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第1章:邂逅の園

 椿花学園の朝は、制服のスカートの揺れる風景から始まる。


 濃紺のプリーツスカートの裾が、白い靴下を纏った足首の辺りで優雅に揺れている。スカート丈は膝下五センチと定められ、一糸乱れぬ端正な佇まいは、創立百二十年を誇る名門女子高の気品を体現していた。


「涼香先輩、おはようございます!」


 校門をくぐろうとした瞬間、後ろから元気な声が響く。振り返ると、一年生の女子が三人、少し緊張した面持ちで立っていた。


「ああ、おはよう」


 雪村涼香は、一年生たちに軽く会釈を返した。身長百七十センチを超える長身から視線を落とすようにして、彼女は後輩たちの表情を確認する。制服の襟元で揺れる紺色のリボンが、一年生たちの初々しさを引き立てていた。


「あの、これ……!」


 中央の女子が両手を突き出す。そこには、ピンクのリボンで結ばれた小さな封筒があった。ラベンダーの香りが、微かに漂ってくる。


「ごめん。受け取れない」


 涼香は即答した。柔らかな声色ながら、その口調には迷いがない。


「あ、はい……! 申し訳ありません!」


 一年生たちは深々と頭を下げ、足早に立ち去っていった。


 涼香は軽くため息をつく。新学期が始まって一ヶ月。こうして告白の手紙を渡されるのは、もう五回目だった。


「また告白されてたの? 涼香ちゃんってば、モテモテね~」


 突然、背後から声が聞こえる。同時に、誰かの腕が涼香の腰に回された。


「って……双葉!?」


 振り返ると、クラスメイトの春日双葉が、にっこりと笑顔を浮かべていた。ショートカットの髪型が愛らしく、大きな瞳には悪戯っぽい光が宿っている。


「もう、いきなり抱きつかないでよ」


「だって~、涼香ちゃんの困った顔が見たかったんだもん♪」


 双葉は楽しそうに声を弾ませ、さらに強く抱きつく。身長差のせいで、彼女の頭は涼香の胸元に当たっている。


「おーい、双葉。朝から何してるの?」


 新たな声が加わる。優雅な足取りで近づいてきたのは、櫻井茉莉。長い黒髪を背中で揺らし、まるでモデルのような立ち姿で二人の前に立った。


「あ、茉莉! おはよ~!」


 双葉は涼香から離れ、今度は茉莉に抱きつく。茉莉は慣れた様子で双葉を受け止め、その頭を優しく撫でた。


「おはよう、双葉。それと、涼香も」


 茉莉は柔らかな微笑みを向けてくる。その仕草には、どこか大人びた色気が漂っていた。


 この二人、春日双葉と櫻井茉莉は、椿花学園でも有名な「公認カップル」である。二年生になって同じクラスになってから急接近し、今では学園中の羨望の的となっている。


 本来なら、女子校とはいえ、同性カップルは学校側から厳しく咎められるはずだ。しかし、この二人に関しては、どういうわけか教師陣も黙認している。それどころか、「椿花学園の新しい伝統を作ってくれた」などと、陰で持ち上げる教師まで現れ始めた。


 その理由は明確だった。二人の成績が優秀なのはもちろん、生徒会活動や部活動でも目覚ましい活躍を見せているからだ。双葉は弓道部のエース、茉莉は園芸部の部長として、それぞれの分野で華々しい結果を残している。


 そして何より、二人の関係性には清らかな美しさがあった。過度な接触を避け、常に礼儀正しく振る舞う。まさに「清く正しい」学園の模範生としての佇まいを保っている。


 ……少なくとも、表向きは。


「ねえ涼香、今日の放課後、時間ある?」


 教室に向かって歩きながら、茉莉が尋ねてきた。


「ああ、バスケ部の練習は休みだから」


「じゃあ、ちょっと付き合ってほしいところがあるんだけど」


 茉莉の声には、どこか含みのある響きがあった。


「いいけど……どこ?」


「園芸部の温室。ちょっとした『相談』があるの」


 茉莉は意味ありげな笑みを浮かべる。その横で双葉もにっこりと笑った。


 涼香は、何か企まれているような予感がしたが、二人の誘いを断る理由も特になかった。


「わかった。放課後、温室で」


「約束ね」


 茉莉が嬉しそうに頷く。その表情は、まるで自分の思い通りに事が運んでいることを喜んでいるかのようだった。


 放課後、涼香は約束通り園芸部の温室を訪れた。


 ガラス越しに差し込む夕陽が、色とりどりの花々を優しく照らしている。バラやユリ、そして椿花学園の象徴である椿の花が、整然と植えられていた。


「お待たせ~!」


 背後から明るい声が響き、双葉が飛び込んでくる。今度は正面から涼香に抱きつき、その細い腕が涼香の首に回された。


「もう、本当に抱きつき魔ね」


 続いて入ってきた茉莉が苦笑する。


「だって、涼香ちゃんって抱きつきたくなるでしょ? 背が高くて、肩幅があって、でもウエストは細くて……超イケメン♪」


「イケメンって……私は女の子だけど」


「そうよ、涼香は女の子」


 茉莉が意味ありげな口調で言う。


「とても、魅力的な女の子」


 その蠱惑的な響きを持った言葉に、涼香は思わず身体を強張らせた。


「ねえ、涼香」


 茉莉がゆっくりと近づいてくる。


「私たち、あなたのこと『百合の才能がある』って思ってるの」


「は?」


 突然の発言に、涼香は困惑の表情を浮かべる。


「だって、誰よりも女の子を大切にするじゃない?」


「そりゃ、友達としてだろ」


「違うの」


 茉莉は涼香の目をじっと見つめる。


「あなたの中には、もっと特別な感情が眠ってる。私たちには分かるわ」


「ちょっと待ってよ。いきなり何を言い出すんだよ」


 涼香が後ずさりしようとした瞬間、背後の双葉が腕を強く巻き付けてきた。


「涼香ちゃん、逃げちゃダメ」


 双葉の声が、耳元で囁くように響く。


「私たち、涼香ちゃんのことずっと見てたの。女の子に対する優しさも、気遣いも、そして……時々見せる切なげな表情も」


「私は……」


「自分でも気づいてないだけ」


 茉莉が涼香の頬に手を添える。その指先が、優しく肌を撫でる。


「あなたの中で眠ってる、本当の気持ち」


 涼香は息を呑む。

 

 温室に漂う花々の香り。

 

 背後から感じる双葉の体温。

 

 目の前で微笑む茉莉の艶やかな表情。

 

 全てが混ざり合って、涼香の心を不思議な高揚感で満たしていく。


「まあ、二人がそこまで言うなら、ちょっとだけ……」


 諦めたように涼香が呟くと、双葉と茉莉は喜びの表情を浮かべた。


「よかった!」


「これからよろしくね、涼香」


 こうして涼香は、思いがけない形で「百合の世界」への第一歩を踏み出すことになった。


 しかし、それは同時に、三人の関係に微妙な変化をもたらす始まりでもあった。


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