【第22話 王太子の焦燥】
【第22話 王太子の焦燥】
王都、白亜の宮殿。
かつては秩序の象徴だったはずの玉座の間に、重苦しい沈黙が満ちていた。
謁見用の長机の上に置かれた一通の書簡。
深紅の封蝋に刻まれた紋章は、見間違えようもない。
――グレンヴィル領。
「これは……抗議、なのか?」
フレデリック王太子は、眉を寄せながらその文面を読み返していた。
整った王太子装束に身を包んでいるにもかかわらず、その姿はどこか覇気に欠ける。
「いえ、殿下。正確には“警告”にございます」
傍らに控える老臣が、慎重な口調で告げた。
「辺境の分を弁えぬ女が、随分と大きな口を叩くものだな」
若い貴族の一人が鼻で笑った。
「エレノア・フォン・アウグスト……追放されたはずの令嬢が、なぜここまで調子に乗れるのだか」
その名を聞いた瞬間、フレデリックの指先がわずかに震えた。
「追放された……はず……」
だが、その声には確信がない。
書簡には、冷静で論理的な言葉が並んでいた。
感情的な非難ではない。ただ、事実の列挙と是正要求。
「……こんな文が書けるのは、あの女しかいない……」
彼の脳裏に浮かぶのは、かつて隣で書類を整理し、複雑な政務を当たり前のように処理していた姿。
あの時は、それが“当然”だと思っていた。
何もかもが、勝手に整っていたから。
「殿下、いかがなさいますか?」
老臣の声に、ようやくフレデリックは顔を上げた。
「……これは、脅しか」
「いえ。手順に則った正論であり、むしろ穏当な表現です」
別の側近が口を挟む。
「ですが、このまま黙認すれば、他領にも影響が出ます。
『王都の命令は辺境に拒まれた』などと捉えられかねません」
「拒まれた……?」
フレデリックは、苛立ちを含んだ声で呟いた。
「なぜだ。なぜ、こうも事態がうまくいかない……」
その視線が、無意識のうちにアメリアへと向けられていた。
「わ、わたし……できることがあれば……」
彼女は不安げにそう言うが、場の緊張は和らがない。
(エレノアがいれば……)
脳裏に浮かんだ思考に、フレデリックは自ら驚いた。
(あの女がいれば、こうなる前に整理されていた……)
だが、その“いれば”は、もう戻らない過去だ。
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一方、別室では貴族たちの議論が白熱していた。
「辺境のくせに生意気だ」
「軍事力があるからといって調子に乗っている」
「だが、事実関係はどうだ? 本当に魔術師団は――」
「そんなことは問題ではない!」
「問題なのは、王家の権威だ!」
感情と責任転嫁が入り交じり、議論は収拾がつかない。
「……これでは、統率が取れているとは言えぬな」
フレデリックは額を押さえた。
かつては、一言で片づいていた案件。
だが今は、それをまとめる者がいない。
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夜、私室に戻ったフレデリックは、書簡を再び開いた。
そこに記された署名。
――エレノア・フォン・アウグスト
グレンヴィル領 作戦統括官
「作戦統括官……?」
その肩書を見て、胸の奥に鈍い痛みが走る。
「……あいつは、そんな場所で……」
かつて見下していた令嬢が、いまは領の軍政を預かる存在となっている。
一方、自分は。
「……何も進まない」
自然と漏れたその言葉は、誰の耳にも届かない。
だが、王太子は気づいてしまった。
エレノアを追い出してから、王都は混乱し、決断は鈍り、指示は迷い続けていることに。
「なぜだ……なぜ、あの時……」
だが、その後悔すら、誰にぶつける術もなかった。
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翌朝。
再び招集された会議で、フレデリックは硬い声で告げた。
「グレンヴィル領には、形式的な返答を出す。
調査体制の見直しを“検討”すると伝えよ」
「殿下、それでは弱いのでは……?」
「強硬策はとるな」
即答だった。
「……これ以上、混乱を広げることは許されない」
側近たちは顔を見合わせたが、誰も強くは反論しない。
それこそが、今の王都の“限界”だった。
⸻
王太子の胸に渦巻くのは、怒りでも傲慢でもなく。
焦燥だった。
すべてがうまくいかない理由を、
彼はようやくひとつだけ理解していた。
「エレノアがいないせいで、何も進まない……」
だがその真実を口にできる場所は、どこにもなかった。
沈黙の軍師は、もはや王都の側にはいない。
王太子の苛立ちは、静かに王国そのものを蝕み始めていた。
王都側から見た「エレノアの不在」は、どのように映りましたか?
フレデリック王太子の焦りは、哀れに見えたでしょうか。それとも、自業自得だと感じましたか?
もしあなたがこの王太子の立場だったなら、
エレノアに頭を下げる選択を取れたと思いますか?
次話では、王都の混乱の裏で進む“国境地帯の異変”が描かれます。
果たして、その影の正体は何なのか――あなたなら、どう予想しますか?




