湖畔の誓いと色の詩
トルナドの体は失血の虚ろを抱え、なお安静を強いられていた。
ルミエルの治癒が傷を塞いだものの、血の欠如は彼を脆くしていた。
それでも、彼は虚勢を張った。
「ワッハッハー!全快だぜ!まさかお前が天生士だったとは思わなかったぜ!」
哄笑が洞窟に響いた。
トルナドは天生士の名を背負いながら、神牢に幽閉される日々が多かった。
そのため、ルキフェル閣下以外の天生士とは縁薄く、ルミエルの光を知らなかったのだ。
ルミエルは彼の空元気を見抜き、心配を胸に秘めつつ、気遣って黙した。
なぜ、戦闘を知らぬ盲目の少女が天生士に選ばれたのか。
トルナドは直感していた。
ルミエルの笑顔は、荒々しい天生士の心を溶かし、暗い世界に光を灯した。
彼女は太陽だった。
神国ナカタムの天生士は、神官とは名ばかりの、血と闘争に酔う暗殺者の群れだった。
ユラノスですら彼らを統べることに苦心した。
ルミエルの純粋さは、その殺伐とした集団に新たな風を吹き込んでくれるだろう。
ユラノスの思惑は的中し、ルキフェル閣下を除く天生士は穏やかな心を育んだ。
だが、ユラノスは自身の死後、ルミエルが魔族の脅威に晒される未来を予見し、治癒と退魔の光を与えた。
トルナドは、その辻褄に頷いた。
ルキフェル閣下を退けた二人は、追手の目を逃れるため深い山奥へ向かった。
ルミエルはトルナドの背に乗り、風を纏った彼は空を駆けた。
言葉なく、阿吽の呼吸で息を合わせ、湖畔の洞窟に身を隠した。
夜更けの静寂が二人を包み、一夜の隠れ蓑とした。
トルナドは湖に飛び込み、小魚を両手両脇に抱えた。洞窟に戻り、火を起こし、木の棒に魚を串刺しにして焼いた。味付けもせず、原始的な食事だった。
「ワッハッハー!やっと飯にありつけるぜ!お前も遠慮せずに食えよ!」
「うん!ありがとう!」
二人は久々の食事に心を躍らせた。
トルナドは不思議な感覚に囚われた。
これまで幾度も魚を焼き、腹を満たしてきた。
だが、今宵の焼き魚は、なぜか格別に美味しかった。
平凡な食事が、かけがえのない宝のように感じられた。
考えても答えは見つからず、彼は思考を放棄した。
ルミエルと共にする食事は、孤独な狩りとは異なる幸福を紡いだ。
特別な誰かと分かち合う時間の尊さを、彼は初めて知った。
「ワッハッハー!別に治療なんてしてくれなくてもよぉ!ルキフェルなんざ俺1人で充分倒せたのによぉ!お前にその勇姿を見せてやることが出来なくて残念だぜ!」
強がりを口にした。
本心では、恩に感謝したかった。
だが、照れが言葉を縛り、虚勢に逃げた。
「勇姿ねえ〜…見てみたかったなあ。目さえ見えればなあ。」
ルミエルの声は悲しみを帯びた。
トルナドは自分の無神経さに、再び罪悪感を覚えた。
ルミエルが盲目であることを、つい失念していたのだ。
「ねえトルナド…私、貴方の顔が見てみたい。ねえ、貴方ってどんな顔してるの?」
気遣うように尋ねた。トルナドは鼻を高くした。
「ワッハッハー!どんな顔って??そりゃあイケメンよ!俺ぁこの世に2人といないイケメンだぜ!モテすぎて毎晩悩みまくってるくらいだぜ!」
乱暴者として疎まれ、女性の声援など縁遠かった彼は、ルミエルの前で見栄を張った。
「イケメンか〜。わたし生まれつき目が見えないから、イケメンの基準が分からないんだよね。」
「まあ要するに、めちゃくちゃカッコよくて良くて男前って事よ!」
「うん、それは知ってるよ。きっと素敵な表情で笑うんだろうなあ。貴方は心が綺麗だから、きっと笑顔も素敵に違いないわ?」
ルミエルの言葉に、トルナドは照れすぎて意識が飛びそうだった。
「しかしあれだな、生まれつき目が見えねえってのも、難儀な話だな。」
「うん…でも私にとってはこれが普通だから。それに、悪いことばかりでもないわ?良いことばかりでもないけどね。」
「じゃあ、俺がお前に色を教えてやるよ!治療をしてくれた借りを返してやる!」
ルミエルは唖然とした。
盲目ゆえの同情しか知らなかった彼女に、こんな言葉をかけた者は初めてだった。
トルナドの不器用な優しさが、彼女は心を打たれた。
「まずは赤だ!赤ってのはな…なんていうかこう…バーっと燃え上がるような感じだ!そんな赤の激しさを鎮めてくれるのが青だな!黒はな、ズーンと暗い感じだな!黒ってのはまた厄介でなあ、黒いもんに寄ってけば、大抵のもんは黒くなっちまうんだ。んで、それと対をなすのが白だな!白ってのはな、まあ純粋の象徴みたいなもんなんだ!だけど黒と違ってな、いくら白になりたくても、そう簡単に白にはなれねえんだよ。白は染めるのも染まるのも至難の業だぜ?まあ…清廉潔白は1日にして成らずってこった!」
拙い言葉で、トルナドは色を紡いだ。
語彙は乏しくとも、懸命に伝える熱がルミエルの胸を温めた。
無色の世界に生きる彼女に、彼は色を贈った。
だが、ルミエルは後ろ向きな思考に囚われた。
「私はきっと、前世でいけない事をしたのね。だから今世では目が見えないまま産まれてきたんだわ。輪廻転生をしても、黒が白になる事はないのね…。」
しょんぼりとした表情に、トルナドは目を丸くした。
「はぁ?前世?輪廻転生??何言ってんのお前??」
「私ね、輪廻転生ってあると思うの。地球の全ての生命体は、いつか死が訪れてもまた新しい命に生まれ変われる。輪廻転生は果てる事なく続いて、命の灯火は繋がり続けていると思うんだあ。ねえ、私達来世ではどんな人間に生まれ変わってるんだろうね?いや…ひょっとしたら人間じゃなくてワンちゃんやネコちゃんだったりしてね。お花になってるかも!」
ルミエルの想像は弾んだ。
トルナドは吹き出し、哄笑した。
「ワッハッハー!お前はバカか!そんなもんあるわけねえだろ!人生なんて泣いても笑っても一度きりなんだからよ、来世がどうとか考えるのなんて無駄な時間だぜ!そんなこと考えてねえで今を精一杯楽しもうぜ!」
ルミエルの言葉を曲解し、今を生きる信念を押し付けた。
「まあ考え方は人それぞれよね。でも…もし生まれ変わりというものがあるのなら、その時はちゃんと目が見えてたらいいなあ。そうすれば、生まれ変わったトルナドの顔も見れるね!」
楽しげな声に、トルナドの心は揺れた。
湖畔の夜は、二人を優しく包んだ。
どうかこの楽しい夜が、このままずっと明けませんように。
柄にもなく、トルナドはそう願った。
輪廻の詩が、静かに響き始めた。




