2-29
アベルは身体中に痛みを感じて目を覚ました。
その痛みはカインによる攻撃から伴っているものではなく、傷薬の沁みによるものだった。
カインの分身体が起爆した際、アベルは咄嗟に全身を水で包んだため、その火傷は致命傷には至らなかった。
目を開けると、モエーネとジェシカが自身を懸命に治療しているのがわかった。
「あらアルファ…じゃなくてアベル、目が覚めたようね?」
「良かったー!もう大丈夫だからね?」
ジェシカとモエーネが言った。
「お前ら…どうして?」
敵である自分を治療している2人に対し、アベルは理解に苦しむ様な顔をしていた。
「ようアベル。随分と派手にやられたな?」
「ねえ、まさかと思うけど…カインにやられたの?」
エラルドとモエーネが言った。
「お前ら…なんでロゼ達と行動してるんだ…?…え?ノヴァとアズバール?」
アベルはゆっくりと上体を起こし、目の前にいる錚々たる顔ぶれに困惑をしていた。
「…どうして僕を助けた?」
アベルが尋ねた。
「傷だらけで1人寂しく倒れている奴を助けることに理由なんているのか?たまたま見つけたからよ、見過ごせなかっただけだ。礼の一つくらい言ったらどうだ?」ロゼが言った。
アベルは敵に情けをかけられたことを恥じ、黙ってしまった。
「俺は放っておけばいいって言ったんだけどね。」
ラベスタは、以前バレラルクでアベルに撃たれたことを未だに根に持っていた。
すると、その場にノストラが元気よく現れた。
「おうおどれら、無事じゃったか!」
「あ、ノストラさんだ。」
ラベスタが言った。
「ノストラさん…。」
アマレットは懐かしむ様に言った。
「アマレット、久しぶりじゃな。元気そうでよかったわい。アベル、ワシはお前にも会いたかったぞ。」
「どうしてあんたがここに…?」
アベルはノストラを見て驚いていた。
「俺もいるぜえい!元気かてめえらあ!」
ノストラの後ろからダルマインが出てきた。
ダルマインが登場した途端、その場の空気はチーンと白けてしまった。
「此奴、ずっとワシの後ろ着いてきおったわい。鬱陶しいやっちゃのうしかし。」
「ぎゃーはっはっ!この世で最も安全な場所は強者の後ろですから!元使徒隊の長のノストラさんがそばに居てくれりゃ千人力ですから!!って…えー!?アアアア、アズバールぅぅぅ!?何でここに!?」
ダルマインはアズバールを見て、目玉が飛び出るほど驚いていた。
「やかましいのう、声帯斬ったろか?早よ去ね。」
「この爺さん、十戒の長だったのか…。」
「ああ。こりゃまた心強い味方が増えたぜ。」
ノヴァとロゼが言った。
「ところでエンディはどこにいるんかの??」
「さっきマルジェラに会ってきてな…。死んだって聞いたぜ…?」
ロゼがしんみりとした表情でそう言うと、ノストラの顔が険しくなった。
「そうかそうか、死んでしもうたか。それは残念じゃのう。」
「ちょっと、そんな言い方…!」
余りにも冷たい言い方をしたノストラに、モエーネはショックを受けていた。
「…この中にエンディが本当に死んだと思っている奴はおるかい?おどれら、本当にエンディが死んでしまったと思ってるんかい!?ええ!?居たら手挙げてみい!」
ノストラは皆を奮い立たせる様に言った。
無論、手を挙げた者は誰1人いなかった。
みんな、内心ではエンディが死んだことを信じていない様だった。
「謁見の間はもぬけの殻じゃった。よしおどれら、今から"パンドラ"に向かうぞ。イヴァンカも筆頭隊もそこにおるはずじゃ。恐れるな!ワシと共にくる限り、ワシらの前に敵はおらん!」
ノストラがそう言うと、皆の士気が上がった。
パンドラとは、バベル神殿最上階庭園に存在する、とある建築物の名称である。
そこは、代々レムソフィア家の当主しか入ることの出来ないユドラ帝国唯一の禁足地だ。
真相は定かではないが、パンドラ内部にはユドラ帝国最大の国家機密が眠っているという噂が絶えない。
「それにしても、まさかあのアズバールが味方になるとは驚いたなあしかし。」
「ククク…ユドラ人共を殺したら、次はてめえらも皆殺しにしてやるぜ?」
ノストラとアズバールは互いに睨み合い、何やら物々しい雰囲気が漂っていた。
「使徒隊のメンバーが3人も味方になるとはな、お前ら忠誠心はないのかよ?」
ロゼがエラルド達に向けて冗談まじりに言った。
「その3人の中にはアベルも入ってんのか?なあアベル、俺たちはこれからイヴァンカ達をぶっ潰しに行くんだけどよ、お前はこれからどう動くんだ?」
エラルドが尋ねた。
「…僕をこんな目に遭わせた兄さんに…カインに仕返しをしてやるつもりだよ。だけどその前に…僕を裏切ったイヴァンカは絶対に許さない!必ず殺してやる…!」
アベルは殺意に満ち溢れた表情で言った。
「はあ?てめえあれだけイヴァンカに心酔していたくせに、どういう風の吹き回しだよ?」
エラルドは目を丸くしていた。
「僕を裏切ったってどういう意味?」
アマレットが尋ねた。
「あいつ、カインに筆頭隊未満の使徒隊メンバーの抹殺を命じていたんだ。僕をゴミの様に扱ったあいつは許さない…!」
アベルのイヴァンカに対する崇拝は、完全に憎悪へと移り変わっていた。
「ほれ、無駄口叩いとる暇はないぞ?ええ?さっさとパンドラに行くぞ。指揮はワシが執る。今こそ最終決戦じゃ!」
ノストラは開戦の狼煙を上げた。
いよいよ最終決戦となり、みんな異様な緊張感に包まれていた。
しかしそれ以上に、今まで以上に士気が高まっていた。
ノストラ達はイヴァンカ達のいるパンドラを目指し、動き出した。
そしてノストラ達が信じた通り、エンディは生きていた。
エンディは真っ暗な狭い部屋で、両手首と両足首に枷をつけられて磔にされていた。
眠っていたのか、気絶していたのかは定かではないが、小一時間ほど気を失っていたのは確かだ。
エンディがゆっくりと目を覚ましたタイミングで、部屋にマルジェラが入ってきた。
「気がついたか?」
マルジェラの問いかけに対し、エンディは下を向いたまま無反応だった。
マルジェラはエンディにかけた枷を外そうとした。
しかし、エンディは風の力を操り、いとも簡単に自身の両手首と両足首にかけられた枷を粉砕した。
マルジェラは少し驚いていた。
「そうか…ついに記憶が戻ったんだな。」
「ああ…。あんたのおかげだ、ありがとう。」
エンディは俯きながら静かに言った。
「"隔世憑依"はどうだ?」
「…それはまだ、分からない…。」
エンディは俯いたままだった。
マルジェラはエンディの記憶を強引に呼び起こすことに成功した。
あの時マルジェラは、わざとエンディを両親が殺された部屋へと手荒に運んだのだった。
4年前に味わった精神的苦痛を蘇らせ、エンディの精神を崩壊寸前まで追い詰めた。
さらにその後、明確な殺意を持ってエンディに刃を振り下ろそうとした。
それによってエンディはあの時、精神の崩壊と共に自身の生命の危機を感じ、極限の状態まで追い詰められてしまっていた。
そして長い眠りにつき、マルジェラによって拘束され、磔にされたのだ。
かなり酷な手法ではあったが、結果的にエンディは失った記憶を完全に取り戻したのだ。
しかし、4年前に会得した"隔世憑依"のやり方だけは、曖昧だった。
「お前の事情は色々と小耳に挟んでいる。記憶を取り戻した今、お前は自分のやるべき事が分かったんじゃないのか?」
マルジェラの問いかけに対し、エンディは静かにコクリと頷いた。
「悪いけど、しばらく1人にしてくれないか?」
エンディは俯いたまま、小声で言った。
「分かった。俺はイヴァンカ様に呼ばれているから、先にパンドラに行ってるぞ。」
マルジェラはそう言い残し、その場を後にした。
エンディはずっと下を向いたまま放心状態になっていた。
自分なりに、心の整理をしているのだろう。
しばらくして、ゆっくりと顔を上げた。
「早く…行かなきゃ…あいつを…殺さなくちゃ…!」
エンディは瞳孔を開き、青白い不気味な顔をしながら小さな声でつぶやいた。
ついにエンディの記憶が戻った!
あいつとは誰のことだ…?




