血塗られた記憶と奈落の挑発
魔界城第四階の広間は、狂気と炎の坩堝と化していた。
ジェイドの黒い炎とカインの豪火が激突し、空間そのものが灼熱の意志で震えた。
だが、この戦いは、単なる力の衝突ではなかった。
カインの過去と、愛する家族の命が、運命の天秤にかけられていた。
「ヒャハハッ!本当はよぉ、この俺に雷ぶっ放したイヴァンカちゃんを探し出してぶっ殺してやろうと思ってたんだけどよぉ…てめえ、この前も今も、俺の最強の黒炎をちょっとかき消したくれえで良い気になってんじゃねえかぁ!?カインちゃん〜〜!!ムカつくからよぉ!まずはてめえからぶち殺してやるぜぇ!!」
ジェイドの甲高い哄笑が広間を切り裂き、彼は獣の如き速さでカインに詰め寄った。
拳がカインの顔面を狙い、風を裂く。
カインは咄嗟に両腕でガードしたが、ジェイドのパンチは予想を遥かに超える威力で、彼を後方へと吹き飛ばした。
両腕に走る痛みを押し殺し、カインは涼しげな笑みを浮かべてみせた。
だが、その目は鋭くジェイドを捉えていた。
「気をつけろカイン!第一次侵攻の時、ノヴァとエラルドが2人がかりでもこいつに手も足も出なかったんだ!黒炎ぶっ放す能力差し引いても、こいつの戦闘能力は相当高えぞ!」
エスタの警告が遠くから響いた。
カインは軽く頷き、視線をジェイドから逸らさなかった。
「ヒャハハッ!俺はこう見えてよぉ!実は殴り合いも大好きなんだぜ!!」
ジェイドは下品に笑い、再びカインの顔面を狙った。
だが、カインは流れるような動きでそれを躱し、ジェイドの二撃目を見計らって後ろ回し蹴りを炸裂させた。
トリッキーな一撃はジェイドの顔面を捉えかけたが、ジェイドは間一髪で右腕を上げガード。
衝撃に一瞬怯んだものの、すぐに獰猛な笑みを浮かべた。
「悪いな、俺は炎ぶっ放すしか脳のねえポンコツじゃねえんだわ。お前と違ってな?ジェイド。」
カインの嘲笑に、ジェイドのこめかみがピクピクと震えた。
右腕の痛みを無視し、怒りが彼の瞳を燃やした。
「ヒャハハッ!不届きな野郎だぜ!!死ねっ!!」
二人の間合いは、息すら感じる零距離。
ジェイドは強烈な黒炎を放ち、カインを焼き尽くさんとした。
だが、カインは一瞬の狼狽も見せず、豪火を解き放つ。
黒炎と豪火が激突し、広間に巨大な火柱が昇った。
衝撃波が石壁を震わせ、熱風が戦士たちの髪を揺らした。
「不届きなのはお前の黒炎だろ?この前と言い今日と言い、俺はまだ1発もまともに食らってねえぜ?まあ、お前の黒炎はこの先も一生、俺に届くことはねえだろうけどな?」
カインの挑発は、ジェイドのプライドに火をつけた。
自慢の黒炎を何度も相殺され、嘲笑された彼の心は、屈辱で煮え滾った。
だが、カインの内心は決して余裕に満ちていなかった。
この広間には、傷ついた仲間たち。
そして何より、愛する妻アマレットと幼い娘ルミノアがいた。
ジェイドの無差別な黒炎は、敵味方問わず焼き尽くす。
カインは、仲間と家族を護りながら、細心の注意を払って戦っていた。
特に、アマレットとルミノアの存在は、彼の心に重い鎖をかけていた。
カインの挑発は、ジェイドを城外へ誘き出すための策略だった。
家族を巻き込まぬ場所で決着をつけるため、彼は言葉の刃を振るった。
「どうしたよハリボテ野郎、かかってこいよ。軽く捻り潰してやるからよ。」
だが、ジェイドの勘は鋭かった。
カインの意図を見抜き、ニヤリと笑った。
「ヒャハハッ!なるほどな!カインちゃ〜ん、てめえ、嫁とガキを巻き込まねえ場所に俺を誘導するつもりだなぁ〜〜!?」
ジェイドの視線が、アマレットとルミノアをギロリと捉えた。
その瞬間、カインの心臓が凍った。
動揺が一瞬、顔を掠めた。
それがジェイドに確信を与えた。
「内通者め…俺の家族の事までこいつらに…!獅子心中の虫じゃ済まねえぞ。」
カインの声は、怒りに震えた。
だが、ジェイドの攻撃はさらに冷酷だった。
「ヒャハハッ!カインちゃ〜ん?家族を護りてぇのか〜〜!?言っとくけどてめえにそんな大層な事願う資格はねえぞぉ!?」
「あ?どういう意味だ?」
カインは即座に食いついた。
ジェイドの言葉は、毒の矢の如く彼の心を貫いた。
「ヒャハッ!!てめえも俺たち魔族と同種同輩の極悪人だからだよ!!知ってるぜぇ〜?ガキの頃いーーーっぱい殺してきたんだろぉ??罪の無え人間をよぉ…数え切れねえほどに…。まさか都合の悪いことは忘れちまったのかぁ??よ〜〜く思い出してみろよぉ、ガキの頃をよぉ!なあなあ、どんな気分だった?無抵抗の人間を殺すのはよぉ…!?」
ジェイドの言葉は、鋭利な刃物となってカインの心を抉った。
それは彼の黒い過去。
決して触れられたくない、記憶の深淵だった。
カインの幼少期は、血と殺戮に塗れていた。
ユドラ帝国の最高権力者レイティスと、実父バンベールの命を受け、彼は帝国に背く者、スパイ、危険因子を無慈悲に葬った。
幼いカインは、何の疑問も持たず、命令を忠実に実行し、数多の命を奪った。
殺戮の嵐の中で、彼の心は凍てついていた。
だが、エンディとアマレットとの出会いが、彼を変えた。
二人の温もり、笑顔、共に過ごした時間が、カインに人間らしい感情を芽生えさせた。
二年前、ユドラ帝国との戦いに勝利し、エンディたちと真の仲間となり、アマレットを娶り、ルミノアという子宝に恵まれた。
穏やかな日々は、彼の魂を癒した。
だが、過去の罪は消えず、夜ごとに彼を苛んだ。
罪悪感は心を蝕み、幸せを恐怖する不眠の夜が続いた。
ジェイドの言葉は、その傷を容赦なく抉った。
「ヒャハハッ!なぁカインちゃん!てめえよぉ…今まで散々好き放題人の命奪ってきたくせしやがってよぉ!今更家族と幸せな日々を送れるとでも思ってんのかぁ!?そもそもてめえみてえな救えねえ悪党はよぉ!幸せを望むこと自体許されねえんだよ!馬鹿じゃねえのか!?そんな都合のいいハッピーエンドは無えんだよ!俺にはよ〜〜く見えるぜぇ〜??てめえの背中にのし掛かる、デッケェ十字架がな!?」
カインは言葉を失い、過去の十字架に押し潰されそうだった。
ジェイドの言う通りだと、どこかで感じていた。
「ヒャハハッ!今更善人ヅラなんかすんなよ!この偽善者がぁ!どうせならよぉ!俺ととことん堕ちるとこまで一緒に堕ちようぜぇ!なぁ!?カインちゃ〜ん!?」
悪魔の囁きが、カインの精神を崩壊寸前まで追い込んだ。
だが、その時、愛の声が闇を裂いた。
「カイン!そんな奴の言うことに耳を傾けないで!気にしちゃダメ!カインは変わったでしょ!?あの頃とは違うの!あなたはもう、幸せになってもいいの!」
アマレットが、ルミノアを抱きながら涙で叫んだ。
ラーミアも続いた。
「そうだよカイン!カインは今までよく頑張ってたよ!私も…みんなもそれは充分知っている!変わったカインをずっと見てきたから!それに…この世界に幸せになっちゃいけない人間なんていない!幸せになる権利は、みんな平等にあるの!」
二人の声は、カインの心に光を灯した。
彼はハッと我に返り、魂が再び燃え上がった。
だが、ジェイドはつまらなそうに舌打ちし、ニヤリと笑うと、突如姿を消した。
いや、高速移動していたのだ。
次の瞬間、アマレットの腕からルミノアが消えた。
「え!?嘘でしょ!?ルミノア!?一体どこに!?」
アマレットはパニックに陥り、声を震わせた。
カインの全身から血の気が引いた。
「うぎゃああああっ!!」
背後から、ルミノアの怯えた泣き声が響いた。
カインが恐る恐る振り返ると、ジェイドがルミノアの小さな頭を乱暴に掴んでいた。
「ルミノアーー!!」
カインは飛びかかろうとしたが、ジェイドの声が彼を凍りつかせた。
「ヒャハハッ!動くんじゃねえよ!カインちゃんよぉ!このクソガキの小せえ頭握りつぶして脳髄ぶちまけんぞコラァ!」
生後間もない愛娘が、死の淵に立たされていた。
カインは過呼吸に陥り、脂汗が全身を濡らした。
立っていることすらやっとだった。
「おいヴァンパイア共ぉ!来い!!」
ジェイドの号令に、五十体近いヴァンパイアが集まった。
血に飢えた目でルミノアを睨み、ヨダレを垂らし、食事の時を待ちわびた。
「ヒャハハハハッ!いい反応だぜカインちゃん!最高だぜ!!教えてやるよ…このクソガキはな、ヴァンパイア共の餌になる為に産まれてきたんだ!ヒャハハハハッ!不憫だよなぁ!?てめえみてえな悪党の血を継いで産まれてきちまったばかりによぉ!不幸すぎて同情しちまうなあ!」
ジェイドはルミノアの頭に、骨が砕けぬよう力を加減しながら握り続けた。
ルミノアは恐怖と痛みでギャンギャンと泣き叫んだ。
「頼む…やめてくれ!俺はどうなってもいい…自害でも何だってする…だから、ルミノアには手を出さないでくれ!!」
カインは地に膝をつき、額を地面に擦りつけ、か細い声で懇願した。
ジェイドは嘲笑を浴びせた。
「ヒャハハッ!気持ち悪いんだよ腑抜け野郎が!このクソガキの頭かち割って脳髄ぶち撒けた後のてめえの絶望に歪む面を拝むのも面白そうだが…そんな無惨な死体を見ちまった日にゃてめえ、感情死んで喪失感で戦闘不能になっちまうだろぉ?それじゃあつまらねえ!だったらよぉ…腹を空かせた複数のヴァンパイア共に身体中喰い尽くされて、肉片の一つも残らねえ方がスマートで良いだろ??死体が残らなけりゃてめえも親として実感が湧かねえ分、怒り狂って俺と戦う余力ぐらい残ってるだろうしなぁ!さあカインちゃん…喚けよ!怒れ!堕ちろよ!昔みてえによぉ!ヒャハハッ!くるしゅうねえぜ!?」
カインは、泣き叫ぶルミノアを見つめ、棒立ちのまま魂が引き裂かれる思いだった。
過去の罪と、愛する娘の命が、彼の心を奈落の底へと引きずり込んだ。




