学ぶこと
あなたがこの文字を目にしているということは、きっと私が『イトウ モリ』というペンネームで小説を書いているということが、バレているのでしょうね。
……なーんて。
死後に見つかった遺書みたいな出だしにしてみたりして。
このフレーズね、どっかで一回使ってみたかったの。
ただそれだけ。
ああ、満足した。
実はね、この前、自分の小説の地図的なのを作ってみたんだ。
地図自体、何年ぶりに見たんだろう。学生の頃以来かも。
もともと社会の授業って、ただの暗記科目って感じで、そんなに好きじゃなかったんだよね。
地理、世界史、日本史、政経、もう全部成績は平均点スレスレだったね。
大学受験の必要科目でもなかったから、完全な『捨て科目』だったなあ。
どれだけ捨ててるかっていうと、日本の都道府県の場所と名前が一致しないレベル。
うーん、我ながら立派な非国民だね。
そんな非国民が、たまたま本屋で地政学の本を見かけたわけ。
ウクライナ侵攻があったあたりから、その類の書籍が売れてたのは知ってたんだけど、流行りに飛びつくのって、なんか嫌でさ。
なんとなく静観してたんだけど、その日はなぜかビビッと来たんだよね。
なんかね、お告げが聴こえたんだ。
『イトウよ! 今こそ、おぬしは地政学を学ぶときなのぢゃ!』っていう……。
……え? そういうのいらない?
こういうフレーズ、あったほうが楽しくない?
あ、いらないんだ。そっか……ふーん。
で、地政学に話を戻すけど、妙に気になって、その本棚から離れづらくなっちゃったんだよね。
もしかしたら自分が地図描くのに、街や村の配置の参考になるかもって思って、試しに内容が軽めで、かつ全体を網羅してるタイプの本を買ってみたんだ。
で、本の内容はね。
すっごいおもしろかった!
今まで学校で習ってきた政治とか歴史とか、そういうのが一気に1つの線でつながって、なんかすっごい感動しちゃった。
これを先に知ってたら、絶対に社会の授業が楽しかったし、すごく興味が持てたのに! もったいない! って思ったんだ。
その土地の風土や環境から派生する民族の思考、そこから関連するその国の法律、周辺諸外国の関与。そこで起きる争いの歴史。
地理を深く知れば、その土地に眠る歴史だけじゃなくて、今まさにこの瞬間の外交や政治、国民感情までつながるってこと。それが地政学。
そんなこと、学校じゃあ誰一人教えてくれる人なんていなかった。
地政学が日本では学ぶこと自体を禁止されていた学問だったみたいだから、しょうがないのかもしれないけど。
別に地政学に限ったことじゃないのかもしれないけど、本質が見えるような考え方って、学校で教えてもらうのを期待してはいけないのかもしれないね。
残念なことだけど。
こういうことって自分自身で探して見つけるしかないのかもしれない。
そうなると、出会い運って大事なのかもね。
んでね、なんとなく学校教育って、なんなんだろうなって考えてみたんだ。
学校の先生って、教育者に分類される職業に従事する人だけどさ、特に中学の頃かな……自分が教師から教わったことで一番の収穫って、『大人だからといって精神が成熟してるわけではない』って知れたことだったりするんだよね。
学校の先生は頼りにならない。事なかれ主義だし、自分の保身ばかり気にする。
自分のことを守りたかったら教師は頼らないほうがいい。自分のことは自分で解決するしかない。
そういうことを学んだんだ。
おかげで成長できたと思う。
学びを与えてくれた先生にはとても感謝している。現実を教えてくれてありがとうって。
でね、こう思うようになったら、腑に落ちたんだ。
国がここまで教えろって指示したことを、決められた期間までに遂行するのが、この人たちの仕事なんだろうなって。
私立はどうか分からないけれど、そもそも公立学校の教員は公務員だ。
滅私奉公という言葉は今はもう死語かもしれないけど、公務員は『公』のために仕事をすることを選んだ人たちなわけだから、『公』がやれって言ったことに従わなければいけないわけだ。
そして中学までは義務教育。
子供にとって教育をうけることは権利だけど、大人が子供に教育を与えることは義務だ。
公務員である学校の先生たちは、ひたすらノルマをこなさなくちゃいけない。
学習指導要領に則って、限られた期間内に国から生徒へ教えろと指示された範囲をすべて消化しなくちゃいけない。
『こうしたらもっと勉強が楽しくなるのに』とか、『この順番で学んだ方がもっと理解が深まるのに』なんて『私』的な考えを持っている人に『公』務員は務まらないのかもね。
『公』ではなく『私』の考えで教育に携わりたい意志がある人は、公務員ではなく民間の立場で教育に関わる方がいいのかもしれない。
塾のほうが教え方うまいしね。
成果が給料に直結するし。教えるのが下手な人は人気なくなるしね。
そりゃ努力するよね、仕事なくなっちゃうもん。
能力給や成果給がもらえる環境で努力してる人のほうが、自分としては信用できる……って言っちゃったら、さすがに学校の先生がかわいそうかな。
ちょっとね、学校の先生って人たちに、あんまりいい思い出がなくてさ。
あれ? なんの話だったっけ?
あ、そうそう。学校の授業が面白くなかったなっていう話。
中学までは、本当に勉強が面白くなかった。
勉強って本当に大嫌いだった。
勉強が好きとか言うやつ、絶対に頭おかしいって思ってた。
とまあ、そんな義務教育だけどさ、必要性はもちろん感じてるよ。
私が自分なりに考えた、その時期に勉強する目的とか意味っていうのはね、とにかく子供の心の中にある真っ白なキャンバスに、ひたすら点を打つことなんだと思うんだ。
質より量。
そんな感じ。
だから楽しくない。
勝手な解釈だけど、
国語や算数は考え方の技術。
理科や社会は教養。
図工や音楽は感性?
体育は、生き物として最低限の体の使い方?
よくわかんないから適当に言ってるけど。
まあとにかく、無数の点を打つ。
点を打ってる最中は、自分がいったいなんの作業をしてるかなんて、検討もつかない。
だりいなあ。
つまんねえなあ。
おもしろくねえなあ。
そう思って当然。
だけどね。
あるとき、急にその点同士が線で結ばれる瞬間があるんだ。
え!? うわ! これ、つながんの!?
点と点がつながると、なんとも心地いい衝撃が走るんだ。感動するよ。
点と点をつなぐことの快感に目覚めると、学ぶことが楽しくなる。
つなぐことをいっぱい楽しむには、たくさんの点が必要だ。
なるべく若いうちに、つなぐ楽しさに気づけるといいね。
大人になると、どうしても学びに時間がかけられなくなる。
たくさんの点が打てる時期って、やっぱり子どものとき――それも義務教育期間だと思う。
点つなぎが進んでいくと、だんだんつないだ線が、何かの形に見えてくることがある。
それを俯瞰して見えるようになると、また一層学ぶことが楽しくなる。
つないだ線でできた象徴を色分けしていくと、キャンバスには、絵画が誕生する。
それはあなただけの、あなたにしか描けない絵画だ。
残念だけど私には、あなたの心の絵画を見ることはできないけれど。
きっとあなたの心のキャンバスは、色彩にあふれた素敵な絵画になるだろうなって思っているよ。
どう?
ちょっとは勉強、好きになれそう?
……え? そんなことより結局、お前の作った地図は地政学が活かされてるのかって?
……あー……。
……うーんとですね。
理解したことを活かすっていうのはですねー、また別の問題であってですねー、そこには数々のトライ・アンド・エラーが必要なのでありましてねー。
え? 言い訳すんな?
はい。ごめんなさい。