公稀の考え
足音が近づいてきている。
身動きはできないが、桜子は安心する感じがあるのが分かった。
公稀が来てくれたからだ。自分を怖がって、近寄ってこなかった公稀が来てくれたのだ。
「化け物! 先輩をこれ以上傷付けるな!」
公稀の声は震えている。しかし、どこか力強く感じる。
「ぐおおおおっ!」
化け物は公稀の言葉を聞いたのか、地面も揺れるほどの叫びを放ち、目をギラギラさせながら、公稀を見た。
「ぼ、ぼくを殺してみろよ! 化け物!」
そういって、公稀は踵を返して走り出した。
化け物は叫びながら、爪を立て、公稀を追いかける。
(……公稀)
姿は見えなかったが、化け物を引きつけてくれていたのだろう。
(今の、うちに……)
希望を少し感じた。
側にいてくれそうな人物が、戻って来てくれた。
ただそれだけで、桜子は嬉しかった。
引きつけようとしてくれた後輩のために、桜子は近くに落ちている本に手を伸ばす。
「あ、危なかった……」
化け物は物凄く速い。それは最初に見たときから知っている。
追いつかれたら殺されるのは知っている。
それなら追いつかれなければいい、と公稀はひらめいた。
(変な世界にいても建物は変わったりしてないから、校舎内に入れば襲われないはず!)
そう考えた公稀は、これ以上先輩の桜子を傷付けないように、化け物を遠ざけて、急いで中庭に逃げ込み、校舎内へ続く通路へ入った。
息を切らしながら、公稀は段差になっている出入り口に腰を下ろした。だが、こんなところで油断しているわけにはいかない。
「ごおおおおおっ!」
化け物は通路に入れない。両側にある壁が邪魔して扉の方まで来れない。公稀は化け物の大きさも考えて、この場所に逃げ込んだのだ。
「爪も届かないなら、全く怖くないな」
「ぐうううううあああ!」
化け物は一生懸命腕を動かして、奥の方まで行った公稀を掘り出そうとしている。だが、公稀のところまでには到達しない。
「急がなきゃ……」
公稀の考えはこれだけじゃない。通路は化け物にはせまい。その分、公稀がいるかどうかが見づらいはずなのだ。
化け物が捕まえようとしている間に、すぐ近くにある階段を上った。二階に着く前のところには渡り廊下がある。化け物の通路の上を通るわけだが、気づかれなければ心配はないだろう。
公稀は腰を低くしながら渡り廊下を渡った。
渡り終わった方にはもう一つの校舎がある。この高校は二棟あり、公稀がいた校舎は正門側にある校舎だ。今向かっているのは、生徒の教室がある、もう一つの校舎。校舎裏の裏庭側。
公稀はそこの校舎から外に出て、桜子先輩を助けて、保健室へと行く計画を立てていたのだった。
「早く先輩を助けないと……」
桜子の周りに血だまりができていた。危険な状態かもしれない。冷や汗を流しながら、公稀は階段を駆け下りて、裏玄関から先輩を助けに外を出ようとした。
「……!」
玄関に足を踏み入れた時、目の前に腹部を抑えた、少女が立っていた。
「先輩! どうして!」
制服が半分に破れていて、桜子の前のほうの体がさらけ出してしまっている。腹部は大きな擦り傷ができているような状態だ。とても、大怪我していた時のような傷ではない。そこまでひどくは無かったのだろうか。
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫……治癒くらいできるわ」
「治癒……?」
まるでゲームの中のような話を聞いた感覚だったが、今はそんなことを思っている事態でもない。
「と、とりあえず、保健室へ!」
「その必要はないわ」
手を差し伸べようとした公稀に、桜子は首を横に振って断った。
「さっきまで大変な状態だったけど、あなたが時間を稼いでくれたおかげで助かったわ」
「そうですか」
話がよく分からない。そんな短時間で『治癒』ということが、うまく立てないほどの大けがを負って、ここまで話せるほど回復ができるなんて、できすぎた話だ。
「……とりあえず、この校舎の三階へ行くわよ」
「え?」
桜子にはなにか考えがあるようだ。まだ化け物を倒そうとしているのだろうか。
「けがをしているのに、化け物と戦おうとするなんて危険です! 次こそ死んじゃいますよ! 先輩!」
さっきの倒れ込んでいた光景を思い出してしまう。公稀は先輩のあんな姿を二度と見たくないと見たくないと心から思っている。その気持ちを桜子へとぶつけた。
だが、桜子は聞いていないかのように、立ち止らずに階段を一段一段上っていく。
「先輩!」
「逃げないし、わたしは負けないわ」
桜子が最後の段を上ると、一言だけそう言った。
「『カムイ』だから。逃げるわけにはいかない」
「……え?」
カムイ? 聞いたことのあるような無いような、そんな言葉が桜子の口から出てきた。
「どうしたの? はやく行くわよ」
「あ、はい」
公稀は新たな疑問を浮かべながら階段を駆け上がる。
桜子も三階を目指して一段一段上る。表情はなにかを決意しているかのような勇敢さを感じる。
公稀は聞きたいという思いが溢れてきた。
「先輩」
「なに?」
振り向かずに桜子は返答した。
「先輩はいったい、何者なんですか? さっき言っていた。『カムイ』? となにか関係があるんですか? あの化け物にも。さっきの桜も……」
「え……?」
桜子がなにかに驚いたように階段を上る途中で振りかえった。
「……あなた、『カムイ』じゃないの?」
「は? 『カムイ』ってなんですか?」
「この空間で動けるのに、『カムイ』を知らない……? 確かに、『カムイ』とは違う何かを感じたけど……」
カムイ。そんな単語を連呼されても公稀にはさっぱりだった。
「いったいなんですか?」
「……」
桜子は黙り込み、じっと公稀を見つめた。
「あなたの存在が気になるところだけれど、あなたはまだ『人間』みたいね」
「あ、当たり前ですよ!」
まるで桜子が人間じゃないような言い方をしていて、公稀は頭に引っかかる気がした。
今回、たった数時間の出来事。
すべて、この『カムイ』という言葉に繋がっていくのだろうか。
「説明してあげるわ。『カムイ』について」
「……」
桜子の強いまなざしをみて、公稀は圧倒された。このような感覚は、今までに感じたことは無いだろう。
本当に別の世界に来たような感覚がたった今、実感したのだろうか。