1-30
戦いの終わり
ドアル解放軍との内戦が終わり、長い長い夜が明けた。
王宮とパニス町のほぼ中間に位置する場所に、王族が保有している収容所がある。
その収容所には、毒ガス室と呼ばれている広い雑居房がある。
その雑居房の天井には巨大な水栓シャワーのような形をした器具が備え付けられており、そのから毒ガスが霧状に散布される仕組みとなっている。
今は使われていないその雑居房も毒ガス兵器も、昔は複数の罪人を一気にまとめて処刑する時にのみ使われていた。
現在その雑居房には、ドアル解放軍の戦闘員とノヴァファミリーの構成員、合わせて200名ほどが収容されている。
彼らはこの残酷な牢獄で手錠や足枷をはめられているわけでもないが、大人しく一夜を過ごした。
ほとんどの者が一睡もしていなかった。
皆、うずくまりながら床に座り込んでいる。
「アズバールさんがやられたらしい…」
「ギルド総統とジャクソンさん死んだってさ…」
「俺たちこれからどうなるんだろう…」
「全員処刑に決まってるだろ…」
彼らは敗北感に打ちのめされ、完全に戦意も気力も削がれていた。
自分たちは負けた。
この現実を受け入れ深く絶望し、ただ死を待つのみだった。
すると、雑居房に王室の給仕達がぞろぞろと入ってきた。
先頭にいた給仕の男3人が大きな寸胴鍋を運んで床に置いた。
ラーミアとアルファは、大量のパンが入ったカゴを1つ、2人で運んでいた。
鍋の中身はビーフシチューだった。
柔らかい牛肉と新鮮な野菜がゴロゴロと入っていて、この上なく美味しそうだった。
給仕たちはビーフシチューとパンを皿によそい、囚人達一人一人に丁寧に渡していった。
これから処刑されるものとばかり思っていた囚人達は、あまりにも予想外の出来事にあっけにとられポカーンとしていたが、ビーフシチューとパンの香りに食欲がそそられ、一心不乱に食事にありつけた。
「うまい…うまい!」
囚人達は皆、心底幸せそうな表情をしている。
「まだまだおかわりありますよー!」
アルファが元気良く、笑顔で声をかけた。
「こんなうめえメシは久しぶりだろ?おめえらロクなもん食ってなさそうだったもんな!」
カツン、カツンと足音を立てながら、ロゼが雑居房に入ってきた。
囚人達はピタリと手を止め、緊迫した様子でロゼを見上げていた。
「昨夜遅くまで上層部と話し合っててな、お前らの処分が決まったんだ」
囚人達はゴクリと生唾を飲んだ。
とても優雅に食事をとる気分になどなれなかった。
「お前らは…王室近衛聖道騎士団に加入してもらう!」
ロゼが大きな声でそう言うと、囚人達はあまりにも予想外の展開に頭が真っ白になった。
すると、ノヴァとラベスタが雑居房に入ってきて、ロゼの横に立った。
「新団長のノヴァだ。そして隣にいるのは、副団長のラベスタだ。これからよろしく頼む。」
ノヴァは真面目な顔つきでそう言った。
「もう武器を手に取りたくない、って奴もいると思うが安心してくれ!働き口は俺が斡旋する!地方の方じゃ農業や漁業が深刻な若手不足らしいからな!」
ロゼがそう言うと、決定に対して納得のいっていないドアル族が数名、異を唱えた。
「ちょっと待ってくれよ!俺たちはバレラルクを攻め落とそうとしたんだぞ!?普通処刑だろ!?」
「なんかおかしいぜ…何企んでやがる!」
「大体…魔法を使えねえ俺たちに騎士団員なんて務まるわけねえじゃねえか!」
ザワザワと騒々しくなった。
すると、ロゼは囚人達に土下座をした。
それを見た囚人達は戸惑い、静まり返った。
「建国から500年…ここナカタム王国で、最も長く魔法族至上主義を唱え続けてきたのは…俺たちウィルアート家だ…!お前たち非魔法族に肩身の狭い思いをさせ続けてきたのも…それを放置してきたのも…ドアル解放軍なる組織が台頭してきたのも…全ては王子である俺の責任だ!今まで辛い思いをさせちまって、本当にすまなかった…!」
ロゼは声を微かに震わせながら、心の底から誠心誠意謝罪をした。
「おいおい…王子がそんなことしていいのか?」ノヴァが呆れた口調で言った。
ラベスタは無表情で無反応だった。
「言いたいことも色々あるだろうが…納得してくれ。俺はもう争いたくないんだ。ここでお前ら全員を処刑したらまた新たな憎しみが生まれる…俺はこの憎しみの連鎖を断ち切りたいんだ!魔法族と非魔法族が手を取り合って共存して、みんなが腹の底から笑い合えるような、楽しい国にしてえんだよ!」
ロゼは悲痛な声色でそう言うと、立ち上がって再び喋りはじめた。
「復讐なんてやめろ…そんな綺麗事を言うつもりはねえ。だから、魔法族が憎いなら俺を殺してくれ!魔法族に対する憎しみは全て俺にぶつけてくれ!今すぐ俺の首を狙っても構わねえ…俺は逃げも隠れもしねえからよ。」ロゼは毅然とした態度で言った。
ロゼはまだ18歳。王子としても、一人の人間としても、まだまだ未熟で至らないところばかりだった。
しかし、そんなロゼの熱弁を、世間知らずなガキの綺麗事だと笑い飛ばす者は、一人もいなかった。
ロゼの思いが伝わったのか、囚人達は少し悲しげな表情をしていた。
一国の王子が、国家転覆を狙った反乱軍に頭を下げて訴えかける。
前代未聞だが、囚人達はその意味を理解していたのだ。
ロゼを殺す。魔法族を殺す。
そんな素振りを見せる者は誰1人としていなかった。
ドアル解放軍に至っては、アズバールに対する恐怖心で動いている者がほとんどだったため、憎しみに取り憑かれているような人間は、実は思った程多くなかった。
「この中でまだ納得のいってねえやつはいるか!?いるなら遠慮なく言え!納得できたなら返事をしろ!」ノヴァが大きな声で、その場を仕切るように言った。
ノヴァも18歳。
若き新団長としての威厳を早くも発揮していた。
「はいっ!!」
ドアル解放軍の残党、ドアル族。
非魔法族で結成されたノヴァファミリー。
彼らはまるで生まれ変わったような顔つきで返事をした。
普通なら即処刑されるようなことをした。
そして敗北した今、誰もがそれは免れることのできない未来だと思っていた。
しかし許され、受け入れられた。
その寛大な慈悲に報い、新しい人生を歩み、心を入れ替えようという強い意志を一人一人から感じ取った。
「早速だがおめえらに任務を与える!もうすぐ国中の職人達がバレラルクに到着する。みんな城下町の復興作業に協力してくれるそうだ。お前らはその手伝いをしろ!まずは瓦礫の撤去作業からだ!飯を食ったらすぐ準備しろよ?」ロゼはそう言い残し、雑居房を出た。
「お前って本当に異色な王子だよな。」
「おうエスタ、来てたのか。」
入り口の前で、エスタは一連の流れを見ていたようだった。
「あんな姿ジェシカやモエーネが見たら発狂するぜ?」
「はははっ、かもな。ところでエスタ、昨日の夕方ごろ発見されたギルドの遺体の件だが…あれやったのお前か?」
ロゼが確信の表情をしてエスタに問いかけた。
エスタを見るロゼの眼差しは険しかった。
「…そうだけど、なんか問題ある?」
エスタは開き直った様子で言った。
「まあ別に咎めはしねえけどよ…ガキのうちからあんま人を殺しすぎるとロクな大人にならねえぜ?」ロゼは半笑いで言った。
「…肝に銘じておくよ。」
「まあ、程々にな?」
そんな会話をしながら、2人は収容所を後にした。
エンディはロゼの居城の一室を借り、ベットで横になっていた。
そして、炊き出しを終えたラーミアがお見舞いに来ていた。
「エンディ…勝手なことしてごめん…。」
ラーミアはみんなに睡眠薬を飲ませ、1人でインドラへ向かった自分を責めている様子だった。
とても申し訳なさそうに、緊張した様子でエンディの顔色を窺いながら謝罪をした。
「ラーミア…無事でよかったよ。」
エンディは優しい笑顔でそう言った。
思うところは色々あったが、ラーミアを責め立てることはできなかった。
みんな無事で、戦いも終わった。それだけで充分だと自分に言い聞かせていた。
ラーミアはエンディの優しさに感動していた。
「よっ!元気い〜?」
「エンディ、元気そうね。」
モエーネとジェシカが部屋に入ってきた。
2人は果物が入ったカゴを手に持ち、エンディを見舞いにきたのだ。
「元気だよ!全然大丈夫!昨日は急にぶっ倒れてみんなに心配かけちゃったな…色々あって疲れてたんだよ!」
エンディは笑いながらそう言った。
元気そうなエンディを見て、ラーミア達は安心していた。
しかし、それは所謂空元気というやつだった。
エンディは、みんなに心配をかけまいと動揺や恐怖を押し殺し、必死に自分を取り繕っていたのだ。
あの日以来、脳裏をよぎった記憶のことが頭から離れなかった。
目の前で血まみれになって横たわっていた男女は誰なのか?
もしかして、自分が殺してしまったのか?
自分は一体何をしていたのか?
考えれば考えるほど、頭が破裂しそうになっていた。
そして、あの光景を思い出すたびに得体の知れない恐怖感に苛まれ、手の震えが止まらなくなっていた。
「エンディ?どうしたの?」
思いつめた表情をしているエンディに気づき、ラーミアは心配して声をかけた。
「なんでもないよ。それよりカインはどこにいるの?」エンディが尋ねた。
「それが、あいつどこにもいないのよ。」
「掴みどころのない男よね。」
ジェシカとモエーネが呆れた様子で言っていた。
エンディは窓から青空を見上げ、カインを心配している様子だった。
一方玉座の間には、レガーロとモスキーノがいた。
何やら厳粛な雰囲気に包まれていた。
「反乱軍どもを迎え入れるとは…我が息子ながら何を考えているのかさっぱり分からんな。」レガーロは頭を抱えていた。
世界一の魔法都市と名高いバレラルクで、非魔法族が魔法族と大々的に共存をする。
魔法族により結成された戦闘集団、王室近衛聖道騎士団に、非魔法族を迎え入れる。
どれもこれも、ナカタム王国の歴史上類を見ない異例の出来事だった。
それをやってのけようとする実の息子ロゼに、レガーロ国王は何を思っていたのか、誰も知る由はなかった。
「いいんじゃないですか?これから起こる大きな戦いに備えて、兵力を増強させるのは得策だと思いますけどね!」
モスキーノは軽快な口調で言った。
「何のことだ?」
レガーロはカマをかけるような言い方をした。
「国王様…本当の戦いはこれからですよ〜?此度の戦いなんて、これから始まる巨大な戦争の序章に過ぎない。いや…あんなしょうもない戦いじゃ、序章にもならないかも!」
モスキーノはニコニコしながらそう言い終えると、途端に笑顔が消えた。
「あなたは歴史上、初めて神々に反旗を翻した国王です。これからはひたすら修羅の道を邁進することになるでしょう。その御覚悟はおありですか?」
モスキーノは鬼気迫る表情でレガーロを見ていた。
レガーロは顔色ひとつ変えず、いつも以上に厳格な態度だった。
レガーロはモスキーノの問いかけに何も反応を示さなかったが、その力強い眼差しからは、相手が何者であろうと、例え神であろうとも、ナカタムの地を蹂躙する者は迎え撃ち殲滅するという強い姿勢が感じられた。
一方カインは、被害がほとんどなかったパニス町の高台に立っていた。
「呪われた黒い血が疼き出したか、エンディ。記憶が戻る日も近いな。」
カインは王宮を見下ろし、風に吹かれながら独り言を呟いた。
その顔つきは、冷酷な表情とも切ない表情ともとれる、何とも形容し難いものだった。
第1章、完。




