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かきつくれば  作者: camel
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――描き続けるから孤独なのか。

――孤独だから描き続けるのか。


 アトリエの作業台に置かれたノートには走り書きがあった。色が変わっているので、かなり前のものだろう。ノートの他に、何枚もの油絵が置いてある。飾っているのではなく、乱雑に重ねて、部屋を狭くするだけの代物だ。

 後ろ姿の少年、猫、星空、入道雲、公園のブランコ、深い影と光の粒を降らせてあるもの。どこかで見たことがあるような、よくある絵の世界がある。しかし、何枚かに赤い絵の具でバツのマークが描かれていた。私がこの家にいた頃に、バツを書いていた記憶はない。定年後の有り余る時間に、父は苦悩していたのだろうか。もう答えを聞けないのに、疑問が湧いてくる。よく見るモチーフを嫌悪するように描かれたバツはどの色よりも鮮やかで、濁った世界に映える色にも思える。

芸術とは縁遠いものだ。きっと、これからも。



「本日はご多用のなか、ご参列を賜りまして誠にありがとうございます。故人も、こうして皆さまにお集まりいただき、さぞかし喜んでいることと存じます」

 私の父、藤倉正樹が三日前に亡くなった。親族の前に立った母は父との馴れ初めから語った。出会いは高校の文化祭で美術部の展示を見ているときだったという。娘の私も初耳である。

父は休みの日に部屋に籠って、よく絵を描いていた。揃って夕食を取るときに父からつんと油絵の具の臭いがした。好きな芸能人も、好きな映画もわからないけれど、臭いはしっかりと思い出せる。今も部屋に臭いが残っているのだから、忘れようがないともいう。

 あの臭いが苦手で、幼い頃に寄ってこないでと泣いたことがある。すると父は急いで風呂に入った。けれど、臭いの全部は取れなかった。換気しても、うちはずっと絵の具臭かった。「作業着」と呼ばれるよれよれのスウェットにも絵の具が染み付いていた。友達のお父さんより、薄汚れたかんじに見えた。絵の具まみれになった父は、聞かん坊で好き勝手する保育園の男の子を思い出して、あまり良い印象がない。


 昨晩、喪主の挨拶で何を話せばいいのかと悩んでいた母は、父の趣味である油絵の話を続けた。

「絵は売れていませんでしたが、私は好きでした。私は絵を描きませんから、上手いも下手もわかりませんが」

 母の言葉に嘘はない。母が認めてくれていたから、父は絵を描き続けたのかもしれない。私は描くのをやめてほしいと思っていたけれど、口にはせず、いつも距離を取っていた。扉をノックして、扉越しに用件を伝えていた。大体が夕飯やおやつがあるよと、そんな話だった。

 時折、部屋を開けるとイーゼルの前で座ったり、立ったりしている父の背中があった。男性にしては細い手に握られたぼろぼろの絵筆。これじゃなきゃ駄目なんだよと、ふりむくこともなく父は言った。独り言みたいに答えをくれた。けれど、私はドラマの再放送が気になって、相槌も打たずにリビングに戻ってしまった。最終回は観たけれど、父の絵の完成は見ていない。


 遺影はいつのものかもわからない写真だった。上手に笑えない人で、いつも困ったように口を歪ませる。二年前に亡くなった伯父の葬式で見たときより、写真の父は皺が少ない。父は娘である私でさえ、ちゃんと目を見て話せないし、私もたいして父の顔を見ていなかった。記憶にある父の像と、いつも少し違って見える。

 勿論、老いていることはわかっていた。それでも、突然の報せに驚いた。テレビで見る芸能人も、近所の老人も父より年齢が高いのに、見た目が若く溌剌としていたからからだ。二年前に定年を迎え、もっと長い時間を絵に費やせると伯父の葬式のときに話していた。これが連絡事項を除いて、最後の世間話になる。会う機会も話す機会も少ないからこそ、ちゃんと覚えている。

 突然の死に虚しさや寂しさがある。だが、父の絵の情熱を最後まで理解できなかった。父と油絵を結びつけて話されると、蚊帳の外にいるような居心地の悪さを感じる。母の挨拶をほどほどに聞き流し、アトリエに残された何枚ものキャンバスをどうしようかと考えた。するすると母の言葉が通り過ぎていく。思考があちこちに飛んで、目の前の現実もぼやけて見えた。


 一軒家の一室をアトリエとして使い始めたのは私が小学生になった頃だった。本当は母の部屋か、もう一人生まれときの子供部屋になるはずだった。高校時代に買ったという持ち手の付いた木箱の油絵の具のセットを持って、父は母に頼み込んだのだ。この部屋で、絵を描かせてくれないかと。

「三日前も描いていたので、まだ家は絵の具臭いですね」

 私と同じく臭いと思っていた母は、自虐的に家の話を口にした。どうにか母が挨拶を終えると、出棺の準備が進み始める。あと少しで、父の体ともお別れだ。



 なぜ、母がいたのに、父は孤独だったのだろう。私は早い段階で実家を離れた。けれど、理解ある母がいて、まだ独りだったのか。怒りや呆れとは違う。どうしてあんなことを書いたのかがわからない。死んでから、父に聞きたいことが溢れている。もっと話していたらよかった。私が冷たい娘だったから、父は孤独を感じていたのだろうか。



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