られるよな」

 俺のその発言に首を傾げていた棕沙だったが、次の俺の発言で絶句した。

「よし。じゃあ突き抜ける。こんだけあったら力の扱いも楽だろうし」

「…神域の木を使って、上空まで行って、上空にあるかもしれない結界を通るのですか?それよりも前に、上空の結界が下にあるものと同じだという確信でもあるのですか?」

「基本的にいっしょだろ、結界なんざ。どのみち、言っちゃ悪いがここのは脆くなってんだ。虫も払った事だし大丈夫だろ」

「やれやれ、店長にバレても知りませんよ」

「それこそ知った事か。…やるぞ」

「分かりました。いつでもどうぞ」

「…伸びろ、天まで届き、殻を割れ」

 この辺に竹は無いが、蔓植物や蔦はたくさん生えている。そいつらが絡み合って伸びていく。俺達が今いる枝の近くまで来た時、一瞬スピードを遅くした。

「棕沙、荷物全部持って乗り移るぞ」

「こ…これにですか?!」

 俺は自分が言霊で作ったものだからへっちゃらだけど、棕沙は足元にある蔦の塊を見て驚いている。まー、重力とかそういった理に散々逆らっているしなぁ。

 ちなみに言っておくと、言霊は和歌の序詞に似ている。どこがというと、その時限りという点が。言霊は術士がその時の状況とかに合わせて、即興で作るもの。だからあまり同じものを他の時で使う事は無い。で、言霊って何なんだという根本的な話をすると、俺も詳しい事は知らないけど、ようは周囲の気を練ったりするのと大して変わらないらしい。周囲の気の代わりに、自分が元から持っている力を使うというのか。ま、そんなもんだ。

「涼君、植物の成長が明らかにおかしいですよ。こんなのを空まで届く様にしようと思ったらどれだけの力がいると思っているんですか!」

 あ…、びっくりしていたのはむしろそっちの理由だったのね。

「さぁー…。かなり要るとは思うけど、今日は大して力の消費が少ないみたいだし」

「だからと言ってボカスカ使っていいものでもありません!」

「…怒るのは全部終わってからにしてよ。棕沙、神獣達もうそこまで来てんの気付いてるよね?」

「気づいてますけど…」

「だったらさっさと行くぞ。これ停止させてる方が力要るんだから」

 そう言って、枝の横で停止させていた蔦の塊に乗り移った。すぐに棕沙もしかめっ面になりながらも、荷物を持ってこっちに移ってきた。二人とも体が落ち着く場所に収まったと確認してから、俺は一気にスピードを上げた。ギリギリのタイミングだったらしく、俺達を乗せた蔦が木々の頭ぐらいに出た時に下を見たら、神獣達が木に取り付いてこっちを見上げていた。

「涼君、体調崩しても私は知りませんよ」

「それこそ知った事か。つーかどのみち、これから今日よりも力使うって分かってんだ。今日なんかマシな方だよ」

 …ま、確かに今日は力が使えすぎているのは事実なんだけど、それを言ったらまた何を言われるか分かったもんじゃないしな。だから黙っておくに越した事はないんだが、かといっていつまでも黙ってられないし…。どうすりゃいいかな。

「棕沙、そろそろ結界ぶち抜けるぞ」

「分かりましたけど、どこに出るか知りませんよ」

「分かってるよ。俺に文句言っても知らねぇよ」

 そういや店長に、俺は棕沙のサポートにって言われてたんだよな。こりゃーもしかしたら、報酬無しかもな。棕沙が店長に何て報告するかによるからなー。


 強引に突き抜けたもんだから、感覚が少しおかしい気がする。棕沙も無事に出てきたのを確認してから、俺は蔦を止めた。下を見たら、そこは割川神社だった。

「涼君、大丈夫ですか」

「ちょっとだけ大丈夫じゃない。つーかどうやって下へ降りようかなー」

「まさか考えてなかったんですか」

「あんまりねー」

「そうですか。…術解いて下さい。降りましょう。早く解いた方が楽ですよ」

 そう言われて、使っていた力から手を放した。離すと、当たり前だが蔦はスルスルと元へ戻っていく。俺達は自由落下を始めるが、棕沙が俺の襟首を引っ掴んで呪符を出した。

「風華」

 俺たちは、風で作られた球体の中に入って、ゆっくりと降りていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ