雷帝の屈辱
二人の剣は、まるで互いの魂を試すかの如く、絶妙な均衡で交錯した。
刃の応酬は、常人の目では捉えきれぬ速さで繰り広げられ、風を裂く音が広間を震わせた。
軽やかな剣さばきは、互いの力を探る舞踏のようだったが、その一撃一撃には、間合いに踏み入った者を瞬時に屠る破壊力が宿っていた。
剣の道を極め、さらなる高みへと至った二人の斬撃は、人間の限界を遥かに超え、神々の領域に触れていた。
やがて、ルキフェル閣下が一歩退き、剣を止めた。
冷たい瞳がイヴァンカを捉える。
イヴァンカもまた剣を下げ、鋭い視線で応じた。
「イヴァンカさん、やはり貴方は素晴らしくお強い。この強さに加え、さらに雷の天生士とは…誠に末恐ろしく思います。」
ルキフェル閣下の声は、氷の刃のように滑らかだった。
だが、イヴァンカは冷笑を浮かべ、剣の鋒を向けた。
「悪いが閣下殿、私は君とお喋りをするためにわざわざここまで来たわけではない。つまらないお世辞など言ったところで、生憎私は君に渡す褒美など持ち合わせていないよ。」
その言葉は、まるで雷鳴の前触れだった。
ルキフェル閣下は微かに微笑み、語り続けた。
「私は500年前、神国ナカタムで幾人ものユドラ人の方々を見てきました。彼らの戦闘能力は他の民族と比較しても卓越していましたね。剣士の方々は特に、その比類なき剣の才覚を存分に発揮し、敵戦力を悉く殲滅していたものです。しかし、そのどれをとっても、貴方の強さは別格です。」
「何が言いたいんだい?」
イヴァンカの声には、苛立ちと、認められたことへの微かな満足が混じる。
ルキフェル閣下の瞳が細まる。
「イヴァンカさん、私と手を組みませんか?」
その提案に、イヴァンカは深いため息をついた。
「全く…何を言い出すかと思えば。馬鹿も休み休み言いたまえよ、閣下殿。」
ルキフェル閣下は不敵な笑みを深め、言葉を重ねた。
「悪い話ではないと思いますよ。貴方はエンディさん達と違って、世界を護るために闘うなどという性分ではないでしょう?むしろ貴方の思想は、我ら魔族と酷似しているように思えます。ご覧になったでしょう?現実を。大王様に勝てる者など、未来永劫現れません。ならばいっそのこと現実を受け入れ、大王様と共に新たな世界を拝みましょうよ。私と貴方は、大王様の両翼に適任だと思います。」
彼は手を差し出し、イヴァンカを闇の盟友として迎え入れようとした。
だが、イヴァンカの瞳は冷たく、ルキフェル閣下の誘いを一蹴した。
「閣下殿、私は誰の下にもつかないよ。そして誰とも手を組まない。現実ならば私が教えてあげるよ。君もヴェルヴァルトも、私の眼には大海を知らぬ醜き蛙にしか映らないよ。」
その言葉に、ルキフェル閣下の目が鋭く光った。
「そうですか…非常に残念です。イヴァンカさん、貴方は叡智の眼をお持ちだと思っていましたが、どうやら私の思い違いだった様ですね。」
「そう気に病むことはない。自分の理解が及ばない偉大なる存在を推し量る事など、君如き凡人には至難の業だろう?」
イヴァンカの挑発は、彼の専売特許だった。
だが、ルキフェル閣下には効果がなかった。
彼の表情は、なおも余裕に満ち、まるで全てを見透かす神の如く泰然としていた。
その不遜な態度が、イヴァンカの逆鱗に触れた。
イヴァンカは瞬時にルキフェル閣下の背後を取り、首を斬り落とさんと剣を振るった。
刃は確実に命中した——はずだった。
だが、ルキフェル閣下の首には傷一つなく、痛みの気配すらなかった。
イヴァンカの瞳が見開かれ、驚愕が彼の心を貫いた。
ルキフェル閣下が振り返り、イヴァンカに顔を近づけた。
「イヴァンカさん、何をそんなに驚いているのですか?貴方らしくもない…いつもみたいに笑ってくださいよ。」
その嘲笑に、イヴァンカは激昂し、ルキフェル閣下を一刀両断すべく剣を振り下ろした。
だが、刃は右肩で止まり、肉を裂くことはできなかった。
イヴァンカは即座に後退し、距離を取った。
ルキフェル閣下の肉体は、特別な硬度を帯びているわけではなかった。
何らかの術や防御が施されている気配もなかった。
それなのに、イヴァンカの剣は彼を斬れなかった。
「ふっ…ふふふっ…ふふっ、どうかなさいましたか?イヴァンカさん、先程から随分と驚いている様ですが…出来れば、貴方のそんな姿は見たくなかったですね。」
ルキフェル閣下の笑いは、ぎこちなく、だが冷酷だった。
彼にとって、イヴァンカの驚愕は最高の余興だった。
ポーカーフェイスの仮面が剥がれ、哄笑が広間を満たした。
その瞬間、イヴァンカが動いた。
ルキフェル閣下の頭上に、青紫の稲妻が轟いた。
バチバチバチッと、獣の唸り声のような音が響き、雷が直撃した。
電流が広間の床、壁、天井を這い、ビリビリとスパーク音が炸裂した。
城そのものが震え、まるで天の怒りが降臨したかのようだった。
だが、ルキフェル閣下は無傷だった。
冥花軍の漆黒のローブに、埃一つ付いていない。
彼はニヤリと笑い、イヴァンカを見据えた。
「貴様…一体なんの能力だ?」
イヴァンカの声は、初めての屈辱に震えた。
ルキフェル閣下が答える。
「私の司る花の名は"ストレリチア(極楽鳥花)"。花言葉は"万能"です。」
その不遜な笑みに、イヴァンカの眉が寄る。
「万能…だと?」
「ええ。読んで字の如くです。私は、自身の身に降りかかるあらゆる災難を解析し、人体に耐性をつけることが可能なのです。故に万能。今回は至極単純な話、貴方が放つ斬撃と雷の力を解析し、耐性を作っただけの話です。つまり貴方の攻撃の全ては…私の前では等しく無力化されるのです。」
ルキフェル閣下の言葉は、まるで神の宣告だった。
彼の能力は、ラーミアの退魔の力とアマレットの魔術を融合させた結界すら破った。
その万能の力は、ヴェルヴァルト冥府卿の御闇を体現するものだった。
イヴァンカは黙り、微動だにしなかった。
「ふふふっ…あははははっ!イヴァンカさん…貴方、この魔界城に突入した際に仰っておりましたよね?"華麗なる逆襲劇の始まりだ"…と。あれだけ息巻いておいてこの有様とは、随分と情けないですね。穴があったら入りたいとお思いになりませんか?」
ルキフェル閣下の嘲笑が、イヴァンカの心を抉った。
「貴方の織りなす劇を特等席で観望できる事を心より光栄に存じます。かの有名な天上天下唯我独尊の雷帝レムソフィア・イヴァンカさんが、私の能力を前に為す術なく絶望する姿は、きっと素敵な余興になると思いますよ。教えて差し上げましょう…貴方など所詮、ただの厚顔無恥な青二才に過ぎないのです。」
屈辱がイヴァンカの魂を焼き尽くした。これまで感じたことのない、烈しい怒りが彼の血を沸騰させた。
「しかし残念な事に、間もなく終劇が近いですね。貴方の言う華麗なる逆襲劇とやらは、主演である貴方の命をもって幕引きとなるでしょう。」
ルキフェル閣下の言葉は、死の宣告だった。
イヴァンカは剣を握り、直立不動で彼を睨みつけた。
冷酷な瞳には、屈辱と、なお燃える戦意が宿っていた。
「イヴァンカさん、どうかなさいましたか?劇はまだ途中ですよ?さあ、貴方の思うがままに…存分に演じて下さいよ。くるしゅうないですよ。」
ルキフェル閣下の哄笑が、広間の闇を震わせた。
イヴァンカの剣が微かに震え、次の瞬間に何かが弾ける予感が漂った。




