[弐] 遮二無二 の 2。
彼らが目指している桜並木の先、そこには『県下一美しい学校』と同時に『人食い校舎』で名高い満咲高校がある。
満咲町では、夜中の満咲高に入ってはならないという掟がある。なぜなら、次のような云い伝えがあるからだ。
夜、満咲高校の校舎に入った者は、それっきり帰ってこなくなる
親の親、そのまた親の世代の前から伝わる、たった一言の怪談である。行方不明の原因の詳細までは伝えられていないし、そもそも、高校ではそのような行方不明や失踪事件が起こったためしもない。謎めいた掟と怪談だが、それこそが満咲高を『人食い校舎』と呼ばせしむる所以である。
しかしここ最近、この町お馴染みの『人食い校舎』がこれまでにないくらいの脚光(?)を浴びている。怖い話ブームが加熱している満咲町の小中学生で、格好の話題となっているのだ。詳細が語られないがゆえに、若い好奇心や妄想がふくらみ、上記1行の怪談にあらゆる尾ひれハヒレがつきまくり、異形の姿で彼らの間を泳ぎ始めた。そのうち、手足が生えてきて上陸するのでは、というぐらい、その怪談の成長っぷりは凄まじい。
アキラたちのクラスでも例外ではなく、その話で持ちきりだった。
「夜の満咲高では人体模型がうろついていて、そいつに捕まると皮や肉をはがされ、自分も人体模型にされてしまう」
という生なましいホラー話や、
「夜になると満咲高の校舎は迷路に切り替わる。そこに迷い込んだら一生出られなくなるんだ」
というガウディ仰天の建築思想や、
「いや、やっぱ校舎も腹がすくから、人間を食べちゃうんだよ」
なんていう無垢で小学生じみた話を、真剣な顔で休み時間中話している。
そんな状態に、嫌気を差した「クラス一冷めた男」を自負する熱い子供;アキラが、「ばかばかしい、常識的にそんなのありえない」と云い切ったものだから、クラス中が大騒ぎ。クラスメイトほぼ全員を敵にしてしまった彼を救うべく、久谷が苦し紛れに「夜、その校舎に入ってくればいいんだよね」とみんなへ提案した結果、今に至るのだ。
そのいきさつを思い出すだけでもアキラは腹立たしくなる。
あの怪談のせいで俺は――
「そろそろ着くよ」
はっと、久谷の声で我に返る。
「もうこうなったら・・・」
アキラは唇をきゅっと噛むと、桜並木の終点、満咲高校の校門に向かって走り出した。
「暗い中走ると危ないよ〜」
久谷が注意するのにも耳を貸さない。
アキラは、腹だたしさ全てをエネルギーに変換するがごとく、突進していった。
校門は、桜に埋もれるようにして、静かに夜の訪問者を待ち受けていた。
それは、まさに「拒絶」という言葉が似つかわしい代物だった。その黒光りする鉄の塊は、たとえ錠が下ろされていなくても、子供一人の力では到底動かすことはできないだろう。高さも、アキラの背丈の3倍ぐらいある。それが、威厳を持ってアキラを見下ろしている。
「よし!」
逆境こそ燃える性格のアキラは、ぶるりと武者震いするなり、校門に飛びつく。門扉はギイともしない。アキラはするすると鉄柵を登り、あっとういうまに門の頂点に到達した。
そのまま敷地内へ飛び降りようとして門扉の天辺に手をかけたとき、その手のひらに引っかかる感触に気づいた。錆びているわけでもないのに、門がざらつくのだ。目を凝らして手元を見ると、そこには古代文字のような模様が刻まれていた。
「なんだ、落書きか?」
ふと見下ろすと、登ってきた門扉の鉄柵一本一本にも、その繊細な文様が掘り込まれているのが見える。しかも全て全く同じ文様。
いたずらにしては手が込みすぎている・・・!
ことの不気味さに、全身の毛が逆立った。
理屈ではわからないが、本能でわかる。この学校には何かある!
このような状況下で取られる行動は、主に2つ。危険を感じて身を引くか、興味を感じて踏み出すか。このアキラの場合は――
即座に、門の天辺から飛び降りた。 構内の方へ。
飛び降りる瞬間、アキラは妙な感覚にとらわれた。まるで、永遠に底なし穴に落ちていくような、冷やりとする感覚に。
しかし、それを感じたのはほんの一瞬で、唐突に地面の感触がきた。地面の衝撃といってもいいかもしれない。アキラは一瞬前の妙な感覚に気をとられてしまって、着地し損ねてしまった。
「あてててて・・・ 」
頭を上げたアキラは、目の前の光景に目を奪われた。
煌々と、月が照らし出す白亜の校舎が、彼を眺め下ろしていた。
さすがは「県下一美しい学校」と謳われる、満咲高校。月下の姿には、息を呑むばかりである。
それは鏡のような湖畔に降り立った白鷺のように壮麗優美であり、銀の砂漠にそびえ立つ白象のように荘厳であった。
「すげー・・・」
しばらく見とれていたアキラだったが、ふと気がついて門を振り返る。
「あれ・・・久谷?」
後ろを歩いていたはずの久谷の姿が見えない。
前にも後ろにも、横にもいない。
360度見渡したが、彼の姿を発見することはできなかった。
「これを登れなかったのか?」
門が登れないなら「手伝ってよ〜」とか「やっぱり帰ろうよ〜」とか泣き言を云う奴なのに・・・。
「ま、びびって逃げたんだろう。
とっとと用を済ませて帰ろ」
自分に云い聞かせるように独りごち、服についた砂埃を払う。
ぱんぱん、という布の音が構内にこだまする。
「・・・」
あたりは、しぃんと静まり返っている。
改めて、孤独を感じる。
久谷が逃げても、俺は任務を遂行する。
もう、後には引けない。
行くしかない。
アキラは校舎に向かって足を踏み出した。