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輪廻の風  作者: 夢氷 城
最終章
83/158

祝福と影

命が生まれる

「ちょっと! 走らないで! ここをどこだと思ってるのよ!」

病院の廊下を全力で駆けるエンディ一行に、年配の看護婦が声を荒げた。

白衣の裾を翻し、眉間に深い皺を寄せた彼女の怒声が石造りの壁に反響する。

しかし、エンディたちはまるで聞こえていないかのように、アマレットの病室を目指して突き進んだ。


ここは王都バレラルク最大の病院。

清潔な白壁と消毒液の匂いが漂う中、彼らの足音だけが騒々しく響き渡っていた。


「アマレット!」

病室の扉を勢いよく開け、エンディが叫んだ瞬間、室内にいたロゼが呆れた顔で振り返った。

「おい、うるせえぞ。ここは病院だ。静かにしろよ。」

国王らしい威厳を湛えた声でたしなめつつも、その口調にはどこか親しみが滲んでいる。


病室には既にロゼ、ジェシカ、モエーネが揃っていた。

アマレットのベッドを囲むように立ち、穏やかな空気が流れている。

エンディは少し気まずそうに頭をかきながら尋ねた。

「すいません、ロゼ国王…あの、アマレットは…?」


ロゼは親指を軽く上げ、ベッドの方を指した。柔らかな笑みを浮かべて言う。

「女の子だってよ。」


ベッドの上には、アマレットがいた。

産後の疲れで顔は青白く、髪は汗で額に張り付いている。それでも彼女の腕の中には、小さな命が穏やかに息づいていた。赤ん坊を抱くその姿は、まるで聖画のように神聖で、儚げだった。


「アマレット…! おめでとう!」

ラーミアが涙をこぼしながら駆け寄り、アマレットをそっと抱きしめた。ジェシカとモエーネも目を輝かせ、まるで自分たちの家族が増えたかのように喜びを分かち合っていた。


「ありがとう…みんな。」

アマレットの声はかすれ、疲労が色濃くにじんでいた。それでも、彼女の瞳には深い安堵と幸福が宿っていた。


ベッドの脇には、カインが直立不動で立っていた。

産まれた子は彼とアマレットの娘だった。終戦後すぐに結婚した二人は、戦いの傷跡が癒えぬまま新たな命を育んできたのだ。

「産まれた…俺の子が…。」

カインの声は震え、普段のクールな態度からは想像もつかないほど感情が溢れていた。


「おお、カイン! おめでとう!」

エンディが豪快にカインの背中を叩き、笑顔で祝福した。


カインとアマレットは赤ん坊を見つめた。

その顔はシワだらけで、まるで小さな猿のようだったが、彼らの目にはこの世で最も美しい宝物に映っていた。


新しい命の誕生。それは神秘的で、荘厳な瞬間だった。エンディは胸の奥に熱いものが込み上げるのを感じた。この平和な一瞬が、かつての血と涙の戦いの果てに手に入れたものだと実感していた。


「ねえ、私にも抱っこさせてよ!」

「ちょっと、私が先でいいよね?」

モエーネとジェシカが我先にと手を伸ばし、赤ちゃんを抱こうと競い合った。すると、カインが二人の間に割って入る。


「おいおい、まずは俺に抱かせろよ。」


もっともな主張に、二人は少し膨れて後ずさった。


アマレットは弱々しく微笑み、赤ちゃんをそっと持ち上げた。


「はい」と小さく呟き、カインに手渡す。カインは緊張で肩を固くし、ぎこちない手つきで我が子を受け取った。だがその瞬間、赤ちゃんがパッと目を開け、けたたましく泣き始めた。


「あーあー、泣いちゃった。」

アマレットが慌てて赤ちゃんを取り戻すと、不思議なことに泣き声はピタリと止み、再び眠りに落ちた。初めての抱っこで失敗したカインは、肩を落としつつもどこか愛おしそうにその姿を見つめていた。エンディたちはクスクスと笑い、温かい眼差しで二人を見守った。


「アマレット、本当にお疲れ様。今はゆっくり休んでね。」

ラーミアがアマレットの手を握り、優しく労った。アマレットは小さく頷き、「ありがとう、ラーミア」と感謝を返した。


「よしお前ら! 今から宴だ! こんなめでたい日は、パーッと派手にやろうぜ!とりあえず王宮に集合な!」

ロゼが突然立ち上がり、弾んだ声で宣言した。場が一気に沸き立つ。


「おお、いいですね! カイン、お前も来いよ!」

エンディが勢い込んで誘うと、カインは少し躊躇した。

「いや、俺は後で行くよ。」

その言葉には、産後の妻を一人にしないという思いが込められていた。


アマレットはすぐにその意を汲み、優しく微笑んだ。

「いいよ、カイン。せっかくだから行ってきなよ。」

「いや、でも…。」

「いいから…ね? 私は大丈夫だから。」

彼女の笑顔は疲れを隠しきれなかったが、カインへの気遣いが溢れていた。


カインはアマレットの妊娠中、陣痛の苦しみに寄り添い、出産にも立ち会った。

男には決して理解できない痛みを前に、彼はただ懸命に支えることしかできなかった。それでも、アマレットはそんなカインの努力を知っていた。だからこそ、この宴で少しでも羽を伸ばしてほしいと願ったのだ。


「そうか…分かった。体調悪くなったらすぐ言えよ。飛んでくるからな。」

カインはそう言い残し、ロゼたちと共に出て行った。


「お前、良い旦那じゃねえかよ。」

ロゼがカインの肩を掴み、ニヤニヤしながらからかう。

「別に普通だろ。」

カインは照れ隠しにそっけなく返した。


「おい、カイン。一児の父が無職でどうするんだ? ちゃんと働いて妻子を養えよ。しっかりしろ。」

クマシスが辛辣に突っ込むと、カインはムッとした顔で反撃した。

「あ? 無職じゃねえよ。専業主夫だって立派な仕事だろうが。」


エンディは親友の幸せを心から喜んでいた。こんな穏やかな日々がずっと続けばいい。そう願いながら、王宮の大広間へと向かった。




大広間には豪華な料理が並んでいた。山盛りの肉料理、鮮やかな魚介、色とりどりの野菜と果物、そして鼻を突く濃厚なチーズ。長テーブルの上はまるで絵画のように華やかだった。

「うおー! これ全部食っていいのか!」

エンディが目を輝かせて叫ぶと、ロゼが豪快に笑った。

「おう、じゃんじゃん食えよ!」

その言葉を合図に、エンディは皿に料理を山盛りにして頬張り始めた。


そこへノヴァ、ラベスタ、エスタが加わる。

「よう、カイン。まさかお前が父親になるとはな。おめでとう。」

ノヴァは少しひねくれた口調で言うが、その目は祝福に満ちていた。

「ふっ、ありがとよ。ノヴァ、お前も想いはちゃんと伝えろよ。待ってるだけじゃ何も始まらねえぜ。」

カインがジェシカを一瞬見て言うと、ノヴァは頬を赤らめて動揺した。

「あ? 何のことだよ?」


「カイン、おめでとう。これ、つまらない物だけど受け取ってくれ。」

サイゾーがクッキーの詰め合わせを手渡す。

「わざわざ悪いな。ありがたく貰っとくよ。」

「ぷぷっ、本当につまらねえ物だな。」

クマシスが笑うと、サイゾーが睨みつけた。


「おう、オレ様抜きで楽しそうなことやってんじゃねえか!」

派手な衣装のダルマインが図々しく現れる。

「おい、お前を呼んだ覚えはないぞ。」

ロゼが困惑する中、ダルマインはカインに近づいた。

「おう、カイン。オレ様のサイン入りブロマイドだ! 受け取れ!」

美化された肖像と「海運王 ダルマイン大社長」の文字が踊るブロマイドを、カインは冷たく拒否した。

「要らねえし、嬉しくもねえ。」


続いてアベルが静かに入室する。カインとアベルは過去のわだかまりを解消したとはいえ、どこか距離を感じさせる関係だった。

「兄さん、おめでとう。」

「おう…ありがとな、アベル。」

短い言葉に、二人の複雑な絆が垣間見えた。


ロゼ、ノヴァ、ラベスタは20歳になり、ワインやウイスキーを飲み始めた。

ロゼは笑い上戸、ノヴァは怒り上戸、ラベスタは眠り上戸だった。

酒に酔った三人が大広間をさらに賑やかにした。




カインはふと風に当たりたくなり、バルコニーへ出た。城下町を見下ろしながら、深い息をつく。


エンディが後を追い、声をかけた。


「よっ、どうしたんだよ?」


「いや…まだ実感が湧かなくてさ。俺が親になるなんて。」

カインの声には、壮絶な過去を振り返る感慨が滲んでいた。


「そりゃそうだよな。まだ18歳だろ、お前ら。」

エンディが言うと、カインは小さく笑った。

カインとアマレットはまだ若く、未熟だ。


それでも、命を育む覚悟を決めたのだ。


「昔、お前の父親に言われた"何かを護るために力を使え"って言葉の意味をようやく理解できたよ。やっと手に入れた幸せな日々…俺は何がなんでも今の幸せを護り抜く。」

カインの瞳に強い決意が宿る。そしてエンディを見据え、深々と頭を下げた。


「え、なんだよ急に?」


「ありがとう。俺に今の幸せがあるのはお前のおかげだ。お前には本当に感謝している。エンディ、本当にありがとう。」


「おいおいやめろよ…頭上げろって。な?」

エンディは照れ笑いを浮かべつつも、心が温かくなった。


「エンディ、俺はな、お前にも早く幸せになってほしいんだ。今度はお前が幸せになる番だぜ?」

カインは顔を上げ、にこりと微笑みながら言った。


「はっ、なーに言ってんだか。ほら、早く戻ろうぜ?」


まさかあの無口で無愛想で不器用なカインにこんな事を言われる日が来るだなんて夢にも思っていなかったエンディは、意表を突かれてなんだか照れ臭くなってしまった。


エンディとカインはバルコニーを出て大広間へと戻ろうとした。



すると、2人の背後に謎の黒装束の男が立っていた。


「お取り込み中、失敬するよ。」

男がそう言うと、エンディとカインは驚いて後ろを振り返った。


「久しぶりだね、カイン。」

男はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら言った。



何者だ!?

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