◆ 第9話:氷禍(ひょうか)
氷禍領域の“縁”を、
俺たちは慎重に踏み越えた。
「……一歩ずつ行くぞ」
ライナの声は低く、静かだった。
誰も前に出ない。
誰も突っ込まない。
あくまで“様子見”。
氷禍の出力、範囲、反応速度——
すべてを見極めるための、ただの観測。
……のはずだった。
一歩、足を踏み出した瞬間。
世界が、閉じた。
「——ッ!?」
背後の空間が、
“氷の壁”のように歪んでいた。
触れた空気が、指先から凍りつく。
——戻れる距離じゃない。
さっきまで開いていたはずの退路が、
白く凍りつき、完全に塞がれている。
「……は?」
俺が振り返った時には、
もう遅かった。
「……退路、消えたわ」
セリアの声が、
一段低くなる。
ノエルが即座に手をかざす。
「……待って。
空間構築……通らない」
「通らない?」
ノエルの表情が、わずかに曇る。
「……おかしい。
ここ、僕の“部屋”の延長線上のはずなのに……」
修造が舌打ちする。
「閉じ込められたってことかよ?」
「……可能性が高い」
セリアが端末を操作する。
「外部との空間接続、遮断されてる。
氷禍の影響……?
それとも、領域そのものの性質……?」
ライナは短く息を吐いた。
「つまりだ」
全員に聞こえる声で、言う。
「——様子見のつもりが、
向こうの土俵に引きずり込まれたってことだ」
空気が、さらに冷える。
息を吐くたび、
肺の奥まで氷が入り込む感覚がした。
「……来るぞ」
左馬介が、低く呟いた。
氷禍が、動いた。
それだけで、
周囲の地形が一斉に凍結する。
——この場所に長居すれば、
確実に“削られる”。
ライナは、ゆっくりと前に出た。
「……全員、戦闘陣形に移行」
様子見は、終わりだ。
「逃げ道はない。
なら——ここで踏ん張るしかねぇ」
氷禍が、
“こちらを認識した”のが分かった。
氷の体が、
わずかに向きを変える。
殺意も、怒りもない。
ただ、
“破壊対象を処理する”という
無機質な視線。
「——配置、確認!」
ライナの声が、凍気の中を貫いた。
「修造、最前線!
左馬介、俺と一緒に前線維持!
倍返死、音無、後衛!
レンズ、最後方から全体把握!
岩戸は後衛の盾役!
ノエル、空間維持を最優先!
セリアは解析、絵音は装備生成、
美咲は待機だ、出血者が出たら即介入!
蓮と透は、氷禍のマテリアルの位置を探してくれ!」
即座に陣が組み上がる。
迷いはない。
この場にいる全員が、“戦場の空気”を知っている。
「よっしゃあああああ!!
行くぞォォォォ!!」
修造が吼えた。
次の瞬間、
氷禍の領域へ、最初の一歩を踏み込む。
――世界が、凍りついた。
地面が瞬時に氷結し、
建物が、森が、街区ごと“彫刻”のように固まる。
その中心に、氷禍はいた。
不気味な氷の人型。
無機質で、冷酷で、
ただ“破壊のために最適化された構造物”。
「……あやつ、動くぞ」
左馬介が、ゆっくりと刀を構える。
氷禍が動いた。
その瞬間、
周囲の温度が、さらに一段階落ちる。
「修造、行け!!」
「任せろォォ!!」
修造が前に躍り出た。
全身が赤熱し、
極寒の中で“異物”のような熱量が弾ける。
「放熱、フル出力!!」
修造の拳が、氷禍の腕部に叩き込まれた。
――砕ける氷。
「……効いてる!?」
氷禍の装甲が、確かに“割れた”。
「いけるぞ!!
こいつ、修造との相性は悪い!!」
ライナの声が弾む。
「前線、押し上げろ!!」
左馬介の斬撃が、
凍った空気ごと切り裂く。
ライナの指示が飛ぶ。
「右!氷の槍が来る!
倍返死、受けるな!かわして返せ!!」
倍返死が、浅く氷の刃を受け、
その反動を“倍返し”で叩き返す。
音無の歌声が、
戦場全体に微かな熱を灯す。
「——まだ、いけます……!」
岩戸が前に立ち、
飛来する氷刃を粉砕する。
「物理攻撃は任せろ……!」
絵音は後方で、
暖房器具や補助装備を必死に生成していた。
「こっち!
簡易ヒーター!
霜焼け防止グローブも出す!!」
ノエルの空間が、
極寒をかろうじて遮断している。
「……維持できてる。
でも、長くはもたない」
セリアは必死に端末を操作していた。
「氷禍の出力、想定より安定してる……
構造は……くっ、まだ読み切れない……!」
戦況は――
“優勢”。
明らかに、最初はこちらが押していた。
修造の熱が氷禍の装甲を溶かし、
左馬介の斬撃が動きを削り、
ライナの指揮で無駄な被害は出ていない。
「……いけるんじゃねぇの?」
俺は思わず呟いた。
その瞬間。
ノエルの空間が、
わずかに“歪んだ”。
——ギィ……。
耳鳴りのような、不快な感覚。
「……?」
「……今の、なに?」
音無が顔をしかめる。
「能力の出力が……
ほんの一瞬、ズレた……?」
岩戸が自分の腕を見る。
「……硬化が、一瞬遅れた」
修造が眉を寄せる。
「……おいおい、
俺の熱、ちょっと弱くなってねぇか?」
ノエルが、即座に確認する。
「……空間の安定度、低下してる……
原因不明だ」
セリアが唇を噛む。
「氷禍の“領域効果”が、
私たちの能力に干渉してる……?」
誰も、確証を持てない。
セリアが息を呑む。
「この空間、氷禍に“解析されてる”」
空気が、一段冷えた。
氷禍の動きが、止まる。
次の瞬間。
氷禍の全身から、
“最大出力”の凍気が解き放たれた。
――ここからが、“反撃ターン”だと。
誰もが、直感で悟った。




