◆ 第3話:雷禍(らいか)
あの時、空が軋んだ音は——
気のせいなんかじゃなかった。
世界が止まり、音を失ったはずの空が、
“何かに引き裂かれるみたいに”震えた。
「……来る」
セリアが短く言った。
彼女の視線の先。
止まった雲の向こうで、空間そのものが歪んでいく。
——そして。
空が、割れた。
閃光が世界を縦に切り裂く。
雷鳴は音にならず、概念として空間を焼いた。
裂け目の向こうから、
“それ”はゆっくりと降りてくる。
人の形をした、災厄。
髪は稲光。
皮膚は雷光の結晶。
胸の中央には、淡く脈打つ“空洞のコア”。
「……信じられない。エリア外に“出てきた”」
その声は、はっきりと震えていた。
「七禍は本来、リセットのために、
神に与えられた“担当エリア”と同期している存在。
エリアを離れることは、理論上——ありえない」
「ちょっと待て。リセット? 七禍? エリア?
情報量が多すぎて理解が追いつかない。
とりあえず……あの雷の化け物、
本来ここに来ちゃダメな存在ってことか?」
セリアは小さく頷いた。
その瞳には、科学者らしからぬ焦燥が浮かんでいる。
雷禍の視線が、セリアの手元に集まる。
「返せ」
はっきりとした“声”。
空気が震え、言葉そのものが圧となって叩きつけられた。
「……“返せ”って……
まさか、マテリアルを……?」
セリアはバックパックから、
紫電を帯びた小型装置を取り出す。
「これは……雷禍のマテリアル。
発電所エリアから回収した“座標核”よ」
雷禍の視線が、装置に釘付けになる。
《返せ》
「……マテリアルを奪われたから、
エリアの制約を無視して追ってきた……?」
「可能性は高いわ。
七禍は“担当エリアと同期”してこそ完全な出力を得る存在。
マテリアルを失った影響で、制御が崩れている……?」
雷禍が一歩、こちらへ踏み出した。
地面が焼けるように崩れた。
「来る……ッ!」
セリアが演算装置を展開する。
空間歪曲。
電位遮断。
防御式を多重展開——
——だが。
雷禍の一撃は、
それらすべてを“意味ごと貫いた”。
「——っ!?」
視界が白く弾ける。
その瞬間。
俺の身体が、勝手に動いていた。
「セリア!!」
——《世界の想定外》——
意味のわからない言葉が、頭の奥で響く。
雷撃が、俺の“すぐ横”を通過した。
——直撃していたはずの軌道。
だが、何かがズレた。
爆音。
背後の建物が粉砕される。
「……当たって、ない……?」
セリアが目を見開く。
「確率0.00003%……この距離での回避……
理論上、ありえない……」
俺は自分の手を見る。
「……俺、生きてる……?」
雷禍が、こちらを“見る”。
今度は明確に——俺を。
「……蓮、あなた認識された」
「え、今まで俺、認識すらされてなかったのかよ!?」
「“乱数的存在”は、この世界の秩序から見ればノイズよ」
「最悪なんだが!?
俺、完全にとばっちりだよね!!」
雷禍の胸の空洞が歪む。
放電が乱れ、攻撃の精度が落ちる。
「……やっぱり、マテリアルを失って出力も不安定」
考えている暇はない。
「撤退するわ!」
「不安定なら、押せば倒せるんじゃ——」
「無理。
不安定なだけで、今でも充分“災厄”よ」
雷禍が腕を振り上げる。
次の一撃は、
街区ごと消し飛ばす規模だった。
「街ごと消し飛ぶって!?
はい撤退決定! 全力で走れ!!」
俺はセリアの腕を掴み、
崩れた路地へ飛び込む。
雷撃が背後を薙ぎ、
世界が“削り取られる”。
息が切れる。
心臓がうるさい。
それでも——生きている。
セリアが、短く息を吐いた。
「……私はもう、あれに“狙われる側”になった」
「せっかく人に会えたのに——
化け物のオマケ付きは、勘弁してほしいな……」
「でも」
セリアは、俺を見る。
「あなたがいたから、生き延びた」
その時。
端末が、微かな音を立てた。
——ピ。
《生体反応検知:融合者017》
画面に浮かぶ座標。
北東、旧学区。
数値は微弱。だが、確実に"融合者"。
「……今度こそ、融合者」
セリアの声に、わずかな熱が宿る。
「行くわ。この反応のもとへ」
「……あの雷の化け物、まだ近くにいるぞ?」
「それでも行く。
——1人じゃ、勝てないって知ったから」
遠くで、雷禍の気配が空間を軋ませた。
それでも俺たちは、走り出す。
その先に待つ“もう1人”が、
希望か、さらなる絶望かも知らないまま。
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