【第1話 沈黙の悪役令嬢は、今日も完璧である】
◆ 前書き(投稿向け)
第1話をお読みいただきありがとうございます。
今回は、
「沈黙するしかない悪役令嬢エレノアの現実」
「誤解される完璧さ」
「王太子とアメリアの茶番の始まり」
を中心に描きました。
【第1話 沈黙の悪役令嬢は、今日も完璧である】
王都アウグスト公爵家の朝は、まだ陽が昇る前から静かに始まる。
庭に落ちた朝露は青く光り、白亜の館には順に蝋燭が灯されてゆく。
その奥の書斎では、ひとりの令嬢が夜の名残を抱えたまま羽根ペンを走らせていた。
エレノア・フォン・アウグスト。
白金の髪を耳後ろで束ね、紫水晶の瞳を伏せて数字に向き合う姿は、少女というよりひとつの芸術作品のように整っている。
「……また、殿下の“社交費”が増えているのですね」
呟きに怒りはない。驚きもない。ただ淡々とした確認だけ。
王太子フレデリックが無謀な投資と遊興で膨らませた赤字。
それを隠し、補填するのは――いつだってエレノアの役目だった。
「これ以上は……どう誤魔化せばいいのかしら」
彼女は帳簿を閉じ、小さく息をつく。
ここ三年、王太子の失敗を“誰にも知られず処理する”ことが、彼女の毎朝の仕事となっていた。
どれほど無能でも、
どれほど自分が悪女扱いされても、
王太子の顔を潰すことは、絶対にしない。
それが、公爵家の矜持であり――エレノア自身の誇りでもあった。
控えめなノックが、朝の静寂を破る。
「お嬢様、朝食のご準備が整っております」
「ありがとうございます。すぐに向かいます」
エレノアは姿勢を正し、扇子を手に取る。
鏡に映る己の姿は今日も完璧で、隙がない。
――だが、その完璧さが“悪役”と呼ばれる理由だと知っていても、彼女は崩さない。
⸻
午前十時。
王城庭園のティーサロン。
花々の香りが満ちる中、令嬢たちが三々五々集い、きらびやかな談笑が続いていた。
だが、エレノアが足を踏み入れた瞬間、空気は微かに固まる。
「……あ、アウグスト公爵令嬢」
「悪役令嬢が来ちゃったわ」
「アメリア様にまた何か言うのかしら」
聞こえる声のほとんどが陰口。
だがエレノアは、涼しげな微笑みで応じた。
「皆さま、ご機嫌よう。美しい朝ですわね」
形式的な笑顔が返る。
その裏の感情を読み取るのは簡単だった。
『偉そうに』
『嫉妬深い悪女』
『アメリア様の噂を流した張本人よ』
――本当は、彼女が誰よりも王都と貴族たちを支えているのに。
「――あら? エレノア様」
柔らかい声が響く。
アメリアが、王太子を伴って歩み寄ってきた。
「殿下とは、今日も慈善活動に励まれていると伺いましたわ」
エレノアは礼儀として言っただけだ。
だがアメリアは、震える肩を寄せながら王太子に縋りつく。
「エレノア様にそんなふうに言われるなんて……。
わ、わたし、本当に人助けがしたいだけで……」
周囲からは同情の声。
「可哀想に……」
「またエレノア様が?」
「嫉妬が深いわね……」
フレデリックが、わざと周囲に聞こえるようにため息をついた。
「エレノア、そなたの嫉妬深さには困る」
沈黙。
視線がエレノアへ集中する。
エレノアは何一つ表情を変えず、口を閉じたまま微笑む。
言い返せば、王太子の失態を暴くことになる。
その瞬間、アメリアの“慈善活動”が茶番であることも露見する。
――ならば沈黙を選ぶ。それが彼女の矜持。
その沈黙がまた、「悪役令嬢」という誤解を深めていく。
遠く、柱の影で黒髪の青年がその様を見ていた。
ゼノ・フォン・グレンヴィル。
王都の芝居を最も嫌う辺境の英雄。
(噂通りの悪女ではないな。むしろ――)
気高く、誇り高く、真っ直ぐすぎる。
ゼノの瞳には、それだけが映っていた。
⸻
夕刻。
公爵邸に戻ったエレノアを、老執事が迎えた。
「お嬢様……王城より“至急”の使者が参っております」
「……至急?」
胸に冷たいものが触れる。
「通して」
黒服の使者が封書を差し出す。
封蝋には王家の紋章。間違いなく王太子のものである。
――本日夜、王城大広間にて重大な告知あり。
「……ついに、ですわね」
エレノアは静かに、完璧な微笑みを浮かべた。
――この夜、彼女は“悪役令嬢”として断罪される。
だがそれは、王国が大切な柱を折り捨てる瞬間でもあることを、誰も気づいていなかった。
エレノアはまだ何も失っていません。
ですが王都の空気は、すでに彼女を悪役として断罪する方向に動き始めています。
次回、
「沈黙の悪役令嬢」vs「自滅する王太子たち」
舞踏会での公開断罪シーンを描きます。
そしてその場に立ち会うのが――
ただ一人、彼女の真実を最初から理解していた男、ゼノ。
次話は、ついに――
王都史上最悪の婚約破棄の舞台が幕を開けます。




