第44話 影の刺客団
第44話 影の刺客団
夜のグレンヴィルは、いつもより静かだった。
雪を吸った空気は音を消し、
どこか張りつめた匂いが漂っている。
そんな中、エレノアは執務室で一人資料を整理していた。
「……魔術式の欠片が、王都の“地下区画”と繋がっている……?」
文書の内容に眉を寄せたときだった。
――コツ。
廊下のどこかで、かすかな音がした。
「……?」
誰かが歩くには軽すぎる。
しかし、風にしては規則的だ。
エレノアは立ち上がり、扉へと歩み寄った。
(妙ですわね……この時間に警備が動く予定は――)
思考した、次の瞬間。
――パチン。
ランプの火が、突然消えた。
闇。
息が止まるほどの、深い闇。
「……っ!」
エレノアは反射的に身構えた。
気配を感じる。
冷たく、ゆっくりと忍び寄る“魔力の糸”。
(魔術……!)
その瞬間。
――シャッ。
扉の影から、黒い布の影が飛び込んできた。
「しま――!」
だが、叫ぶより早く。
何かが、彼女の目の前をかすめた。
《ギィンッ!》
鋭い衝撃音。
火花。
そして、すぐそばに立つ影。
「……ゼノ様……!」
エレノアの声が震える。
「遅れた」
ゼノは横目もくれず、刀身を構えたまま言った。
「三人だ。
魔術師団直属の“影部隊”……暗殺専門だ」
影は、床を滑るように動いた。
まるで生きた闇が形を持ったように。
「エレノア、お前は下がれ」
「ですが――」
「言うことを聞け」
その声音に、逆らう余地はなかった。
⸻
影が一斉に動いた。
床と壁、天井から――三方向から襲いかかる。
《スッ!》
《ヒュッ!》
風すら切れないほどの静かな攻撃。
だがゼノは、まるで相手の軌跡が見えているかのように剣を回した。
《ガンッ! ギンッ!》
火花が散る。
ゼノの剣筋は鋭く、正確で、そして――怒っていた。
(こんなに……荒いゼノ様を見るのは、初めてですわ)
いつもは冷静な黒曜石の瞳が、
怒りでわずかに揺れている。
「……エレノアを狙ったことだけは、許さない」
低く低く、地の底のような声。
影の一人が背後からゼノへ迫る。
――スッ。
その刃がゼノに触れようとした瞬間。
《ズシャッ!》
一閃。
影は床に崩れ落ちた。
残り二人が怯む。
ゼノは、冷気を帯びた声で告げた。
「ここは……俺の領だ。
好き勝手できると思うな」
剣が走る。
まるで風が形を帯びたような、無駄のない動き。
《ギィィンッ!》
《ドッ!》
二人目が壁に叩きつけられる。
三人目は逃げようとするが――
「逃がすと思うか」
ゼノの影が、まるで獣のようにその背を捕らえた。
《ザンッ》
短い悲鳴。
そして静寂。
すべてが終わるまで、一分とかからなかった。
⸻
静けさだけが戻る。
「エレノア」
ゼノが振り返る。
その顔を見た瞬間、
エレノアの胸がぐっと締め付けられた。
(……本当に、怒っている)
ゼノはいつも冷静だ。
だが今の彼は違う。
剣を収めようとしても、その手が震えている。
エレノアは一歩近づき、そっと声をかけた。
「ゼノ様……大丈夫、ですか」
「大丈夫ではない」
きっぱりと。
「俺は……
お前の命が奪われそうになった瞬間、
本気で“殺意”を抱いた」
「それは……当然の――」
「当然じゃない」
ゼノは歩み寄り、
エレノアの両肩を掴んだ。
その力は強いのに、
必死に抑えようとしていた。
「俺が怒ったのは……
領民を傷つけられたからでも、
王都に侮られたからでもない」
ゼノは、押し殺した声で告げた。
「――エレノア。
お前が傷つくのだけは、許せない」
その言葉は、
刺客の刃よりも鋭く胸に突き刺さった。
「ゼノ様……」
「自覚している。
これは領主の言葉ではない。
ただの……男の感情だ」
エレノアの息が止まる。
(……この方は)
(わたくしのために、本気で怒って……)
胸に湧き上がる熱は、恐怖ではなかった。
⸻
ゼノは一歩引き、深く息を吸った。
「刺客団が来たということは……
魔術師団は、完全に“排除”へ舵を切った」
「……はい」
「次はもっと大規模になる。
エレノア、これからは決して一人になるな。
必ず俺か騎士団をつける」
「わたくしは、そんなに――」
「狙われている」
ゼノは断言した。
「お前は、奴らにとって一番の障害だ」
「…………」
「そして――俺にとっては、一番大切な存在だ」
その言葉が放たれた瞬間、
エレノアの心臓は大きく跳ねた。
ゼノは照れも偽りもなく、
ただの事実として言っている。
「……ゼノ様。
そのようなことを……」
「言わない方がいいか?」
「いえ……」
エレノアは震える息を吐いた。
「……とても……嬉しいですわ」
⸻
刺客団の血の跡がまだ乾かぬ夜。
その夜は、
王都との対立だけではなく――
ふたりの距離もまた、
ひとつ壁を越えた夜だった。




