展開、開始
「おはよー」
「お。おはよ。どーした、夏バテか?」
「いや、それはない。単に疲れただけだから。そういや、錦戸、いる?」
「あいつなら野球班の呼び出し食らって職員室前。どうかしたか」
「いや、何でもない」
俺の定位置である、教室の一番後ろの窓辺の席。そこからはあの林を見る事が出来る。
「そういやさ、お前に聞くのすっかり忘れていたけど、学校裏の林の石仏が全部壊れたって話、知っているか?」
そう言ってきたのは男子学級委員長の辻本。癖毛で、湿度によってクルクルにカールするかピンシャン跳ねるかが変わるので、付いた渾名が『人間乾湿計』。
「いや、全然。どうかしたか」
「特に意味は無いけど。何かそれに関して情報あったら教えてよ」
ちなみに彼の両親はこの辺りの交番勤めの警察官だ。
「しかもさー、学校と林の間で何があったかは知らねぇけど、地面に大穴は開いているし、水溜りみたいに血溜りの跡はあるし、土は不自然に盛り上がっているしさぁ。おまけにスポ少のとこの倉庫の屋根に穴は空いたし。こっちもてんてこまいなんだよなー」
まさか『それ、全部俺が関係しています』とは口が裂けても言えない。
「分かった。また何かあったら連絡する」
「ありがとよー」
錦戸が教室に入ってきたのはそんな時だった。
「おはよ、錦戸。一つ聞きたい事あるんだけどいいかな」
「いいけど。何さ」
錦戸は野球をしている割には髪が長い。お調子者だが、ちゃんとレギュラーのファーストだ。
置いといて。
「お前さ、この間見たって言っていた明神って、割川神社の事か?」
「そうだけど。どうかしたか」
「そん時の話、詳しく教えて欲しいんだ」
「いいけど。あの日は二人で釣りに行って、天気も悪くなってきたしちょっと遅くなったから急いでいたんだ。んで神社を抜け道に使おうとして。あ、あん時俺らは緑池に鯉を釣りに行っていたんだ。でー、林とか竹藪とかぶち抜いて直進してきて、神社の裏に出たんだけど、そん時に林の中でビュンビュン動きまわる何かを見たんだよね」
「…どんなんだった」
「四つ足。二足のもいたかもしれないけど。んで黒っぽかった。木元は光の悪戯だって言うんだけどなぁ」
そうだな。木元はこんな事はこれっぽっちも信じちゃいない科学脳だもんな。
木元は目算165cm。見た目はよろしくて、銀縁のチタンフレームの眼鏡のブリッジ(鼻当ての上のカーブだ)を人差し指一本でツッと押し上げ、苦笑い―しかもいやみったらしくキザに『フッ』と笑うんだ―する様は女子に大ウケする。だがこいつは結構頑固だし口は悪い、というか毒舌だし、趣味も不思議だし。だから実際にお付き合いした事は無いらしい。で、こんな奴(…失礼)と昔からの友人なのが錦戸。これもこれですごい。
「今のそれだけの情報だったら確かにそうかそうでないかの判別はしにくいな。ま、何かあったらまた教えて。…悪いな、こんな事聞いて」
「別に」
一限までまだ時間がある。俺は教室を出て、湖を見下ろせる渡り廊下に出た。この辺りは大した広さは無いが湖がある。この湖に沿う様にして、町は形成されている。
湖から吹いてくる風は程よく冷たいから気持ちいい。どうすっかなー…と俺は一人、まだ温かくなっていない柵に凭れて考えた。暫く考えた後、俺は溜息混じりにこう呟いた。
「現地を見てみるしかないかぁ…」
清水の里ことここ湊川は、昔から染色で有名だった。水がいいのでいい色が出るらしい。今でも村の中には染色工場が何軒かある。錦戸の親戚にも染色屋の人がいるらしく、小さい頃から色んな色を見て、自分の足で材料を取りに行かされて覚えてきたらしい。町は、面積は広いが人口は少ない。まだ過疎には至ってないけれど。それに、若い世代も結構多い。ここから近くの大きな街までも大した距離じゃない(車なら)し、ここにいても大抵の事は出来るから、だそうだ。今ならネットもあるしな。
割川神社は、いわばこの辺の守り神と言うか鎮守の神様を祭ってある神社。土地神様、と言った方がいいかもしれない。染物の神様もここに祭ってある筈。昔からある神社で、普段は無人のこぢんまりとした所だが、常に老人会とかが手入れして大事にしている。秋には秋祭りが盛大に行われる。そんな所だ。
その日、俺は先日の報告書を提出しに薬局まで行っていた。
「へぇ…、割川でねぇ。あ、涼、報告書」
「…はい」
俺が渡した何枚かのプリントを斜め45度で読んで、店長はOKを出した。…いいのかよ。
「棕沙、これまたファイリングよろしく。ちょっと待っていろよ、今封筒取って来る」
店長が店の奥に姿を消してから、棕沙が俺に耳打ちしてきた。
「…今楢麓が緑池へ行っています。人間の友人の方と一緒に」
「それ…ガチで」
「はい。念のために言っておきます」
会話はそこで中断された。店長が封筒に入ったお金を数えながら出てきたからだ。
「ひいふうみい…。よし、ちゃんとある。今回の報酬だ。今回あったあれは涼のせいじゃなくて僕のせいみたいなもんだし、危険を冒してくれたからその分のボーナスと、後は一時間分の時間給。それと固定の基本給。それから忘れちゃならない出張費でしめて56500円」
「おぉー…」
万を越えるとすごい。が、ボーナスは俺がヤバい状況下に追い込まれた任務の時しか出ない。つまり、自主的に行ってヤバくなった時とか、出張の時でも俺のせいでヤバくなったら出ない。時間給は、一時間を越えるごとに1000円。基本給500円は固定で、もし一時間以内にカタが付いちゃったら、自主的な時だとこれだけしか貰えない。昼飯代の小遣いと同じ金額だ。出張費5000円も固定。でも遠出する時にこの金額以上の経費がかかる事もある。その時は一銭も貰えず、足りない分は自腹を切るしかない。つまり、出張任務の時にかかった交通費(出張費=交通費、らしい)を5000円から差し引いた分が貰える訳。で、早い話今回はいつも以上に報酬が高い。でも、ワザワザ高給狙いはしない。危険と背中合わせな任務は極力避けたい。でも高給はありがたい。悩ましい話だ。
「ありがとうございます」
「それと、割川で思い出したんだけど、布木川の嫗って知っているか」
店長の手の中には依頼書のファイル。
「いえ。…任務ですか」
「するかは未定。今日の昼に来たチンマイバァさんが依頼人。恐らくここら辺の奴だと思うんだが」
ここら辺にそんな人間はいない。となるとモノ…。あれ、店長が割川という地名を出してきたって事は、あの辺だから…。
「それ、もしかして土地神様ですか」
「ビンゴ。何でもよ、部下の奴らのせいで今大変なんだって。あそこのバァさんも歳だろうに」
「…知り合いなんですか?」
「ちょっとね。ここのお得意様なんだよ。だから断るに断れなくてさー」
「…引き受けるかは未定なんじゃなかったんスか」
棕沙が吹いた。店長は自分が墓穴を掘った事に気付き、ムスッとしている。
「本人には考えておくと、店長はお伝えになられたのですが、恐らく引き受けられる筈ですよ。店長、その辺は結構義理堅い所ありますからね」
「うるさい、棕沙。それで依頼された件なんだが…」
続きを言おうとして、店長は視線を入口の方へ向けた。つられて俺達もそっちの方を向いた。
いつもならなっかなか開かない木戸が勢いよく開いた。そしてまた勢いよく閉まる。物が増えた為に遂に直接カウンターからは見えなくなった入口から、誰かが急いで入ってきたらしい。
「棕兄ー!」
最短ルートを通って、狭い店内を走ってカウンターまで来たのは、蒼い顔をした楢麓と、その連れの人の子だった。
…って、おい。
「啓、お前何やっているんだよ」
「はれ、涼兄、何で」
「それはこっちのセリフだ。ここは俺のバイト先だ。俺がいてもなんらおかしくない。…そっか、友達ってお前の事だったのか」
「…?どうかした?」
「いや、最後のは俺の独り言だ。気にすんな。で、何だってこんな狭い店内を走って、大慌てで入ってくる」
楢麓は、棕沙に連れられて店の奥へと入っていった。何かショックすぎる事があって、一時的に変化が解けかけでもしたかな。あいつ、店の外へ出る時は目立つからって、変化している上からさらに変化かけて髪の色を黒くしているからなぁ。あれ、解けやすいんだよね。
よって、カウンターのいつも棕沙の座っている所には店長が難しい顔をして、腕組みをして座っている。
「それよりも僕の質問に答えてくれるか、涼。それとチビ」
「俺はチビじゃない、坂下啓って名前がちゃんとあるんだ!」
「だとしても僕より小さかったらチビだ」
「店長、その理論でいくと俺から見たら店長も十分チビですが」
座っている店長を見下ろして、冷たくこう言ってやった。
「何おうッ!」
『……』
店長が椅子から立ち上がっても、やっぱり俺は店長を軽く見降ろし気味だ。逆に店長は軽く俺を見上げないといけない。啓はこんな俺達を見て口をポケラッと開けている。
「で、店長。俺らに何の用ですか」
上に乗っていた荷物をどけて、適当に店内から持ってきた椅子に座る。啓も俺の隣で同じ様にしている。
「まず、お前とそいつは…」
「俺と啓の家は隣同士。だからこいつが小さい頃から俺が面倒を見てきたんで、こいつから見たら俺は近所のお兄さんってところですかね」
「へぇ…。そうなのか」
「はい。涼兄はかなり強いですよ。町の不良なんてメじゃないです」
「…マジ?」
「一回、俺がケンカを売られた事があるんですが、その時一緒にいた涼兄が、そいつらをボコボコにして勝っちゃいましたから」
「…店長、本題に戻りませんか」
俺が暗い顔をしてこう言うから、二人とも笑った。
冗談じゃない。それ、何年前の話だ。今の話を他の所でされたらどうなるか。噂なんて簡単に変形されるのに。
「ま、それもそうだな。…なぁ、お前はあいつを何て呼んでいるんだ。僕達は彼の事は楢麓って呼んでっけど。…あ、遅れたけど、僕は店長の蒜楷。よろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします。改めて自己紹介をすると、土井中学二年生、坂下啓です。俺は彼の事はシュウレイじゃなくて、智樹って呼んでいます。初めてであった時に彼が及川智樹って自己紹介してくれたので。でもこの辺りに及川って家は無いから『あぁ、偽名なんだ』って気付いて。だから俺も彼には木ノ本徹哉って名乗っていました」
本当、こいつは頭の回転が速いんだから。普通、この辺りに及川って名字が無いって覚えているか?いんや、普通は覚えられない。いくら小さいと言ってもこの辺りにはそこそこの人数が住んでいる。そこで自分も偽名を名乗るってとこがミソか。時々『中二かー?』って思いたくなるけど(例えば、さっき店に血相変えて駆けこんできた時とかまさにそう)、それと同じぐらいの確率で『本当に中二で合っているよなー?』と思いたくなるんだよなー。本当、楢麓が幼く見える。
閑話休題。
「えっと、啓。二人で何であそこまで慌てて店に入ってきた。二人で緑池へ行っていたんだよな」
店長も慣れてないからかどことなく硬い。妙にそれが微笑ましい事は二人には内緒だ。
「はい。俺、帰宅部だし、彼は学校に行っている感じは無かったですし。今日は元々二人で釣りに行こうって決めていたんです」
「ちょっとタンマ。啓、お前は楢麓が学校に行ってないんじゃないかって思って、どう考えた」
「不思議でしたけど、家庭教師で資格取得は可能なので別にいいか、とも思っていました。俺からも一つ質問です。彼と店長さんってどういう関係ですか。さっきもう一人長身の人もいましたし。家族ではないと分かっていますが…」
「あぁ、それね。一応ここは三人でやっているようなもんだ。僕と楢麓、それと棕沙。お前が見た長身の奴な。でも楢麓が働いているなんて思われたら大変だ。だから彼は正規の店員じゃない。おっと、反論するのはまだ早い。勉強ならちゃんとさせている。それにこれは児童労働じゃあないぞ。それについて論議しようと思ったらまず僕らが人であるかと……」
腕組みをして踏ん反り返ったまま喋っていた店長は、メシャッとカウンターに倒れ込んだ。後ろには、依頼書のファイルを持った棕沙が笑顔で立っていた。
「…棕沙、目、笑ってないよ」
傍目からは判別出来ない鉄壁の営業スマイル。だがそれは0円スマイル並に味気が無い。店長はまだ再起不能。啓はまた口をポケラッと開けたまま。
奥に視線をやると、銀灰色の鈍い輝きがチラチラ見える。こっち見て気になってはいるけれど、髪の色が色なだけに出て来られないのか。
(棕沙、こいつから何でここへ駆けこんだのか聞き出して。店長起きていたら話進まない。俺は楢麓と話してくる)
(逆の方がいいのでは?)
(苦手なんだよ、啓と話すの。揚げ足取られてボロが出んのも嫌だし。頼むぜ)
啓に聞かれない様にして、そう棕沙に言って、奥へと俺は消えていった。
「すみませんね、こんな店長で。啓君…でよかったかな。棕沙と言います」
そう言ってエプロンの左胸に付けた名札を指差す。
「初めまして、坂下啓です。…棕沙さんの名字は」
だが、棕沙は笑ったまま答えなかった。
「世の中には知らない方がいい事も一杯あるんです。その方が上手くやっていけますしね。私が尋ねたいのは、どうして二人でここへ駆けこんできたのか、という事です。店長が既に似たような質問をしているかもしれませんが、もう一度答えて頂けますか?」
「構いませんが…、先程店長さんが『僕らが人であるかと…』と言いさしてあなたに殴られておられましたが、あれはもしかして、『僕らが人であるかという事から話を始めないといけない』と言おうとしておられていたのではないでしょうか」
「その事についてはまた今度として頂いて、まずは私の質問に答えて頂けますか。あまり帰宅が遅くなられては御家族の方に心配をかけてしまいますしね」
口調は優しく柔らかいが、目は冷たい光を反射していた。言葉の端々にも暗に長居は無用という言葉が含まれていた。
「ご心配ありがとうございます。…そうですね、初対面の人に失礼な事を言いました。すみません」
「では、本題に入りましょうか」
そう言って、棕沙はカウンターの上に肘を乗せ、軽く両の指を組ませて台にした手の甲の上に顎を乗せた。
店の奥、カウンターの奥の店長の作業場に隣接する物置の箱に隠れる様にして、楢麓は座っていた。
「何でそんな所に座り込んでいるんだよ。ほら、こっち来いって」
差し出した手をおずおずと掴んできた。俺は引っ張り上げ、強引に部屋の外へ連れ出した。そのまま申し訳なさそうなぐらい小さな庭に面した縁側まで楢麓を引っ張っていった。
「さて、と。何でここへ駆けこんだか教えてもらってもいいかな、楢麓」
明るい場所で見ると、彼の髪の中にはパッタリと前倒しになった小さな二等辺三角形。あらら、ここまで解けていたのね。
「涼兄、俺…見たんだ」
「何をさ」
楢麓はすぐには答えなかった。
「俺らがあそこで見たのは、逆光の中でも黒々と輝く、毛並みのいい二足で立つ獣でした。しかも群れみたいに何頭も集まっていて、まるで…何かに怯えるみたいに」
「あそこで俺が見たのは、神獣の群れ。しかもどこかから逃げて来たんだと思う。追手をかなり気にしていたっぽい」
神獣は文字通り、神に使える役目を負った獣の事だ。こいつらは神の卷族に片足突っ込んでいるから皆総じて寿命が長い。それに、上級になって来ると人語を解したり話したり、二足で歩いたりと、人と変わらない動きをする。見た目がヒトじゃないだけなんだ。
そんな奴らが何かに追われているみたいに周囲を気にしながら群れていた。しかもこの近辺から逃げて来たっぽい…か。というかこの辺で神獣を持っている様な神様ってなぁ…。そりゃあ殆どの神様には位は違うとはいえ、神獣はいるけれど、高位って事は神様もそこそこな位の持ち主だしなぁ。
「んな神様ここらにいるか?群れるほどいる二足の神獣持っている神様なんて」
「この辺の神社って、お稲荷さんと天神さん、割川さんに…。…そんなもんだよね」
「分社と土地神だもんなぁ。…んな割川さんって位高かったっけ」
行き詰った。
で、俺は本題を思い出した。
「楢麓、そもそも何でダッシュで逃げてきたんだよ」
「だってー…。言っとくけど、俺達から見たら神獣って極力近づきたくないんだよ。しかも怯えているとなったら何するか分からないじゃん」
仮にも彼は妖・精霊の仲間だ。神に仕える様な奴らとは性質からいって正反対だし、力の差なんて物凄い差だ。頭を下げられても近付いて仲良くなりたいとは思わない。それに、こう言っちゃなんだけど、怯えた獣って人でもそうだけど普段よりも乱暴・凶暴エトセトラでありがたくなくなる事があるんだよね。そんな奴等を対処しに行けなんて店長が言ったら、まず殴る。というか割川さんって、今、部下のせいで大変な事になっているって…。
「なぁ、神様の部下って何だっけ」
「神獣だよね…。普通。…どうかした?」
「いや」
見えてきた。この話のこんがらがった紐の解き方が、な。
「逆光でも黒々と輝く毛並みを持つ二足の獣、ですか。場所は緑池、でしたよね」
「はい」
店長は棕沙に沈められたまま睡眠モードに突入していた為静かにしていた。棕沙は淡々と話を進めていくが、何も知らない人が見たら取り調べに見えない事もない。
「緑池のどの辺にその群れは見えましたか」
「どこって…。山側の柵の近く。木立の隙間から見えました」
「成程。ではなぜ大慌てでここへ?」
「智樹が俺に急いで帰ろうって。ここにいちゃだめだって言うから二人でその場から去ったんです。で、彼が走りだすからつられて走って。結局はそんなオチですね」
「そうですか。では、釣り具は。釣りに行ったのなら必要ですよね?」
彼はそこで返事に困ったのか言葉を詰まらせた。正面から見据えてくる棕沙から視線を逸らす様に、軽く俯いた。何か後ろめたい事があるのか、隠し事があるのか。普段ではあまりありがたくない内容を抱えている、という事だ。
「えっとー…持って行っていません」
「…分かりました。もう何も言わなくていいです」
俯いていた顔をガバッと上げて見た棕沙の表情は、今の啓からしたら恐ろしく思う様ないい笑みだった。
「涼兄、棕兄と徹哉、ちゃんと話出来ているかなぁ」
「さあな。なーんとなく棕沙が誘導している様な気もするけど。どうする、様子見に行くか」
「うーん…どうしよう。それよりも、涼兄はこれ、どう解決するの?」
「後で話す。と言うか楢麓、変化直しとけよ。バレっぞ」
「あぁっ!!」
自分の頭の状況に気付いた楢麓が、慌てて物陰へと走る。変化している間は誰からも見られたくないらしい。俺は走っていく後ろ姿を視界の端に収めて、縁側の柱に凭れて一つ、空へと大きな溜息を吐いた。
「何でこんな面倒な事件になっているんだよ…」
店長がもしサッサと依頼を受けていたら、もう少し対応は違ったと思う。俺ももう少し早くにこのリンクに気付いていた筈だ。…ニャロ、何だってこんな所でネタが繋がっているんだ。
「分かりました。大体読めましたので」
もう一度、棕沙が啓に笑顔で言った。
「大丈夫です。怒りませんので。…それは、嘘ですね?」
「ど、どうして分かったんですか?!」
椅子から飛び上がらんばかりに驚いている啓を落ち着かせてから、棕沙はこう言った。
「それについてはまた。ついでに言うなら、釣り具は元々ここにある物を持って行きましたね?こんな店内ですが、一応どこに何があるかぐらいは把握しているつもりです。釣り具一式は出入り口近くに立てていましたが、それが無いですので丸分かりです。これぐらいは初歩ですよ」
俺達はそれをバックヤードへ出入りする所からこっそり見ていた。棕沙の表情はこっちからは見えないが、多分自信気のある表情だろうという事は声の調子から分かる。
「棕兄名探偵だ。あの時、俺達びっくりして全部置いて来ちゃったんだよ」
「…それ、先に言えよ。あぁあ、啓の奴、付いた嘘をいとも簡単に見破られて、しかも初歩だと言われて。ザマァだと言えばそれまでだがちょっと可哀そうでもあるな。…にしてもどんな嘘をついたんだ、奴は」
「可哀そうって、どういう事?」
「ん?楢麓には関係の無い話だよ」
「ムー」
店長はまだカウンターの隅で丸くなっている。ありゃ寝ているな。何やっているんだか。
「どうです、当たっていますか」
「す…すごい!あ、あの、もし差し支えなければ、ここに探偵の勉強に来てもいいですか?!」
おい、マジかよ。普通思考回路をそこへ接続するか?
「それはちょっと…。一応と言っては何ですが、ここは本来薬屋ですし。…涼君、楢麓、何か言う事は?」
クルッとこっちを向いた棕沙とバッチリ目があった。仕方なく俺達二人は隠れていた所から黙って出てきた。
「黙って立ち聞きするぐらいなら、店長をどこかへやって下さい」
「んな事言われたってよ、人の会話の邪魔はすんなって言われてきたから、今ここで店長をどっかにやったら二人の会話の妨げになるだろうなーって思ったんだよ。それに、楢麓の事もあるし。俺も色々と考えていたから。詳しい事は後で話すけど。で、啓。そういう事がしたいなら、まずは独自の情報網を持て。それから、勉強しろ。知識の引き出しはあって困るもんじゃないぞ。…利用出来るもんは利用しろ」
「うん。…そういや涼兄、あんま家にいないって小父さん達心配していたけど、いいの?」
「文句あるなら俺に直接言え。それに、そろそろ俺も親離れだから、そっちも子離れしろって言っとけ。…笑うなよ、二人とも」
よっぽど変な表情だったのか、棕沙と楢麓に笑われた。つられて啓まで笑いだしたから俺はもっと口がへの字になった。
丁度店長がようやく起きて、俺達を見て口が半開きの間抜け面になった。
「いい加減に思い出し笑い止めろよ」
「いえいえ」
情報は引き出せたので、あの後啓には帰ってもらい、明日忘れ物を届けてもらう事にした。で、啓を見送ってから棕沙がさっきの会話を思い出してはクスクス笑う。だからいい加減にしろっつってるだろ。
「そうですか、子供が親離れするから親も子離れしろ、ですか」
「どこもおかしくないだろ。つーかむしろ事実だろ。どこが変なんだよ」
俺の脳内メモにまた一つ項目が増えた。『棕沙は結構笑いが長引く事がある』だ。
店長と楢麓は、二人で軽食のおにぎりを製作中。俺と棕沙は縁側に座って一服休憩中。表に『ただいま休憩中』の札を掛けてあるので、木戸の代わりに網戸にしていても誰も入って来ない。夏場はこうしておくと、風の通り道が出来るのでクーラーが無くても事足りる。じゃあ何で開店中は木戸なのかと言うと、店長が商談中は人に見られたくないと言うからだ。だから、その間だけクーラーは動く。扇風機はいつでもフル稼働。
「普通の今時の子供はそんな事を言うのかな、と思いましてね」
「言っちゃ悪いかい。これでも俺は今時の子供だぞ」
「別に涼君が悪い訳ではないですよ。ただ、そういう事を言う人は今の時勢では少ないのではないか、と思いましてね」
「そりゃ互いに依存して生きている奴が多いからな。…あ、連絡してねぇ」
「先程しておきましたよ。涼君では喧嘩になるだけでしょう」
「…サラッと酷い事言うな。棕沙って」
「それこそ心外ですよ」
親の脛齧って、自分は自分のやりたい事だけをいつまで経ってもやり続ける子供。自分の子供へ与える為に買う物を親の財布に頼る親。それに答え、孫の財布となるその親達。自分の子供を自分の道具としか思っていない為に反抗期が来て飽きる親。子供に自分の理想を押し付ける親と、それ通りに生きようとする子供…。
考えただけでもアホくさくなってくる。まだマシだと思っていたが、俺の親も日増しに口うるさく『進学』と言う。上位に行くほど人にとってはステイタスだからな。…俺はお前らのステイタスの為に進学しなきゃなんねぇのかよ。
「…腹立ってきたな」
「?何にです?」
「…いや、何でもねー」
「その割には眉間の皺が取れませんが。固定化されますよ」
「だからうるさい。…家じゃ居場所少ないしなぁ。ここにずっといるのは仕方ないんだよなぁ」
「そうですか。学校はともかく…。ここに住み込みますか?部屋はありますし」
その思いがけない発案に驚いて、手元にあったコップを倒しそうになった。
「んな事…していいのか?」
「保護者の方の了承が得られれば可能かと。私なら一番相応しいでしょうし」
「そうだよな。店長…あれだし」
あの店長じゃ決まる事も決まらん。
「僕が何だって」
「うわっ、ビックリしたー」
両手で出来立てのおにぎりの乗った盆を持った店長と楢麓が立っていた。
「あ、ありがとうございます。ここで食べますか?」
「そのつもりだけど。で、何話していたんだ」
そう言いつつ、店長はもう食べ出している。
「涼君と住み込みバイトをするか、という話をしていたんです」
「へぇ…。親は誰が説得するんだ。言っとくが僕はしないぞ」
「大丈夫です。私が行きます」
「なら安心だ。仕事がもっと減る」
俺はパッと、店長の手元に引き寄せられていた盆を取り上げた。
「働かざる者食うべからず」
そう言っておにぎりを口に咥え、盆を店長から一番遠い所に置いた。
狭い庭に笑い声が響いた。
その日の夜。
「今日の騒動と依頼はリンクしている、だァ?」
「あぁ。違う面からしか語られてないから同一の物だと思えていなかっただけだ」
俺は、昼に思いついた事を皆に話していた。ちなみに、結局今晩は店に泊まる事にしたので風呂上がりだ。一階はもう真っ暗で鍵もかけてあるので、場所は俺の使う部屋。ここは俺が時々お世話になっているので、半ば俺の部屋と言ってもいい。店長の手元には缶チューハイ。棕沙の手元にはハイボール。楢麓と俺はさすがに三ツ矢サイダーだ。それぞれ飲み物とおつまみ、それと残ったおにぎりを持ちこんで、6畳の部屋で車座になる。
「それってどういう事?」
「実は、もう一つ情報を仕入れてきてある。学校でいたんだよ、楢麓と同じ様なもん見た奴」
「それは…見える人ですか?」
「いや、恐らく場所のせいだろ。そいつは、緑池での釣りの帰りに、ショートカットで入った割川神社でそれを見た。同時に二人、それを見ている。見たのは、二足か四つ足で黒っぽい。裏の林を素早く動き回っていたらしい。で、同様のモノを楢麓は見ている。俺はそれを神獣だと判断した。逆に、割川から来た依頼が、部下について、だったよな」
「まぁね。詳しく話してなかったからあれだけど、僕達があの結界を壊したのと同じ頃に、何頭か部下の神獣が脱走したらしい。全員黒い毛並みの狼種で、二つ足になれる力の持ち主。今回の依頼は、そいつらの捕獲だ」
「どうやら、計画は元々あって、あそこを陽動に使う予定だったらしいんですが、偶然にもこういう事になったので、これ幸いと実行したらしいですよ」
それを聞いて、ようやく皆もリンクしている理由が分かったらしい。つまり、皆が見たのは逃げた奴らだって事だ。
「でもさ、何で緑池にいたんだろ。俺だったらさっさと逃げるよ?棕兄も店長もそうするよね」
『勿論』
そう、ここが謎なんだよ。逃げるなら居残らないで、とっとと逃げりゃいいものを、何でウロウロするかな。…そりゃその方がこっちは楽だけどね。
「…逃げられない理由があるのかもしれないな」
「つまりそれは?」
「なあ棕沙、割川の神域ってどっからどこまでだっけ」
俺は店長の質問をスルーしてこう尋ねた。棕沙はいきなりの俺の問いに一瞬戸惑ったが、すぐに答えてくれた。
「確か神社を中心として、山側に同心円状なので、大橋の付近から緑池まで…。まさか?!」
棕沙は俺の考えが何なのかが分かったらしい。
「多分そのまさかだな。緑池から山へ入ったら深く険しい鈴鳴山脈だ。だが神域を越えるのには神獣だと許可が居る。気付いてすぐ強化されただろうからもう綻びもない。だからウロウロするしかない」
「確かに綻んでいたらそこから破れるもんな。でもどうやってあれを陽動にするんだよ。一発で強化されるだろ」
「店長の考えも尤もだけど、俺の記憶違いじゃなかったら、確か神域の結界は防御の特化の仕方がいくつかある筈なんだよね…。外からに強いもの、中からに強いもの。両方に対応しているものもあるし、人を寄せ付けなくするものもある。棕兄、そうだよね」
「その通りです。…楢麓、どこでそれを?」
「えっと…、昔、神域で通信使のバイトしていたんだよね」
『?!』
三人の視線を一身に浴びて、楢麓はどうしようかと困ってしまっている。しっかし…神域で妖がバイト出来んのかー?普通は相反するものだと思うんだがなぁ。
「ここじゃないよ。俺が皆と出会う前にね、神域を出入りして情報をばら撒く役をやらされていたの」
「…分かったような分かんないような」
「まぁ今は横に置いとこう。どーせ関係無いだろ」
それでいいんかい。まぁ…それでいいけどさ。
「本題に戻すぞ。つまり今の話を総合して考えると、今現在神域の結界は内部からの力に対して強く特化しているって事か。…なぁ、何でわざわざ危険を冒してまで、神獣は脱走したがったんだろ」
「そりゃ本人をシメてみるしかないだろ。…で、ここまでくりゃ店長、依頼引き受けて下さい。グズグズ話先延ばしにされるより、今やった方が俺も負担が少なくて済むんでラッキーなんだけど」
「それじゃあちらに連絡入れますね。涼君、依頼主と会うのはいつがいいですか」
「うーん、土曜日の昼からー。今週一杯はちょっと無理」
「分かりました。店長、お願いしますよ」
「…分かったよ」