花見
母親が脳溢血で倒れたのは、去年の6月のことだ。昔は近所中に聞える声でギャアギャアと喚き散らしていた母親も、今では声を出すことはおろか自分の脚で歩くことすら出来なくなった。体内の何処かしら(恐らくは心臓だろう、一昨年の暮れに手術したばかりだった)から飛んできた血栓が左脳への血管に栓をしてしまい、それ以来喋れなくなった。右半身も麻痺して動かなくなった。
母親に心臓手術を勧めたのは、近所の病院に勤めている内科の医師だった。彼によると、
『このまま心臓の血栓を溶かす薬を大量に服用するやり方をとっても、そのうち薬が効かなくなってくる。今ならばギリギリ心臓手術に耐えられる。手術するならば、今が最後のチャンスだ』
とのことだった。その言葉に俺は乗った。
博打だという事は百も承知していた。事前の説明で、深刻な後遺症が一定の確率で起こりうるとも説明は受けていた。だがこのまま薬漬けで日々を過ごしていたら確実に破滅する。ならば心臓手術を行って薬漬けの日々からオサラバしてしまおう。そういう事だった。心臓手術の経過は当初良好であり、その内科の先生も鼻が高かったことだろう。息子の俺としても『自分の選択は間違っていなかった』と誇らしかった。だがある日母親はソファから立ち上がることすら出来なくなり、次の日からベッドで寝たきり状態となった。
救急車で病院に搬送されたときに脳外科の先生に言われた。
『既に脳梗塞が完成しています。』
という無情な宣告だ。
『今後は、保存的治療を行うことになりますね。現状維持を目的として・・・・まぁ運がなかったですね』
とも言われた。事実そうなんだろうけれども、もう少し言葉を選んでほしいとは思った。
その後違う病院でリハビリを受けたもののさほど身体は回復しなかった。そもそも左脳があらかた機能しなくなっている状況でリハビリと言われても、どうやればいいのかという話だろう。客観的に見てリハビリをしてくれていた方々は懸命に作業をされていたように思える。そして現状では、老人ホームで寝たきり状態のクルマ椅子生活といった塩梅だ。
3月末にまた近所の病院で診察をして貰った。心臓手術の経過観察をしてくれと、老人ホームのスタッフから頼まれたからだ。要するに老人ホームでの介護が心臓に悪影響を及ぼしていないかどうか、医者の先生からの判断が欲しいと。そこで再度、母へ心臓手術を勧めた内科の先生に会った。
当初何を喋ればいいのか解らなかった。内科の先生を詰ればいいのだろうか?でも彼は彼なりに死力を尽くして手術に挑んでくれたのだ。その後の経過観察も特に手を抜いていたようには見えなかった。
現状報告をしたあとで
「老人ホームのスタッフから、医者の先生に現状を診て欲しいと言われてまして・・・。再度やってきました」
「まぁ私にも落ち度があります。もう少し私が身を入れてそばで診てりゃあ、脳梗塞の前兆みたいなものに気が付いたんじゃないかって」
と俺が言うと先生は少し感情的に
『いや、僕も診てましたからね』と返してくる。
その後で何故こういう事になったんだろうか、という話になった。手術後に服用していた薬の選択なのだろうか、という話になったが飽くまでも結果論だろう。
「誰が悪いって訳じゃない。まぁこういう事もある」と俺が小声で呟くと
『余りない話ですけどね・・・。』と先生は言った。相変わらずディスプレイ上ばっかり見つめている。身体くらいはこちらに向けてくれてもいいのにな、と俺は心の中で不満を抱く。
『私としても自責の念はありますよ。折角意を決して手術してくれたのにこういう事になってしまって・・・・』
と言ってくれたが、まぁこの結果が全てだ。ありのままを受け入れるしかない。次回の診察は6月下旬とのことだった。
今いる家の中に住んでいるのは、俺と飼い犬だけになった。中年男一人で住んでいても仕方ないし、思い出が多すぎるから余計なことばかり考えてしまう。死んだ父親の遺影が目に入ったり、母との思い出の品を見つける度に心がかき乱される。これが今住んでいる家を引き払うことに決めた理由だ。だがそのまま家を引き払うという訳にもいかないのだった。
まず長年手入れしてなかったせいで、夜中に鼠が徘徊するようになってきつつあった。だが業者を呼ぼうにも、家の中が散らかり放題で害虫の通り道すら判然としない。最初に家じゅうのゴミを片づけねばならなかった。これが尋常な量ではなく、家の門から玄関口までをズラッとうず高く詰まれたゴミが列を為しているという有様。恐らく近所中でゴミ屋敷として話題になっていただろう。何回も何回もゴミ処理業者に来てもらい、漸く家の中にモノがなくなってきた。そうして漸く害虫駆除業者に家の中の害虫の通り道を塞いで貰う。それが済むとリフォーム業者との打ち合わせだ。この家を引き払った後でやってくる家族に迷惑を掛けないくらいに綺麗な状態に仕上げる必要がある。(というかそこまでしないと、二束三文で家を手放すことになる)それにしてもゴミを捨てるまで気がつかなかったが、よく今までこれだけのゴミに囲まれて平然としていたものだと思う。勿論30年以上に渡って徐々に汚くなってきたという側面はあるにせよ、何かおかしいと気が付かなかったのだろうか。家の中を片づけしていて、一番精神的にクルのが、家族の写真である。幼い頃の両親はいつも食事中喧嘩ばかりしていたものだが、それでも二人で照れくさそうに同じ写真に収まっていたり、或いは小学校時代の自分とまだ若かった母親が一緒に収まった写真を見るにつけ、今現在の自分が嫌になってくるのだ。少なくとも母は結婚して、子供を産んだ。父は社会不適合者とはいえ、芸術家として一時期は名を成した。では俺は?何をやったんだ?何か他人様に誇れる事をやってのけたのか?もしかしたらそれこそが部屋の中を汚くしていた理由かも知れないのだ。家の中を片付けて伽藍洞にしてしまったら、家庭も作れず社会に馴染めない自分という現実に向き合わないといけなくなる。そういった現実から逃げたいので、家の中を片づけずにtwitterだのyoutubeだのばかり見て現実逃避していたのではないのか?一時期ボードゲームにのめり込んでいたのも同じ理由だろう。
日曜日に老人ホームへ行く。
老人ホームは家からクルマで10分もしない所だ。その気になれば毎日夕方あたりに通うことも出来るのだろうが、週に一度くらいしか母と面会していない。多分母親の変わり果てた姿を見るのが内心怖いんだと思う。
老人ホームの玄関口に入る。受付で自分の名前と母親の名前を書類に記入して、母親が入居している部屋に入る。といっても狭くてこれといった特徴もない。ベッドとテレビ、それに家具が幾つかと室内用の車椅子だけだ。母親はもう自分一人で歩けないから、食事時やレクリエーションの時間以外は全てベッドに寝たきりとなる。当たり前のことだが、母はベッドに寝ていた。母親の今のこの有様は俺のせいなのだろうか、と常に後悔してしまう。そういう表情で母親を見ると、何故か母親は俺を見て笑うのだ。
『馬鹿ねえ、誰のせいでもないわよ。これも運ねえ』
喋れた頃の母親だったらそんな台詞を吐いたと思う。母はなんでもかんでも運という一言で片づけようとする癖があった。だが流石に今回の脳梗塞については、まぁそうなんだろう。
午前中は雨が降っていたし肌寒かったから、母親を車椅子に乗せて散歩するのは無理かな、と思っていた。だが瞬く間に天気が晴れてきたので、一緒に近所の公園まで散歩するかという気分になった。
「晴れてきたしさ、散歩しようか。クルマの中にケラちゃんも連れてきてるからさ」
と言うと母親は嬉しそうな表情を見せる。ケラという今飼っている犬をペットショップで見つけてきたのは母親だった。
一旦母親の部屋をでて、受付に戻る。これから母親と一緒に近所の公園まで散歩したいから母親を室外用車椅子に乗せ換えるよう、スタッフにお願いする。この作業は慣れた人間が二人がかりで漸くこなす面倒な作業なのだった。申し訳ないとは思いながらも、こうでもしないと母親は外で桜の花見すらできないのだ。すると「お母さんのお召し物を交換するから少し待ってくださいね」と言われる。要するにオムツ交換って訳だ。
母親のオムツ交換を待つ間、車椅子の見積りについて老人ホームに勤めているケアマネジャーのお方から話を伺う。なんでもウチの母親は半身不随であるせいで、脚を置くための金具を取り外せるタイプの車椅子でないと色々と不具合があるらしい。だがそういう金具を取り外せる車椅子は概して値段が張る。
「89,000円かぁ。。もう少し何とか・・・。でもこの金額なら仕方ないかな」
「まぁアタシももう少し聞いてみますよ」
といった会話を交わす。車椅子一つとっても、なんでもいいという訳にもいかないが、かといってお値段を無視して買い物する訳にもいかないのだ。いつまでも老人ホームの車椅子を借りっぱなしという訳にもいかないし。
玄関口で待っていると、母が車椅子に乗った状態で部屋から出てくる。パジャマ姿と上着、それに肌寒くならないための毛布。すっかりこの姿が当たり前となった。俺の姿を認めると手を挙げて合図してくれる。さぁ出発だ。
老人ホームの出入り口は階段とスロープが併設されている。俺たち家族や介護スタッフの方々は階段で問題ないが、車椅子を使う老人の方々はスロープが必須だ。母を乗せた車椅子を後ろ向きにゆっくりと降ろしていく。慎重に慎重に。自分の脚なら1分と掛からない高低差でも、車椅子で行き来するとなるとここまで面倒なものかと思い知らされる。さてはて漸く老人ホームの門を出た。ここから一旦駐車場へ行って、クルマの中から愛犬を外に出す。ケラは大抵後部座席に座らせている。ケラの姿を見ると母親はわぁと声を出した。感激するときには、辛うじて発声することが出来る。
駐車場から桜の生えている公園まで、結構長い坂を登ってゆかねばならない。犬の手綱を駐車場の木に括りつけてから、母の車椅子を押して坂道を登っていく。犬と車椅子を同時になんて無理だ。
「良かったねえ、今日は晴れてねぇ」
というと母は頷いてくれた。なんだか独り言を言っているようで嫌になるけれど、母もキチンと頷いてくれる。どうやら俺の言っていることは解るみたいで嬉しい。坂の上にある小さな小さな公園に一本だけ桜が生えていた。公園の芝生の上に車椅子を固定し、そのあとで足早に飼い犬を連れてくる。これで漸く二人と一匹で花見が見られるというものだ。
「昔は毎年この季節には千鳥ヶ淵の桜を見に行っていたものだけど・・。まぁ今年はこれだけだね。でもそれもいいじゃないか」
そういうと母は頷いていた。車椅子の上に飼い犬のケラを乗せてやると、母も左側の手で嬉しそうに犬の頭を撫でている。犬も車椅子から降りようとしない。やはり犬なりにうちの母親が恋しかったのかもしれない。犬は体重が7,8kgなので母には少し重いだろうが、嫌がる素振りすら見せずに久しぶりの飼い犬との再会を喜んでいた。
15分ほどしてから老人ホームに帰る。まずは飼い犬の手綱を公園の柵につなぎ、それから母親の車椅子を後ろ向きにしてゆっくりと坂を降りていく。時々段差に引っかかるせいで母が車椅子からずり落ちそうになるのを懸命に抑えつつ、何とか無事に老人ホームの玄関まで戻ってきた。顔つきを見ると晴れ晴れしているので、やはり週に一回と言わずもっと来るようにしよう。