第29話 冬を越す備え
第29話 冬を越す備え
冷たい風が、山の稜線をなぞるように吹き抜けていた。
空は高く、澄みきった青をたたえ、その下に広がる大地は静かに冬を迎えようとしている。
「……今年の雪は、早くなりそうですわね」
エレノアは白い息を吐きながら、遠くの峰を見つめた。
「確かに。昨年より一月は早い」
隣でゼノが答える。
彼の声には、戦以外の静かな緊張が含まれていた。
「だからこそ、今のうちに備えておきましょう。
冬は美しくもありますが……時に、人の命を奪います」
凛とした声。だがその奥には、ほんのわずかな憂いがあった。
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木造の倉庫の前。
新たに築かれた備蓄庫の中には、乾物、穀物、薪、塩が規則正しく積み上げられている。
「これで、三か月は持ちますか?」
「ええ。ただし、吹雪が長引けば足りません」
「ならば、さらに二週間分を確保してくだされば十分ですわ。
誰一人、寒さで震える夜を過ごしてほしくありません」
その言葉に、作業をしていた若い兵が思わず呟く。
「……本当に、お優しいな」
「優しさではありません」
エレノアは静かに首を横に振る。
「生きていてほしいのです。
それだけですわ」
その背を、ゼノは見つめていた。
(この方は、どこまで人のことを考えるのだ)
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日暮れ。
冷え始めた空気の中、城に戻る途中で二人は足を止めた。
「……エレノア」
「はい?」
「お前は……なぜそこまでして、この領を想う」
その問いは、静かだったが真剣だった。
「私は……」
エレノアは少しだけ考える。
「王都で、失いましたから」
「……失った?」
「ええ。
信じていたもの、守りたかったもの、誇り……すべてを」
それでも、彼女の声は揺れない。
「だからこそ、もう一度“誰かの居場所”を守りたいのです」
ゼノは言葉を失った。
「……それは、自分を傷つけてでも?」
「傷つくことより、誰かが孤独になることのほうが……怖いのです」
その言葉に、ゼノの胸がひどく締めつけられた。
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「エレノア」
彼は、彼女の名をゆっくりと呼んだ。
「その覚悟を、ひとりで背負うな」
エレノアは目を見開く。
「お前の理想も、恐れも、責任も……
すべてを、俺にも分けてくれ」
静かで、だが揺るぎない声だった。
「私は……あなたに甘えてもよいのでしょうか」
「許すも何もない」
ゼノは、ほんのわずかに笑う。
「すでに、お前は俺の大切な存在だ」
それは告げるには早すぎる言葉だったかもしれない。
だが、隠せるつもりもなかった。
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夜。
城の窓から、雪を迎える星が輝いている。
「……ゼノ様」
「なんだ」
「もし、この冬を越えたなら」
彼女は小さく微笑んだ。
「この地にも、春が訪れますわね」
「ああ。必ずだ」
「そのときは……この村の花を、あなたと一緒に見たいですわ」
ゼノは一瞬、言葉を失った。
「……それは、約束か?」
「ええ。約束です」
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風が城壁をなぞり、星が瞬く。
遠い夜空の下で、ふたりの距離は確かに近づいていた。
戦でもなく、政でもなく、
ただ“生きていく未来”を語り合う時間。
「……この冬は、厳しくなるだろう」
ゼノは夜空を見上げながら言った。
「だが俺は、きっと越えられると信じている」
「私もですわ」
「……いや、違うな」
彼は小さく息を吐いた。
「俺は、お前となら越えられると信じている」
エレノアの胸に、小さな温もりが灯る。
凍てつく夜の中で、
ふたりの言葉は不思議なほどあたたかかった。
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こうして、冬への備えは整えられた。
だがそれは、ただの準備ではない。
それは
“共に厳しい季節を越える”という、静かな誓いでもあった。
そしてその誓いの中心にいたのは、
誇り高き令嬢と、彼女を深く想い始めたひとりの男だった。
冬は近い。
だがその先には、きっと春が待っている――。




