神との対峙
運命の糸か、単なる偶然か。
ヴェルヴァルト冥府卿に投げ飛ばされたエンディが落ちた場所は、かつてラーミアと初めて出会った海辺だった。
寄せては返す波の調べ、塩風に揺れる砂浜。
それはエンディの魂に刻まれた始まりの地。
だが、ヴェルヴァルト冥府卿はその過去を知るはずもなく、ただの気まぐれな巡り合わせに過ぎない。
それでも、この邂逅は運命の悪戯と呼ぶにふさわしかった。
まるで世界そのものが、エンディに最後の物語を紡がせようとしているかのように。
落下の刹那、エンディは風を操り、身体を宙でひねった。
大地への激突を和らげ、骨が砕け、内臓が破裂する最悪の結末を回避した。
だが、腹部に穿たれた傷は深く、鮮血が砂を赤く染める。焼けるような痛みが全身を苛んだ。
「はあ…はあ…くそっ、痛え…!」
意識が霞む中、エンディは周囲を見渡した。
波の囁き、遠くで響く海鳥の声。
そして、星も月も呑み込んだ漆黒の空。
記憶の欠片が蘇り、彼は気づいた。
「ここは…まさか…!」
ここは、ラーミアと出会った海辺。
エンディの人生が動き出した瞬間を刻む、聖なる場所だった。
故郷ユドラ帝国よりも深く胸に響く、この砂浜は彼の魂の故郷だった。
血と痛みに苛まれながらも、その景色は奇妙な安らぎを心にもたらした。
「ははっ…間違いねえ。懐かしいなあ。思えば此処から…この場所から…全てが始まったんだよなあ。」
仰向けに倒れ、エンディは闇に閉ざされた空を見つめた。
世界はヴェルヴァルト冥府卿の意志に跪し、光を失った。
だが、この海辺の記憶――ラーミアの笑顔、仲間との誓い――は、どんな闇よりも鮮やかに胸を焦がす。
彼女と初めて言葉を交わした日の風、彼女の瞳に映る希望。それらが、エンディをここまで突き動かしてきた。
身体が冷え、命の鼓動が弱まる。
エンディはそれを肌で感じていた。
なのに、恐怖はない。混乱もない。
ただ、深い悔恨だけが心を締めつける。
ヴェルヴァルト冥府卿の圧倒的な力に敗れ、無力だった自分を呪う思い。守れなかった民、果たせなかった約束。
それらが、彼の心を切り裂いた。
ラーミアと過ごした二年間が、走馬灯のように蘇る。
戦場での背中合わせ、夜の焚き火を囲んだ笑い声、語り合った可惜夜、彼女の優しい声。
全てが、この海辺から始まった。彼女の笑顔を守るため、エンディは拳を握り続けた。
「沢山の思い出が詰まったこの場所で死ぬのも…悪くないかもな。」
清々しい笑みを浮かべ、エンディは呟いた。
それは敗北の言葉ではない。
運命を潔く受け入れ、仲間たちに未来を託す覚悟だった。
唯一の心残りは、ラーミアに想いを伝えられなかったこと。
だが、それを悔やむ時間はもうない。彼は自分にそう言い聞かせた。
「皆んな…後は…頼んだぜ?」
か細い声で呟き、エンディは目を閉じた。
波の音が、まるで世界の最後の子守唄のように彼を包む。
その時、静寂を裂く声が響いた。
「おいおい、随分と弱気じゃねえかよ。」
聞き慣れない男の声。
エンディはハッと目を開け、仰向けのまま右に首を傾けた。
そこには、見知らぬ男がいた。
海辺の一枚岩に腰掛け、純白のローブを纏う。
長い黒髪が風に揺れ、口元と顎には髭がたなびく。
初老に差し掛かった風貌だが、瞳には時代を超えた光が宿る。
「なーにが"後は頼んだぜ?"だよ。お前まだ死んでねえじゃん。生きてんじゃん。だったら命の限り足掻けよ。何諦めてんだよ?生きてさえいりゃ何だって出来んだろうが。違うか?」
男の言葉は、まるでエンディの心に風を吹き込むようだった。
不思議なことに、その姿を見た瞬間、身体に生気が湧き上がる。
痛みも恐怖も、どこか遠くに押しやるような力があった。
男の声には、魂を奮い立たせる響きが宿っていた。
「え?あんた…どちらさん??」
エンディが尋ねると、男は穏やかに微笑んだ。
「俺か?俺の名前はユラノスだ。」
その名を聞いた瞬間、エンディの胸に雷が落ちた。
記憶の奥、遠い神話の断片。
魔法世界に語り継がれる全知全能の唯一神、ユラノス。
500年前、魔族の王に討たれた伝説の存在。
その名が、なぜ今、ここに?
「え…えーー!?ユラノスって…あのユラノス!?」
エンディは男の顔を凝視し、声を荒げた。傷の痛みも忘れ、驚愕が全身を駆け巡る。
「あのユラノスってなんだよ…どのユラノスだよ。」
ユラノスは苦笑いを浮かべ、軽く肩をすくめた。
「いや、詳しくは知らないけど…500年前に死んだ神様だろ!?悪魔に殺されたって聞いたけど…?」
エンディの頭は混乱の嵐に呑まれた。
目の前の男が、伝説の神だというのか?
「そうそう!そのユラノスだよ!ちなみに俺を殺したのはヴェルヴァルトな?あいつめちゃくちゃ強えだろ?お前も随分と派手にやられたもんだなあ。」
ユラノスは、まるで古い友と語らうように笑った。
その軽い口調に、エンディの混乱は深まるばかりだ。
「いやいや…冗談だよな!?俺のことおちょくってんのか!?500年前に死んだあんたが、どうして今俺の目の前にいるんだよ!まさか…生き返ったとか?」
苛立ちと疑念が混じり、エンディの声が大きくなる。
「生き返ってねえよ。見聞の広い俺でも、長い長いこの青い惑星の歴史の中で死んだ生物が蘇生した事例はただの一度も確認したことがねえ。見ての通り、俺は死んでいる。」
ユラノスの呑気な答えに、エンディは目を丸くした。
「いや見ての通りって何だよ!どう見たって生きてんじゃん!」
声を荒げた拍子に、腹部の傷が疼き、止まっていた血が再び滲む。エンディは顔を歪めた。
「い…痛え〜!おい見ろ!あんたが意味不明なことばっか言うから更に傷口が開いちまったじゃねえか!」
八つ当たり気味に叫ぶエンディに、ユラノスは呆れたように笑う。
「大の男がその程度の傷でピーピー言うなよ、情けねえなあ。ほら、ジタバタすんなよ?」
ユラノスが右人差し指を向けると、指先から柔らかな光が放たれた。
光はエンディの身体に吸い込まれ、一瞬、彼の全身を包む。
発光が収まると、腹部の傷は跡形もなく消えていた。
血は止まり、失われた力さえ戻ってくる。
疲労も痛みも、まるで夢だったかのように消え去った。
「う…うおおお!?何だこれ!?おいお前!何すんだ!?」
エンディは跳ね起き、全身を見回した。傷は完治し、身体は活力に満ちている。
「えーっ!?な、な、治った!なんで!?」
「こんくらい朝飯前よ。だって俺、全知全能だもん。」
ユラノスは得意げに胸を張った。その軽い口調とは裏腹に、彼の力は神話の域を超えていた。
「すげえ!あんた本当に神様なんだな!いや…神様に向かってあんたは失礼…ですよね…。すみませんでした!貴方様は真に神様で仰せられますでしょうか!?」
エンディは緊張で言葉を詰まらせ、ユラノスに羨望の目を向けた。半信半疑だった男の正体が、全知全能の唯一神ユラノスだと確信した瞬間だった。
ユラノスは、どこかお茶目で親しみやすい雰囲気を漂わせていた。
エンディが想像していた「神」とはかけ離れた、気さくな存在。
だが、その力がラーミアの癒しの力と似ていることに、彼はかすかな違和感を覚えた。
「よせよ神様だなんて、堅苦しい。大衆が勝手にそう呼んでいただけで、俺は唯の一度たりとも神を名乗った覚えもねえし、自分自身を神だと思い上がったこともねえよ。俺はお前ら人間や野生の猿と同じく赤い血の流れる哺乳類だぜ?」
ユラノスの言葉は謙遜ではなく、本心だった。
くたびれた表情には、神と崇められた重荷への嫌気が滲む。
「で…結局あんたは何なんだ?生き返ったわけじゃいなら…まさか幽霊!?」
エンディは本題に戻り、目の前の男に迫った。
幽霊の可能性に、思わず背筋が冷える。
「うーん…幽霊ってのもちと違うなあ。まあ解釈によっちゃ言い得て妙な気もするが…いや、やっぱ違うな。断言しよう、俺は幽霊では…ない!」
ユラノスのはっきりした否定に、エンディはうんざりしてきた。
「じゃあ今俺の目の前にいるあんたは何なんだよ?いい加減はっきり教えてくれよ…。」
「そうだな…まあ簡単に言えば、お前の遺伝子に宿る記憶が具象化した存在ってとこよ、俺は。」
ユラノスはさらりと答えた。
「記憶が具象化…?」
エンディは首を傾げ、眉を寄せる。
「何だよ、こんな簡単な事も理解できねえのか?」
ユラノスの呆れ声に、エンディはムッとした。
「あーー、俺の前世である500年前の風の天生士、そいつが持つあんたに関する記憶が俺の遺伝子に未だ残っていて、それが形を成して今俺の目の前にいるって意味か??」
早口でまくし立てると、ユラノスは嬉しそうに手を叩いた。
「ピンポーン!」
「なんかややこしいな…てか、そんなことができるのか?」
エンディの疑問に、ユラノスは鼻を鳴らした。
「当たり前だろ?10人の天生士が持っている全ての能力は、元々は全部俺の力だったんだぜ?つまり…俺自身は500年前に死んでいるが、俺の力は俺の死後500年間生きてるってわけだ。だから例え命が消えていようと、お前ら天生士の遺伝子に記憶として残存する事も、こうしてお前らの目の前に姿を見せて語りかける事も朝飯前よ!」
ユラノスは得意げに語り、エンディはポカンと口を開けた。あまりに壮大な話に、頭が追いつかない。
ユラノスは少し間を置き、静かに言葉を続けた。
「そして俺は現代の10人の天生士の中でも、お前を男と見込んでお前の前に現れたってわけよ。」
その言葉に、エンディの顔が思わず綻んだ。
「男と見込んでって…なんだよそれ!照れるなあ、おいっ!」
「だってよお…お前信じられねえくらい真っ直ぐで優しくて良い奴なんだもん。初代のアイツとはあまりにも大違いで、絵に描いたように正反対だったからよお、つい興味が湧いちまったんだよ。」
「初代って、500年前の風の天生士のこと??」
「そうそう、あいつは手のつけられない凶暴な暴れ馬でなあ…。」
「へえー、そうだったんだ…。ところでさ、ユラノスさんが俺の前に現れた目的は何なの?」
エンディは初代の話に興味をそそられたが、それ以上にユラノスの目的が気になった。
なぜ自分を選んだのか。
その答えを知りたくて、瞳が輝く。
ユラノスは、エンディの食いつきを見て、静かに微笑んだ。
「そうだな…お前には色々と"見せたいモノ"があるんだよ。そして、それらを見た上で、お前の今後の展望やら何やらを問いたい。お前が何と答えるか、興味があるからな。お前を選んだ俺の目が節穴じゃねえって事を、お前自身が証明してみせてくれよ。」
ユラノスの声は、それまでの軽さを脱ぎ捨てていた。
厳かな威厳が宿り、まるで世界の深淵を覗くような重さがあった。
エンディはゴクリと唾を飲み、無意識に背筋を伸ばした。まるで、運命の審判を待つ戦士のように。
想像とは違う神様
その全貌とは?




