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葬式


 葬式とか介護とか、暗くなりがちなネタは、いざ切羽詰まってからするよりも、前もって冗談のように話し合えるときにしていたほうがいいと言ってる人がいた。


 自分もそう思う。


 余裕のある時のほうが視野も広くなるし、冷静な判断ができる。


 転職するときもそうだ。


 辞めてから仕事を探すより、現職を続けながら転職先を探す方が失敗しないと思う。


 結果的に、条件で比較したら辞めないほうがメリットが多いことに気づくこともある。


 余裕を持って行動するって大切だと思う。


 というわけで葬式について考えてみよう。




 今はコロナの影響で、質素な葬式がスタンダードになりつつある。


 昔は質素な葬式なんかすると、近所から延々とあることないことをネタにされてしまっていた。

 そういう時代だった。


「棺桶が粗末だった」とか「香典返しが安っぽかった」とか「葬式代をケチるなんてあそこの若夫婦は……」とかとか。


 昔はネットがなかったから、みんなゴシップに飢えていたんだと思う。


 今はネットにアクセスすれば、自分と無関係の人間を、自分は匿名のままで遠慮なく攻撃できるネタが山程あふれている。(簡単に本人特定できるんだけどね)


 ネットにアクセスすれば、遠慮なく他人の悲劇を娯楽として消費できる。


 他人を都合よく自分の暇つぶしのために利用したい人たちは、ネットの世界に行ってしまった。


 わざわざ近くに住んでるリアルな人たちに干渉したり、悪口を言う必要がなくなったというわけだ。


 住み分けがはっきりするって素敵だと思う。

 

 心穏やかに暮らしたいなら、ネットに近づかなければいい。


 不特定多数と繋がるだけ、心労が増えるだけのような気がするから、あそこにどっぷり浸かっている人の気持ちは正直全然分からない。


 あなたはリアルとネットの、どちらを好むことになるんだろうね。


 いつまでネットの全盛期が続くかは分からないけれど、ネットで作ったオトモダチの数の多さって、自慢するようなものではないと思うんだ。


 大事なのは、自分には大切にしたいと思える友人がいると思えること。

 そして、その友人を大切にできる自分だと思えることだと思う。


 あなたには、そういうことを誇りに思える人になってほしいなって思う。





 というわけなので、自分の葬式も最少の人間で済ませたほうが、心安らかに旅立てるのではないかと思っている。


 魂が存在する、と仮定した場合の話だけどね。



 昔は葬式にどれだけ人が来たかで、故人の価値をどうこう言う人もいたけれど、そういう考えも(すた)れてきたね。



 お(とき)の文化も消えてしまいそうだ。


 昔は通夜や告別式に来てくれた人に、お斎といって食事会をする習慣があったんだ。


 名残として、今は弁当を渡して帰ってもらうらしいね。


 なんてありがたいんだろう。


 うちの親戚関係はアホみたいな酒豪の集まりだから、お斎なんてしたら、酒代がとんでもないことになってしまう。


 母方の大婆(おおばば)の葬式は、まるで大宴会だったんだよ。

 本当にすごかったんだから……。


 もちろん便乗しちゃったよね。

 そこで初めてウィスキーを飲んだんだ。すごくおいしかった。

 その葬式以降、しばらくウィスキーにハマってしまった。


 中学生だったかなあ……もしかしたら小学生だったような……うーん、覚えてないなあ。


 従兄弟たちとハイボールなんて言葉も知らないくせに「コーラと割るとうまい!」とか「いやスプライト割りのがうめえ!」とか騒いでたなあ。


 今やったら親戚一同、おまわりさんに捕まっちゃうね。

 昔は良くも悪くも、いろんなことがユルユルだったんだよねー。あははー。



 あそこまで大騒ぎして送り出すのも、好きな人は好きなんだろうけどね。


 自分の葬式では……ナシでお願いします。



 正直ね、葬式って死んだ人のためにするというより、残された生きてく人たちが区切りをつけるための儀式だと思ってるんだ。


 死んだ人は死んだら消えて終わり。

 臨終の時点で、自分の【個】というものはもうないのかなって思ってる。


 でもまあ、トラブル防止のために故人の希望ってやつを表明しとくに越したことはないのかなって思ってるから、言いたいことは言ってみようと思っていろいろ提案してみます。


 ちなみに自分の葬式代は準備済で、終身保険として払込済みだよ。

 しかも寝かせば寝かすほど増えていく、貯蓄性のあるやつにした。いっぱい増えてるといいね。


 最近はコロナのお陰で、葬式もコンパクトでリーズナブルになったので、おそらくだいぶ余ると思う。

 余ったら、好きなことに使ってくれればいいよ。


 あ、でももし時代が変わって派手な葬式ブームが到来しちゃったらゴメン。


 全然足りねーじゃんかよ! とか怒んないでね!

 先に謝っとくね。テヘ☆



 あとはそうだなー。


 友達はすごーく少ないし、葬式に呼ぶ気もないんだよね。

 年賀欠礼で「死にましたー」とだけ連絡しといてくれると助かります。よろしく。


 あと会社の人は来なくていいかなー。めんどいし。


 適当に『家族葬にしますんで~♪』って断っといて。よろしく。


 こういうのはだいたい呼ぶ人間が増えると、その分だけ面倒が増えるって相場が決まってるんだ。



 あと汚い話になるけど、親戚関係は香典を多く包んでくれるらしいけど、そうじゃない相手ばかり呼んじゃうと元が取れなくて赤字になる場合もあるみたい。(ケチ)


 別に来てほしいとも思ってない相手が来て、そのうえ我が家が赤字になるのって面白くないよねー。


 まあ、そのときには死んでるわけだから面白くないとは思ってないんだろうけど。




 あとなんか、家族以外の人間に死に顔さらすのって、なんか考えてみると結構恥ずかしい気がする。


 まあ、そのときには死んでるわけだから恥ずかしいとは感じてないんだろうけど。



 だって考えてみてよ。嫌じゃない?


 超完全に無防備になってる顔を他人にじろじろ見られるんだよ?

 なにそれ。最後の最期になかなかな羞恥プ……あ、いけない。ここはそういうことを書くスペースじゃなかった。



 まあとにかく。

 葬式に呼ぶのは2~3親等以内まででいいのかな、と思ってます。




 あとは……そうだな。


 お経か……。


 たまたま親戚縁者は仏教でまとまってるけど、我が家は墓を継ぐ立場じゃないから、わざわざお坊さんを呼んでまでお経を読んでもらう必要はないなーと思ってたりする。


 ただね……。


 ……なんつーか、うちの実家の菩提寺の住職さんがね、めっちゃいい声で読経するんだよね。


 女性の住職なんだけどね。

 初めてあの人のお経聞いたときにさ、本気で感動したんだよね。


 うっわ! 歌、ウマっ! って。(歌じゃない)


 マジで一緒にカラオケ行きたいって思ったね。

 本気で誘おうかなって思っちゃったよね。


 あの人の歌声を聴くためならお金払っても全然いいよね。(歌声✕ 読経○)


 もし自分が死んだときに、その住職がまだご顕在だったら、一曲お願いしたいなあ。(一曲✕ 一巻き○)



 その人じゃなかったら別にお経はナシでいいや。




 あとは、供花は欲しいかな。


 あ、でも別にスタンド式の高いヤツじゃなくていいんだよ。

 花籠ってヤツの方が安くて、花も結構自由に選べるんだってさ。


 親族一同で何卒良い感じでおなしゃーす。

 余ったら持って帰っていいらしいよ。


 しかも葬式の花ってすごく長持ちするらしいね。




 うんうん、だいたい満足かな。


 じゃ、そんな感じで頼んます。



 ま、これ書いてる時点で、超元気だし、超若いし、まだまだ死ぬ気ないけどね。


 あ、やべ。そういや、まだ墓の準備してないや。


 散骨でも全然いい気もするんだけど……。


 まあ、そのうち考えとくよ。


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