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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

卒業式の断罪

奥様の独り言 断罪されるべきは、だあれ(誰)?

作者: 紡里

お待たせしました。

ご要望いただきました、奥様sideです。

(R15) 性行為に関する話題が出てきます。

 今、わたくしは待っている。

 家令が離縁届を持って扉をノックするのを。


 それは、わたくしがこのヘムリーズ家の「事業」から手を引くための許可証。

 ほの暗い秘密であり、わたくしがこの家に嫁いだ理由。


 生涯、解放されることがないと覚悟していた、おぞましい仕事。



 ■ヘムリーズ家のお仕事■


 始まりは、数十年前。

 へきという国から亡命者がこの国に来た。


 国王からの密命を受けたベレフォール侯爵が、友人のヘムリーズ伯爵に彼らを保護することを依頼したのだ。

 その亡命者は医療や調合を生業とする一族で、碧国で政争に敗れ、着の身着のままで逃げてきた。


 彼らは碧国の前々王朝から三代に渡り『宮廷』に使えていた。

 何度も繰り返される政争、その勝者を見抜く目を持ち生き抜いてきたが、ついに見誤った。


 どの王朝も苛烈な後宮争いと身の毛もよだつほど残虐な刑を執行するため、人体の研究がはかどったという。

 誰にも知られないように彼らおよび彼らの知識を保護し、研究できる環境を整え、研究成果を内密に王家の暗部に提供する。

 そんな秘密を隠すのには、適度に資産があり、堅実で目立たないヘムリーズ家は打ってつけだった。


 その王家の暗部との橋渡し役を、故ヘムリーズ伯爵から引き継いだのは、嫁のわたくしだった。

 伯爵の息子は三十歳を目前にして結婚もせず、家業も手伝わずにふらふら遊び回るボンクラだったから。


 故ヘムリーズ伯爵、先代様はご自分の妻にも息子にも興味がないご様子で、無表情で淡々と仕事をする方だった。

 あのポーカーフェイスは、国家秘密を託すのに適していたと思う。



 唯一、表情がほころぶのは、侯爵閣下がいらっしゃった時。

 二人でガゼボから温室を眺め、珈琲を嗜むのだ。

 碧から来た、均の一族の要望にあわせて改修させた温室。


 侯爵は先代様の顔をまっすぐに見て、朗らかにおしゃべりをする。

 先代様は少し目線を下に向け、ほとんど視線を合わせようとなさらなかった。

 たまに薄い相槌を打ち、少し目を細めて、かすかに唇の端を上げる。


 美しい貴族を見慣れているわたくしでも、ため息をついてしまったものだ。

 使用人たちがそわそわ浮き足立つのをたしなめながら、気持ちは分かるわ!と思っていた。

 思ったからといっても、立場上それを口にすることはできなかったけれど。




 でも、あの一族はこのままでいいのかしら。

 数十年囲われて、自由に街も歩けず。

 政争から生き延びて、異国に渡って・・・籠の中。


 わたくしは言葉が分からないから、先代様から引き継いだことをそのままやっているだけ。

 彼らが何を望むのか、訊こうとしたこともない。


 ああ、彼らにこの国の言葉を教えないのは、逃げ出しても生きていけないように・・・そう気付いたとき、鳥肌が立った。


 先代様は寡黙な方だったけれど、人を人とも思っていない様子が時折、滲み出ていた。

 たぶん、侯爵の利益になるなら、異国の民くらい・・・いえ、真相を知る術もないのだから、考えても仕方ないわ。

 仕事を引き継いだわたくしは、先代様と運命共同体なのだ。



 ・・・人を人とも思わない性質が、夫に引き継がれてしまったのよね。

 喜んでいる嬌声と泣き叫んでいる叫び声の区別がつかないなんて、狂っているとしか思えない。

 共通するのは「自分()、気持ちいい」ということ。


 そして、自分を嫌う人間がいるとは一ミリも思っていないから、罪悪感など皆無。

 心の底から軽蔑するわ。




 先代様が均の一族に与えた温室は、一昔前に流行った、コンサートができるくらい大きな建物。


 大きいとはいえ、一族が生活して研究するには手狭ではないかと思ったら、「布団」というコンパクトにまとめられる寝具を使うのですって。

 三分の一の大きさになって、積み重ねられるの!

 すごい、画期的だわ。


 昼間の活動スペースと夜の寝るスペースが兼用できるなんて、合理的。

 いちいち部屋を移動する手間も省けるのよ。 


 そういえば、今度の彼らの移転先はどんな施設になっているのかしらね。

 移転の話が出たのが半年前。

 侯爵家なら王都に限らず、多くの建物を所有しているでしょう。もっと充実した研究室を用意されているかもしれないわ。


 ここでの暮らしは、大きいとはいえ、所詮は温室。

 移転できてよかったわよね、たぶん。



 わたくしは使用人を「使える者」と「使えない者」に区別している。

別の言い方をするなら「特別に信用できる者」と「普通の使用人」。


「使えない者」は、庭の一角にある温室、亡命者の一族が暮らすエリアには近付けさせない。

 忠告を守らずに近づいて一族に察知された場合、その粗忽者をどうするかの権限はわたくしから一族に、自動的に譲渡される。


 わたくしの元には、庭師を介してその人物の特徴が伝えられるだけ。

 適当に「駆け落ちした」とか「盗みを働いたらしく行方をくらました」とかいう体にして、粛々と行方不明になった場合の手続きを取る。


 それが、わたくしの、ヘムリーズ家の仕事。



 ■庭師■


 庭師は元々、国の暗部に所属していて、任務中の怪我により現役ではいられなくなった者たち。碧語を習得してから、我が伯爵家にやってくる。


 彼らは普通の庭師と区別するために、左手にバングルをはめる。

 あのバングル、すごい暗器なのよね。

 様々な機能が満載で・・・自分は暗殺対象じゃないと分かっていても、一瞬ヒヤッと背筋が凍る。


 わたくしが道を違えたら、いつでもサクッと消されるのでしょうね。



 そんな日々も、もうお終り。

 家令の実家、ベレフォール侯爵家に「事業」が引き継がれたのだもの。


 あら、ベレフォール侯爵家なのかしら。家令が立てるモンレーヴ子爵家の方かも・・・まぁ、わたくしには関係ないことだわ。




 ・・・いつ均の一族が次の場所へ引っ越したのか、わたくしは知らない。

 気がついたら、庭師が「引っ越し完了です」って。

 開始報告はなかったのに、完了報告ですか。そうですか。


 あの庭師がモードに極秘の薬品を渡していたと聞いたときは、本当に血の気が引いた。


 恋人やモードを守るためとはいえ・・・トップシークレットの薬を使うなんて。

 庭師が自分で手を出さなかったのは、罪を軽くするために違いない。主犯じゃなく、幇助の立場なら「お叱り」ですむだろうと。

 まったく小賢しい。


 更に、家令を通して、父親の侯爵に泣きつかせるつもりなのでしょう。

 国王陛下か宰相に「わしの孫娘の危機だったんじゃー」って。

 王立学園の同窓生って仲間意識が強いから、庭師は処されずにすむ可能性が高い。


 でも、モードに甘い人たちの「甘さ」って、ちょっと異常なのよね。

 庭師のタガが外れたのには、驚いたわ。

 ヘラヘラしつつも、あんなにプロ意識が高い彼が、ねぇ・・・。



 ■ミレイユがもたらしたもの■


 物事を自分の都合の良いようにしか見ようとしない、質の悪い人間というのはどこにでもいる。


 性暴力の被害者であるミレイユを、妬んで虐めようとする神経が分からない。

 まあ、夫の顔面は美しかったけれど、中身が腐っている。

 ついでにアレも腐ってもげてしまえば、世の中が平和になるのに。


 彼女を使用人の大部屋に入れておく訳にいかなくなり、一時避難のつもりで屋根裏で寝るように手配した。

 自分が粉をかけても相手にされなかったからといって、腫れた顔と憔悴しきって寝込んでいる姿を目の前に、どうして羨ましいと思えるの?


 そうしたら今度は、わたくしが嫉妬して、彼女を屋根裏部屋に追いやったと噂になった。


 なぜ? どうやったらそういう発想が出てくるの?

 夫を愛している妻なら、そういうことをするものらしいけれど。

 夫を愛していないから、分からないわ。


 愛人を虐めたとして、その先はどうなるというの?

 わたくしには次の展望が開けるように思えないんだけど、そこに未来はあるのかしら。



 意外なことに、ミレイユが屋根裏部屋を気に入ってしまった。

 家令が他の使用人の目に付かないように、こそこそと部屋を整える。

 ・・・愛の巣のつもりじゃないでしょうね。


 それを心配したのだけれど、家令はミレイユの心を大切にしようと思っているらしく、性犯罪の被害者をケアする本を隣国から取り寄せた。


 著者にファンレターというか質問状を送ったら返事が来て、著者との文通が始まったという。

 その著者が、性教育アンバサダーだった。



 彼がこの国を訪問する際に家令にも会いにくるというので、私も同席させてもらった。

 レストランの個室を予約し、たくさんの興味深いお話をうかがう。

 もう、目からうろこなんてものではない。世界が変わった。


 こちらの国でもアンバサダーをしてほしいと言いだしたのは、誰だったろう。

 わたくしのお友達にも声をかけて、侯爵に後ろ盾になってもらい、性暴力対策、性教育の協会ができた。


 多くの女性が、楽しく生きられる世界になりますように。



 ■前伯爵夫人■


 お義母様は先代様にベタ惚れで、嫁の私にさえ嫉妬の炎を燃やした。それはもう、メラメラと。

 ああ、娘はお義母様と似ているのね。辛辣で攻撃性が高くて。

 ・・・だから五月蠅いのがお嫌いな先代様に疎まれたのよ。


 ふふ、そういえば、夫が人気俳優との子どもじゃないか、という噂もあったわね。

 先代様の方がカッコいいと、あの俳優を敵視して、こき下ろしていたお義母さまが・・・あり得るのかしら?


 もし、そんなことがあったとしたら、俳優のファンに嫉妬を向けて、根こそぎ燃やし尽くしていたと思うわ。

 けれど、ファンは潰しても潰しても出てくる蟻のように湧いてきたでしょうね。一世を風靡した俳優だったから。

 そのうち蟻に反撃されて、蟻に埋もれて噛まれていたら、世界が静かになったのに。

 ふふ、蟻に埋もれるお義母様。想像したら、愉快になってきたわ。



 そういえば、均の一族が蟻から何かを抽出すると言ってから、敷地内であまり蟻を見なくなったような・・・。

 噛まれると痛いだけじゃなく、かゆくなるから、何かしら分泌しているのかもしれないわね。



 ■仕事は、できる男たち(恋愛方面はヘタレがすぎる)■


 一昨日、家令は夫に、長年溜めていた怒りをぶつけたようだ。


 ミレイユが害されたときは、殴り殺そうとしていたのだもの。

 人知れず殺められる薬が手元にある状況だったのに、よく耐えたものだわ。



 性教育アンバサダーの彼ね、芝居がかった様子で愛をささやいてくれるのよ。

 物語の主人公になった気分。たまに本気でときめいてしまうわ。

 年下の、隣国の公爵閣下が、こんなおばさんを本気で口説くわけがないけれど。


 大体、人妻だし。

 人妻を廃業する準備はすでに整っていて、秒読み段階だけれど、不倫だと後ろ指を指されたくはない。


 わたくしには人に恋をする余裕などなかった。

 うっかり隙を見せたら、あらゆる意味で死に直結する環境にいたから。


 令嬢時代は、派手な外見から遊んでいると誤解されるようで、個室に連れ込まれないように気を張っていたし、言葉巧みにわたくしをパートナーから引き離そうとする人たちと闘わなくてはならなかった。

 評判を落としたら、令嬢として社会的に終わる。


 伯爵家に嫁いでからは、「事業」のことが漏れないように常に気を張ってきた。外の人間にも、中の使用人にも。


 庭師たちにとっては、わたくしも監視対象。

 致命的なミスをしたら、弁解する間もなく、この世から消えているでしょう。遺体が残るかどうかは、ミスの大きさ次第。

 せめて、実家の家族にお別れの挨拶に来てもらえる状況でありますように、と不安で弱気になる日もあった。


 使わない筋肉が衰えていくように、わたくしの恋愛力は発達することのないまま退化してしまったに違いない。

 だからこそ、夫の病的な浮気にさほど悩まされることなく、心を壊すことなく日々を過ごすことができたのだろう。

 物事は、何が幸いするか分からないわね。


 

 そろそろ離縁届にサインをしてくれたかしら。

 なんで、ごねるのか理解できないわ。


 今までみたいに中身の確認もせず、さっさとサインすればいいのに。



 しかし、家令も秘密主義よね。


 子爵になることも退職することもミレイユに内緒で、結婚するしかないよう外堀を埋める。そのためにこそこそと暗躍して。

 それを知らないミレイユが、モードが官吏試験に合格したのを機に、スケベな婿予定者が同居する前に家を出ようと借家を探して。

 お互いに内緒で動いていたなんて、笑っちゃう。


 ミレイユが新居を決めてきたと知ったときの、あの顔は傑作だったわ!

 ざまぁみなさい、ほほほほ。ああ、おかしい!


 彼女は、意外と肝が据わっているのよ。

 それから、人なつこくて懐にするりと入って、いつの間にか上手くやっているタイプ。

「おじさん! ○○してほしいの!」に逆らえる人は、あまりいない。

 彼女の行動力を舐めていたわね。


 ・・・まさか、モードが探してきたと思っていないわよね? 

 入庁前に読んでおきたい法令集を山のように積んでいたのを見ていたはずだもの、ないない、そんな誤解はしないわよ。


 家令にはミレイユが、「守らなければ生きていけない、か弱いペット」のように見えているのではないかと思うことがある。


 性被害の苦しみを生き抜いて、娘を育てあげたのよ。

 彼女曰く「雑草根性です」って。



 卒業式の夜にプロポーズって・・・それまで何も言っていなかったのが、逆に驚きだわ。

 見切り発車にもほどがある。いえ、見切り発車じゃないわね。


 相手が逃げられない状態まで追い込んでからの種明かしよ、あれは。

 姑息だわ。小心者ね。



 モードは表情が乏しいけれど、美少女なのよね。

 いつも軽く眉間に皺を寄せ、少し、への字口。

 あれが緩むだけで、バランスよく配置されたお顔が輝くに違いないわ。



 だから、母のミレイユと一緒に引き取りたいと申し出る人物が、時々現れた。

 そんな申し出をしてきた人たちの末路はお察しよね。


 だって、何をするにも家令を通すんですもの。手紙だろうと面会だろうと。



 モードが猛勉強で目が悪くなったのをいいことに、おじさんみたいなダサい眼鏡をかけさせて。

 可愛い眼鏡もオシャレな眼鏡もあるというのに。

 眼鏡に騙される人もいるけれど、騙されない人もいるのよ。



 何でもほいほいと相手のペースに乗せられる夫も、ミレイユに関しては自分のモノだと勘違いしているから、引き抜きや妾の斡旋は断っていたらしい。

 モードは未成年だったから、まだそんな話は出ていなかったけれど。


 一ヶ月前に侯爵が提示した金額には、流石に陥落した・・・って、実際は、妾の支度金ではなく、使用人を引き抜く補償金なんですどね。


 断ろうと思えば断れるなら、他の事に関してもそうすればいいのに、と思うわ。

 夫にとっては、ミレイユ以外は「どうでもいいこと」ばかりなのかしら。



 ■怪しげな婿殿■


 夫は自分がこだわりのないことに関しては、約束をほいほい気軽に取り付けてくる。本当に厄介だったわ。

 何度、わたくしの目が届かない紳士クラブで、変な約束を取り付けてきたことか。

 あんな男は、見るからにカモでしょうけど。


 そして、あんなクズの婿をよくピンポイントで見つけてきたというか、押しつけられたというか。

 素行の悪さが自分にそっくりだから、気にならないのかしら。

 娘も一目惚れしたから、まあお似合いというか、なんというか・・・。



 真面目な話ですけど、あの婿予定者には、国から身辺調査が入った。しかも、調査は継続中。


 たまたま偶然、縁組みの話が持ち上がったのか、我が家の「事業」を嗅ぎつけた何者かの手引きなのか。

 紳士クラブで話が成立したというのが、いかにも怪しい。


 捜査対象は国内の貴族はもちろんのこと、医療関係者や国際展開をしている商人も。

 碧国および碧国と長年対立している周辺国も。

 周辺国は対立しているからこそ、碧国の内情を探っていて均一族の存在に気がついたという可能性も捨てきれない。



 あの婿予定者が「事業」に気がつき、これで大儲けしましょうなどと言いだしたら、家族揃っての晩餐で「食中毒」が発生するわよ。

 嫌だわ。あんな人たちの巻き添えなんて。


 あんな婿予定者と同居する前にわたくしは出て行くから、関係ない、関係ない。

 早く出て行きたいわ。

 サインはまだかしら。



 ふふふ、あの婿予定者のおかげで優柔不断な家令のお尻に火がついて、ミレイユと結婚するために慌てて動き出した。

 なかなか面白かったわ。


 我が家にいたままではモードが危ないと、長年渋っていた子爵位を引き受けた。

 侯爵が喜ぶ姿が目に浮かんだわ。

 まあ、そろそろ親孝行をしてもいい年齢でしょ。丁度良かったかもね。



 ■娘のこと■


 あら、そういえば離婚のこと、あの娘に話したかしら?

 ・・・言ってないわね。

 私を当てにして当主の勉強を疎かにしていた、なんて言われても知らないわよ。


 うーん・・・いかにも言いそうだわ。

 わたくしはサインさえもらえれば、すぐにでも出て行くつもりなんだけど。


 いえ、次に会うのがどこかの夜会だったら、主催者に迷惑をかけるわね。

「お母さま、どうして帰ってきてくださらないの?」なんて叫びそうだわ。

 いつまでたっても自立する気がないって、何なの。


 あ! モードが暴露したから、可哀想な異母姉から嘘つきな異母姉になったのよね。

 しばらくはお呼ばれしないんじゃない?


 それとも、わたくしもモードみたいに、「ざまあ」してしまおうかしら。

「何度言っても聞かなかった、そっちが悪いんでしょ」って。


 うふふふ、原稿を用意したら、すらすらと言えるかしら。

 そうよね、チャンスは一度きりよ。

 夫にも娘にも、ぐうの音も出ないくらい、本音を突きつけてしまうの!


 家令に、もっと詳しくモードが何を言ったか聞こうかしら。

 ・・・いえ、やめておいた方がいいわね。卒業式に行けなかった愚痴を聞かされるわ。

 ほんとしつこい、粘着質な男!


 ミレイユの前ではかっこつけて。笑っちゃうわ。



 はあ、お腹を痛めて産んだ我が子でも、愛せないことってあるのね。

 あの夫の子どもだと思うと、嫌悪感が拭えなかったというのもあるけれど。


 使用人に暴言を吐いているのを見て、ぞっとした。

 あの男にそっくり。いえ、お義母さまにも似ているわ。


 異母妹のモードを平民だと言いまわっていると聞き、理由を問いただした。聞いたけれど理解できなかったわ。

 当主が決めたことを非難しているのと同じだと説明したのに、なぜか、ますますエスカレートする。



 自分が継ぐ家を貶める行為だと、どうして分からないの? 

 そんなことをされたら婿捜しのハードルがますます高くなると、心底うんざりしたわ。



 わたくしには、娘が理解できない。


 例えば、平民の使用人を指導したとき。「貴族は汚い」という思考で、こちらの言うことを全く聞こうとしない人たちがいる。

 そう思うなら、なぜ貴族の屋敷に勤めようと思ったのか。

 どう思おうと心の中は自由だが、それを雇い主に言う神経が分からない。


 とあるメイドの話だけれど、貴族批判と宝飾品を盗もうとした手癖の悪さに何の関係があるのか・・・。

「汚い金だから盗んで何が悪い」って、どういう理屈なの?

 理解不能で、話すだけ時間の無駄だから、警吏に引き渡した。



 娘が、それと同じレベルで理解不能。


 だから、娘に歩み寄る努力をやめてしまった。


 次期当主としての教育も、学園の二年時の選択で領地経営のコースを選ばせてからは、手を引いた。

 頑張ってもできないならつきあうけれど、やる気がない相手に時間を割くのは本当に無駄。


 わたくし、無駄なことは大嫌いよ。




 ただでさえ、「事業」を引き継げる能力を持ち、婿に来てもいい人なんて捜すのが難しいのに。

 愚かな娘をフォローして、家の評判が悪くても気にしないって・・・いるわけないでしょう、そんな都合の良い男性。

 貴族の中から捜そうとすると、そもそもの母数が少ないのに。


 平民との養子縁組を他家にお願いして、そこから婿に迎える方法も、普通なら考えられる。

 けれど我が家の場合は、そこまでして「何か事情があるのか」と勘ぐられたら困るのよ。


 頭を抱えたくなるような状況。

 それで、娘を切り捨てるほかないかもしれない、と悩んだのよ。



 ・・・娘を消しちゃう?


 そうすれば、モードを認知するか、養子を迎えるかという新たな選択肢ができる。


 まあ、モードを認知して跡継ぎにするのは現実的ではない。あの家令がいる限り、無理だわ。


 娘の結婚相手という条件がなくなれば、能力の高い子を身分に関係なく養子にできる。


 そう、邪魔者は「娘」という名の、できそこないだ。


 そんなふうに思い詰めていた頃、突然、夫が婿予定者を連れてきた。

 すでに手続きをしたから、正式な婚約者だと言って。



 ■まるで、ネズミ■


 わたくしが離婚して、家令も去ったら、この家はすぐに立ちゆかなくなるだろう。


 けれど、その時には、わたくしが目をかけて慈しんできた対象は誰一人、何一つ残っていない。


 沈む船から逃げ出すわたくしは、まるでネズミ。

 でも、そう言われても構わない。

 仲の良いネズミに声をかけ、皆で逃げ出せるのなら。



「事業」に協力していたこの国の医師は、十数年前に家令がどこからか連れてきた。

 あれは、ミレイユが襲われた翌年だったかしら。


 それ以降、夫は避妊薬を飲まされている。

 もちろん、本人の了承は得ていない。


 均の一族が薬を作り、庭師を通して家令が夫にそれを盛り、医師が健康診断のついでにデータを取る。素晴らしい流れ作業。



 ・・・あの人、たびたび客間で浮気をするのよね。

 信じられないくらい無神経。

 ただのケチで、安上がりに浮気したいのかもしれないけれど、本当に信じられないわ。



 でも、医師はそれを喜んでいた。

 メイドに扉の外から様子をうかがわせて、持続時間と回数の予想を立てさせる。

 ランドリーから使用済みのシーツを回収して、体液を分析。避妊薬による違いがあるのか調べるそうだ。

 更に、シミの量や状態から、いたした回数を予想する。メイドの予想回数と医師の予想回数を照合するのですって。


 ・・・気持ち悪い。


 扉番をしたメイドと客室を清掃したメイド、シーツを洗濯したランドリーメイドには「不愉快手当」を支払っている。

 ふっふっふ、夫のご自慢のコレクションを売り払って、ね。



 その医師は「事業」が他家に移る際に、我が家との契約を切ってそちらと契約を結ぶ。


 突然の契約解除に疑念を持たれないよう、女性を連れて最後の往診に来た。

 案の定、夫はその女性に手を出し、医師が激怒して契約解除に至ったという筋書きが成立する。


 襲われた女性は、かなりハードな接客もこなすベテランの娼婦さんだという。

 出張手当と守秘義務で、料金増し増し。

 町娘の装いで、医師のカバンを持って現れた。


「生娘を好むお客さん向けのテンプレートでいけたから、楽勝でしたわ。それにしても、独りよがりで下手っくそ」と笑っていたそうだ。



 ■そういう仕事■


 モードが卒業式で、庭師に秘密の薬草をもらった話をしてしまったらしい。

 彼女は「事業」を知らないから、草に詳しい庭師がくれた天然物だと思っている。

 実際は、専門家が調合した加工品。効果は抜群だ。


 だから、庭師と恋人のキッチンメイドは予定を繰り上げて屋敷から出した。

 まあ、元々予定していた日より、数日早いだけだから。


 あのキッチンメイドが自分用に焼いたジンジャークッキー。素朴で美味しかったのよね。

 材料が中途半端に余ったときに、シェフが許可してくれて作ったもの。

 ティーワゴンの隅に隠していたのをわたくしが目ざとく見つけたのよ。慌てて謝罪するから、一つくれたら許してあげるわって言って。

 もう一度くらい食べたかったわね。


 家令に、引受先は侯爵家か子爵家かを確認すれば・・・。


 ・・・いえ、止めておきましょう。

 下手に接触しない方がいいわ、お互いのために。


 あ、モードもジンジャークッキーを喜んで食べていた、というのは家令に伝えるべき? 黙っていた方が平和?



 ■ヘムリーズ家の女性たち■


 まったく、わたくしも含めてみんな(今回一緒に屋敷を出る人たち)モードには甘いのよね。

 でもまあ、仕方ないか。あの子の成長過程をずっと見てきたんだから。

 みんなにとって、もう娘みたいなものよね。

 一生懸命で、表情も変えず愚痴も言わないから、こっちの方が頑張りすぎていないか、ついハラハラ気を揉んじゃうのよ。

 極まれに微笑むの、それがまた魅力的なのよね。


 

 ・・・がんばり屋さん、か。


 父に言われるまま嫁ぎ、義父に指示されたことを守り、流されるだけのわたくし。

 頑張っていないわけじゃないけれど、どこか空っぽな気もするの。


 性被害の被害者を救う協会を立ち上げたとき、結局は「自分」を救いたかったのよ。


 わたくしの場合は加害者が「夫」だったのだ。

 社会的には、何一つ問題ない関係。

 けれど、わたくしの自尊心はズタズタに引き裂かれた。

 乱暴に扱われて、怒り、憎しみが湧いた。


 けれど、「世間の常識」は違っていて、そんな風に感じるわたくしの方がおかしいと言われているような気がした。


 夫婦なんだから、多少のことは我慢するもの

 家族なんだから、許し合わなきゃ

 わたくしにも至らないところがあったはず

 それくらいのことで騒ぐなんて神経質


 頭に浮かぶ自分の中の「常識」と夫が押しつけてくる価値観が、不満を持つ「わたくしの心」を否定する。



 そんなとき、健全な人生を切り開くための性教育を知って、とても勉強になった。


 嫌なときは嫌だと言っていい

 自分の体は自分のもの、傷つけられたら夫だろうと怒っていい

 私の気持ちを無視する人に、従う必要はない

 自分を守ることは、わがままではない


 そんな言葉の数々が、わたくしの心を救ってくれた。



 それを教えてくれた性教育アンバサダーに、隣国で流行っている悪役令嬢ものの小説をたくさんいただいた。


 おかげさまで、ミレイユやモードに向けて放つ罵詈雑言のレパートリーが増えたわ。

 美しく気高く孤高な悪役になれているかしら。

 密かに、居丈高に見えるポーズも練習したの。


 そうしたら、なんと、娘の方が上手だった。天才だわ。

 わたくしは影で練習をしたのに、あの娘のは天性のもの。

 わたくしを真似したのかと思ったけれど、わたくしの上をいっていたわ。


 それからは娘が暴言を吐く様を観察した。

 心の中で師匠だと思っていたこともある。


 だけど、暴行はいけないわ。

 人に腐ったモノを食べさせるなんて、悪役令嬢でもやっていなかった。


 でも、平気で毒を盛るわたくしと、どちらが酷いかは・・・どうなんでしょう?


 あの時ばかりは、娘を怒ったわ。

 あなたが同じことをされたらどう思うか、考えなさいと言って。

 食べ物の大切さも教えたくて、部屋に閉じ込めて食事を一回分抜いた。


 反省したと言う言葉を受け入れたけれど、ふてくされた態度を隠すつもりもない娘。

 表面だけでも、しおらしくする知恵もないなんて。


 性根をたたき直すにはどうすればよかったのかしらね。


 恥ずかしいけれど、後で性教育アドバイザーに、食事を抜くのは虐待になるから、他の方法を考えた方がいいと言われたわ。

 食堂や厨房で手伝いをさせるとか、食事の準備を一人でさせるとか、大変さを知り責任感を養う方法を。



 そういえば、モードは本気でわたくしに罵詈雑言を言われていると思っていたのね。

 ミレイユはたまに「僭越ながら奥様、今のは心配しているように聞こえます」とこっそり教えてくれたから、モードも分かっていると思い込んでいた。


 物心ついてからずっとよ?

 もう出て行ってしまったから、謝る機会もないじゃない。


 ああ、家令がいるうちに、謝る機会を作れないか相談しましょうか。


 でもねぇ、あの男は「虐められたと思っている方が私に懐いてくれるので、結構です」とか言いかねないのよね。



 モードはヘムリーズ家の流れを汲んだ、顔のパーツの配置が整っている美形。

 甘い顔で可愛いとか、シュッとしたクールビューティとかいった特徴もなく、ただ美しい。


 そんな彼女の美しさを隠すのは、ダサい眼鏡に加えて、髪型だ。


 三つ編みに香油を使い、後れ毛をまとめれば良いのに。

 侍女が編み込みをしたいと、もだえていた。


 だが、わたくしたちが手を出すことは許されない。


 モードの三つ編みがぼさぼさなのは、家令の仕業に違いないから。

 わたくしの想像だけど、不器用なミレイユに、髪を結ってあげるのが母の愛情とか吹き込んでいるんじゃないかしら。



 侍女たちの休憩室で、モードを変身させたいという「シンデレラ企画」があったことを、わたくしは知っている。

 どんな髪型で、衣装で、装飾品で・・・街歩き、舞踏会、花畑でデートなどなど。


 終いには、これを家令に見せたら喜んで実現するように動くか、怒って破り捨てられるかの賭けまで始まりそうな勢いだった。


 モードが家を出たことで、飾り立てる機会が永久に失われたとがっかりしていたわね。



 娘はね、わたくしの要素が混じってしまって、可哀想なことをしたわ。

 暑苦しいこの顔。

 化粧は「盛る」ことはできても、「引く」ことはできない。

 どうやっても、爽やかな仕上がりにはならないんだわ。


 娘に釣書があまり届かなかったのは、そういう事情もあるのかしらね。




 そういえば、モードの家庭教師。

 あれ、業界で有名な変人じゃない。

 合格に導く実力はあるけれど、雇い主とトラブルを起こす常習犯。


 奇人は変人と仲良しなのね。


 あの変人ったら、モードの進化がすごいって、浮かれて調子に乗りすぎよ。

 食事をエサに・・・ん? なんだか違和感があるわ。食事はエサ・・・? まあ、いいわ。


 奇人の家令が厳しすぎると止めるかと思いきや、歯を食いしばるモードが可愛くて止められないですって。

 また、泣きついてくれないかなぁって、肌触りの良いベストとシャツに買い替えて・・・愛が歪んでいる。



 ■男運■


 夫といい家令といい、ミレイユは男運が最悪ね。


 あら? ・・・わたくしも夫がアレで、仕事のパートナーがコレ。


 なんてこと?! 同類じゃないの!!

 男運、最悪コンビだわ。

 うわー、気がつきたくなかった。




 そういえば、わたくしについてこの家を出る子たちは、最近、隣国の観光ガイドを回し読みしているのよね。

 行きたいのかしら?

 今までの気苦労を労うために、親睦の旅行を計画してもいいわね。


 わたくしも責任重大で秘密が多い仕事から解放されて、時間にも気持ちにも余裕ができるし。

 うん、いいんじゃないかしら。


 性教育アンバサダーが隣国の魅力をたくさん教えてくれたから、興味が湧いちゃったのよね。

 一日くらい、観光ガイドをしてくれないかしら。


 もし引き受けてくれたら、歯の浮くような美辞麗句を並べられて、笑いの絶えない一日になるわ、素敵ね。

 若い燕を侍らす悪役マダム・・・ふふふ、悪くないわ。

奥様は、自己肯定感がちょっと低めの、ゴージャス美人。くっきりとした二重に、ボリュームたっぷりのまつげ。華やかで濃い顔立ちをしています。

頑張ればできてしまうので「言われたことを熟しているだけだし」と思っています。

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― 新着の感想 ―
改めて家令キッショいな!
家令の話で性教育の話をした者です。続けての感想すみません。 奥さまのお話ありがとうございます。奥さま、苦労人だったんだなぁ(ホロリ) 。娘まであんななんて。そういうサイコパスというか、どこか欠けてい…
奥様がモード視点より良い人で苦労人だった。冷淡な先代とクソ義母と屑夫の中、実娘までクソの血を色濃く受け継いでしまっても貴女はよく頑張ったよ……矯正しようとしても響かなかったのは徒労感凄かっただろうな……
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