第2章:萌芽の季節
週末、涼香は双葉から借りた百合漫画を読みふけっていた。
最初は気乗りしなかった「入門編」の漫画だったが、読み始めると意外なほど引き込まれる。優しく触れ合う二人の関係性や、互いを想う純粋な気持ちが、涼香の心に響いた。
「なんか、いいな……」
思わずため息が漏れる。ページをめくるたびに、新しい感情の芽生えを感じた。
スマートフォンが振動する。LINEの通知音だ。
「涼香ちゃん、今日の午後、うちに来ない? 茉莉も来るよ♪」
双葉からのメッセージ。返信を躊躇っているうちに、続けて写真が送られてきた。
双葉と茉莉が寄り添って写る自撮り写真。二人とも私服姿で、それぞれの個性が垣間見える。
双葉はオーバーサイズのパステルピンクのニットに、白のプリーツスカート。首元にはパールのチョーカーが輝いている。
茉莉は黒のタートルネックに、チェック柄のハイウエストスカート。シンプルながら上品な装いだ。
「可愛い……」
思わず呟いて、涼香は自分の言葉に驚く。女の子の服装を「可愛い」と感じること自体は今までもあった。でも、こんなにドキドキしながら見つめるのは初めてかもしれない。
「行くよ」
短い返信を送ると、すぐに双葉から喜びの絵文字が届く。
涼香は自分の服装を見直した。いつもの黒のスキニーパンツに、紺のVネックセーター。
「着替えた方がいいかな……」
クローゼットを開き、普段あまり着ない服を探り始める。
一時間後、涼香は双葉の家の前に立っていた。
結局、白のブラウス、そして薄いグレーのカーディガンという組み合わせを選んだ。普段より女性らしい装いに、少し照れくさい気持ちになる。
「涼香ちゃん、来てくれたー!」
ドアを開けた双葉が、いつものように飛びついてくる。
「わっ! って、香り付けてる?」
双葉の髪から、甘いバニラの香りが漂ってきた。
「えへへ、気づいた? Jo MALONEの新作なの!」
「ふーん、似合ってるよ」
「ありがと♪ あ、涼香ちゃんも素敵! 珍しく女の子っぽい格好だね」
双葉の言葉に、思わず頬が熱くなる。
「茉莉は?」
「もう来てるよ。二階の部屋で待ってる」
案内された双葉の部屋に入ると、茉莉がベッドに腰掛けていた。膝の上には、見覚えのある百合漫画が置かれている。
「あら、涼香。その服装、可愛いわ」
茉莉の褒め言葉に、涼香は思わず視線を逸らす。
「そ、そう? きょ、今日は何をするの?」
「まずは、これ」
茉莉が手にしていた百合漫画を掲げる。
「感想、聞かせて?」
「あ、うん。それが……すごく良かった」
涼香は椅子に座りながら答える。
「特に、主人公が相手のことを想いながら、でも素直になれなくて……みたいな部分が、なんていうか……」
「共感できた?」
茉莉が意味ありげな笑みを浮かべる。
「ちょっと、からかわないでよ」
「でも、嬉しそう」
双葉が涼香の横に座り、その肩に頭を乗せる。
「涼香ちゃんが百合にハマってくれて、私たち、すっごく嬉しいの」
「そうね。特に最近の涼香は、表情が柔らかくなったわ」
茉莉も涼香の反対側に座る。三人の肩が自然と触れ合う。
「あ、そうだ!」
双葉が突然立ち上がり、クローゼットから何かを取り出した。
「これ、涼香ちゃんにプレゼント!」
手渡されたのは、薄いピンク色のリップグロス。
「シャネルの新作なの。涼香ちゃんに似合いそうって思って」
「え、こんな高級なの……」
「いいの、いいの! ほら、つけてみよ?」
双葉は涼香の前に正座し、リップグロスを開ける。
「私がつけてあげる」
茉莉が双葉からリップグロスを受け取り、涼香の顔を覗き込む。
「ちょっと顎を上げて……」
涼香は言われるままに顔を上げる。茉莉の整った顔立ちが間近に迫る。
「……っ」
柔らかな感触が唇に触れる。茉莉の手つきは繊細で、まるでキャンバスに絵を描くように丁寧だ。
「完成」
茉莉が満足げに微笑む。
「わ、涼香ちゃん……すっごく色っぽい!」
双葉が目を輝かせる。
「そ、そう?」
手鏡を覗き込むと、普段より艶やかな唇が映っていた。淡いピンク色が、不思議と肌の色に馴染んでいる。
「よかった、似合ってる」
茉莉が嬉しそうに頷く。その表情に、涼香は胸が高鳴るのを感じた。
「あ、そうだ! 写真撮ろう!」
双葉がスマホを取り出す。
「私が真ん中ね」
茉莉が涼香と双葉の間に座り、両腕を二人の肩に回す。
「はい、チーズ!」
シャッター音が鳴る。画面には、三人の笑顔が収まっていた。
「送ってあげる」
すぐにLINEで写真が共有される。
涼香は自分の表情を見つめた。確かに、いつもより柔らかな笑顔をしている。
そして、何より印象的だったのは、三人の距離感だった。
お互いの肩が触れ合い、頬を寄せ合う姿。まるで恋人同士のような、でも違う。もっと特別な、言葉では表現できない関係性が、そこにはあった。
「涼香」
茉莉が静かな声で呼びかける。
「今度は、私の家に来ない? お泊まり会をしよう」
「え……?」
「私も行く!」
双葉が即座に反応する。
「でも、私……」
「大丈夫」
茉莉が涼香の手を握る。
「三人で過ごす時間は、きっと特別なものになるわ」
その言葉に、涼香は小さく頷いた。
胸の奥で、何かが確かに芽吹き始めていた。