05.はじめての休日と青年エリオット
本日3話目です。ちょっと長いです。
「……ここはどこなのかしら」
人の往来の激しい大通りで。
オリビアは地図を片手に呆然と立ち尽くしていた。
「これって完全に迷子よね……」
*
王都生活の滑り出しは上々であった。
採用が決まった当日、オリビアは小さな荷物を持って魔道具店の五階にある寮に入寮。
翌日から働き始めることになった。
「オリビアです。よろしくお願いします」
物珍しそうな視線を向けてくる先輩魔道具師達の前で、カチカチになって挨拶をする。
ゴードンの計らいで、オリビアは先輩達の助手をしながら仕事を覚えていくことになった。
先輩達は、若く勉強熱心な彼女を歓迎。
仕事のやり方を教えてくれたり、店で着る用の紺色のスーツを買いに付き合ってくれたりと、積極的に面倒を見てくれた。
先輩達の助手を務めながら、新たな技術に驚き学ぶ日々。
しかし、一方で、彼女は不眠と悪夢に悩まされていた。
原因は、言わずと知れた義家族とヘンリー。
父の店を奪われてしまった悔しさや後悔に囚われて、朝まで寝付けなかったこともある。
そんなオリビアに、初めての休日が訪れた。
ゴードン大魔道具店は、職員に十日に一度、二日間の休みを与える仕組みになっており、十日間働いた彼女は、初の休みを迎えることになったのだ。
(休日なんて久々だわ。どうやって過ごそうかしら)
不眠や悪夢の件もあり、気分転換がしたいと考えるオリビア。
女性の先輩に休日の過ごし方を尋ねたところ、「よくカフェに行くわ」という答えが返ってきた。
王都では、休日はカフェでのんびり昼食を食べるのが定番らしい。
それを聞いて、オリビアは思い出した。
そういえば、仲の良い従妹が、「私、王都でカフェに行ったのよ!」と自慢していたな。と。
せっかく来たのだ。王都っぽいことをしてみたい。
「……よし。行くわよ。カフェ」
という訳で、彼女はカフェ情報をリサーチ。
受付の女性から、パンケーキが絶品というカフェの情報を入手。
混む前に店に入ろうと、昼よりだいぶ前に、地図を片手に出発したのだが……。
「あれ? 道がない??」
「なんか違う気がするけど、方向的にはこっちだよね」
という、謎の自信と勘で進んだ結果、自分がどこにいるか分からなくなってしまった。という次第だ。
(と、とりあえず、自分がどこにいるかくらい把握しないと)
雑踏の中で、必死に地図を眺めるオリビア。
何とか今いる場所を見つけ出そうと、今いる場所と地図を見比べる。
しかし、どんなに頑張っても現在地がどこなのか全く分からない。
(ど、どうしよう……)
彼女が途方に暮れて立ち尽くしていた、その時。
「こんにちは」
突然、後ろから穏やかな男性の声が聞こえてきた。
(え? 誰?)
地図から顔を上げて振り返ると、そこに立っていたのは、茶色いジャケットを羽織った長身で顔立ちが整った青年。緑色の色眼鏡をかけている。
それが、オリビアを『マダム』呼ばわりした&道案内してくれた青年だと気付き、彼女は慌てて頭を下げた。
「こ、こんにちは。先日は店に連れて行って頂いて、ありがとうございました。私、お礼を言えてなくて」
「こちらこそ失礼しました。道案内はお詫びのつもりでしたので、気になさらないで下さい」
茶色いいハンチング帽に軽く片手を添えて、穏やかに答える青年。
「ところで、道の真ん中で何をされているんですか?」
「ええっと。その。ちょっと道に迷いまして……」
見せて下さい。と、青年が身を屈めて地図を覗き込む。
「今ここですね。この丸印の場所に行きたいんですか?」
「はい」
そうですか。と、呟く青年。
しばらく何かを考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「……そうですね。では。ご案内しましょう」
「え! でも、結構遠いですよね。申し訳ないです」
オリビアは驚き慌てた。
ほとんど面識のない彼に二度も道案内してもらうのは申し訳ない。
青年が尋ねた。
「失礼ですが、本日どこから出発されましたか?」
「ゴードン大魔道具店です」
やはりそうですか。と、頷く青年。
地図を指さした。
「ここがゴードン大魔道具店で、ここが目的地。そして、これが現在地。つまり、ここは目的地と真逆です」
「真逆」
「ええ。王都は道が入り組んでいますからね。差し出がましいようですが、お連れした方が宜しいのではないでしょうか」
オリビアは、バツが悪そうに目を伏せた。
前々から気が付いていたが、自分はどうやら方向感覚があまり良くないらしい。
彼の言う通り、案内してもらった方が良さそうな気がする。
彼女はぺこりと頭を下げた。
「……では、お言葉に甘えて、よろしくお願いします」
「お任せください」
やや距離を空けて並んで歩き始める二人。
オリビアの歩幅に合わせるようにゆっくりと歩きながら、青年が尋ねた。
「ゴードン大魔道具店で働くことになったのですか?」
「はい。お陰様で」
「それは素晴らしいですね。あの店に雇われるというのは、優秀な証拠です」
やっぱりそうなのね。と、納得するオリビア。
道理で店の先輩魔道具師達が凄すぎると思った。
「得意な魔道具はあるのですか?」
「得意というか、好きなのは魔石宝飾品です」
「なるほど。今王都はブライダル関係が台頭してきていますから、そちらの方面にアプローチしてもいいかもしれませんね。恐らく今年来年最も伸びる分野でしょうから、今のうちに乗っておくのも悪くないかと」
見かけによらず情報通な様子に、オリビアは驚きを覚えた。
親切だが軽い青年かと思っていたが、意外と仕事は真面目なタイプなのかもしれない。
青年が尋ねた。
「そういえば、最近流行っている魔石を使った錠前は、核を作るのが非常に難しいと聞いたのですが、どうなのでしょうか?」
随分と専門的なことを聞くなと思いながら、オリビアは答えた。
「難しいというのは正確ではないですね。『適性が必要』という言い方が正しいと思います。適性があればすぐできますが、なければ相当な努力が必要です」
「なるほど。そういうことですか。適性があるのはどのくらいの割合なんですか?」
「正確な割合までは分かりませんけど、ゴードン大魔道具店の魔道具師は全員適性があります。でも、私の居たダレガスでは、十人に一人程度だったと思います」
青年が感心したように言った。
「なるほど。あなたはとても説明がお上手ですね」
「そうですか?」
「ええ。腕が良くても人にうまく説明できない方が多いですからね」
店の先輩達の顔を思い浮かべ、そうかもしれない。と、オリビアはくすりと笑った。
確かに、みんなすごいけど、説明が訳が分からないことが多い。
そんな感じで、やや専門的な会話をしながら歩く二人。
そして、お洒落な通りに入って。青年が一軒の店を指さした。
「着きましたね。多分あれだと思います」
(! お洒落!)
水色の壁に、白い木の扉と、ピンクと白の花の鉢植え。
店内からはとても良い香りが漂って来る。
オリビアは目を輝かせて駆け寄った。
想像以上に美味しそうな店だ。
しかし、ドアにつり下がっている札を見て、彼女は肩を落とした。
『満席 只今二時間待ち』
(はあ。早目に出たのに、迷っているうちに混みあう時間になってしまったのね)
しょんぼりするオリビア。
その様子を見ながら、考えるように黙る青年。
そして、「何かの縁ですかね」と呟くと、口を開いた。
「行きましょう」
「え? でも、二時間待ちなので……」
「まあ、付いてきてください」
青年がドアを開けて中に入る。
受付にいた女性に何か告げると、奥から中年の男性が現れた。
「ご無沙汰しております。ディックス様。お父様はご健勝ですか?」
「ええ。元気にしております。例の部屋は空いていますか?」
「もちろんでございます。ささ。どうぞこちらへ。お連れ様もどうぞ」
ポカンとしながら、男性に付いていくオリビア。
案内されたのは、お洒落な部屋で、窓際にテーブルと椅子が並べられている。
青年は、オリビアに座るように促すと、置いてあったメニュー表を開いて見せた。
「何にしますか?」
「え、ええっと……」
状況に付いていけず、彼女は、青年の整った顔に困惑の視線を向けた。
(ここって特別な部屋よね? この人何者?)
戸惑うオリビアの様子を見て、青年が「ああ」と呟いた。
「ここはうちの商会が出資している店なのです。なので、特別室に入れてもらいました」
「そ、そうなんですか。……あの、失礼ですけど」
「そうですね。一緒に食事をするのに名前も知らないのは変ですね」
青年が優雅に胸に手を当てた。
「改めて名乗らせて下さい。ディックス商会の三男、エリオット・ディックスです」
「ゴ、ゴードン、大魔道具店、魔道具師、オリビア・カーターです」
つっかえながら何とか自己紹介するオリビア。
そして納得した。
王都に来て半月ほどのオリビアですらディックス商会の名前を聞いたことがある。
きっと大きな商会に違いない。
商人なら、ブライダルや魔道具に詳しいのは納得だ。
そして、恐る恐る尋ねた。
「あの。もしかして、爵位持ち、ですか……?」
「父は準男爵です。オリビアさんは?」
「あ。はい。私の父も準男爵です」
オリビアはホッと胸を撫でおろした。
偉い貴族様だったらどうしようかと思ったが、どうやら立場は同じらしい。
(でも、さすが都会ね。同じ準男爵の子供でも、私より彼の方がずっと貴族っぽいわ)
その後、この店の名物であるパンケーキセットを頼む二人。
運ばれてきた料理を見て、オリビアは目を輝かせた。
(おいしそう!)
程よく焼き色のついた二枚重ねのパンケーキに、たっぷりのクリーム。
ジャムやはちみつ、ナッツ、ベリー等が彩り添えられている。
「いただきます」
ナイフで慎重にパンケーキを切り分け、口に運ぶオリビア。
口の中に広がる甘さに、ほう、と息を漏らした。
(ああ……。至福……)
紅茶とも合うし、添えるものによって味が変わる。
驚くべき食べ物だ。
最初はエリオットに遠慮して、控えめに食べていたオリビアだが、パンケーキが半分無くなる頃には、無我夢中。彼の存在を忘れてパンケーキに没頭し始めた。
そんなオリビアを見て、「よくお食べになりますね」「女性がこんなに食べるのを始めて見ました」と、楽しそうに微笑むエリオット。
「もっと食べていいですよ」「お茶を頼みましょうか」と、なんやかんや世話を焼いてくれる。
そして、一時間後。
パンケーキ二皿とケーキ三つを平らげたオリビアが、満足げにフォークをお皿の上に置いた。
(はあ。美味しかった。幸せな時間だったわ)
お疲れ様です。と、微笑を浮かべたエリオットが楽しそうにオリビアのカップにお茶を注いでくれる。
その姿を見て、オリビアは気が付いた。
私、この人の存在を半分忘れていたわ。と。
(一緒に食事に来た人を無視して、無言で食べ続けるなんて、失礼過ぎるわ)
申し訳ない気分になり、気まずく目を逸らすオリビア。
そんなオリビアの気持ちを察したのか、エリオットが口角を上げた。
「気にすることはありません。私も十分楽しみましたよ」
「……でも、パンケーキ一つしか食べてないじゃないですか」
「お言葉ですが、これが普通です」
その後、店を出てゴードン大魔道具店方面に向かう二人。
帰りも話題は魔道具や商売について。
エリオットの知識の幅の広さに舌を巻きつつ、魔道具の話をするオリビア。
そして、
「私はここで失礼します。お話、とても面白かったです。また情報交換させて下さい。今度はロールケーキの店に行きましょう」
「ロールケーキ! 是非! 今日はありがとうございました」
という会話を交わして、エリオットの広い背中を見送った後。
彼女は、ふと気が付いた。
「そういえば。今日、ヘンリー様のことも叔父家族のことも、全然思い出さなかったわ」
仕事をしている時も、部屋で一人に居る時も。
ふとした拍子に彼らの顔が浮かんできて、オリビアを苦しめた。
でも、今日はそんなことが一回もなかった。
心なしか、心も体も軽い気がする。
(美味しい物をお腹いっぱい食べて満たされたんだわ)
オリビアは、店に入れてくれたエリオットに感謝した。
こうやって満ち足りた気分になれたのも、彼のお陰だ。
その夜。彼女は久し振りに遅くまでデザインに没頭。
約半月振りに心地よく眠りについた。
*
同じ頃。
壁一面に大きな本棚が並ぶ、シンプルながらも立派な執務室にて。
魔ランプに照らされた青年エリオットが、書類仕事の合間に一人思い出し笑いをしていた。
(いやはや。今日は実に面白かった)
思い出すのは、パンケーキを頬張りながら輝く青い瞳。
(あんなに思い切りの良い食べ方をする女性は初めてだ)
一般的に女性は小食の方が良いとされており、物を食べる際には、小さく切ったものを少しずつ口に運ぶのが普通だ。
貴族であれば尚更その傾向は強い。
しかし、彼女は全くそんなことは気にしない。
大きく切り分け、どんどん口に運んでいく。
あっという間になくなるパンケーキを見てお代わりを勧めると、何とパンケーキだけではなくケーキまで複数ぺろりと平らげた。
その幸せそうな顔たるや、見ているこっちまで幸せな気分になるほどだ。
食事の後も、こちらの詮索をする訳でもなく、顔色を窺ってくる訳でもなく。
表情も行動も正直で、興味があるのはケーキと魔道具だけ。
女性と一緒にいてこれほど楽しく気楽だったことはない。
「次はロールケーキを食べましょう」と言った瞬間の目の輝きを思い出し、彼は思わず笑い出しそうになった。
魔道具への造詣が深く、興味深い話をたくさん聞けた。
飾らない人柄にも好感が持てた。
気持ちの良い食べっぷりと合わせて、次会うのがとても楽しみだ。
「……ロールケーキの場所、メイド達に聞いておかないとな」
小さく呟くエリオット。
そして、楽しそうに口角を上げると、再び書類仕事に戻っていった。