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増田家回顧録  作者: 増田朋美
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第三話

同級生に赤い靴を差し上げる話

 どこの世界にも一人か二人、変なやつがいるものである。一つか二つだけでなく、定義を一から十までひっくり返してしまうやつ。こういう人に対し、二つの解釈が考えられる。一つ、そのものに対し嫉みとやっかみを抱いて、評価を下げようとする。二つ、その者を偉いと思い、,,,どうする?そのことを書くことにする。

 その変なやつは私と同級生で、名を実藤玲と言った。端正な顔つきで,鼻は高く、凛としていた。私など,目が目蓋で陥没していて,比べ物にならなかった。成績もよく、礼儀正しかったが,致命的な弱点があった。-やつは跛であった。

 原因はよく知らないが,やつがまだ歩き始めて間もない頃,近所の神社へ出かけた際,誤って石段から転落し,踵骨腱が切れてしまったと言うものが定説だった。それでやつの左足は胴からぶら下がっているだけになってしまったと、我が担任、ドン=ガバチョ先生は仰った。でも、それだけが原因ではないような気がする。もっと他に何かあると思うのだが,それは解けなかった。悪い足はいつもつま先だけが地面についているだけで,ずるずるとけたたましい音を立てて、亀よりものろいスピードで歩く。ときにこんがらがってよくこける。

 ので、やつの成績は、体育ではいつも一だったが、勉強に関しては抜群だった。それが他の同級生たちの憎むところだった。男も女もやつに嫌がらせをした。やつは不幸な子供だなと私は思っていた。


 しかし、私の勝手な定義は間違いであった。あるとき、学校で和楽器が導入され、筝の授業を受けることになった。みな嫌そうな顔をしていた。それで、一人づつ筝をあてがわれて,さくらさくらを弾くことになったが,みなやる気がないのだから,ほとんど練習しなかった。すると、後ろの席に一人でポツリと座っていた跛が、右手に爪をはめて,さくらさくらを弾き始めた。やつが弾いているのではなくて,楽器が鳴らしてもらっているように見えた。弾いている姿をみると、いつもののろまな跛男ではなくて、まったく違う人物のように見えた。誰もやつの演奏を聞くものはいなかった。私だけがそれをじっと見ていた。

「きっと足の欠陥の償いとして,自然が,やつの指に恐るべき力を与えたんだな。」と私は一人で言った。

 授業が終了してしまうと,やつは元通りの跛に戻った。弾いているときには、美しく,威厳があるように見えるのに,立って歩くと,みずぼらしい、卑小な男になってしまうのである。そしてまた同級生たちにからかわれ,物を取られたり,誰からも無視されたりするのである。でも、やつは酷いことをされても、泣こうとも、抗議しようともしない。いつも朝一番に学校に来て、下校時間に帰る。補助具の類は付けず,例え雨でも足を引きずってやってくるのだった。


 あるとき、私はやつに「あれだけ酷いことされて、学校来るの嫌にならないの?」と聞いたことがあった。するとやつは「しかたないことだから!」と、ぱしっと言い返した。やつの丸い二つの目が私をきっと睨み付けた。ものすごいプライドの高さだった。と、いうより、人を受け付けなくなってしまっていたのだろうか?私は、多分そうだと思った。やつの靴をみて、左足のつま先部分が磨り減ってしまっているのに気付いて,私は(当時は11歳の無知で無分別な子供であったから,この程度しか思いつかなかったのだろう。それにしても、なんと言う稚拙なことをしたのかと今ではあきれ返っている。)、靴屋へ行って、踊りのとき、女の子が履く、先端に鉄が入った赤い靴を買って、やつの下駄箱に入れてやった。これなら、先っぽが磨り減ってしまう心配もないと思ったのだろうか。

 次の日,やつが私のところへやってきて,「なぜ昨日あんなものを入れた?」と言った。私は「ほら、君いつもつま先付いて歩いてるじゃない,それで靴の先が磨り減ってるから、歩きにくいと思って。あの靴は、つま先に鉄が入っているんだよ。」と言った。やつはぎょろりと目を動かして,「カーレンの赤い靴じゃあるまいし、縁起が悪い。」と言った。「それしか売ってなかったんだ、ごめん。」と私は言った。

やつの唇が震えていた。目の力が弱まってきた。歯ががちがち鳴った。

「私を、馬鹿にするために入れた?」と言った。「ちがうよ!」と私は言った。とにかく善意であることを判ってほしかったが,やつには通じないようだった。どうしようもないことだった。一度身についてしまった定義と反対のことを理解してもらうには,時間がかかる。


やつは、学校に筝が置かれてから,休み時間や放課後に弾くようになった。きっとそれでやっと自分の居場所が見つかるのだろう。それと、教室から出たいという一途な願いがあったにちがいない。私はやつが弾いている間に、こっそり音楽室に入って、やつの演奏を聞いていた。これを何十回も繰り返した。そうしているうちに,やつも痺れを切らして、「どうしていつも、こんな馬鹿げた音をきいているのだ、あんたにはただの訳の判らないものとしか、考えられないだろう?」と言った。「いや、純粋に君の音が良い音だと思ったからだよ。」と私は言った。「訳のわからないものなんかじゃない、僕の伯父さんが三味線をよく弾くから,そういう音楽を多少知っているんだ。」

「本当に?」とやつが言った。まだ迷っている風だった。

「本当。」と私は言った。やつは暫し黙って、「なら、こう言うべきなのかな。」と呟いた。そして、「この間,赤い靴ありがとう。生意気なことを申し上げて本当にごめんなさい。」と、言った。


私と玲が友達になったのはそういう経緯があったからである

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