[陸] 六道輪廻 の 6。
振り下ろされた鉄棒が、甲高い音を上げて床にめり込む。
続いて人影の舌打ちが聞こえる。
間一髪で身をかわした女、その間合いに、人影自らが入る格好になった。
攻守一転。
ここぞと女が噛みつく隙を与えず、人影は俊敏に身を引く。
靄に埋もれる白いシャツ。それは制服を着た高校生だった。
『あら、』
女はぐいっと首を伸ばして、高校生――夏生の顔を覗き込む。
『あんな棒で、わたしが倒せるとおもって?』
夏生は不敵に笑む。
「強がんなよ。ギリギリ避けたくせに」
カッとした女がその首を喰いちぎろうとする前に夏生は、廊下の端に跳びずさる。跳びずさってもなお目は獲物を見据え、口には笑みを湛えている。おもちゃを見つけた子猫のように、キラキラと輝いて、残酷な表情だった。
その口が、もごもごと動く。
『ううっ 』
女はうめいたかと思うと、廊下にばったり倒れこみ、床の上で悶え始めた。
続きを云わせまいと、必死で首を夏生に突っ込もうとするが、再び火花で弾かれる。弾かれた首が、反対側でまた弾かれる。はっとした女は、辺りを嗅ぐように、ぐるりと首をまわした。
『ここもここもかべが・・・己!』
その間も夏生は口の中で唱え続ける。
『うるさい! うるさい!!』
女がぐるぐると暴れ回る。囲まれた見えない壁にぶつかり、あちこちで火花が散らす。
やがて靄がゆるゆると回り始めた。
夏生の呪文が呟きから声になるにつれて、靄の動きが速く強くなる。
よく見ると、靄は棒を中心に渦を巻いている。
それは竜巻のようになり、もはや女の体をも翻弄し始める。
『ああ、くるしいの!
くるしいまま生きたくないの
くるしいままシにたくないの
ああ、くるしいの――』
女のせりふもぐるぐる回る。
夏生は、そんな女を食い入るように見つめていた。
口元をきゅっと結ぶと、右手を上げて、真っ直ぐ女を指す。一瞬空気が凍る。その空気に夏生が喝を入れる。
「ェン!」
すると、爆音が轟いた。同時に女の目、口、鼻、耳、毛穴、穴という穴から炎が噴き出す。女の中で何かが爆発したのだ。
「その思い、ここで全て燃やして往け」
炎を上げる女に、夏生が言葉を投げる。それに応えるように、炎はさらに勢いを増す。女の体から、靄に燃え移る。
漆黒の闇をなめる真紅の炎。
その色は怖ろしいほど美しかった。
広がる炎は、やがて形になる。女を中心とした、半球状だ。彼女の云う「かべ」の形、すなわち結界の範囲である。
真っ赤な炎の中で、女のシルエットが崩れた。焼き尽くされ、ちりぢりになったのだ。
「クァい!」
夏生が炎に向かって水平に空を切る。
炎が瞬時に消え失せた。代わって、ぽうっと小さな光が現れた。女のいた場所に、ふわふわと漂っている。
その光に向かって夏生が話しかけるように、呪文を唱える。低く、時に高く、あくまで静かに・・・それは言葉というより、唄、それも子守唄のようだった。
「・'°☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'°☆。.::・'°★。.::・・・」
何か云っているのは、はっきりわかる。しかし、何と云っているのかわからない。発音自体がこの世界のものではないような、不思議な響きだ。
小さな光は、ふよふよと夏生の方へ吸い寄せられ、夏生の差し出す指にとまる。夏生は、その光に空いている方の手をかざす。
「いってらしゃい」
手を放すと共に、光がふわぁっと散り、消えた。
辺りに再び闇が戻った。
その闇の中で夏生が呟く。
「・・・次の苦しみへ」