【第5話 辺境グレンヴィル領――狼たちの住む場所】
エレノアはついに、王都から最も遠い地――辺境へ足を踏み入れた。
そこは武に生きる者たちが集い、弱さを許さない厳しい大地。
王都で沈黙を誤解され続けた令嬢は、
ここで初めて“尊重”という名の温かさに触れた。
そして、辺境の狼・ゼノは、
彼女を“客人”として迎え入れることで、ひとつの運命を動かし始める。
【第5話 辺境グレンヴィル領――狼たちの住む場所】
エレノアを乗せた馬車が、王都から真逆の大地を進み始めて数日。
道は細くなり、森は深くなり、空気は澄み、そして――冷たくなった。
王都の喧騒が遠くなるほどに、エレノアの胸は不思議なほど静かだった。
(辺境とは……こんなにも、厳しく、清らかな場所なのですね)
窓の外には、切り立った崖と濃紺の森が果てなく続いていた。
その奥には、雪をいただく山脈が鋭く突き上がっている。
そして――馬車が丘を越えた瞬間、
視界が一気に開けた。
「……まあ……」
思わず息を呑む。
広大な渓谷を見下ろす位置に、黒い石で築かれた城が鎮座していた。
城壁は分厚く、塔はどれも武骨で、まるで巨大な狼が牙を剥いて立ち塞がるようだ。
それが、
グレンヴィル辺境伯領――“狼の地”。
⸻
馬車が城門前で止まると、
武装した兵士たちが一斉に視線を向けた。
誰もが強靭な肉体を持ち、目つきは鋭い。
王都の貴族とはまるで違う、戦うために生きる者たちだ。
「止まれ! 何者――」
兵士が声を張り上げたが、それを遮ったのは低く響く声。
「俺だ」
黒馬に乗ったゼノが、城門の陰から姿を見せた。
「ゼ、ゼノ様! 失礼いたしました!」
兵士たちの態度が一変し、ひざまずく。
その変わりように、エレノアはわずかに目を見張った。
(……この方は、本当に信頼されているのですね)
王都の華奢な貴族の“権威”とは違う。
ゼノが背負うのは、“力と信頼”だ。
「エレノア、降りられるか?」
「……ええ。問題ありません」
ゼノが手を差し伸べたが、エレノアはほんのわずか考え――
自分の手で馬車を降りた。
その仕草を見て、ゼノの目が静かに細められる。
(強い。……やはり、ただの令嬢ではない)
⸻
城門をくぐると、辺境の空気が一気に押し寄せてきた。
騎士たちは訓練を行い、鍛冶場では巨大な槌が火花と共に振り下ろされている。
兵士たちの視線が、一斉にエレノアへ向いた。
「ゼノ様、そちらのご婦人は……?」
「王都の貴族にしては、気品が……」
「しかし、あまりにも細い……ここで暮らせるのか?」
好奇と疑念、そして敵意。
王都出身というだけで、辺境では“信用に値しない”と判断される。
エレノアは動じず、静かに凛とした姿勢を保つ。
その沈黙は、王都で誤解され続けたもの。
しかし今、その沈黙に“強さ”を感じた者がいた。
「おい、お前ら」
ゼノがわずかに声を低くした。
「この方は――俺が連れてきた“客人”だ」
その瞬間、空気が変わる。
辺境において、
ゼノの“客人”という立場は絶対だった。
兵士たちは目を伏せ、深く頭を下げる。
「し、失礼いたしました……!」
エレノアは小さく会釈した。
「身に余るご配慮、感謝いたしますわ」
貴族的な礼の仕方なのに、どこか強さと優しさが混じる。
ゼノは静かに息をつく。
(……王都が手放した理由が、理解できないな)
⸻
城内へ案内されたエレノアは、
まるで要塞の中を歩いているような感覚を覚えた。
壁は厚く、廊下は広く、どこも軍事的で無駄がない。
「ここが、お前の部屋だ」
ゼノに案内された部屋は、意外にも温かさを感じさせる空間だった。
大きな暖炉。
厚い毛皮。
窓辺には乾燥させた花。
「……思っていたより、ずっと素敵ですわ」
エレノアはそっと微笑んだ。
「辺境の冬は厳しい。まずは体を慣らせ」
「お気遣い、感謝します」
そして、ゼノは真っ直ぐに彼女を見た。
「王都でお前を悪役と呼んだのは、あいつらの無知だ。
ここでは、お前の沈黙も誇りも、正しく使われる」
「……わたくしの沈黙が、ここで……?」
「ああ。
お前の“判断力”が、辺境を救うこともある」
エレノアは胸の奥に小さな灯火が灯るのを感じた。
(王都で否定された私が……ここでは、必要とされるのですか?)
ゼノは言った。
「明日から、俺と共に領地の視察へ出る。
辺境がどういう場所か、目で確かめるといい」
「……はい」
その返事は、
追放された令嬢ではなく――
新たな地に足を踏み入れた、“ひとりの女性”の声だった。
⸻
この物語は、王都で追放された令嬢が、
辺境という異界にも似た地で、自らの価値を取り戻していく物語。
ここからエレノアは、
今まで知らなかった“生”の厳しさ、そして“評価”の喜びを知る。
次に語られるのは――
辺境の地を歩く二人と、
そこで待ち受ける“最初の試練”の物語。
**第6話
「辺境視察――牙を剥く大地での初任務」**




