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増田家回顧録  作者: 増田朋美
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第二話

直治が芽の出ない彫刻家を誉める話。


 増田家の隣に、鈴木家があった。当主鈴木善郎は製紙会社に勤めていて、その仕事が最も安全だといいふらしていた。鈴木家には子供が二人いて、上は達蔵、下は和菜といった。母親は二人が幼いときに亡くなっていた。

 善郎さんは、母親の恥にならないように、一生懸命育てると誓ったのであるが、一つ間違いがあった。それは、二人が世間の笑い者にならないように、私立小学校へ通わせたのであるが、私立学校というのは、上流階級と下流階級を分離する、扉のようなものである。上流階級のものは、音楽や美術といった実生活に役立たないものに飛びつくことができる。達蔵はすぐにその階級の子供と親しくなり、その子達が習っていた笛に異常な関心を抱き始め、すがり付いて、貪り食い、朝から晩まで鳴らすようになった。中学校、高校となって、それはますますひどくなり、ついに音楽大学へ進ませてくれと、善郎に頭を下げるくらいにまでなったのである。これを聞いて、善郎は叩いて怒ったが、態度はまるで改まらず、二年生の二学期には、善郎の貯金を勝手に引き出して笛を買い、新聞社へ働きに行って、(新聞社で働くと、入学金を 出してくれるという制度を知っていたので、)文句一つ言わずに配達の仕事を続け、高校卒業と同時に音楽大学へ行ってしまったのである。良治伯父さんはすごいやつがいるものだと感心していたが、善郎さんには大きな裏切りと見えたようだ。それから五年も経つが、連絡一つ帰ってこないので、達蔵は人生を失敗したのだと、善郎さんは言いふらしていた。そして娘の和菜には、兄のような失敗をしないように、芸術の不要さを言いつづけてきたつもりだった。

 その和菜が17歳になった。あるとき、彼女が増田家にやってきた。伯父さんに用があるというので、伯父さんは作業を止めて彼女を茶の間に通した。

「どうしたの和菜、何の用?」

「実はですね、」と、和菜は言った。「学校の美術部代表としまして、来月行われる、学校美術展に彫刻を一つ出そうと思うのです。それで、伯父様を木像にしたいんですけど,,,。よろしいですか?」

「なら他を当たりなよ。こんな白髪混じりの、45のおじさんを像にしたって仕様が無い。もっと顔の良い人はいっぱいいるよ。」

「いいえ、伯父様だからこそ,像にするんですよ。伯父様は増田家の当主として何十年もお仕事なさってますでしょう,そう言うところを像にしたいんです。今日一日何も気にかけずにお仕事なさってください。スケッチさせてくださればそれでいいです。」

「そう。じゃ、好きにすれば。」

「じゃあよかった!」と和菜の顔がぱっと輝いた。

 彼女はスケッチブックと鉛筆をもって厨房に入り、蕎麦を茹でたり,従業員たちに次々と指示を出していく伯父さんを絵に描いていった。一時間ばかりそこにいて、和菜は伯父さんたちに丁寧に礼を言って家に帰った。

「彫刻のモデルなんか頼まれて,旦那も結構良い顔してますね。」と、従業員の朝子がからかった。

「どこか勘違いしたんだよ、あの子は。」

「これを期に、旦那も容姿に気を配ってみたらどうですか,」と、正太が言った。「いつも同じ黒の着物でしょ,絵になりませんよ。」

「和菜ちゃんは、どうして彫刻なんかするようになったんですかね。」と、平助が言った。「たっちゃんも、和菜ちゃんも、善郎さんが禁止していたことを平気でする。」

「いいんじゃない、あの年頃の子は、そういうものにはまりたくなるんだよ。」と、伯父さんが言った。「くれぐれも他言しないようにね。」

「はい。」と全員が言った。

 さて、暫くたって和菜が彫刻をもってやってきた。それは、人の形をした、でも所々突起した、変なものだった。

「ほう、ムーアの作品みたいだな。」と、伯父さんが言った。

「そうですか、やはり尊敬していると、その人の作品に似てしまうものなのでしょうか。」と、和菜はちょっと照れ笑いを浮かべた。

「大体ね、そんなもんだよ。それを克服して自分の作品になるんだろ。」

「まだ初めなんだし、」と、平助も言った。

「でも、上手だなあ、君たちは二人とも感性いいや、たっちゃんも和菜ちゃんも。羨ましいな。」と正太も何とか誉め言葉を作って言った。

「良い思い出になるね。」

ところが、どう言う風の吹き回しか、父ちゃんが善郎さんを家に連れてきてしまった。娘がムーアの話なんかしているものだから、善郎さんはすごく怒って、「こらっ!」と居間に飛び込んだ。

「こんな変なものを作りおって!」と、像を叩き壊そうとした。

すると、「ちとまった、」と父ちゃんが止めた。

「ほう、こりゃどうやって作るんだ?随分精巧に作ってあるじゃないか、こんな細かい作業、誰がやったんだ?」

「和菜ちゃんだよ!お前、壊すなよ!」と伯父さんが言った。

「和菜ちゃんか!和菜ちゃんはほんの子供だったじゃないか、それがこんなものを作るようになったのか!偉いぞ!」

と、父ちゃんは大いに誉めてやった。ところが善郎さんは、こう、がなりたてた。

「直治。お世辞はいいよ。二人とも馬鹿なことに走りおって、やい、和菜、散々言っただろ、芸術ってのは社会の脱落者が逃げるところなんだぞ!仕事にありつける筈はない!無職になっちまうんだ!無職ってのはな、一番犯罪に走りやすくなるんだよ!和菜、お前は刑務所に入りたいのか!いやならすぐによせ!達蔵は何一つ連絡よこしてこないじゃないか!今ごろ借金に追われて逃げてらあ。」

「お兄ちゃんが連絡よこさないのは、父ちゃんが悪いんじゃないかしら!」と和菜が怒鳴り返した。「父ちゃんは、いつもいろんなことに一生懸命やれって言うくせに、私が何かしようとすれば、すぐ、それは駄目だ、もっと役に立つことをしろって言うじゃない!結局何をやっても駄目駄目駄目って全部駄目にするだけなのよ!だからお兄ちゃんだってやむを得ず連絡をよこしてこないのよ!」

「現に駄目だからそう言っているんだ。」

「じゃあ役に立つことって何よ!どう区別すれば良いのよ!どうすればいいのよ!」

喧嘩が段段エスカレートしてきたので、良治伯父さんは

「ほら、二人とも喧嘩はやめて、善郎さん、怒るのやめて飲みに行こう。」と善郎さんを引っ張って外へ連れ出した。玄関の外で伯父さんが、「あの年頃の子はね、力が有り余っているだけだよ。だからやらせておけばいいの。そのうち、自分にはできないってあきらめるから、それまでの辛抱。」と言っているのが聞こえた。

和菜は床に伏して泣いていた。それをみて父ちゃんが、

「和菜ちゃん、泣いちゃいかん、泣いたら負けだよ。これからも良い彫像を作ってくれな。君は偉いぞ。みんなが知らないことに気づいて、それを形にできるんだから。さ、家へ帰れや。」

と、はげますと、「ありがとうございました。」といって、像を良治伯父様に渡してくれと言って、家に帰った。

 私はこの喧嘩を部屋の隅で見ているだけであった。確かに芸術と言うのは役に立たない、つまり銭にはならない。でも、何か表現したいと言う人は多い。私が彼女位の年齢になったとき、世の中はどうなっているだろうか、真剣に考えたものだ。

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