罪の十字架と闇を灼く炎
魔界城第四階の広間は、絶望と希望が交錯する戦場だった。
ジェイドの狂気が支配する空間に、ルミノアの泣き声が刃の如く響いた。
「うぎゃー!うぎゃー!」
ジェイドの無慈悲な手に頭を掴まれ、宙吊りにされた幼子ルミノアの声は、広間の石壁を震わせた。
泣き止む気配のない彼女に苛立ち、ジェイドはさらに力を込め、小さな頭を乱暴に締め上げた。
「やめて!ルミノアちゃんが死んじゃうよ!」
「ルミノアちゃんを離しなさいよ!」
モエーネとジェシカが、居ても立ってもいられず叫んだ。
ルミノアの痛ましい姿に、彼女たちの心は引き裂かれた。
だが、ジェイドは酷薄な笑みを浮かべ、二人を嘲った。
「ヒャハハッ!うるせぇよ!だったらてめえらが救ってみやがれ!それともこのクソガキと代わって、まずはてめえらが先に死ぬかぁ!?んなこと出来ねえよなぁ!てめえらみてえな弱っちい馬鹿女共にはよぉ!このクソガキに同情してるフリして、内心じゃ"ああ、自分じゃなくてよかった…。"って安堵してんだろ!?あぁ!?」
ルミノアの泣き声は止まず、カインは為す術なく彼女を見つめた。
状況は最悪だった。
過呼吸が再び彼を襲い、心臓の鼓動が耳をつんざく。血が沸騰し、脈が暴れ馬の如く跳ねた。
「ヒャハハッ!カインちゃんよぉ、男ならこのクソガキごと俺をぶっ殺してみろよ!それくらいの気概見せてくれよ!下らねえ感情なんざ捨てちまってよぉ!昔みてえに冷酷な殺戮マシーンに戻ってみろや!」
ジェイドの言葉は、カインの過去の冷血な殺戮者を呼び覚まそうとしていた。
だが、カインは微動だにせず、呆然とルミノアを見つめるだけだった。
過去の十字架と、娘の命が、彼の魂を奈落に引きずった。
その時、アマレットがゆっくりと歩み出し、ジェイドの前に立った。
彼女の表情は毅然としていたが、瞳の奥には怯えが宿っていた。
手足は小刻みに震え、恐怖を隠すため、必死に凛とした姿勢を装った。
ジェイドはそれを瞬時に見抜き、嫌らしい笑みを浮かべた。
「殺すなら…殺すなら私を殺して…!だから…お願いだからルミノアを離して…!」
アマレットの声は震え、涙を堪えた。
だが、それは母の愛が恐怖を凌駕した瞬間だった。
カインは彼女の行動に血の気が引き、叫んだ。
「何言ってんだよアマレット…?早くそいつから離れろ!殺されるぞ!」
彼の声は、取り乱した父親のものだった。
だが、ジェイドの嘲笑が響いた。
「ヒャハハッ!馬鹿じゃねえのてめえ!このクソガキぶっ殺したらよぉ!次はてめえらを殺すんだよ!俺って優しいだろぉ!?全員仲良くしっかり後を追わせてやるんだからよぉ!」
アマレットの瞳に、大きな覚悟が宿った。
彼女はジェイドを直視し、静かに言った。
「そう…何があっても、ルミノアを殺すって事ね…。その後は私たちを…。」
その声には、不思議な力強さが宿っていた。
手足の震えは消え、彼女の心は確固たる決意に固まった。ジェイドの挑発が続く。
「ヒャハハッ!おいおい冗談やめろよ!まさかてめえ俺と闘り合う気かぁ!?無理すんじゃねえよ!怖いくせによぉ!」
だが、アマレットは動じなかった。
「怖い?母の愛なめんじゃないわよ!私は…母親としてまだ日も浅いし、歳だってまだ18…至らない所だって多いし人間としてもまだまだ未熟だし…良妻賢母とは程遠いわ?でもね…お腹痛めて産んだ大事な天使を護るためだったらなんだってするわよ!こんな命いくらでもくれてあげる!あんたなんかちっとも怖くない!さっさとかかってきなさいよ!」
彼女の言葉は、母の愛そのものだった。
広間に響く声は、まるで神聖な詔の如く、戦士たちの心を震わせた。
カインは叫んだ。
「やめろアマレット!焚きつけるな!ルミノアが危ねえ!」
彼の冷静さは崩れ、熱に浮かされたように叫んだ。
だが、アマレットは優しい眼差しをカインに向け、ニコリと微笑んだ。
「カイン…私はあなたを信じてる。だから、あなたも私を信じて?」
彼女の軽い頷きは、夫婦の絆の暗号だった。
カインは瞼を閉じ、深呼吸した。
目を開いた瞬間、先の焦燥は消え、一点の曇りもない戦士の瞳に変わっていた。
「はははっ、悪いな2人とも。俺、専業主夫失格だな。こんなんじゃ一家の大黒柱は務まらねえぜ。」
カインは呟き、毅然とした姿勢でジェイドに立ち向かった。
二人の覚悟が、ジェイドの逆鱗に触れた。
「ヒャハハハッ…下らねえ家族愛だなぁおい!とんだ茶番だぜ!他所でやれやバーカ!」
カインは静かに、だが力強く応えた。
「お前が下らねえと思う家族や仲間と過ごす時間はな、俺がずっと欲しかったかけがえのないもんなんだよ!やっと手に入れた幸せな日々なんだよ!それを脅かすってんなら容赦しねえぜ?なあジェイド、出来ればお前にも、この幸せを分けてやりてえぜ。」
その言葉は、ジェイドの冷酷な心には届かなかった。
「ヒャハハッ!じゃあよ…てめえらの大事な馬鹿娘が貪り喰い尽くされる瞬間!しっかりその目に焼き付けておけよぉ!さあ、こっからがショータイムだぜぇ!!」
ジェイドはルミノアをヴァンパイアたちへ放り投げた。
高笑いが響き、ルミノアの泣き声が宙を舞う。
ヴァンパイアたちが涎を垂らし、彼女に飛びかかった。
ラーミアたちは身を切られる思いでそれを見つめた。
だが、カインとアマレットは、凛としていた。
ルミノアは緩やかに落下した。
まるで時間が停止したかのような、異様な静寂が広間を包んだ。
ヴァンパイアたちが我先にと飛びつく瞬間、突如、足元から強烈な豪火が迸った。
「ぐぎゃあああぁぁ!!」
ヴァンパイアたちは一瞬の呻きを上げ、灰燼と化した。
だが、豪火の渦はルミノアに迫る。
アマレットが杖を振り、叫んだ。
「テレポート!」
ルミノアはパッと消え、アマレットの腕に瞬間移動した。
息を呑む夫婦の連携だった。
「なんだぁ!?何が起きたぁ!?」
ジェイドの叫びが響くや否や、カインの怒りの拳が彼の頬を捉えた。
ジェイドは吹き飛ばされ、背を地に叩きつけられた。
「うわあぁぁぁん!」
アマレットの腕の中で、ルミノアはなお泣き続けた。
先の恐怖が彼女の小さな心を縛っていた。カインは優しく囁いた。
「泣くなよ、ルミノア。」
その声に、ルミノアの泣き声がピタリと止んだ。嗚咽と涙は残るものの、彼女は父の声を信じた。
「クソがっ!なめてんじゃねえぞてめぇらぁ!!」
ジェイドは怒号と共に跳ね起き、カインを鋭く睨んだ。カインは冷静に視線を合わせ、背後の妻子に力強い背中を見せた。
「アマレット、ルミノア…よーくその目に焼き付けておけよ?これが…戦う亭主の生き様だぜ?」
カインの微笑みに、アマレットの胸は熱くなった。
彼女はルミノアの頭に優しく手を置き、涙を湛えながら言った。
「ルミノア…よーく見ておきなさい。大きくなっても忘れちゃダメよ?こんなカッコいいパパ、世界中探したってどこにもいないんだからね。」
ルミノアの顔が明るくなり、キャッキャと笑い出した。まるで父を応援するかのように。
カインはジェイドに向き直り、余裕の笑みを浮かべた。
「かかってこいよ、張り子の虎野郎。雲泥以上に隔ったってる格の差を見せてやるからよ。」
ジェイドは怒りに震えた。カインはアマレットに指示した。
「アマレット!俺とジェイドを城外へ瞬間移動させろ!」
アマレットは迷わず杖を振るい、二人を城外、荒野と化した王都跡地へと飛ばした。
城内に仲間を巻き込まぬため、カインは決着を無人の荒野でつける覚悟だった。
荒野と化した王都跡地は、かつての栄華を失い、闇に沈む廃墟だった。
ジェイドは空中に浮遊し、上空へ急上昇した。
「ヒャハハッ…ヒャハッ…おもしれえ…おもしれえじゃねえかよぉ…なぁ、カインちゃんよぉ!いいぜ…そんなに死にてえなら望み通りぶっ殺してやるよぉ!死んで後悔しやがれ!風呂屋の釜野郎ぉ!!」
ジェイドは哄笑し、挑発を続けた。
「もう一度殺人鬼に堕ちりゃあ長生きできたものを!この世界はなぁ!悪党や外道にとっちゃ聖地みてえに生きやすい場所なのによぉ!勿体ねえなぁカインちゃん!」
両眼が黒く輝き、禍々しい光を放つ。
ジェイドは強大な黒炎を解き放った。
それは、空から巨大な津波が押し寄せるような、圧倒的な質量と破壊力だった。
直撃すれば、魔界城どころか辺り一帯が荒涼とした原野と化す。
だが、カインは動じなかった。
彼は上空の黒炎に向け、凄まじい豪火を放った。
赤い炎と黒い炎が激突し、大気が震えた。
両者は拮抗しているかに見えたが、黒炎が徐々にカインの炎を侵食し始めた。
ジェイドの哄笑が響く。
だが、カインは諦めなかった。
「隔世憑依 太陽の化身」
カインの発した解号が響くと、炎が白く発光し、凄まじい熱量を帯びた。
まるで地上に太陽が生まれたかの如く、闇を照らし出した。
ジェイドは異様な感覚に襲われた。
火山の大噴火か、星の誕生か。
額に冷や汗が滲んだ。
「ジェイド、確かに俺は業の深い人間だよ…そこら辺の誰よりもな。それは自分が一番よく分かってる。けどな、こんな俺にも、信じ合える仲間が…愛すべき家族が出来たんだ。昔はこんな未来、とても想像もできなかったけどよ…今じゃこんな生き方も悪くねえなって思えるし、自分のことも意外と好きになれたぜ?だからよ…相手が誰であろうと…どんな正当な理由があろうと…俺から大事なもん奪おうってんなら許すわけにはいかねえんだよ!」
カインの声は、魂の咆哮だった。豪火が黒炎を一息に呑み込んだ。
「ちくしょおぉぉぉ…ちくしょおおぉ!!このままで済むと思うなよてめぇ!!祟り殺してやるからなぁ!!」
ジェイドは悔しさに吠え、捨て台詞を吐いた。だが、豪火に包まれ、彼は大敗を喫した。
「地獄で閻魔に懺悔しな…俺を本気で怒らせた事をよ。」
王都跡地での戦いは、カインの勝利で幕を閉じた。




